少し考える。
”ここ”は、最下層、だったのだろうか?
不意に、その結果如何、と言う気にはなる。
帰結として「大賀さん」紛争解決機構、”その”有用性が証明出来れば?何かの問題は消える…「世界は戦争の危険性から本質的に解放された!」そう言うのは語れるが。
”その”証明として。
「果たして最下層からでも脱出は出来るのか?」
真っ当でさえ有れば?如何なる障害をも”それ”により打開し得るのか、これはそう言うシステムなのか。帰結的に、極論では世界は本質的な危機から、平成の30年を費やし、脱出できたのか。
世界大戦、アレはもう、二度と起きないのか。
…不意に一つの「結果」結論?理解、固定された価値の評価…”そう言うの”を何だか感じた時、ふと。
結果でしか、解らないのだけど。
自身の追い込まれた状況は、個人的主観では…地獄と表現しても良い。創作にカウンタは付かない。社会的には「存在しなくて良い」立場に実は堕ちていた。結果的にはこの場所に、どんな非道が行われても法的な保護は得られなかった。個人的人権の尊重とか、そう言う基本的な権利さえも無視された様な環境の中で、結局はヒキニート的な立場に自身は追い込まれつつ、社会的否定をマスコミ”全て”から受け続ける、それは…十数年に渡って続いたのだ。
理由は?
あげちうがかつて創った「黄昏の狩人」その創作を盗んだ存在にとって、それが得た地位その他を手放さない為には、自分が邪魔だったから、だ。
…それはそうなのだが。とは言え、インターネットは光回線でやってるし、特に日常生活が滞る、事も今の所はあまり無く。ちょっと経済的な困難さが、と言う重大な懸念はあるが。「働けば?」”それ”は、何故か抑止される状況。
理念か信念の問題ではある。大衆は神である。”それ”への信仰と奉仕は、結果論で自身を救う筈である。ともかく命の危険も実際にはありつつ、未来の不安も実際には増大する中、まだ何とか、「普通」な状況は、生活面心理面では、維持されていて。「ショートサーキット出張動画版」それは、形式的には「仕事」なのだ。やがては”それ”を得られ?今も続けていて。
…ここは、最下層だろうか。
まだ、自分が助かった訳じゃないのだ、自身が崩落する時、皇帝もまた”致命的に崩落する”のが「解る」だけだ。「働けば良いんだよ」仕事しろよ、その否定が表側の、皇帝が陥った「作家性」それではあり。”ここ”は、働いても今の所まだ、利益性からは…遠く見放されてる。皇帝の敷いた現行の体制では、”ここ”からは搾取はしても給料など払う必要が無いからだが。
「通ると思ってるのか?」
それは、でも「正義は勝つ」その信仰から来る呟きでしかないのだ。
携帯も持ち、ニコニコ動画にブログを続ける最下層、それは。