あげちうのブロマガ

お金を下さいと集まるファンはどう見える

酷い表現だが、「ファン」とは逆に、「寄生している人々」と言う意味は実はある。

極論すれば、創作者は100円を対価に、”1000円分の何か”を提供し続けねば、作家は続けられない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
まあ、ファンはお金を持って来てくれるのですが確かに

 

一応、理屈の上でも?それが出来ればその創作の領域は発展する、事には成る訳だ。その為に必要な事は何で、自分はその上で何が出来るか、人々に期待する事は?そう言うのを、作家はある程度は理解している必要は、ある。とは言え、殆どの創作者がそう言う意識を持てない現実はある、だからか。「思想家」そう言うのが求められる…そう言う面はあって。

ともかく解っている事は、作家に不足が出る時、ファンとは単なる厄介なお荷物か、或いは自身に対する略奪者でしかない、という事ではある。要するに、というか。不足有る作家の甘言は、自身の自滅を招く事は多々ある訳だ。そして、「私は完璧だ!」と、そういう人物が、その状態である、という事は…まあ結構、有る。

それでもその甘言にこそ、未来を見てしまった人々、というのが。まあ「同人」と言う領域の、主な客層かもしれない訳だが。平成に入って、コンテンツは単純にか、消費されていくモノに成ってしまった面はある、作者も含めて、だ。平成で肯定されたそれは、何かの不足を空虚な理想を背にした甘言で補って?もちろん不足は不足として残ったまま…それは昭和の頃もそうだろうか、作者から吸い上げ、そして捨てて、そして次を求め続けてきた訳だが。

理想は、実際には「ヒーローのいない世界」ではある?ともかく誰もが手にし得る力は”同じ”だ、それをどう使うか?で、自身の未来は切り開かれる。求められるのはパワーではない、知恵だ、とかそう言う。結論で言えば、”これ”が実は一般受けしない現実は、まあある。主人公らが持っている力は彼らにしか使えないモノで、それを用いねば事態は打開し得ない。視聴者のする事はただ、彼らを”応援”する事だけ、だ。そして逆に、多くが「それでいい」と言う、そんな現実は昭和の頃から、重い。

「もっと売れる要素入れましょうよ」

その時、理想を目指す作家は、”この”声に対して、相手が納得し得る返答、それを要求される訳だが。支援の様な物は、ある。同人と言う領域で、「宇宙戦艦ヤマトが危機的事態に陥った時、突然異次元から現れた青色のまるいロボット、あれは?!」とか、そういう奴。「をい」の、ツッコミ待ちなそう言う作品群は、基本的には「って感じじゃ単なるギャグだろうが」っていう、そんな否定の返答をその場でしてくれる、訳だが。ただまあ、多くのそういう「ファン」は、その時深い感覚は無い、基本的な原理的に「笑える」と言うそれでしかない物を描きだしてるだけで、その時。不意にその作者さえ疑問には成る。

「なんでオリジナルの作者は、”こういう要素”を入れないのか?」

突然、自分を護ってる筈の人々が、自分を獲物の如く見始める…そんな瞬間ではあろうか。

一次創作の作者は、その辺に対してもちろん、防波堤、理論武装?そう言うのは用意しておく必要はある訳だが…現実問題として、人間に期待できる能力は当然か限度があり、何処かに注力すれば何処かがおろそかになる、のは至極当然ではあって。本来なら同人と同レベルの「期待」でしか無かったものに、それ以上を期待されてもそこは補えず、そのままなし崩し的に攻め寄られ、作品は、或いは自身の理想は気づくと粉砕され、自分は要らない人間に成っている、訳で。その後、作者を失ったコンテンツは多く、自然消滅していく事には成る訳だが。

誰が悪いの?とは、なかなか言い難い。プロ作家になる、というのは…もちろんか簡単ではない。”作家”を目指すなら、結論では思想家に成っていくし?創作者であろうとすると何故か、主の命に従うだけの、単なる小間使いか?のままで終わってしまう、じゃないと暮らせない。目指しているのは、創作者としての自立である、しかし。多分今に至るまで、”それ”を為し得た人、というのは…いないだろう。

それを期待された、或いは「広告代理店の王」は、果たしてどうなったのか。

ともかく、人は神に成れない、その時、分岐はある。

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