とある物語を考える。
異世界からの、突然の”怪獣”らの襲来。それは人類を脅かし、都市を破壊していく。
その怪獣らは、現実側の技術により兵器として「改造」された巨獣達であり、それを行った「現実側に居た科学者」は彼らを利用し、世界を支配しようとしたのだ。
世界は危機的状況に陥るが、それは主人公らの活躍により何とか押し戻される、しかし改造された怪獣らは結局、無残に”破壊”されて行く。
主人公は対峙した敵の科学者へ銃を向ける。
「お前の様な奴さえ居なければ!彼らは!あんな風には成らなかったんだ!」
事態は、そうして収束する、のだが。
と言う物語を書いてた人が、或いは「るろうに剣心」に関わっていた時。この話に対して、印象はどうなるだろう?この作家は、信用して良いのだろうか。
…ともかくその企画は、或いは「大賀さん」でも勝ったのだ、として。
一応、「紛争解決機構で勝利した」としたら、それは神の神判を受けた、と言う事には…成るのだが。「和月伸宏」氏が児童ポルノ所持で書類送検、と言うのは、割と”こういう感じのショック”も、ある。作品と作者の人格は別、ではあるのだけど。そこに投影される倫理が嘘か真か?は大きな問題だ、「嘘に価値は無い」のだ…基本的には。
「あの良い話、全部”嘘”なんですか?」
ニュアンスとして細かくツッコミを入れるとアレだが、作家は次第に「指導者」的なニュアンスを強める、時。そこに発生する責任は、やっぱり、無視出来なくなってこないか。
ともかく、勝ったとしたら、それは神の、大衆の選択なのだけど。
懸念は”ここ”にこそ、ある。或いは何かが勝利した時、最大の脅威は”ここ”である。ここにその、「自分の独断と偏見で止めてしまうパワー」それは、”無い”のか?本人談、では信用出来ないのだ、口だけだったら幾らでも虚構は語れる、或いはそれが作家である…今回の和月氏の書類送検の様に。
嘘では売れない、とは…思うのだけども。