CATVをつけたら市川崑監督の映画「太平洋ひとりぼっち」をやっていた。
面白かった。
石原裕次郎が太平洋単独ヨット横断の堀江謙一青年を演じている。関西弁で、いつもの裕次郎のイメージとまるで違う。
時は1962年。(くしくも僕の生まれた年)
日本ではこの偉業も、当初は密出国・密入国の犯罪者扱いで報じられたというから、日本と言う国はほんと酷いものだ。
ヤフーの映画評(ユーザーレビュー)が十数件あった。
読んでみると、何で主人公が冒険に出るにいたったか、その動機が書かれていないのが駄目、みたいな意見が見られた。
僕はそうは思わない。
主人公の心情をまるで理解しない両親の姿を見れば痛いほど気持ちが分かる気がする。
そもそもこうゆう気持ちを理解できないのは旅をしたことのないひとたちではないか?
自分は自転車でほんの数ヶ月(トータルでは1年半に及ぶが)日本のあちこちを旅しただけだが、根本の心情は同じである。
世界的にも凄い偉業と、安全が確保されたただの自転車旅行と、比べるなといわれそうだが、気持ちは同じである。
仕事をやめて数ヶ月の自転車旅行に出る。いったい何のために? リスクばかりではないか?
そう、リスクばかり。だが、やらねばならぬ。それが「人生」だからだ。
抽象的で他人にはまるで理解不能か?
だが、似たような旅をしてきた当事者には、この気持ちは分かってくれるはずだ。
最近も東京の夏は暑い。
こう暑いといっそのこと北海道へでも行きたくなる。旅人はそういうものだ。
今でも忘れられないのが北海道の羅臼の国設キャンプ場を訪ねたときのこと。三度目の北海道行の時だった。
旅の達人と言うか、風来坊みたいな人が何人もいた。
僕は彼らに混じって夕食を頂いた。
でっかい魚の焼いたのや、魚や野菜の味噌汁。
ご飯は自分で炊いたやつを持ち寄って、一人92円!の夕食。
何でそんなに安いのか?
野菜は買うが、魚は港などで頂いてきたからタダ!
彼ら旅の達人たちは、いかにお金をかけず北海道を満喫できるか、そのことに精通していた。
夕食の後は焚き火をかこんで焼酎(のお湯割り)を飲んだ
鹿肉の燻製も食った。
マシュマロを木の枝に刺して、焚き火にかざして食べた。
お互いをキャンパーネームで呼び、本名や仕事や素性などは互いに詮索しない。
不思議と一緒にいて気持ちいい人たちだった。
彼らとはその一晩しか一緒にいなかった。
翌日はものすごい雨で、自分は早々にテントに避難したが、風でテントがつぶれ、翌朝ほうほうのていでキャンプ場を後にしたからだ。
そんな旅の達人や風来坊たちは、冬になると温かい沖縄方面に移動したりする。
人生を根本から投げているのか、よく分からないが、確かにそんな人たちがいたのだ。
定職にしがみつき、必死でがんばっている人たちとは何かが根本的に違う。
彼らの存在を知ったら、何か真面目にがんばるのがバカらしく思えてくる。
とゆうか、どう生きるのも自由。こうでなければならないなんて価値観は、存在しないのだ。
自分はこの時の体験があるから、その後放浪癖が身についてしまって、いろんな小旅行がやめられないでいる。
ここ数年旅にさえ出ていないけれど、心の中には常に旅がある。
またそろそろ旅行の虫が頭をもたげてきそうな、そんな勢いである。
旅は心の中にある。
面白かった。
石原裕次郎が太平洋単独ヨット横断の堀江謙一青年を演じている。関西弁で、いつもの裕次郎のイメージとまるで違う。
時は1962年。(くしくも僕の生まれた年)
日本ではこの偉業も、当初は密出国・密入国の犯罪者扱いで報じられたというから、日本と言う国はほんと酷いものだ。
ヤフーの映画評(ユーザーレビュー)が十数件あった。
読んでみると、何で主人公が冒険に出るにいたったか、その動機が書かれていないのが駄目、みたいな意見が見られた。
僕はそうは思わない。
主人公の心情をまるで理解しない両親の姿を見れば痛いほど気持ちが分かる気がする。
そもそもこうゆう気持ちを理解できないのは旅をしたことのないひとたちではないか?
自分は自転車でほんの数ヶ月(トータルでは1年半に及ぶが)日本のあちこちを旅しただけだが、根本の心情は同じである。
世界的にも凄い偉業と、安全が確保されたただの自転車旅行と、比べるなといわれそうだが、気持ちは同じである。
仕事をやめて数ヶ月の自転車旅行に出る。いったい何のために? リスクばかりではないか?
そう、リスクばかり。だが、やらねばならぬ。それが「人生」だからだ。
抽象的で他人にはまるで理解不能か?
だが、似たような旅をしてきた当事者には、この気持ちは分かってくれるはずだ。
最近も東京の夏は暑い。
こう暑いといっそのこと北海道へでも行きたくなる。旅人はそういうものだ。
今でも忘れられないのが北海道の羅臼の国設キャンプ場を訪ねたときのこと。三度目の北海道行の時だった。
旅の達人と言うか、風来坊みたいな人が何人もいた。
僕は彼らに混じって夕食を頂いた。
でっかい魚の焼いたのや、魚や野菜の味噌汁。
ご飯は自分で炊いたやつを持ち寄って、一人92円!の夕食。
何でそんなに安いのか?
野菜は買うが、魚は港などで頂いてきたからタダ!
彼ら旅の達人たちは、いかにお金をかけず北海道を満喫できるか、そのことに精通していた。
夕食の後は焚き火をかこんで焼酎(のお湯割り)を飲んだ
鹿肉の燻製も食った。
マシュマロを木の枝に刺して、焚き火にかざして食べた。
お互いをキャンパーネームで呼び、本名や仕事や素性などは互いに詮索しない。
不思議と一緒にいて気持ちいい人たちだった。
彼らとはその一晩しか一緒にいなかった。
翌日はものすごい雨で、自分は早々にテントに避難したが、風でテントがつぶれ、翌朝ほうほうのていでキャンプ場を後にしたからだ。
そんな旅の達人や風来坊たちは、冬になると温かい沖縄方面に移動したりする。
人生を根本から投げているのか、よく分からないが、確かにそんな人たちがいたのだ。
定職にしがみつき、必死でがんばっている人たちとは何かが根本的に違う。
彼らの存在を知ったら、何か真面目にがんばるのがバカらしく思えてくる。
とゆうか、どう生きるのも自由。こうでなければならないなんて価値観は、存在しないのだ。
自分はこの時の体験があるから、その後放浪癖が身についてしまって、いろんな小旅行がやめられないでいる。
ここ数年旅にさえ出ていないけれど、心の中には常に旅がある。
またそろそろ旅行の虫が頭をもたげてきそうな、そんな勢いである。
旅は心の中にある。