ある意味で、或いは「サンライズ的」なのだが。
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」この作品の「土台」それは、「機動騎士ドルメンガンダム」で、ある、とにかく。その時、本来は小学生的な、異世界大冒険的なベクトルが、或いはアンパンチのそれが、何故ああなったか?には、色々な理解は出来る。
ともかくまず、「認証」と言う理解で言うなら”パン屋”だ。ともかくパンを扱ってるなら全てが含まれる、位のニュアンスはある、うっかりしたら日本的定食屋でパンを出した時点でこの中に入る。本来なら?「ランドマンロディ」この辺が、実際には一般論で言う「パン屋さん」そのイメージに通じている?しかし。
「マクドナルドも」この範疇である。
企画のイメージと、”現実”に、実際には大きなズレがある、それは間違いない。その意味で?より現実的に掘り下げていく事になる…時。穀倉地帯、その現実はどうか?そう言う話が、出てくる。そこはいわゆる都会か、田舎の牧歌的なパン屋、そう言う物か?だ。穀物メジャーは巨大でかつ世界レベルであり、そこに、ある意味で搾取される様な形で原材料は生産される、的なイメージはそこに入って来て。そう言う環境は、企画原案が描くような、そんな単純なヒロイックで打開し得る物か?そう言うのは、理解出来る変更。
「お偉いさんは現場の事など何も解ってない」
或いは、そんなスタンスから有るのが、或いは「サンライズ的」な、訳だが。
問題は今、「サンライズ」自身が、実際には「業界のお偉いさん」に成ってしまった、事なのだろうか。
自身がそのスタンスで向ける「お偉いさん」それは、自分ら自身な訳だ。それはそれで、貫くなら如何にもサンライズ、かもしれない…しかし。現在はどうも、”ここ”に踏み込むと、自分で作品を壊してしまう?そんな傾向がどうも、ある。
かつて「何もわかってない!」そう憤慨したお偉いさんに、自分ら自身が陥ってしまった、そう言う可能性は、何となく、重くある。
バンダイは、それはそれで何かの徹底がある。「作品は”外部の”モノを使う」実際には、自社での企画、と言うのは創らない。経験則、なのかもしれない。自分らで企画し創ると売れない、のだ。だから、外部の、「これは」そう言う物を或いは拾って、それを創る事を徹底する結果で…今の日本を代表する玩具企業へと成長した。その時?「良いモノを創ってる」会社として、日本サンライズは過去、或いはまず存在した…それはそれで、当時の現実から考えても、道理ではある。
そのスタンスは現状でも、玩具メーカーとしてむしろ成長した、その結果として堅牢ではある、が。それ故に、「サンライズが創るモノ」を、バンダイが玩具として創る、と言うスタンスも、実際には代え難い、訳だ。サンライズの外に出てしまえば、ある程度は自由が利く、しかし。始まりはどうしても、サンライズから出なければ成らなかったし、その体制は或いは、今もそうだ。「どうしてこんなものを創るんです?」その理由として、この構造を想像すると、それは理解は出来る。
形式的に、「サンライズがバンダイを従えている」形に成ってしまってる訳だが。
それだけに、以前なら「買ってあげている」そのスタンスが崩れて、初期の、本来の「お偉いさんは何も解ってない!」その、お偉いさんに自身が成ってしまった、そう言う因果の様な結果は、リアリティがある。
その時、サンライズは今、どうなっているのか?だ。
反骨精神で形成された、その会社は。その反骨の向き先を失っている、様な。お偉いさんが勝手な事を言って現場に苦労を強いる!それは今、自身のしてる事ではある。
「鉄血のオルフェンズ」でも、結局はマクギリスはクーデターに失敗したが。その理由として、この現実は…有るのかもしれない。反骨だけでは、現状の打開が出来ない訳だ。そして過去の骨董品に縋れば何とかなると思っていたが、それは現在ではむしろ非力で、決定打には成らなかった。その後、サンライズの創作にはますます「微妙さ」が膨らむようになってしまった。反骨先が、「お客」に向いて、売れないウケないそこに、何かの憤りを向けていて、むしろ逆方向へ、加速している?
しかし、何だか感覚だ。”その責任を問う”時、サンライズはもう、無いのだ。
良くも悪くも、「小さな会社」ワンマンな、なのかもしれない。同族的な傾向が強く、結局その時、その「後継者」に、起業し発展し認められた”それ”を、期待出来なかった。最初から「お偉いさん」な訳だ、”その”後継者は。そして、その人物にしか継承する資格?が無く、そしてその人物こそが、或いはバンダイに損害を与えた存在である時。
”そこ”に責任を問うなら、辞めさせるなら。その時、もうサンライズは無くなる…実際には?
外部からオーダーを貰い、サンライズが創り、創通が放映し、バンダイが玩具に変えて、利益に変える。自分的に「問題ない」その構造は、最初のサンライズ、そこで躓く訳だ。「バンダイ」それは、「売れれば良い」それを徹底してる時、サンライズの態度は、やっぱり何だか、ちょっと、困る。
その「お偉いさん」そこに有るのは今、「大賀さん」ゲーム機だ。”そこ”で出た結果は絶対であり、従わねばならないそこに。「サンライズは喧嘩を売ってしまう」構造が、或いは今、有る。「反逆者」それとして、「大賀さん」それは、事務的に機械的に応報を向ける訳だ、そして。何かの帰結として、最後の、後継者?そこへ責任を向けている。
「この先」は、でも良い結果、なのだろうか。
創始者の痕跡が消えた名前だけのサンライズそれは、存在する意味があるのだろうか。
しかし、ガンダムはそこに有るのだ。