合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

「雨の雁木坂」誕生秘話

2013-10-18 03:57:46 | 明大将研
明大将研の部誌である「雨の雁木坂」はどのように誕生したのか。
その秘話を紹介します。

あれは私が1年の冬の頃。

今はどうか知りませんが、当時部室というのはロビーの一角にあり。
他のサークルと何の仕切りもない場所に、ごちゃまぜにありました。
確かアナウンス研究会が近くにいた。
彼らが部員の女子と仲良く喋ってるのを見て、基本的に女子の存在しないわが将棋研究会は、そのへんの不満をひたすら練習将棋の盤上にぶつけていました。

ただ、その時は何やら話し合いをするということで、いつもと違い教室を借りて集まることになったのです。

会議のテーマは「部誌について」。

それまで明大将研には部誌がありませんでした。
他大学の将棋部には普通に部誌がある。特に六大学で部誌がないのはわが明大くらい。
とゆうわけで部誌を作ろう、ということになったのです。

部誌を出すことは、ほぼ全会一致で賛成を見て、可決されました。

次にタイトルをどうするか?

ここでいろいろな候補が上がったのですが、元々明治というのは反体制というかバンカラな気風が色濃く残っており、わが将棋部においても同様だったわけです。
つまり、まともに考えるやつがあまりいないということで…。まあそれは一種の照れ隠しでもあったんでしょう。

エロ本の連想から「桂馬のもだえ」とか「香車のボッキ」なんて候補も上がりだす始末。

とうとう多数決による投票となり、その結果何と「桂馬のもだえ」が1位となってしまいました!

そんな誌名を出すほうも出すほうだが、選ぶほうも選ぶほうです。

危うく「桂馬のもだえ」で決まりかけたのですが、流石にそれではまずいだろうということで、ふざけた誌名を削除しての再投票で選ばれたのが、「雨の雁木坂」だったわけです。

雁木というのは将棋の駒組みや戦法に名前があります。
漫画「ハチワンダイバー」で真剣士の二こ神さんが得意にしている戦法でもありますね。

明治の駿河台校舎に実在するのが雁木坂。

よくとんねるずの「雨の西麻布」のパクリではないかと言われますが、1号が出たのはこのように私の1年のときですから、とんねるずの歌なんか陰も形もないわけです。

…とゆうわけで目出度く部誌の発行となったのですが、第一号が出て第二号が出るまでには相当期間のブランクがあったのです。

その顛末はまた別途描きます。

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