エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「透明な力」

2015-02-25 13:16:11 | 間奏曲

 

 いのちの鼓動に耳を傾けるものでありたいですね。

 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p87から。

 

 

 

 

 

 大地の美しさをよく見つめている者は、いのちが続く限り続く(透明な)力の在り処が見つかります。

 

 

 

 

 

 宮沢賢治の詩「稲作挿話」の1節のようですね。

 

 雲からも

 風からも

 透明な力が

 その子にうつれ

 

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分け前以上をくださる恵み

2015-02-25 11:50:08 | アイデンティティの根源

 

 神様からの憐れみは、相応しくない者にも、もらえます。大きな福音。

 Young Man Luther 『青年ルター』のp184のブランクの上9行目途中から。

 

 

 

 

 

このように、私どもが現在どうであろうとも、また、今後どうなろうとも、今何ができ、今後何ができるようになるかは、どの一つとってみても、神様からのプレゼントになります。エクソ・ディオ・ノービス・エステ ノン・エクソ・ノービス、「神様から私たちに、であって、私たちからではありません」。しかし、自由意思を放棄することに対して、アウグスティヌスは、縦の関係への径を示しています。その径の標識は、果実と完璧です。アウグスティヌス神学は、アウグスティヌス学派と比べると、母性的です。母性性において、みじめな人間がいつでも確信するのは、キリストの犠牲の故に、自分は、生まれながら、人生のおけるチャンスを貰っている、ということです。すなわち、成長と成果、それから成功の可能性が、自分にも開かれている、ということです。人はいつでも、慈しみの母乳、その自分の分け前か、あるいは、分け前以上を分けていただけると期待することを許されています。

 

 

 

 

 慈しみ深い神様は、分け前以上を、いつも下さいます。その恵みに気付く者の幸い。アウグスティヌス神学は、恵みの神学です。

 

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聴くと祈り

2015-02-25 07:28:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 心理臨床の仕事は、聴く仕事です。おしゃべりの私が言うのですから、本当です。一番いい心理臨床ができている時は、こちらはほとんど話をしない。クライアントもあんまり話をしないこともあるくらい。その場合は、話し言葉ではなくて、箱庭やコラージュなどが、クライアントの自己表現になっているので、話し言葉を発する必要がない。それで、心理臨床の仕事は、聴く仕事と言われます。

 かたや、祈り。ギリシャ語で、祈るは、προσευχομαι。織田昭さんの『新約聖書ギリシア語小辞典』によれば、「祈る、祈祷する、祈願する」などの意味があるとされます。προσεχωも祈ること。でも、προσεχωは、織田昭さんの『新約聖書ギリシア語小辞典』によれば、「注目する、眼をとめる、耳を傾ける」とあります。祈ることは、聴くことです。祈ることは、通常誤解されているように、お願いをすることではない。

 それは、ユダヤ人たちの日々の祈りを考えると、いっそうハッキリ分かります。ユダヤ教徒の朝夕の祈りの中心は「シェマー イスラエル」、すなわち、「聴け、イスラエル」と呼ばれる祈りなんですね。やはり、祈りは、神様の言葉を聴くことで、神様に対して自分の願いを伝えることではない。ですから、私どもは黙って、神の言葉に耳を澄まします。

 心理臨床で、子どもの言葉にならない言葉に耳を傾けることも、神様の言葉に耳を傾けることと通じています。ですから、子どもの言葉にならない言葉に耳を傾ける時には、神の言葉に耳を傾ける時のように、大らかで、謙遜で、それでいて自由と相亘る態度が必要です。

 

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