感情論の奈落にはある。
「新聞記者」は、平成の始まりに売春婦かの女性を強姦し殺した、それは「王の権威」ともかく道理に合わない行為だったが、それを世間はそのまま隠蔽してしまった。”それ”が原因で、平成は何かの破綻から始まった、のだが。その後に、或いは救世主かの様に台頭した勢力、それはでも、「黄昏の狩人」を盗んで自分らの物として、そしてその作者を排斥し隠蔽、そのまま人柱にしようとしていた、それは今も、だ。
結果、だろうか、彼らのやる事なす事、悉くが最終的には「どうしようもない愚策」として、しかし隠蔽と損失と共に、世間に大きなストレスを与えてる。その狭間に、その「黄昏の狩人」その作者である自分が居る訳だ。無能で役に立たないゴミが、内輪受けのゴミを量産している、表現はそんな感じで、そしてその座布団の下には、人柱の皆様が居る訳で。
その上で、そこに対して「お前ら如き産まれつきの低能が、何を粋がってるんだ」的な台詞が出てしまう、そこにも、同じくらいの疑問?はある。
増尾昭一氏は、或いはそんな物言いに挑んだ、訳だが。
結論としては、「その通りです」とかそう言うオチで、病で死んでしまった。
平成が始まった時点での、物理的な現実でさえ有る。
「王の権威」それが居るのだ。
昭和の頃に見えていたモノ、それの殆どが幻想で、それをそのまま平成で続けようとして…「昭和天皇」という重大なパーツが無い結果、結局、屋台骨は折れてしまった。そこに有った補修部品は盗品で、結論で言うとその作者が次の「王の権威」だが、それを認めると言う事は当時は出来ないまま、そこは深くしかし何となく、悲劇も含めて隠蔽される事には成った。理想を目指すかそんな崇高さは無く、求めているのは自分の気持ちよさだけ、と言う果てに、過失を背負い、それが原因で成功には見放され、自身の無能さは続けるだけ拡大し歪んでいく、「なんで貴方、産まれてきたんだろうね」邪魔でしかないのに、そんな台詞が何だか隣で常に笑ってる生活。
「売れるモノを創る」方法論が確立するに従い、過去の作品が何故ダメだったか?も見えてくる中で。”それ”を必死に擁護し続けた様な、そんな状況と、そして合わせて、「黄昏の狩人」の作者を人柱にしてた、と言うのも”その当時から”有って、その記録も掘り返されはする。金持ちの道楽的に内輪でバカ騒ぎしてる足下では、彼らが虐げてた奴が、なんだか大変な思いもしてた訳だ。そいつらが今も、何だか。
感情論だ。
それだけに、無視出来ない危険性、それはそこに有る。
例えば玉川徹氏が?もし朝日新聞社をクビに成っていたら。橋本徹氏の糾弾はほぼ、何の意味も無い訳だ。そんなニュアンスの、どうにも行き場のない憤りと言うか、そう言うのが、剣呑さを見せては居る。
「ゴミ」の中で、蠢き続けるモノが有る。