あげちうのブロマガ

印刷したポスターと原画の違いが判らない

状況の把握が正確か?は解らないが。

理不尽はある。


要するに、「”王の権威”は誰だったか?」が、分岐の始まりな訳で。

イメージの抽象化。前に出た、「担保有りで発行された紙幣」と、「担保なしに発行された紙幣」の違いだ。人々の前に、その二つが並んでいて。物は同じく、造幣局により印刷された”本物”である、なのに。前者は本物だが後者は偽者、前者には価値があるが後者には無い。そして当時、後者の方が、遥かに多く世の中に出回っていた…「これこそ本物だ!」そう、声だかに語る知識人さえ居た状態。経済的低迷を救う妙案!とか、少数の否定を封印し、当時もてはやされさえもしたのだ。

その後今、その明暗が分かれている。

その差に関して、当時から既に追及はあった、のだが。一応、紙幣には通し番号がある。その偽札はどうやって創られたか?ある期間に、造幣局関係に不正が起こったのだ。その間に大量のお札が担保なしに印刷されてしまい、世に出た。”それ”は一時的に世間にお金を増やした、空前の好景気の始まり!の様な感じになったのだが。

「お金とは何か?」

”その”論戦の末か、或いはその前か。不幸にも当時から、この辺はあまり表には出なかったし、語られる事も少なかった。何かの「当り前」その後ろに、少し混沌があり。ともかくその後、何故か、経済は突然の墜落を始めた、凶悪な不景気の始まり。前者を、担保有りの紙幣を選んでいた人々には「さもありなん」そして「だからこそ!」しかし。世間はその後も、その担保なしの紙幣を、「偽札だ」とは認識?しなかった。その道を選んだ先導者らにしても、罪と罰、プライドの問題は大きいだろうか。ともかく偽札は偽札と認識されないまま流通を続けて、或いはその果てに、東日本大震災まで起こったのだ。そこは語られる、何か誰かが、天に唾する様な事をしたのではないか?

…そうなっても、まだ、後者を「偽札だ」とは、言い切れない物はあって。


この悲劇?は、”それ”が原因なら、偽札が本物でさえ有れば起きなかった訳だ。誰が悪いのだろう?当時、急激にだ、「お金が無かった」のだ。借金を重ねるのは良いが、返済の当てがない時、それは今の様に国債が異様に積み重なる事態を招く。当時すでに「ガンダム」はあり、創作での利益性に関して目途は有ったが。自分さえも、独裁的創作、”それ”を完全には否定し切れない物は有って…、その辺、今も何となく断言できずに居る。”雅”市場的にも、国家人口の1/100円までは独裁創作での利益性は認められている、ので。それは今も、同人市場ではそこを上手く泳げる人々により、独裁的創作は適当な利益性を持っているのかもしれないが。

その結果が、萌えキャラの氾濫と二次創作の独壇場、ではあり、良い事か悪い事かは微妙だ。

それでも後者の、「担保なしの紙幣」を「本物だ」と認識した方は、現実的な経済的破綻に遭遇はしている、様ではあり。生きる事を考えたら、間違いは認めざるを得ない、敗者になるしかない、愚かだったそれを認めるしかない、のだが。

理不尽ではある、到底納得できない。手にした、選んだあのお札は同じく、造幣局で印刷された「本物のお札」なのだ。なのに、自分のは偽者で破産、相手のは本物で発展?相手だって持っているのは同じく造幣局で印刷された本物のお札だ、自分のとなんら違いはない。そもそも自分の方が、立場は上でさえ有ったのだ、それが。

神様なんて、何処に居るのだろう?

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