
神様のユーモア。この視点をくださったのは、東北大学で長く政治学を講じておられた宮田光雄先生です。中でも『キリスト教と笑い』です。また、先生の信仰著作集『宮田光雄集〈聖書の信仰〉』Ⅰ~Ⅶもさらに、その視点を養ってくださいました。先生自身、西ドイツに留学した際に、カール・バルトの講義を聴いて、予想外にクラスが爆笑の連続だったこと、それが、同時期に聴いたカール・ヤスパースの講義の重苦しい感じの授業とコントラストをなして、印象に残った、と述べておられます。バルトの講義は、それだけ面白かったんですね。ウキウキとドキドキとジィーンとがいっぱい。
その先生の著作を読み漁っていて、ユーモアに関する参考文献も、ついでに読み漁っていて、大物、すなわち、Richard G. Cote, 1986, Holy Mirth, A Theology of Laughter に出合いました。邦訳も、木鎌安雄神父の訳で『笑いの神学』聖母文庫 で出ています。誠実な訳出です。
どの章もいいんですが、なかんずく その6章。この章のタイトルも「笑いの神学」です。そのエピグラフもまた良い。
「笑いには何か共通するものがありますね。信仰やインスピレーションという古い息吹と共通する何か…。笑いのおかげで、人々は自分を超えた存在の前で、自分に対する囚われから解放してもらえます。それは(冗談についても言えることですが)、抗しがたい存在でもありますもんね。」
信仰やインスピレーションの息吹と共通する笑い。
今の日本の学校で一番足りないもの。
そして、今の日本の学校の子どもたちが最も必要としているもの。
それこそ、信仰とインスピレーションの息吹と共通する、大らかで、謙遜で、それでいて自由と相亘る笑いです。
