「何の為に?」と言う命題は、結構大きい。
”それ”が埋まってるか否か?で、作品の評価は相応変わる筈。
というのが、「”雅”市場」側の言い分、には成る。
一応、理解としては「説明/行動/事件/解決、テーマを持たせ矛盾を廃し、良い介入をする」と言う物語への定型、それを基幹にしての評価指針ではあり。そう言うのに合致してないと、それは相応に欠損として評価値を下げる事には、成る。一応、その結果として、「増える」その創作は他者の価値を損なわずに”それ”を形成する、事が可能になり…結果、切り捨て、売春、そう言うのを原理的には必要としなくなる。
筈ではある。
ただ、”この”追及の結果で、結局はその全体が「娼婦が存在しない環境」それを志向する事には成る、訳だ。そしてその時?無理が通れば道理は引っ込む、は「それは無い」そんな否定に晒される。一つの無理は他者に抑圧を強いて、その反動は遠からず或いは、過剰に襲ってくる物だ。そう言う先に不条理な対立、そして戦争はある。そう言うのを避ける為には、どうしても適当な我慢か規約への恭順、それが重要である。
つまり、貴方の作品は駄目と言う事だ。
要するにそんな相手の言い分は、理不尽か否か?ではある訳だが。
「エロゲー」と言う需要に対して、果たして何が正解か?と言うのは少し考える。以前に考えた?のは、「ベースのストーリーは単なるRPGのそれに近いんだけど、ゲームオーバーの際にエロいシーンが入り、その辺を夢オチにしてしまう」という奴。そこは需要に対する構成の問題、とは思っていたがしかし。ゲームオーバーのそのエロシーンが、「単なるエロ漫画」では、まあ”雅”市場以外か、そこでは要求を満たさない、感じも。
…そして、通常のストーリーが単なるギャルゲーのそれでは、やっぱり購入層の需要?それを、満たしてないのでは。そんな気も、適当にしない事も無い。
とは言え、その「今まで」に何を要求されているか?が、結局は「売春」ではある訳で。
「自身の」価値を貶める、方向性にこそ「評価」がある、そう言う領域はもちろんあって。”そこ”に合わせて創られた時、それは”雅”市場側には忌避される何か、に成ってしまう、訳だが。
状況の変化は、それらをただ、「クソゲー」で捨てていく、感じで良いのか或いは。
本来は、”そう言う領域”への救済さえ視野に入れた筈のそこは。むしろ逆に、それを加速させていく、様な場に成っていた?と言う、それもまた、有り得る。
基幹的な?そう言うのを定義すべきなのか、或いは。
当然か、「最下層からの脱出」そう言うのがテーマだと思えば、多少の許容は有る訳だが。
邪に支配された世界。戦闘に負け、悪鬼に捕まって凌辱されてる女性らだが。しかしそこに救援、しかしそのパワーは心もとない。何とか敵を退け、脱出を。
こんな感じの”それ”が足場であれば?まあ展開中のエロいシーンも、ゲームオーバーのそれも、まあ相応理由?それはある、事には成る訳だが…。
「女子高生を買って思う存分楽しみたい」
となると、或いは最終的な”敵”は「そこ」である。それに対して戦いを挑み倒す、というのが目的、だがそれに対して。
そう言う、何かの特有な執着、それへの同意?それは、果たして消えていく物か、或いは。
逆効果かもしれない、そんな懸念もある。
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