前回のブログの続きだ。確か西原理恵子に言及したところだった。
西原といえば「毎日かあさん」連載中に旦那と離婚し、挙句の果てにアル中だった鴨ちゃんはガンで亡くなり、映画化までされている話題の人である。
アル中、ギャグ漫画、自分を作中に登場させる、有名な漫画賞受賞など、西原と吾妻ひでおには共通項が多いが、この二人には接点がほとんどない。
西原は画力対決で、ちばてつやや松本零士、藤子不二夫A、やなせたかしなど、上の世代の作家とも絡むし、さくらももこにも喧嘩を売ったりしてるのだが、何故か吾妻の名は上がらない。両者とも相手の漫画を読んだことはある筈なのだが…。
さて。
かくいう私は吾妻ひでおのコアなファンである。
具体的には小学生の頃、リアルタイムで「ふたりと五人」を読んでファンになった。
高校生の頃は「週刊少年チャンピオン」が凄かった。手塚治虫、水島慎司、山上たつひこを中心に、優れた作品が並んでおり、その一角に吾妻ひでおがいた。当時の作品は「チョッキン」。
その後、「やどりぎくん」という作品に出会って、当時高校三年生だった僕は、受験を控えてたのにも関わらず、せっせと吾妻作品を買い求めた。
「不条理日記」で星雲賞を受賞し、美少女漫画の教祖的存在となり、吾妻ひでおブームが訪れる。しかし自分はファンクラブなどには参加せず、ひたすら吾妻漫画を読むだけのファンだった。
そうこうするうちに時代は流れ、吾妻ひでおも他の多くの作家とともに忘れ去られていく。だが、自分はいつか復活することを信じて疑わなかった。
その時が来たのが、「失踪日記」が数々の賞を取る今から五年前のことだった。
当時私は吾妻ひでおメーリングリストを読んでおり、受賞を祝うオフ会に一度だけ参加したことがある。
しかし、これだけコアなファンであるにもかかわらず、吾妻ひでお本人を目撃したことは一度もなかった。
それが今回、わが母校の明治大学で、新井素子とのトークイベントが行われるという情報を入手した。幸い当日は勤務明けである。というわけで、吾妻ひでおを見にいくことにした。(やっとタイトルにつながりましたね)
午前中に行って博物館の「吾妻ひでお美少女実験室」の展示入口でトークイベントの整理券を貰う。(番号は52番)
床屋で髪を切ってから昼飯を食べ、米沢嘉博記念図書館の1階展示室を見る。それでもまだイベントには間があるので、カラオケボックスに入り1時間半ほど熱唱する。
いよいよトークイベントだ。二百人入る教室に空席なし。半分が新井素子ファンでも、残りの百人は吾妻ファン、ということになる。
印象に残ったのは以下の三点。
1 新井素子は年齢の割に若い。
2 新井さんは自宅に5~6千点に及ぶぬいぐるみ(「ぬいさん」と呼んでいた)がある。
3 新井さんは携帯を持ってない。
4 のた魚は「のたざかな」だとばかり思っていたが「のたうお」と言うのだそうな。
何か新井素子の印象しかないが、肝心の吾妻ひでおの方はというと、ほぼ予想どおりの人だった。
(娘の千佳ちゃんらしき人が前の方に座っていたが、だいぶイメージが違った。子供の頃の絵のイメージしかないからしょーがないか)
こうして私は、永年信奉してきた「神」との邂逅を果たしたのである。まあ一方的に目撃しただけなのだが……。
これで人生に思い残すことがまた一つ減った。
西原といえば「毎日かあさん」連載中に旦那と離婚し、挙句の果てにアル中だった鴨ちゃんはガンで亡くなり、映画化までされている話題の人である。
アル中、ギャグ漫画、自分を作中に登場させる、有名な漫画賞受賞など、西原と吾妻ひでおには共通項が多いが、この二人には接点がほとんどない。
西原は画力対決で、ちばてつやや松本零士、藤子不二夫A、やなせたかしなど、上の世代の作家とも絡むし、さくらももこにも喧嘩を売ったりしてるのだが、何故か吾妻の名は上がらない。両者とも相手の漫画を読んだことはある筈なのだが…。
さて。
かくいう私は吾妻ひでおのコアなファンである。
具体的には小学生の頃、リアルタイムで「ふたりと五人」を読んでファンになった。
高校生の頃は「週刊少年チャンピオン」が凄かった。手塚治虫、水島慎司、山上たつひこを中心に、優れた作品が並んでおり、その一角に吾妻ひでおがいた。当時の作品は「チョッキン」。
その後、「やどりぎくん」という作品に出会って、当時高校三年生だった僕は、受験を控えてたのにも関わらず、せっせと吾妻作品を買い求めた。
「不条理日記」で星雲賞を受賞し、美少女漫画の教祖的存在となり、吾妻ひでおブームが訪れる。しかし自分はファンクラブなどには参加せず、ひたすら吾妻漫画を読むだけのファンだった。
そうこうするうちに時代は流れ、吾妻ひでおも他の多くの作家とともに忘れ去られていく。だが、自分はいつか復活することを信じて疑わなかった。
その時が来たのが、「失踪日記」が数々の賞を取る今から五年前のことだった。
当時私は吾妻ひでおメーリングリストを読んでおり、受賞を祝うオフ会に一度だけ参加したことがある。
しかし、これだけコアなファンであるにもかかわらず、吾妻ひでお本人を目撃したことは一度もなかった。
それが今回、わが母校の明治大学で、新井素子とのトークイベントが行われるという情報を入手した。幸い当日は勤務明けである。というわけで、吾妻ひでおを見にいくことにした。(やっとタイトルにつながりましたね)
午前中に行って博物館の「吾妻ひでお美少女実験室」の展示入口でトークイベントの整理券を貰う。(番号は52番)
床屋で髪を切ってから昼飯を食べ、米沢嘉博記念図書館の1階展示室を見る。それでもまだイベントには間があるので、カラオケボックスに入り1時間半ほど熱唱する。
いよいよトークイベントだ。二百人入る教室に空席なし。半分が新井素子ファンでも、残りの百人は吾妻ファン、ということになる。
印象に残ったのは以下の三点。
1 新井素子は年齢の割に若い。
2 新井さんは自宅に5~6千点に及ぶぬいぐるみ(「ぬいさん」と呼んでいた)がある。
3 新井さんは携帯を持ってない。
4 のた魚は「のたざかな」だとばかり思っていたが「のたうお」と言うのだそうな。
何か新井素子の印象しかないが、肝心の吾妻ひでおの方はというと、ほぼ予想どおりの人だった。
(娘の千佳ちゃんらしき人が前の方に座っていたが、だいぶイメージが違った。子供の頃の絵のイメージしかないからしょーがないか)
こうして私は、永年信奉してきた「神」との邂逅を果たしたのである。まあ一方的に目撃しただけなのだが……。
これで人生に思い残すことがまた一つ減った。