自分が志していた領域と言うのは、敷居が高い世界だった事は…確かかもしれない。
「仲間」それが得られないという窮乏は、解っていた筈だがどこか、利害の問題だったのかも。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
男性の欲求、というのは…そう言う物だろうか。
「スタッフに給与さえ払えれば」と言う、その事態には今も、至っては居ない訳だが。
ともかく過去に「美鶴さんの長い妄想」”それ”を一人で全部作った、という経験はあり…それは、「一人でも何とかなる」様な、その主張はする背景ではある、訳だがしかし。今までの結果論で言っても”それ”は「ほぼ無理」ではある。自分も”それ”に投入したコストを考えると頭を抱えるが、当時にしろ個人で用意した開発機材、的な物は、或いは50万円以上には成ってしまった、気はした。金銭の問題だけではない、絵の、物語の、そしてプログラムの技術、それだけあっても「音楽は?」自身にすると、ちょっと致命的というか、”そこ”をどう埋める?は大事な話としてあり。それらを何とかする、のを他の人にも要求できるか?それは今は、謎だ。
何かの呪いの様にか、「美鶴さんの長い妄想」の後は、自分はプログラムも、絵も、物語はそれでもプロットのレベルでは続いたにしろ…ほぼ創作的な物は失って、日々日記を付け続ける、という事態には陥る訳だが。「平等」と言う視点では、或いはそこにあるのは「最下層」その環境ではある。ノートに日記をつける事くらいしか出来ない中、それでもそこには、何かの夢が育つか、或いは残ってしまう物、だろうか。
…それでも少しは、環境の改善は始まった、そう言って良いのかもしれない。PCさえあれば、インターネットにさえ接続していれば、今は努力次第かもしれないが”それ以上”のコストは直接は、必要なくなっている。前々からフリー素材と言うのはあったが、最近は絵もAIが描いてくれる、という事態が始まって。昔なら50万円程度の出費は覚悟する所がほぼ0で出来る、必要なのは本人のスキルだけ、というのは大きい。そうなってから、か。その事態を形成していたモノが少し退いた、のか。「絵美利」で作品を創る、という事が出来る様になってきた?というのは…やはり自分的には変化ではある。
…流石にエロ以外では「自分へのご褒美が無い」と言う、そこは…ちょっと懸念ではあるのだが。最終的かの目標は、”それ”で利益を得る事、だった筈だが今も、どうも換金へのルートは存在しないし。
或いは、「価値」それが、無い。
「独裁創作は売れない」それは、歴史的にも常にある話、だった筈で。「自分の独断と偏見で、自身が良いと思う物を!」創るその先にあるのは、市場の否定ではあり。クオリティの問題ではなく、”そこ”に投入される独裁者の声、客は”それ”に我慢できない。”それ”を回避するならしかし、プロデューサー等々、「他の人々」の存在はどうしても必要になって、しかし。
その先で、まあ切り捨てられた人々は居た、そう言うのはある。
「利益」と言う点では、奇妙に何かの欲求に支配されている?かの今の自分は、相応得ている、とも言えない事も、ない。「テレビゲーム」と言う視点でも、ゲームから得られるのは「面白い」それだけ、だ。独裁創作、それは「そう言うニュアンス」を持つ訳で、最終目標が「売る事」ではあっても、それはちょっと高額な利益だ、そう言うのは言えるのだろうか。
ともかく、「次」を創ろうとしている、今の自分は相応、前には進んでいる気は、する。