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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

共讃党

2015-02-16 13:34:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「共讃党」。皆さんご存知ですが?

 私は知りませんでした。先日の朝日新聞(2.10, 2015 12版▲ p29)で、例のシャルリ・エブドの風刺のことが取り上げられ、風刺についての議論がありました。そこで、あの美輪明宏さんが、記していたんですね。「共産党」は止めにして「共讃党」にしたら、と美輪さんが風刺した、というんですね。面白い。

 「共産党」は、美輪さんによれば、「レーニン、スターリン、毛沢東といったマイナスのイメージが付きまとうイメージ」なので、これを「『共讃』(共に讃える)とすれば明るいイメージになるんじゃないかしら」というんですね。美輪さん、このことをあちこちで言ってたそうです。そうしたら、共産党の志位委員長から「お心遣いありがとう」という手紙が来た、ってんですね。面白い。

 美輪さんは、それで、皮肉を利かせることは、「気が利いているし、スマートでおしゃれ。楽しいものですよ」というのですから、お見事ですね。志位委員長の対応と言い、美輪さんの発言と言い、実にスマートで(賢く)、大人の対応です。

 風刺や皮肉には、高い知性が必要です。でも、知性だけじゃぁ、全く足りません。最も必要なのは、「善意と愛情」と美輪さんは言うんですからね。シャルリ・エブドの風刺に最も欠けていたのは、まさにこれですよね。差別され、社会的に不遇な状況が続いている、在仏のイスラム教徒の人に対する、「善意と愛情」を感じさせるような風刺を、シャルリ・エブドは志してもらいたいと感じます。

 朝日新聞のモニターをしている関係で、この美輪さんの記事を、この一週間(2.9-15)で、最もよい記事としたことに伴い、このブログでもご紹介した次第です。

 

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慈しみ深い神

2015-02-16 09:33:00 | アイデンティティの根源

 

 「二王国説」のあいまいさの故に、救いまであいまいになっちゃったのでした。

 それで、エリクソンは原点回帰です。

 p183のブランクの後から。

 

 

 

 

 

 デカルトの「我思う、ゆえに我あり」は、中世哲学の終わりを告げた、と言われています。中世哲学は、聖アウグスティヌスによってはじめられました。聖アウグスティヌスは、人間は、神が存在することを証明できるばかりではなくて、神の恵みが存在することも証明できると、と見なしました。アウグスティヌスは、人の「内なる光」は、慈しみが注がれる、ということが実現することだ、と考えました。ですから、私どもは、慈しみ深い自分を確かにする道、あるいは、内側に注ぎ込まれた、自分を確かにする道と呼びます。

 

 

 

 

 慈しみ深い自分を確かにする道、司馬遼太郎がいう「たのもしい人格」、すなわち、「やさしさ」「おもいやり」「いたわり」「他人の痛みを感じること」で自分を確かにする道とうり二つ。

 これは偶然ではないんですね。

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臭いの力

2015-02-16 06:05:56 | エリクソンの発達臨床心理

 

 レイチェルさんの願い、素敵でしたね。

 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p83の下から3行目から。

 

 

 

 

 

嗅覚は、他の感覚にも増して、思い出を呼び覚ます力があるからです。ですから、嗅覚をあまり使わないなんて、もったいないことですよね。

 

 

 

 

 

 嗅覚は思い出と深く結びついています。本当にそうですね。

 

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