あげちうのブロマガ

ラプラスの魔と正義

感覚論の問題だが。

-4×(-3)=12
 日に4本盗まれる胡瓜は、三日前には12本あったのです。

いやそれはおかしい。


何故なら、一日に4本取れる胡瓜は?三日前だって”そこには4本しかない”訳だ。最初の髪の話として考えた時、計算結果との一致がこの場合は、無い。例として、大差はない訳だ、この定理が、この非常に限定された条件のみを考慮して設定された?としたら。

…それはどうなの?

それよりは。


-4×(-3)=-12
 日に4本盗まれる胡瓜を三日間放置すると12本消える。

この方が、現実的な視点ではあり。


数学の世界だけじゃなく、現状には「発生する」増える、無から有が現れる、そう言う概念が何故か殆ど、無い。しかし?なら「宇宙は何故”有る”のか?」その理由は?その始まりはどうやって?そこに説明が出来なくなる。何か何処かで「無から有を産む」パワーが無ければ、今の現実さえ有り得ない。”それ”が計算に一切加味されてない?と言うのは、何か何処か、おかしいのではあるまいか。


ともかく?「ue(アンノウンエネルギー)」が有る方が、色々と倫理的にも正義だ。マイナスを埋める方法は地道に加算するか、或いはueの介入を待つしかないのだが、それだって良くて1になる位だ。また、どれだけ高いプラスがあろうと、ueが介入したら、それはバベルの塔の如く崩壊する。ueの思惑は何処に?それは、神のみぞ知る、だが。人間には限度がある、”そう言う物”に、逆らうべきではない。

今の定理は、或いは「こういう価値観」への、反発なのかもしれない。ueが来ても、酷いマイナスが0になったり素晴らしいプラスが0になったり、その後に有り難くもない忠告を残していったり?理不尽な話が起こる。その何処に道理があると言うのだろう?

「ラプラスの魔」とは確か、”そう言う物”を超えて、全てを計算で導こうとする所に発生する悪魔、そう言う話がある。しかし結局は、それは略奪とか博打の肯定に成って行く、訳で。ueの介入を否定したら?”そこ”には「無から有を産む」それが発生しなくなる。それが無いと、自然減を人間は補う事が出来ない。お金が3日前まで9万円有ったと言っても、今はマイナスに成っているとしたら、過去を振り返っても意味がなく。


数学は何時からか、ラプラスの魔を呼び続けていたのかもしれない。


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