今日は一日中勤務。夕方休憩中に控室でたまたま「笑点」を見る。
大喜利の挨拶のコーナーで円楽が
「みんな分からないこと言ってますが…8月19日は俳句の日。俳句と川柳は何が違うかと言ったら季語のあるなしだそうです。俳句といえば芭蕉。落語の世界でバショウといえば金原亭馬生師匠。随分お世話になりました。一方、川柳といえば我々の大師匠、円生の弟子でさん生という方が今は川柳。おかしなおじいちゃんです。何を言ってるのか分からなくなってきました。円楽です」
と挨拶していた。(うろ覚えだから正確ではないが…)
前回の記事でとりあげた川柳川柳の名を、わざわざ円楽が挨拶で口にしたのだ。一体どういう政治的意図なのか?
ご存じのように三遊亭円生一門は、落語協会を脱退し新組織を設立するが、東京の各寄席がこの連中を上げないと明言。志ん朝も談志も三平も円鏡も結局は不参加となり、一門以外はみな協会に戻ってしまう。
この騒動であらかじめ話を聞いていなかったさん生と好生が不信感を持ち協会に残る。円生から名前を取り上げられ、さん生は柳家小さん門下となり、川柳川柳を名乗る。一方好生はよりによって円生と犬猿の仲だった林家正蔵の世話になる。
さん生(川柳)と全生(先代の円楽)の間にはいろいろと確執もあったろう。川柳は円生に恨みこそなかったろうが全生には相当の恨みがあった、かもしれない。
円生の死後、円生一門以外(円窓、円丈など)は落語協会に戻る。がその後にもこの三者は、7代目円生襲名問題でもめにもめるのだ。
勿論今の円楽(楽太郎)にはそうした目上の先輩たちと揉める要素はない、はずだ。彼が敢えて川柳の名を口にしたのは、何かのラブコールではないかと見る。決して思い付きや遊び半分で言ったのではあるまい。二人の間に個人的な関係があるかないかは知らない話だが、もう故人のしがらみを除いて落語界発展のために歩み寄ろうというのか。川柳がまだ高座に上がって元気に今のうちに………。
大喜利の挨拶のコーナーで円楽が
「みんな分からないこと言ってますが…8月19日は俳句の日。俳句と川柳は何が違うかと言ったら季語のあるなしだそうです。俳句といえば芭蕉。落語の世界でバショウといえば金原亭馬生師匠。随分お世話になりました。一方、川柳といえば我々の大師匠、円生の弟子でさん生という方が今は川柳。おかしなおじいちゃんです。何を言ってるのか分からなくなってきました。円楽です」
と挨拶していた。(うろ覚えだから正確ではないが…)
前回の記事でとりあげた川柳川柳の名を、わざわざ円楽が挨拶で口にしたのだ。一体どういう政治的意図なのか?
ご存じのように三遊亭円生一門は、落語協会を脱退し新組織を設立するが、東京の各寄席がこの連中を上げないと明言。志ん朝も談志も三平も円鏡も結局は不参加となり、一門以外はみな協会に戻ってしまう。
この騒動であらかじめ話を聞いていなかったさん生と好生が不信感を持ち協会に残る。円生から名前を取り上げられ、さん生は柳家小さん門下となり、川柳川柳を名乗る。一方好生はよりによって円生と犬猿の仲だった林家正蔵の世話になる。
さん生(川柳)と全生(先代の円楽)の間にはいろいろと確執もあったろう。川柳は円生に恨みこそなかったろうが全生には相当の恨みがあった、かもしれない。
円生の死後、円生一門以外(円窓、円丈など)は落語協会に戻る。がその後にもこの三者は、7代目円生襲名問題でもめにもめるのだ。
勿論今の円楽(楽太郎)にはそうした目上の先輩たちと揉める要素はない、はずだ。彼が敢えて川柳の名を口にしたのは、何かのラブコールではないかと見る。決して思い付きや遊び半分で言ったのではあるまい。二人の間に個人的な関係があるかないかは知らない話だが、もう故人のしがらみを除いて落語界発展のために歩み寄ろうというのか。川柳がまだ高座に上がって元気に今のうちに………。