あげちうのブロマガ

切り捨てないという麗句と結果

それは、アメリカ的では、ある。

過去から学ぶ必要があるが、掘り下げても過ぎた事は過ぎた事だ。


本日のダイス
白:6,1:7
黒:3,3+4,1:11

黒11 334161


「つまり、私を強姦した奴を罪に問う事は出来ないと?」

”神”で有ってもそれは返答し難いし、そして。「出来ない」というなら、その被害者は切り捨てられた事になる訳だ。

・・・しかし、結論で「女性を強姦した奴は死刑」と、救済を目的に倫理を立てる時、”それ”は、何処まで上がっていく話になるのか、ではある。ともかくまず解っている事は、独裁者、”それ”は原理の一つになってしまう、事だ。そして、そんな独裁者を、「アート」と言うのは多く支援してしまった。その先にその被害者がいる、時。罪に問う相手はどうならねばならないか?だ。

「ガンダム」は、何をしようとしてきたか?を、不意に意識する感じはなった。

そして?今までのガンダムが何故?に関しても少し、理解?する感じにはなる。要するに、”この”呪いで死にそうな奴を救済しようとしていた…訳だ。その罪状を知ってか知らずか?ともかく独裁性?そういうのを罪に問えなかった経緯はある、ガンダム自身にしろ、それは否定し難い。結果、主人公らをその「女性を強姦した奴」にしてしまい、”それ”が勝利する物語、それを求めた。ガンダム?的には”それ”が切り捨てを創らない救済だったが、しかし現実には、それは被害女性を切り捨てる結果に成っていた、訳で?

それは、うまく行かない。

「どうすれば良い?」に関して、一つの断言はある。先に出た「女性を強姦した奴は死刑」それへの同意を持つ、というのはあって。女性を救済する、事を目的にするとそれ以外には、ない。ちょっとかなり抵抗感は、有る。それでも、それは倫理としてか、かなり強固だ。

ただ、つまり”その結果”、そう言う加害者らが死ぬ、それもまた、許容せねばならない、訳だ?

「漫画だから」しかし、実際には物語とは、「現実へのフィードバック」それを目的にはする。つまり”その時は”具現化しなくても、似たような事例が発生するなら止めるし、罰する可能性は有る…という事だ。結果、「面白い」作品を作った時、不意に「自分は問題がないと思っていた」それが不意に死んでしまう、様な、そう言う事例が発生する、事に対しても、納得する必要がある、訳だ…下手をしたら自分にも、だ。これを下手に妨害すれば、その矛先は自身へも向かう。もちろん?”それ”を、ガンダムにしろ望まない時、ちょっと色々とグダグダに成ってしまう、それは重い面倒として有りそう。

「罪に問うだけでどうにか?」しかし、例え罰せられ投獄されても、いずれば出てくるのだ。その時、その悪夢は再び現実になる。この件に関しては、何だか会心とかそういうのは全く意味がない。被害女性を救う事を考えたら?加害者は死ぬしかない、その一択ではあり。今の結果としても、妨害する方が間違っている、そんな感じだろうか。

”今”の?ガンダムのスタンス的にも、「強い」方を悪に、弱い方を「主人公に」描く、という絵は有る訳だが。弱い方が、でも「強姦した過失を持つ側」になる、時。その結果は果たして、ではある。キャラクターは人間じゃ無い、としても。”それ”に至った物だとしたら、それは破壊するしかない、そう言うのは有るのかも。

諦めるしかない部分は、ある。

「女性を強姦した奴は死刑」それによって誰が理不尽を感じるような死に方をしても、それは道理である。

その時ガンダムもまた、或いは破壊される。

それでも、その方が或いは、正しい。

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