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合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

吾妻ひでおを見る つづき

2011-04-29 23:19:50 | Weblog
前回のブログの続きだ。確か西原理恵子に言及したところだった。


西原といえば「毎日かあさん」連載中に旦那と離婚し、挙句の果てにアル中だった鴨ちゃんはガンで亡くなり、映画化までされている話題の人である。
アル中、ギャグ漫画、自分を作中に登場させる、有名な漫画賞受賞など、西原と吾妻ひでおには共通項が多いが、この二人には接点がほとんどない。
西原は画力対決で、ちばてつやや松本零士、藤子不二夫A、やなせたかしなど、上の世代の作家とも絡むし、さくらももこにも喧嘩を売ったりしてるのだが、何故か吾妻の名は上がらない。両者とも相手の漫画を読んだことはある筈なのだが…。


さて。
かくいう私は吾妻ひでおのコアなファンである。
具体的には小学生の頃、リアルタイムで「ふたりと五人」を読んでファンになった。
高校生の頃は「週刊少年チャンピオン」が凄かった。手塚治虫、水島慎司、山上たつひこを中心に、優れた作品が並んでおり、その一角に吾妻ひでおがいた。当時の作品は「チョッキン」。
その後、「やどりぎくん」という作品に出会って、当時高校三年生だった僕は、受験を控えてたのにも関わらず、せっせと吾妻作品を買い求めた。
「不条理日記」で星雲賞を受賞し、美少女漫画の教祖的存在となり、吾妻ひでおブームが訪れる。しかし自分はファンクラブなどには参加せず、ひたすら吾妻漫画を読むだけのファンだった。

そうこうするうちに時代は流れ、吾妻ひでおも他の多くの作家とともに忘れ去られていく。だが、自分はいつか復活することを信じて疑わなかった。

その時が来たのが、「失踪日記」が数々の賞を取る今から五年前のことだった。
当時私は吾妻ひでおメーリングリストを読んでおり、受賞を祝うオフ会に一度だけ参加したことがある。
しかし、これだけコアなファンであるにもかかわらず、吾妻ひでお本人を目撃したことは一度もなかった。
それが今回、わが母校の明治大学で、新井素子とのトークイベントが行われるという情報を入手した。幸い当日は勤務明けである。というわけで、吾妻ひでおを見にいくことにした。(やっとタイトルにつながりましたね)

午前中に行って博物館の「吾妻ひでお美少女実験室」の展示入口でトークイベントの整理券を貰う。(番号は52番)
床屋で髪を切ってから昼飯を食べ、米沢嘉博記念図書館の1階展示室を見る。それでもまだイベントには間があるので、カラオケボックスに入り1時間半ほど熱唱する。

いよいよトークイベントだ。二百人入る教室に空席なし。半分が新井素子ファンでも、残りの百人は吾妻ファン、ということになる。

印象に残ったのは以下の三点。
1 新井素子は年齢の割に若い。
2 新井さんは自宅に5~6千点に及ぶぬいぐるみ(「ぬいさん」と呼んでいた)がある。
3 新井さんは携帯を持ってない。
4 のた魚は「のたざかな」だとばかり思っていたが「のたうお」と言うのだそうな。


何か新井素子の印象しかないが、肝心の吾妻ひでおの方はというと、ほぼ予想どおりの人だった。
(娘の千佳ちゃんらしき人が前の方に座っていたが、だいぶイメージが違った。子供の頃の絵のイメージしかないからしょーがないか)

こうして私は、永年信奉してきた「神」との邂逅を果たしたのである。まあ一方的に目撃しただけなのだが……。

これで人生に思い残すことがまた一つ減った。

吾妻ひでおを見る

2011-04-27 05:25:19 | Weblog
まずは一昨日のことから。
一昨日は休みだったので朝から歯医者に行く。家賃を振込んでからふらふらとパチンコ屋へ。
近々ピンクレディの新台が出るそうだが、何故かピンクレディのハネモノに座る。やっぱパチンコの醍醐味は玉の動きだよな~とか思いながら4、5千円使ってしまう。3回V入賞したのに全部2R。ついてない。そういえば女優の田中好子が死んだが、キャンディーズのパチンコは何故出なかったのだろう? 「普通の女の子」に戻ったミキが拒否ったのか?

治療から一時間過ぎたので昼飯を食う。赤羽の、大勝軒隣りの新しくできたうどん屋がお気に入り。肉つけうどんの大盛を頼む。食って出ようとするとものすごい豪雨。やむなく雨宿りをかねて対面のパチンコ屋に避難。
新台のカイジが一台あいた。打ち始めるが芳しくない。潜伏か小当たりか分からない当たりを三回ひく。本機は69回のST機なので、潜伏をひいてスルーした可能性もゼロではない。
投資がシャレにならない金額を越えた頃、やっとパンダとイチゴ柄が出てあたりを引いた。7連荘して終了。換金したが五千円マイナスだ。等価だったらチャラだった。
それにしてもカイジは、胸に刺さるセリフが多い。
「勝とうともせずに生きていること自体無謀なのさ」
とか
「世の中には支配するものと支配されるものしかいない」
とか。
特にパチンコという、ある種無謀な(トータル的に店が勝つに決まっている)ギャンブルに手を出し、大負けしてる時にこれらのセリフを目にすると、
「ホントそうだよな、もうパチンコは止めよう」
と思うものだ。

私は都知事になった石原慎太郎は大嫌いだし、もはや老外を越えて痴呆にまで言ってるんじゃないかと最近の言動を見て思う。
私のパチンコ歴は30年。パチンコは好きだし、なくすべきでもない。また東京からパチンコを締め出すことなどできる筈もないのだが、それでももしパチンコがこの世からなくなれば、自分の生活が少しは安定するかもしれない。そう他力本願で思うのも、もはや依存症のレベルに到達しているからだ。

パチンコ屋を出たその足で銭湯に行く。いつも行く「みどり湯」が休みだったのでテルメ末広へ。
上がって脱衣所で体を拭いていると、テレビに浦沢直樹や西原理恵子が映っている。あとカイジの作者福本も。
なんでも被災地を訪れてサイン会などしてるらしい。ネットで調べてみると、他にもバキの作者や、かわぐちかいじなども参加。現地へは行ってないが、色紙のみの参加で、井上雄彦やちばてつや、江口寿史などが協力してるらしい。
ほとんど「画力対決」ではないか。これは西原がバガボンドやスラムダンクを引っ張り出す布石とみた。

しかし、ふだんしょーもない下ネタなども描いて、時には「脱税できるかな」などというおかみを敵に回した過激な作品を描いてる西原だが、こうゆう時に率先して(キャラも無視して)被災地への支援をするとは、大したものである。

よく西原はくらたまや内田春菊あたりと比べられることが多いが、作家としても人間的にも格が違うのが、これで証明できたのではないか?

もっとも、内田春菊はでんこちゃんを描いて東京電力からたくさんお金をもらってたから、被災地へ行っても喜ばれない可能性が高い。


さて、ここまで読んで来て
「ちっともタイトルと内容があってないな」
と思ったあなたは鋭い。
実はここまでが前置きなのである。

本題はこれからなのだが……。
さすがに長くなった。
本題については次回に回すとしよう。

神は乗り越えられない試練を...

2011-04-24 05:21:55 | Weblog
「神は乗り越えられない試練を与えない」

ドラマ「JIN‐仁‐」にやたらと流れてくるこのフレーズ、皆さんはどう思うだろう?
地震と津波と原発事故で打ちのめされている日本だが、この言葉を聞いて勇気を奮い立たせている人もいるだろう。が、それこそ家や家族、仕事を失ったような被災者に「神は乗り越えられない試練を」などと言い出したら、一体相手はどう感じるだろうか……。


ドラマの熱烈なファンには申し訳ないが、聖書由来と思えるこの言葉は、実は村上もとか原作の漫画には一行たりとも存在しない。脳外科医である主人公は、これまでにも救えない命を幾つも見て来た筈だが、その人たちに投げ掛けるのにこれほど酷な言葉もないだろう。さらにいえば、この違いこそ、原作者と脚本家のスタンスの違いだということができる。


では先週放送された初回の内容から見ていこう。この回に詰め込まれたエピソードは三つ。
・橘栄は重い脚気にかかっており、仁は道名津を開発して脚気を治す。
・龍馬の依頼で佐久間象山の命を救いに京都へ行く。
・蛤御門の変で焼け出された人々を治療中、新選組に拉致され、西郷隆盛の虫垂炎を手術する。

これらのエピソードは原作にも無論あり大きくは変わらない。もっとも漫画ではこのあと京都で仁は猫の手術をしたり、沖田総司が人知れず猫の車椅子を作ったり、龍馬と仁とお龍が祇園に遊びに行ったりという場面があり、血なまぐさい仁の京都出張に一服の清涼剤のような爽快感を与えている。西郷の手術のせいでペニシリンが足りなくなり、民衆を火傷から救えなかったドラマ版とは随分後味が違っている。


そもそも龍馬に象山救命の依頼を受けた時点で、ドラマの仁は栄の容態を理由に「2、3日考えさせてくれ」と間抜けなことを言っている。危篤な患者に間に合う筈がない。真意は、歴史を変えることを未だ恐れている(江戸に来てもう2年も経つのに!)ためで、咲に「命を救わないのは医者として違うのではないか」と説得される。もうこの時点で私などは、仁は医者としてダメだな、と思う。
漫画ではすぐに出発し、ペニシリンは蒸気船の中で製造、大阪港から和紙に定着させ運ぶのだが、ドラマでは仁友堂で和紙に定着している。これで京都へ着くのはさらに遅くなるのだが、あとでペニシリンを足らなくするために漫画と違えたのだと容易に推測できる。

象山が幼少時にタイムスリップしていたのは原作通りだが、火事によって死ぬのは違う。漫画では静かに息を引き取っている。これも視聴者の感動を煽るためだろうが、せっかく助けた命を、器具を優先して火事で死なせるのはやはりないと思う。
このあと、原作にはない龍馬と久坂玄瑞の切腹の件があって、西郷との対面シーン。
虫垂炎で開腹手術をしなければ助からないという仁は、長州の暗殺者ではないかとまで言われ、一旦は帰ろうとする。が、象山に言われた「救え!」という言葉を思い出しこんなことを言う。
「ここであなたを見捨てたらあなたがたと同じ命を差別する者になってしまう。だからあなたを助けさせてくれ」

妙な理屈である。まるで薩摩藩が悪者と言わんばかりだ。まあドラマの仁が歴史に疎いのは仕方ないとしても、果たしてこんなことを言われた患者が、「はいそうですか」と命を預ける気になるだろうか?
原作では病状を説明し、その上で手術をするか否かは西郷の判断に任せている。いわゆるインフォームド・コンセントだ。現代の脳外科医としては当然のことだろう。


ここで「仁」のタイトルに言及しておきたい。
主人公の名前であるのは無論だが、「医は仁術」という言葉に由来するのは言うまでもない。
確かに主人公は、江戸時代から見れば驚くべき医療の知識と神のような手技で人々に驚きを与え、尊敬を集めていく。だが仮に、あなたの前に驚くべき技で治療を施す医者がいても、彼の性格が傲慢で人間的に未熟な人間だったら、そんな者に命を預ける気になるだろうか?
咲や野風や勝や龍馬や新門辰五郎や緒方洪庵が、仁に全幅の信頼を寄せているのは、単に彼の知識や技量が優れているからではなくて、富や名声など顧みず、時には自らの命さえ投げ出す覚悟で目の前の命を救おうとする、その心に打たれたからだ。
ドラマの仁にはそれが感じられない。未だにうじうじと悩み、相手のことを思いやらず、自分の都合ばかり考えている。未来という現代の恋人を救うため野風を見殺しにする仁では、周囲の人間の尊敬や信頼を集めることはできない。

ドラマでは栄を説得するのは喜市だが、人生経験豊富な栄が年端もいかない子供に「生きてなきゃ笑えないんです」と言われたぐらいで自殺を思いとどまるだろうか。
漫画では栄を説得するのは仁である。栄に自分の母親の姿を重ね合わせ、ぼうだの涙を流しながら安道名津を頬張り、「せめて美味しいものを食べながら死んでいくというのは如何でしょう」と提案する仁。その姿に、(わざわざ美しいパッケージまで添えて)菓子を作って来た仁に、栄はやっとかたくなな心を動かすのだ。
自分を治療しようとしない患者の前には、如何なる薬も手術も無力である。まさに「心」しかない。ドラマでは子供を出して感動させようと試みているが、ある意味仁は心の治療を放棄しているかに見える。そのため敢えて順番を替えて京都に行かせ、江戸を留守にさせたのかもしれない。


仁の治療の精神はその後の話でさらに昇華してゆく。
自分を二度も殺そうとした牢名主の心臓が止まった時も、「この男を助けるのか」と自問しながら見殺しにはできず、助けてしまう。
お初ちゃんという女の子の手術では、彼女を救うと歴史が変わって自分の存在そのものが消えてしまう。にもかかわらず仁は手術をやめない。たとえ自分がこの世から消えることになっても、助かってほしいと祈るのだ。まさに究極の「仁の心」ではないか?


ここで敢えてドラマの制作者に助け船を出すとすれば、悩んで未熟で不完全な主人公の方が、視聴者に親近感を呼び起こすことは確かである。もしも原作通りにドラマ化したら……。いいドラマにはなるけれども視聴率は伸びず、これほど人気を呼ぶことはなかっただろう。かつて名作と呼ばれたドラマの視聴率が如何に低いかは歴史が証明している。


最後に、村上もとかの漫画が他の凡百の漫画と何が違うのかを論じたい。
絵の緻密さ、綿密な取材、ストーリーの面白さ――それだけでも無論十分凄いことなのだが、一番私が訴えたいのは、志(こころざし)があるという点だ。
村上もとかの視点は、常に不当に人権を侵害されている弱者の方に向いている。本作でいえば、吉原で若くして梅毒などで死んでいった女郎たちの存在を知ったことが執筆の動機になっている。
「GANTZ」が如何に豊富なイマジネーションと緻密な絵で面白いストーリーを展開しようとも、この漫画には志はない。他のあらゆる漫画を見ても、高い志を持って描いている作家は数えるほどしかない。
無論志だけでは駄目で、エンターテイメント、すなわち娯楽として成立している必要があり、そこが村上もとか作品のある意味奇跡的なところだ。このことは無論「RON‐龍‐」にも共通している。


なお、一部に小説「大江戸神仙伝」とのプロットの類似が指摘されているが、江戸の素晴らしさを書いたその作者と、江戸の美しさ・素晴らしさを十分な画力で伝えながらも、なおその裏面の不合理をテーマとした村上もとかでは、そのスタートの視点がまるで違う、ということをいっておけば十分であろう。

僕がJINのドラマをちゃんと見れない理由

2011-04-22 04:30:47 | Weblog
まずは先週の日曜日のことから書こう。

この日は夜勤明けだったので、前から気になっていた浅草に行った。(その前に帰り道の築地で朝食にマグロのあら煮丼800円を食べる)

雷門から仲見世を通らず西へ。
レコードショップがあったので何気に入ってみると、品揃えが充実しており驚いた。所持金が少なかったので、未聴の「防空演習」などの入った金馬の落語のCDのみを買う。(帰ってから聞いたがあまり面白くなかった)
隣りのそば屋で天ぷらそば(1300円)を食う贅沢をしてから浅草ROXのビルに向かう。ここの7-8Fに入浴施設があるのだ。料金は2300円。
ここの露天風呂は正面に東京スカイツリーがでんとあって、何とも眺めがいい。もっとも向こうの展望台から望遠でこちらが覗けそうなので、特に女湯は何らかの対策をしなければならないだろう。
7Fに降りて、休憩室で横になるが、いびきのうるさい親父がいて迷惑である。
13時になったので、有料の食事処に行く。30分だけ、大衆歌謡楽団の演奏がイベントとしてあるのだ。飲み物とつまみを注文して1300円ほど使う。
大衆歌謡楽団は三人組のユニットで、戦前戦後の古い歌を演奏し歌う20代の若者たち。以前、寅さん記念館でののど自慢に出た時に見たことがある。
しかし、演奏はともかく、MCや曲紹介が下手で全然客の心を掴めていない。その点はおよそプロとは思えなかった。
先週のテレビのオーディション番組に出ていた30前後の若者は家に昔のレコードが二千枚もあるとかで、古い歌を蘊蓄を交えて紹介し、ワンフレーズのみアカペラで歌う人だったが、それはそれで見事な芸になっていた。
例えば「愛染かつら」なら、何年公開の映画の主題歌で主役は誰であるとか、作詞家作曲家あるいは歌手はどんな方で、というエピソードを交えないと、僕らのような年配者でも古い歌は聞くのがつらい。まして若い人にはなおさら、と思うのである。

その後、もう一度入湯してから施設を出る。


浅草演芸場の前を通る。ここの料金は2500円。高い。歌舞伎座だって一幕だけだったらもっと安く見れる。映画館だって1700円くらいのご時世だ。小一時間ほど時間が空いたから、ものは試しに本物の噺家を見てみようか、という人が払える金額ではない。お気に入りの噺家だけ見たい、2-3人の演者だけ聞いてみたい、一時間だけというような客は1000円、というような料金設定が何故できないのか?

浅草寺方面へ向かう。木馬館の大衆演劇の料金は1500円。これを見ても、やはり演芸場の2500円は高いと思う。久々に川柳師匠の高座を見てみたかったのだが…。


浅草寺横の屋台が立ち並ぶ一角。ここで甲州鳥もつ煮500円を食べる。いい値段だが、わざわざ山梨まで足を運ばずに食せるのだからめっけもんだ。うまい。酒を飲みたくなる。
お好み焼き500円を家での夕食用に持ち帰りで購入。

それにしてもここには、江戸・昭和・平成の三タワーが一堂に会している。すなわち江戸は浅草寺の五重塔。昭和は花やしきのフリーフォール。そして平成は東京スカイツリーだ。どうやらこの光景は浅草の新名物となりそうだ。

150円でいちごの水飴を買ったが、なめているうちに歯の詰め物が取れてしまった。明日医者に行かなければ。

「鳩ぽっぽ」の歌碑の前で一曲歌ってから、仲見世を通って地下鉄経由で帰宅。



一度寝てから、夜、録画しておいた昼間放送の「―仁― JIN」の番宣番組を見る。龍馬姿の内野さんがインタビューで標準語で喋る姿に違和感を感じる。


翌日、本放送の初回二時間スペシャルを見始めたが……。
どうにもこうにも最後まで見ることができなかった。
原作漫画の熱烈ファンの自分には、突っ込みどころ満載なこのドラマはどうにも絶え切れなかった。具体的には仁が西郷さんと面会を果たす場面まで。(その後の展開も他の人のブログを読んで分かってはいるのだが……。)

おおむね評判のいいこのドラマの、一体何が気に食わないのか。その詳細は、明日あたり続きをこのブログで書こうと思う。

「太陽の塔」は何故あんな形なのか?

2011-04-16 07:02:01 | Weblog
岡本太郎の傑作と言われる「太陽の塔」は、何故あんな形をしているのか?

他の岡本太郎の立体作品と少しも似ていない。敢えて言えば川崎市岡本太郎美術館のシンボルである「母の塔」にやや類似性は見られるものの、基本的には唯一にして無二、ユニークな形だ。両手を広げて社会や時代に向かい立つヒトの象徴。あるいは御神木。トーテムポール。いろいろあるけれども、忘れてならないのは、あれがいくらベラボーに大きくても、単なる芸術作品ではない、という事実である。

あれは建造物なのだ。
内部に「生命の樹」を秘めた、大阪万博のテーマ館という展示施設だった、ということ。
人は地下空間からエスカレーターで上にのぼり、塔の腕を伝って大屋根に着地し、最後は「母の塔」(さっきの奴とは別)を伝って地上へと降りる。だから顔の有無や首から上はともかく、形状的にはあんな形に収束せざるを得ないのだ。

人々は千里の丘に今なおそびえる異形の姿に騙される。確かにベラボーだ。丹下健三の大屋根をぶち抜いて、あたりを睥睨し、夜間には目から光線を発射していた、およそ近代とは正反対の造形。みんなが太郎の言動とその形に騙された。
が、太郎の真の狙いは内部空間にあった。


岡本太郎が万博のテーマプロデューサーを依頼された時、そもそもテーマ館を作るという発想はスタッフになかった。絵を一枚描いて、「これがテーマだ」と言うならそれでもいい――それほどまでにプロデューサーの人選に追い詰められていた。
太郎はかつての万博のように、広い敷地のあちこちに彫刻を配置するなどしてはピントがぼけてしまう、一ヵ所に集中した方がいい、と考えた。お祭広場の大屋根の模型を見ているうちに、どうしてもここに巨大なオブジェを突き立てて、真の「まつり」の広場にしたいと思うようになった。が、ここまでは芸術家の発想だ。

太郎には感情とともに理論がある。従来の万博という、産業や技術のみの展示なんて卑しい。人間そのものの存在を喜び訴えかけるものにできないか。
そこでこの巨大なオブジェをテーマ館という展示施設にして、人間たちを単細胞生物まで引き戻し、生命35億年の歴史を経過して現代の人間にまで生まれ変わらせる、そんな深遠な構想に到達したのである。いわば観音様の〈胎内巡り〉。さらには立山信仰における〈生まれ変わりの儀式〉に相当するものを来場者に経験させようとしたのだ。

太郎の企みはそれだけではない。かつてフランス万博あとに人間博物館の誕生を見た太郎は、日本にも人間博物館が必要だ、と考えた。そこで国家の潤沢な資金を使って、民俗学者を世界中に派遣し、仮面や神像などの本物を片っ端から集めて、「太陽の塔」の地下空間に展示した。万博は一過性のお祭りだが、あとに博物館を作ろうと企図したのだ。
ここが岡本太郎の凄いとこだ。発想し、人間を巻込み、説得し、実現させる。対立し、まともにぶつかりあいながら、いつの間にか好かれてしまう。「人たらし」の達人岡本太郎。
その意図は、国立民族学博物館という形で結実する。渋沢敬三が種をまき、岡本太郎が水と肥料をやったのがミンパクといえるだろう。


NHKドラマ「TAROの塔」は何かと評判がいいが、あそこに描かれた太郎はほんの一面であり、むしろ矮小化されている。

「縄文」との出会いを何故か脚本家は無視したが、芸術家や、さらには岡本太郎であることさえ超越し、全人間的に生きることを宣言した太郎の姿はあのドラマにはなかった。


人間、それも猛烈に生きる人間を目指したのが岡本太郎だ。
明確な理論に裏打ちされた感情の人、岡本太郎。そういう目で改めて「太陽の塔」の造形を見ると、ああこれは正しく太郎の姿だな、という気もしてくる。