重い問いだ。
「自分は何の為に生きているのか?」
結局、この疑問を問う存在の作品は”認められない”のだ、客は何故か、買わない。
つまり、自分の願い?それは具現化しない、と言う事だ、この世界では。
具現化するのは今は、「王の権威」ブルーガンダムの作者、その意向”だけ”だ。
「だって面白くないのだもの」
人々の声なき返答は、何故か常に同じ事を言う。
”そこ”を目指したが、そこに成れるのは一人だけで、そしてそれは既に、「産まれた時には決まっている」のだ。努力すれば成れる、存在ではなく、そこにしか目指す物?それは無い。
…昔は、そうでも無かったのだろうか?
褒められ、評価され、プロと言える状況に成る、それなりに充実感は有ったか。
自分は逆に?奇妙な感覚にはある。
「人々の求める物を提供せねばならない!」ので、”自分の趣味で”描く訳で。
評価?を目指し、売れる創作を分析する過程で、「評価してるのは誰?」物差しは?と言う疑問から、「大衆は神である」その理解に至り、それから、自身の創作は何かの自由?を得た、のだが。つまり「ウケれば良い」のだ、人々に、適当に。神が求める物に疑問を持ってはいけない、その時、間違っているのは自分の感覚である。「売れた」それは神が求めたからに他ならない、創作者の喜びとはそこに有るのだ。逆に、”それ”を歪める様な真似は大罪であり遠からず、それは破綻と共に有る。
…勿論その割に、売れてます!に対しては、常に懐疑的ではあったのだけど。
もちろん、”今も”だ。
深刻な、感覚の異相はある。
そして現状の有様に、理解との差は重くある。
正論は、向こうにあると言う、その理解は常にそこには有る訳だ。
ただ、道理がこっちにしかない、と言う現実もまた、それは理解し得る状況。
現状は、自身が提案した「大賀さん」それでの結果によってある。色々な意味で、「ブルーガンダム」それへの興味?そう言うのが増している、状況。それは平成の間、歪んだ運用や理解をされ、何かの泥に塗れた。”それ”の本来の姿とは、一体?それにより本当は何が具現化する筈だったのか、そこに投影されていたモノとは何か。
…”それ”は、誰の願いなのか?
ともかく”それ”が、「大賀さん」そこでの勝者へ向けられた「要求」それではある。
アメリカ大統領選、その結果は、ともかく覆らなかった。
マスコミはその或いは、邪なパワーを総動員して歪めようとしたし、自分もその歪みに乗ったが、それは数カ月前に行われた結果のまま、変わらなかった。自分(の方)は勝ち組に回っていた?が、自分自身はそれを望んだ訳でもなく、何故か。しかしその結果、大統領選の結果の様に、それは僅差?で、バイデン氏の勝利となる。
世界は、結果に納得してしまった。
そしてその結果、SEGAでは名越氏は、降格処分となった。
自分の中の疑問は今も、何かの不安と共に有る。そして”それ”こそが、自身への「反逆者」それを呼んでいる、のだけど。
それが消えないのは、何かの間違いが有るのか。
今、ミャンマーでは選挙の不正を理由に、軍部が政権を奪取した、と言う。世界のグローバルな流れの中で、「民主主義」その根幹が腐っていた部分に、まんまとか収まった”何か”は、何を目指しているのか。