家に、高い帯域のネットワークを構築する。
リビングとかに巨大なパワーを持つPC、それを置いて。
”そこ”に、データサーバーを設置、BDとかの物理メディアデータを、そこに全部コピーしてしまい。
各端末はリビングのPCから遠隔でその情報を利用。
この時、それはVOD的ではあるが物理メディアを性能的には超えている、のだが。
「利用するPCは良くて数台だから」だ。
この時、物理メディアも不要にならない訳だ。
良いと思うか?
考えてみると、これは「単なるインターネット」だ。違いは接続数が異様に増えてるだけだ。これに対してローカルな視点で見る時、貴方だったら、自分の寝室などから「リビングのPCに」貴方の個人的な趣味データをロードしておく気に成るだろうか?リビングのPCは、もちろん管理者権限でデータサーバーの中身は「全部見れる」のだ。「それはちょっと」そう思う時、このハードは普及しない(-_-;)。意味が、ない。だったら物理メディアを再生する小型のハードがあれば…それで良い。
でもそれはつまり、インターネットに対しても、同じ評が向くのではあるまいか?「欲しいと思わない」その評は納得し得る物だ、インターネットの推進者でさえそうだろう。つまり、インターネットは、”これ”を目指す限りは価値を持てない、訳だ。
今のインターネットは、価値が無い。
これは、かなり明確と言うか、そのポジションから言える状態、ではあるまいか。今更ではある、ともかく「お金さえ払ってくれれば!」これにか?それは、至極納得できる絵としてある。インターネットに対して世間の評価は”これ”だと言う事だ。これは、ウケない。
”何か”を、変えた方が良い。
「インターネットとは、世界規模の大戦ゲームを造る為のIFである」他の機能はおまけか、その応用に過ぎない。”これ”により、「戦争」を仮想現実で処理する事を可能にして初めて、「その先」がある…特にテレビゲームのスポーツ化にも、活路が。ともかく現状、ハードパワーなら十分だ。戦争のシステムも問題は(多分)無い。”ここ”なら、それは、この構造は「必要なモノ」として、ある。
「インターネットは必要なモノだ」が、ビジネス用にパソコンを売った筈が、その人はゲームしかしないらしい?それは、まあ「売れたんだから良いじゃないか」で、そこは流した方が良くないか。
お金は、大事である。