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京ヶ瀬中学校 山田美幸さん、東京パラリンピック銀メダル 2021(追記13)

2021年10月25日 | イベント・祭り

 山田美幸さん、競泳女子100m背泳ぎ、銀メダル 2021年8月25日

 山田美幸さん、競泳女子50m背泳ぎ、銀メダル 2021年9月2日 2個目の銀メダルです。

            

2021年5月24日 阿賀野市 京ヶ瀬中学校3年生 山田美幸さん(14歳)が東京パラリンピック 競泳の日本代表に、女子50m背泳ぎ(運動機能障害S2)に出場が内定。日本パラ水連の話では、山田さんはパラリンピック競泳女子の日本代表で過去最年少となる。夏冬全競技を通じ、パラリンピック過去最年少は15歳。山田選手は14歳で本大会を迎える為、日本女子最年少を更新する可能性がある。※東京オリンピックが開催されたなら。病気などで欠場しなければ。

山田さんは、生まれつき両腕がなく両足の長さが違う。幼少期に水泳を始め、各種大会で活躍。山田美幸さんは、新潟ふれ愛プラザ(新潟市江南区)を拠点とするウィルスピード新潟(WS新潟)で練習。以前はパラリンピックという言葉すら知らなかったが、2016年リオデジャネイロ大会をテレビで見て、「出たい」と思うようになったそうです。出場する障害の区分がより重度のクラスに変り、東京パラリンピックへの可能性がさらに広がった。今年3月の日本パラ水泳選手権で50m、100m背泳ぎでともに自己記録を更新し、東京パラの派遣基準を突破。両種目とも2019年世界選手権の銀メタルに相当する好タイム。身長は約140cm。競技生活を支えてくれた父・一偉さんは2年前、病気で亡くなられた。

以上、2021年5月25日付 新潟日報の記事から略記させて頂きました。詳しくは、新潟日報の記事をお読みください。

上の写真、中央の赤い矢印の先に「祝 出場決定」の垂れ幕が、阿賀野市役所本所に設置されていました。

山田美幸さん、内定おめでとうございます!

2021年7月6日追記 阿賀野市の「広報あがの 7月1日号」に山田美幸さんが紹介されていました。転載し、紹介させて頂きます。

 

表紙に山田さんの写真。1~2ページ目に山田さんの記録と令和2年6月発刊の「広報 新潟水協 第40号」に載った山田さんの「私と水泳」という題の寄稿文が載っています。お読みください。水泳は小児喘息を治すために5歳のときから始め、小学校2年生の頃には100m泳げるようになり、小児喘息も治ったそうです。下記は山田さんが保有している日本記録。凄いです。

  2021年8月17日の新潟日報の1ページ特集。東京パラリンピック 県勢メタル照準選手の一人に山田美幸さんが紹介されました(右上 赤丸部分)

2021年8月21日の新潟日報スポーツのページで「競泳など公式練習スタート 山田ら水の感触確認」の記事と泳いでいる山田美幸さんの写真1枚が載りました。

2021年8月24日夜、第16回夏季パラリンピック東京大会が、東京・国立競技場で開会式が行われた。

2021年8月25日の新潟日報 社会面の記事に山田美幸さんが載りました。「14歳 大舞台も楽しむ 今日 支えたコーチと初陣」記事によると(パラリンピックに競泳の山田美幸14歳 WS新潟・阿賀野市が、25日、女子100m背泳ぎ・運動機能障害S2で県勢のトップを切って登場する。夏冬を通じパラの日本人最年少メダリストとなる期待が懸る中学3年生。楽しく泳げましたとレース後に毎回見せる屈託のない笑顔がトレードマーク。楽しめ、水泳を特別なスポーツにしてくれた2人のコーチがいつも掛けてくれた言葉を胸に、夢の大舞台に臨む。パラリンピックへの思いが芽生えたのは2016年のリオ大会。競泳をテレビ観戦し、レース後に選手が見せた笑顔に心を打たれた。競い合うってこんなに楽しい事なんだ・・と。)

  テレビ画面の一部分

2021年8月26日 新潟日報の記事から 詳しくは新聞をお読みください

 第1面に

新聞記事見出し文「14歳山田 銀 阿賀野・京ヶ瀬中3年 最年少日本勢第1号 競泳女子100背、亡き父へ(頑張りました)、水の申し子躍動、憧れた舞台 笑顔満開、思ったことを貫いた 関係者ら快挙たたえる、山田緊張も力に、ベスト尽くし(興奮した)

東京パラリンピック2日目の8月25日、競泳女子100m背泳ぎ(運動機能障害S2)で阿賀野市の山田美幸さんが、2分26秒18で銀メダルを獲得。日本選手団のメダル第1号。パラリンピック夏冬・男女を通じて日本代表最年少のメダリストになった。

山田美幸さんは笑顔のインタビューから一転、涙ぐみながら声を振り絞って「私もカッパになったよと伝えたい」。2年前に癌で亡くなった父への思いも込めた大会だった。父は新潟市江南区にあるプールまで送迎してくれた。父は「俺も昔はカッパだったんだよ」こんな冗談を言って、美幸さんに水泳の楽しさを伝えてくれたそうです。実力が付き始めた3年前ぐらい、新潟水泳協会の関係者がパラリンピックを目指さないかと、家族に打診。父が「家族としてパラリンピックを目指す」との返答。所属するWS新潟の野田コーチが「お父さんが この船に乗ろうと、山田選手を後押ししてくれた」と話した。美幸さんのお父さんは、2019年5月 中学1年生の時に63歳で亡くなった。父に「頑張りました」と伝えたいと話した。

「母もコーチも楽しめと言ってくれた。めっちゃ楽しめましたと伝えたい」と美幸さん。美幸さんの座右の銘は、学校の授業で出会った渋沢栄一の言葉「無欲は怠情の基である」 夢に向かって正直に、本気で取り組む大切さを胸に刻み、競技に取り組んできた。水泳を楽しみ、より速い記録を目指すのは自分の為と言う。「他人のために頑張っているのではなく、自分のために頑張っている。結果として それで沢山の人が笑ってくれたら嬉しい」と打ち明けた。 美幸さんのインタビューをテレビで見ました。阿賀野市の広報の写真のイメージより明るく前向きで、なにより話し言葉がしっかりしています。私は中学3年生のとき、こんなに大人でなかった。美幸さんの努力と生き方に感銘を受けました。そして、この記事を美幸さんに取材して書いた新潟日報・報道部の河野さんも凄い思います。聞き方が上手です。

美幸さんが通う京ヶ瀬中学校の校長先生は教務室のテレビで観戦し喜び。校内で部活動をしていた生徒たちに銀メダルの快挙を伝えると拍手と歓声が起こった。阿賀野市長と花角新潟県知事からの、祝いのコメントも26日の新潟日報に載っています。

 2021年8月26日 阿賀野市役所本所で撮影。壁に設置していた垂れ幕の「出場決定」の文字の上に「銀メダル」の文字を貼っていました。

(上)京ヶ瀬中学校   左側・赤い矢印先に「祝」の垂れ幕が。(下左)拡大写真

       

8月26日 山田美幸さんがオンラインで、萩生田文部科学相と面会した。「(最年少メダリストとして)国民に感動と勇気を与えてくれた」と祝福され、満面の笑みを浮かべた。又、「気持ちの強さを見せてもらった。限界に挑戦する姿とうれしそうな表情が印象的だった」と述べた。将来の夢を聞かれ、英語の勉強に熱心な美幸さんは「外交官に憧れている」と照れくさそうに話しつつ、2024年のパリ大会にも意欲を示した。萩生田氏は「無限の可能性がある。さらなる目標を掲げて頑張ってください」と激励した。

8月30日 阿賀野市は山田美幸さんに市民栄誉賞の贈呈を検討していることを発表。市に市民栄誉賞の制度がないので、新設を含めて対応を検討する。

9月2日 美幸さん、競泳女子50m背泳ぎで銀メダルを獲得。 2個目の銀メダルです。

 美幸さんは1分6秒98で2位でした。新潟県勢、初の複数メダルの受賞です。決勝では力強いスタートを見せ、中盤まではトップ。その後、終盤に100m背泳ぎ金メダルのシンガポールの選手に追い越された。美幸さんは「予選より気持ちよく泳げた。アドレナリンがどばどば出た。パラリンピックは初めてで緊張したけれど、皆さんの期待に応えられたかなと思って とても嬉しい」と語りました。 「最初から飛ばす」と決め、壁を全力で蹴りスタート。前半は先頭をキープ。後半は25m付近で100m背泳ぎと同様、シンガポールの選手と一騎打ちになり、並ばれかわされ2位に。山田さんは練習では水中でパラシュートを装着して負荷をかけ、脚力を強化。又、プールの排水溝の3.5kg 20㎝四方の金属プレートを体に付け、脚力を鍛えたそうです。 ※美幸さんの50m背泳ぎの自己ベストは1分5秒44で世界ランキング2位。1位のシンガポールの選手の自己ベストは1分2秒49

9月3日の新潟日報の記事から 美幸さんは幼いころから好奇心旺盛で何事にも意欲的に取り組み、学校では版画や書道を足で美しく仕上げた。小学校の運動会で応援団をやりたかったが、暑い中での体力消耗や転倒を心配する教師がいたので、そういう状況を察し、自ら断念した。長縄大会で縄を回す役目をできず長い時間、泣き続けたこともあったが、翌週には気持ちを切り替えて笑顔で登校した。美幸さんは周囲の目を気にしない強さもある。美幸さんは自身の障害をどう受け止めてきたのか「障害って個性だと思うんです。健常者もいろいろなことで悩んでいる。障害があるからとか考えないようにしています」報道陣から問われるたび、穏やかな表情で語った。小学校5年生まで学校の介助員が先回りして移動などの手助けをしていたが「パラリンピック出場」という明確な目標がある美幸さんの将来を考え、教員同士の話し合いで6年生からクラスメートが支える形にした。すると美幸さんは、気兼ねなく友達に手助けを頼めるようになった。クラスの子供達にも美幸さんを支えようという空気が広がった。銀メダル2個獲得で今後さらに注目され、重圧がのしかかることも予想されるが、美幸さんは「代表として内面的にもふさわしくなれるよう頑張りたい」と力を込める。 日報の河野さんが取材。凄い取材力です。そして、美幸さんは しっかりしています。

9月4日の新潟日報の記事から 9月3日、美幸さん(14歳)が都内で記者会見した。日本パラリンピック史上最年少のメダリストは「皆さんの期待に応えたい気持ちと、大好きな水泳で世界のてっぺんを取りたいという気持ちが原動力になった」と振り返った。予選全体3位からの100mは「3位を目指していたので、銀メダルはとてもうれしかった」とにっこり。「金」を狙った得意の50mは100mと同様、シンガポールの選手に敗北。「悔しいです」と正直な気持ちを口にし、3年後のパリ大会でのリベンジを誓った。泳ぎの自己採点は「80~90点くらい」。「スタートとストロングポイントのキックが、後半落ちてしまった」と課題を挙げた。 選手村での経験を「障害があることが普通で、健常者が珍しい世界だった。その為(普通)に対する考えが変わった。先入観も少し捨てられたと思う」と話した。今、食べたいものは「お米。お米最高です。」と即答。「なめたけ、海苔の佃煮と一緒に食べたいです」と笑った。(新潟日報本社取材班・森田さんの記事)

9月5日 パラリンピックの閉会式。閉会式の会場に掲げた日本国旗を山田美幸さんら6名のメダリストが運んだ。美幸さんは2個のメダルを首に掛け、車椅子に国旗をくくりつけて入場しました。会場で名前をアナウンスされ笑顔でした。パラリンピックは、13日間開催されました。

9月7日 阿賀野市は美幸さんの功績をたたえ、市民栄誉賞贈呈を正式に決めたことを発表した。市には賞の制度が無かったため制定し、山田美幸さんが第1号となる。

2021年9月8日 阿賀野市は市内公共施設や小中学校など計55ケ所に山田美幸さんをたたえるポスターを掲示しました。

下は、阿賀野市役所本所の玄関。赤い矢印の先に山田さんのポスターが貼られています。

   

9月9日の新潟日報の記事から 新潟県が美幸さんとパラリンピック男子マラソンで銅メダルを獲得した永田務さん(新潟市西区)に県民栄誉賞を授与する方針を9月8日に固めた。

9月11日の新潟日報の記事から 9月10日、美幸さんがパラリンピック後 初めて京ヶ瀬中学校に登校。3年生の級友は「銀メダルおめでとう」などのメッセージを集めた色紙をサプライズで贈った。美幸さんは普段通りに家族と登校。学級担任が2人を出迎えると家族は「周りの皆さんに応援やご配慮いただいて、ありがとうございます。」とお礼を述べた。

2021年9月23日の新潟日報の記事から 22日、東京パラリンピックでメダリストとなった競泳の山田美幸さん(15歳・阿賀野市)とマラソンの永田務さん(37歳・新潟市)が、新潟日報スポーツ特別栄誉賞を受賞。美幸さんは、京ヶ瀬中学校の同級生から「メールを送ってもらったり、おめでとうと言ってくれたりして、嬉しかった」と語った。永田さんは、美幸さんが練習するプールの監視員だったそうです。2024年のパリ大会には「まず、高校受験。3年後は大学受験もある。勉強と競技を両立できらたら出たいと思う」と語った。

2021年9月24日の新潟日報の記事から  二つの銀メダルを故郷に持ち帰った気持ちは・・と聞かれ「自分だけの力で無いので、感謝しかない。レースはすごく緊張したけれど、いつも応援してくれる人たちの言葉を思い返すことで気持ちを切り替えられた。初めてレースを見てくれた人にも感謝している。」 地元の反応は?・・と聞かれ「地域のおじいさん おばあさんはメダルに触れ(重い)と言いながら喜んでくれた。メダルの重さを実感した。」「同級生がメダリストでなき(同級生)として接してもらえたが嬉しかった」これからの目標は?「高校受験に専念するために、今後は練習を休む」

 2021年10月8日追記 阿賀野市の「広報あがの 10月号」の表紙に2個の銀メダルをかけた山田美幸さんが載りました。 10月4日に阿賀野市の市民栄誉賞を贈呈されました。おめでとうございます!   10月5日の新潟日報の記事から 市役所で行われた贈呈式に美幸さんはメダルを胸に掲げ、お母さんと来庁。正面玄関で市職員らに大きな拍手で迎えられ、花束を渡されると嬉しそうに会釈しました。贈呈後のインタビューで美幸さんは阿賀野市の好きな点を「たくさんあるが一番は人。地域の人は私が日本代表に選ばれる前から応援している人も多く、本当にいい人が集まっている」と、地元愛を強調した。

2021年10月25日 新潟県は東京パラリンピックで活躍した競泳女子の山田美幸さん(15歳)と陸上男子の永田務さんに県民栄誉賞を授与しました。授与式は県庁で、花角知事が2人をたたえました。美幸さんは「受賞はとても驚いているけれど、うれしい。パラリンピックが五輪と同じように人気を集める大会であり続けてほしい」と語りました。


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1 コメント

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Unknown (濱中寛)
2021-08-27 20:16:36
泳ぎもさる事ながら、その後のインタビューの際のきれいな日本語と笑顔がなにより印象的でした。
アナウンサーでも「ら」抜き言葉が多い中、とても滑らかに且つ、簡潔に応えている姿を見て、泳ぎにも感動を覚えましたが、そちらにも感銘を受けました。
本当に局アナよりもきれいな日本語でした。
9月1日の出場されるとの事ですか元気な泳ぎを楽しみです。夢は外交官との事。実現すると良いですね。
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