医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

マギの美箱6

2007年12月16日 09時01分46秒 | Weblog
 理由は教会の高さが設計時点で高すぎるばかりではなく、な、なんとマルチン・ルターのせいだそうです。

 中世ではよく教会の建築資金を、聖遺物を見世物にして募っていました。

 ですから、キリスト教は競って聖遺物好き。

 ルターの宗教改革のせいで、信仰は教会や遺物に対して行うのではなく、自分自身で神を信じ祈ることだという風潮に変遷し、ケルン大聖堂では建築の資金繰りにとん挫したからだそうです。

 このケルン大聖堂、ゴシック様式の建築物としては世界最大であり、現在はカトリック教会の管理下にありますが・・・

 有名なのは高さよりも何といってもその聖遺物の貴重性、ベルダンのニコラスによって設計された『黄金の聖骨箱』。

 この「黄金の聖骨箱」が本著にも登場し、いったいどんな聖骨箱なのだろうか? 、と思っていたら偶然にもNHKでのこの番組・・・。

 いきなり映像でババーン と教えてくれました{写真}。



 すっ、すごすぎます。

 お棺ですよ・・・中世の大傑作ですな。



 な、なんとNHKでは特別、黄金の聖骨箱の内部までをも紹介しておりましたが・・

 「黄金の聖骨箱」の内部には、3つの頭蓋骨にそれぞれ王冠がかぶせられておりました。

 そこには、『東方三博士』の遺骨が納められていました。



 以前に確か拙ブログで、画家のボッティチェリやボス、そしてドイツのデューラーで紹介した、東方三博士の絵。

 「マギ」とは、彼ら東方三博士のことであります 

 だからこそ、本ブログのタイトルも『マギの美箱』!

 どうでしょうか?みなさま、この黄金の聖骨箱は・・・?

マギの美箱5

2007年12月15日 21時35分48秒 | Weblog
 オーデコロンはフランス語で「ケルンの水」、ナポレオンの時代、ケルンに駐留したフランスの兵士が、コロンの元祖「4711」を“EAU DE COLOGNE (ケルンの水)”と呼んだことから生まれたとされます。

 つまり澄みきったライン川の水を原料として使われたことから始まります。

 ちなみに僕も高校生の頃に愛用した“4711”。

 フォーセブンイレブンという名称は、1796年、ケルンに駐留したナポレオン軍が、4711の創始者、ウィルヘルム・ミューレンスの仕事場に定めた住居番号4711に由来しています。

 フランス兵士は、4711をオーデコロンという言葉とともに、フランスの家族や恋人に送り、それはやがてフランスからヨーロッパ全土へ、そして世界へ広がっていったといわれているのです。




 偶然にしては出来過ぎですが、この原稿をしたためていた時期、奇しくも「黄金の秘宝 天を突く大聖堂」という題で、NHKの世界遺産の番組でケルン大聖堂の放送があったんですよ。

 ケルン大聖堂は13世紀に建築がはじまり、完成に実に600年を費やしたそうです。

 13世紀といえば、時は中世、日本では鎌倉時代、それこそ枯山水の始まりの時代、この13世紀というのが、本著でも鍵になります。

 ケルン大聖堂は高さなんと150m、ビルの40数階建てに匹敵するそうですよ。

 それにしても、なぜ完成に600年もかかったかというと・・・

マギの美箱4

2007年12月14日 05時03分56秒 | Weblog
 また、キリスト教にはご承知の通り、さまざまな秘宝、秘蹟があります。

 お宝につきましては、わが日本の三種の神器に・・・

 ロシアではイースターエッグや琥珀の間、ピョートル宮殿にエカテリーナ宮殿やエルミタージュ、プレオブラジェンスカヤ教会とワシリー大聖堂、スモーリヌィ修道院、ロマノフ朝の宝飾品・・・

 そしてユダヤのメノラーに黄金のケルビム、聖櫃とマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板・・・

 ペルシャではカンビュセスのお宝・・

 カタリ派の聖杯・・・

 イスラムのカアバと祀るメッカのカアバ神殿とマディーナ(メジナ)の預言者のモスクにミナレット・・

 ラピスラズリやエジプトのファラオについて・・・

 と色々書いてまいりました。

 もちろん、イエス・キリスト自体、磔刑から復活を遂げ、生前はさまざまな秘蹟を市民に施し、それがキリスト教の成り立ちのオリジンというか根拠になっておりますので、そのような秘宝、秘蹟が語られるのは当然というか・・

 宗教というものは多少なりとも、そのような非現実性や、言葉は悪いですがいかがわしさやを含むものです。

 それ以上に教えが素晴らしいですから・・・。

 だからこそ宗教たり得、そこに付け入ることができ、だからこそ大風呂敷も広げやすいわけです。



 本書での第一の舞台となるのは、ドイルのケルン、ケルン大聖堂です。

 そのケルン、その名はもともとローマの「植民地」、つまりコロニーに由来します。

 植民地ですよ、ご存知でした?あまり名誉な名前とも思えませんが・・。

 ケルンはドイツの西の端、フランス国境にも近いところに位置し、その国境にはライン川が。



質問1.「オーデコロン」の由来をご存知ですか?

   2.また香水の元祖といえば何?

マギの美箱3

2007年12月13日 05時20分12秒 | Weblog
 そのシグマフォース、デビューの舞台、キリスト教の聖遺物と闇とが今回のテーマです。

 まあ、ありがちといえば、ありがちなテーマですがね・・・。

 でも知っての通り僕は、「聖遺物」にはとっても弱い(弱いというのは苦手、ではなく目がない、ってこと)。

 でもね、どうしてわが国の小説で、仏教や神道がこのような題材にならないのか、またオタク的科学知識を織り交ぜながらの大風呂敷を、しかも国境を越えて広げられる書き手がいないのか不思議です。



 そもそもローマ法王には、「対立法王」という歴史があり、その背景にはカトリック教会を意のままに操ろうとしたドイツの神聖ローマ皇帝と、それに反発したローマの教皇庁の対立があったそうです。

 神聖ローマ帝国といえば、この拙ブログ読者の親愛なる諸兄であれば、ローマと名がついてもイタリアではなくドイツのことだ、とお分かりのことと思います。

 対立法王の歴史は、それに加えてフランスのアヴィニョン捕囚といい、伊独仏の3国戦争みたいなもんなんでしょーかねぇ。

 その対立法王の史実にインスパイアされて、いろんなことを編みこんでいった、という印象です。

 神聖ローマ帝国皇帝の「赤髭公フリードリヒ1世」は、1159年に選出されたアレクサンデル3世に対して含むところがあり、その正当性に異議を唱えて対立教皇としてヴィクトル4世を立てたそうであります。

 オクタヴィウス枢機卿、彼がまたの名を黒い法王、その対立法王ヴィクトル4世(1159-1164)というそうです。

 普通オクタヴィウスというと、かのジュリアス・シーザーの養子のオクタヴィウス、後の初代ローマ皇帝、オクタヴィアヌス(アウグストゥス)を連想するものですが。

マギの美箱2

2007年12月12日 13時19分27秒 | Weblog
 といいますのも、小説や映画の「謎解き」ですがね・・・または推理・サスペンス小説というものは、まず答えや犯人、明確な動機があって、その答えを導くべく、著者がトリックを考え・・・

 つまり結果を知っている者が、逆行性に導き方を考えるため、まるで数学の方程式のように完全なる明解な解が得られるのですが・・・

 たとえば、殺人犯は自分が犯人だとわからせるために行動するのではないし、またある程度理屈を超えたり、衝動性的にさしたる原因なく突発的に行動したり、もしくは解く側の計算・読み通りには事が進まなかったり、いろんな偶然が積み重なった結果だったり、あるいは犯人本人にしかわかり得ない思考回路が働いたり・・・。

 明確な解など存在するほうがむしろ珍しく、また主役がせっかく解いた謎解きが、て~んで思い違いだったり、読みすぎだったり・・・そんなものでしょう。

 衝動の解釈なんて、それこそ非常事態なのですから、第三者には分かりにくいでしょう。

 割り算で、整数の解が得られてしまうような、まるでシャーロック・ホームズか明智小五郎的な従来の推理小説に、どうしても違和感を持ってしまいませんか?

 ちょっとズレますが、特に言いたいのが、マスコミは事実を伝えるべきで、昨今マスコミが事件を面白がって、警視庁OBなどを使って興味本位に推理探偵をやるのは反対だ、犯人探しは司直に委ねるべきだということです。



 さて、本著はアメリカの「シグマフォース」シリーズ第一弾、「シグマフォース」ってぇのが例によって米国国防総省のありがちな秘密特殊部隊。

 ここいら辺は、非常にアメリカチックですよね。

 シグマフォースは「殺しの訓練を受けた科学者 」で構成され、その任務は米国の安全保障にかかわる重要な科学技術の保護、入手、および破壊。

 知力と技術力と戦闘力を駆使して、世界中を駆け回る・・・

 と、なんともウルトラマン的地球科学技術隊か、ゴレンジャー、はたまたガッチャマンか?

 少々アニメチックですらあります。

 当然モレなく・・・シグマの存在は政府中枢のごく一部、大統領と、統合参謀本部、シグマを管轄するDARPAの上官しか知らず・・・

マギの美箱1

2007年12月11日 18時11分44秒 | Weblog
 キ、キタ~!!萌え~!

 ってゆーのですかね、こーいうバアイ、ブログ的に?ショコタン的に?

 え?違う??


 久々の『会心』作品出ました。



 「マギの聖骨」ジェームズ・ロリンズ作、竹書房 


 僕にしては珍しく作家がアメリカ人、作者は獣医師だそうです。

 アメリカで100万部を売り上げたって?!

 マギって何よ?って?

 写真がヒント、ヴァアチカンものですが・・・まあ、まあ・・・

 彼の特長は、最新の科学知識と、兵器や武器の見事なまでのオタクぶり。

 しかしながら・・・そ、その・・・偶然の積み重ねも多く、ところどころ胡散臭いですが・・・オタクぶりが故に妙にリアリティがあります。

 主人公はアメリカ人ですから、何度敵に捕まったって、絶対に殺されません。

 USAモノですから女性出演陣はみな、スーパー美人だし、ロマンスだってまかせとけぃ。

 謎解きも時に漫画チックだし、その洗練度もさほどうならせるものではありませんが、案外謎ときというのは現実にはこんなもんなのかも・・・。

和風美画/川瀬巴水3

2007年12月10日 16時53分07秒 | Weblog
 解説によりますと、巴水が版画制作を始めようとした時期、版画制作の方法として、2つの大きな潮流があったそうです。

 ひとつは、明治30年代以降に生じた"創作版画"です。

 これは、画家が制作の全ての工程を自ら行う、"自画・自刻・自摺"を主張するものだったそうです。

 それに対して、大正時代初期からは"新版画運動"が起こりました。

 画家、彫師、摺師、版元が共同して版画を作り出すこの運動は、日本における伝統的な版画制作の工程を見直そうとするものでした、と。

 巴水は、"新版画運動"の一員として、処女作以来、約40年にわたり、風景版画を生み出したのだそうです。

 日本各地の取材にもとづき、四季折々の風景を描き続けた巴水の作品は、見るものの心に、郷愁や旅へのあこがれを誘います、と解説されておりました。



 今日の参考を見ていただくと、降りつける雨の激しさと、ほの暗さと、家のぬくもりが描かれておりますが、雨や霧にけぶる景観は、きっとやすりか何か、表面を傷つけて表現しているのでしょうね。

 そういう意味では、江戸時代から続く、明暗くっきりでグラデーションや影のない浮世絵とは、ちょっと技術的にも進歩的なのではないでしょうか?



 巴水の版画作品には、富士山をテーマにしたものも多く残されている、と。

 山梨へは東海道方面から入って、河口湖や山中湖を訪れたり、長野方面から甲府を経て、忍野や吉田を訪ねたりして、富士近辺の景色を数多くスケッチしていたそうです。

 実は僕も、順天堂の伊豆病院に足掛け3年くらいいましたし、御殿場にもよく仕事に行きましたし、富士吉田を越えて、都留にもたびたび仕事で参りましたので、実は河口湖、山中湖、忍野、吉田は詳しいのです。

 だから??って・・・?

 巴水それらのスケッチの中から、明け方や夕暮れの光が富士を染める様子や、春夏秋冬でさまざまな表情を見せる富士の美しさ、里の暮らしの背景にどっしりと構える富士の姿を描き起こし、情感あふれる木版画に仕上げている、と解説されていました。

 日本人で、富士山嫌いな人はいないでしょうからね・・・。

 ちょっと珍しい雲が出たりすると、沿道にアマチュアカメラマンが出てくるわ、出てくるわ・・・。


 そして初期の「塩原おかね路」も人気高らしいです。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/060128.htm

和風美画/川瀬巴水2

2007年12月09日 14時07分56秒 | Weblog
 いかがでしたか、みなさま?

 お気に入りは見つかりましたか?

 前回の参考図もそうですが、暗闇と静寂の中、人物を照らす、ほんのり浮かぶ月明かりや、家々の薄明かりから連想するぬくもりの表現が美しいと感じませんか?

 僕のひいき、ラトゥールやカラヴァッジョ、フェルメールに共通する、闇と光の、重厚で繊細な絡み合い・・・暗闇に浮かぶ「色」、空気の「色」・・

 巴水氏の作品にも共通する魂を見るのは、読みすぎでしょうか?




 解説によれば、大正期に興った「新版画運動」の重要な担い手であった川瀬 巴水は、東京市芝区(現・東京都港区)に、糸組物職人の長男として生まれた、そうです。

 幼少の頃より絵に関心を寄せて油彩画や日本画を学び、一時は周囲の反対もあって画家への道を断念するものの、27歳で鏑木清方に師事したそうです。

 その後、同門の伊東深水の影響を受けて版画への関心を深めると、大正7(1918)年に処女作となる塩原3部作を発表します。

 そして日本各地の風景版画シリーズの刊行を始め、以降一貫して風景画を発表している、とのことでした。




 これまた僕のひいきの築地本願寺・・{写真}

 い~ですねぇ・・・色合いを見ても、ここに、なぜか日本アニメの原点があるような気がします。

 雨や雪の表現力が豊かだと感じましたが、同時に月と、そして夜の風景が多いと思いませんか?

 日本は、日出国ですが、同時に月をこよなく愛し、その黄緑色に浮かぶ月明かりの空間をとっても見事に切り取っていると思いません?

 そして、昼の風景としては、暑くて間延びした真夏の時間と、日差しの「影」がまたいい!

 共通の主題は『静寂』、を感じます。

和風美画/川瀬巴水1

2007年12月07日 10時08分29秒 | Weblog
 以前、鬼才、伊藤若冲や、日本芸術界のカブキ者、銅版画家で油彩画家の天才、司馬江漢を書きました。

http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060511101214

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/item/expand/J_93_497_X.html

 残念ながら江漢は、有名にはなれなかったようですが・・・。

 江戸の浮世絵のあとの版画ブームには、「新版画」があります。

 そして「新版画」といえば、川瀬巴水 かわせ はすい(1883-1957)。

 没後50年、今や巴水は国際的にも葛飾北斎・歌川広重と同格に日本美術の代表となり、人気はますます上昇中なのだそうです。



 さて、ここで問題。

 クラシック音楽の世界で、ドイツの「3B」といえば??



 答えは、バッハ、ベートーベン、ブラームスだそうです。


 ロック界のイギリス「3B」だったら、ビートルズに、デビッド・ボウイに、う~ん、ブライアン・フェリーかな、ボノか・・・あ、ボノはアイルランドだし・・・

 こネタは置いといて・・

 で、日本風景版画の「3H」といえば誰でしょう??



 北斎、広重、巴水を指して、海外では評価されているのだそうです。

 え?  メモ、メモ!

 巴水さんはそんなすごいの?

 巴水の全木版画作品集が出版されましたが、 出版元はなんとオランダのアムステルダム、このことからも巴水の欧米での人気の程が伺われるのだそうですが、またしても海外発です。

 みなさまも、下記を訪れて、ちょっと堪能してみてください。

(一番下のちっちゃい数字で10ページまでありますからね 

http://www.hangasw.com/shop/hasui/index.html

枯山水の美感14

2007年12月05日 13時42分56秒 | Weblog
<仁和寺>

 真言宗、御室派総本山にして、吉田兼好の徒然草、「仁和寺にある法師」(にんなじにあるほふし)で有名な、仁和寺{写真}。

 みなさまも中学の古文の時間に習ったんだと思うのですが・・

 自分で自由に本を読むのは大好きでしたが、教師から指図されて解説どおりに読むのが大嫌いだった僕も、どういうわけかこの、「仁和寺にある法師」だけは、とっても心に残っております。

 ~すこしのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり~

という結論でしたね・・・確かに、あらまほしい。

 解説によると「宸殿をはさんで南庭と北庭があります。

南にはは広々とした空間の中に白川砂が敷き詰められ、大らかで品の良い簡素な雰囲気が漂っています。

光が溢れています。

一方の北庭は五重塔を借景に取り込んだ池泉鑑賞式庭園です。」とのこと。



 これを読んで、さあ古都京都、いざ枯山水へ!と思われた方、参考になさってください。

http://www.pref.kyoto.jp/isan/





 バラと芝生に囲まれた西洋風ガーデンと、日本古式の枯山水に代表される日本庭園、みなさまはどちらがお好みですか?

 西洋風、日本風それぞれの違いは何でしょうか?

 西洋の美学はデコレート、装飾ですよね。

 そして左右対称、シンメトリー、自然を人間が支配し、制御し、2階から眺める・・・

 花もどちらかといえば、人の手で育てて改良した、バラやゆりやチューリップなどを愛でます。

 これはこれで美しい。

 一方日本庭園は、左右非対称、アシンメトリー、自然を自然のあるがままに受け入れ、同じ目線で座して観賞、加えて日本人ならではの切り捨ての美学ってのが、そこにはあるんでしょうね。

 日本刀を考えるとよく分かりますが、徹底的に無駄をそぎ落とし、凛とした姿を求める。

 日本では野に咲く花、散り行く桜や移り行く紅葉を愛します。





 
 そんな堅い話はどうだっていーや、洋風も和風も同時に楽しみたい、という欲深い方には・・・

 北区西ヶ原には、旧古河庭園

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kouen/kouenannai/park/kyu_hurukawa.html

 目黒には東京都庭園美術館

http://www.teien-art-museum.ne.jp/text/index.html


 僕たち日本人に流れている、「用と景」の調和、機能性と美観性の調和という感性に、今後の日本の街づくり、美しい建築物、西洋人をもうならせる個性的な車のデザインを期待します。

 最後に、北山氏は言っておりました、「プロとは・・・逃げられない人」だと。

-このテーマの終わり-

枯山水の美感13

2007年12月04日 14時02分56秒 | Weblog
<竜安寺>

 いわゆる「龍安寺の石庭」で有名な龍安寺。

 竜安寺方丈の南に位置する石庭は、その枯れ具合の徹底していることで他の追随を許さず、また類型がほとんど見られないこともあって、ある意味孤高の庭でもある、ということです。

 かのエリザベス女王も絶賛したとのことです。

 なにしろ、「石の根元にはりついている苔を除いて、一木一草もない。

 置かれている石の数も少なく、それぞれの背丈・重量感も極めて小さい。

 白川砂と15個の石の意味も読取り不能に近く抽象化されている。

 つまりそこには、個々に目立つ石、意味を持つ存在がなく、空間の調和が全体として提示されているだけなのである。」という評価がありました。

 石の数が15個、というところに妙があるらしいです。

 庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているというのです。

 それは15という数は、十五夜でもそうですが完全を表し、人間が完璧であることはありえないことを象徴するというのだそうです。

 15もあればそうなるのも偶然、という説もあるようです。

 日光東照宮の陽明門でも話しましたが、完成すると朽ちるだけという理由でわざと不完全にしているとも言われます。



<苔寺(西芳寺)>
     
 枯れ山水と池泉回遊式庭園は名園で名高いのですが・・・

 苔寺は、かつては誰でも参観できる観光寺院であったそうですが、1977年からは一般の拝観を中止し、往復はがきによる事前申し込み制となっていて、単なる観光や見学ではなく写経などの宗教行事に参加することが条件となっている、そうです。

 庭園は、上下二段構えで、上の枯山水と、下は池泉回遊式で黄金池は「心」の字を描いている、と。

 今日、西芳寺庭園としてよく知られるのは苔の庭で、木立の中にある黄金池と呼ぶ池を中心とした回遊式庭園の方、池には朝日島、夕日島、霧島と呼ぶ3つの島があり、池の周囲は100種類以上といわれる苔で埋め尽されている、とのことです。

 写真で見ますと、一面苔で緑、緑・・・。

枯山水の美感12

2007年12月03日 12時31分35秒 | Weblog
 <建仁寺>

 建仁寺(けんにんじ)は、日本最古の禅寺です。

 臨済宗ですから、例の「そもさん(什麼生)」「説破」ですね。

 栄西が開山し、曹洞宗の道元も学んだ、由緒ある寺院です。

 どれくらいすごいかといえば、みなさん、誰もがご存知の、風神雷神図(国宝)、俵屋宗達筆を所有しておりました(原本は京都国立博物館に寄託)。

 桃山時代の池泉回遊式庭園で有名ですが、潮音庭(ちょうおんてい)が庭師、北山安夫氏の代表作の一つであります。

 中心に据えられた3つの石が、四方どこから見ても正面に見える(四方見の石組み)よう計算された枯山水の庭だそうです。

 庭の中心的存在である三尊石があって、主石をはさみ、左右に配置された石は二等辺三角形になるようにしてあるそうです。

 番組で北山氏は、「なんでもないことが素晴らしい」と言っておりました。




<大徳寺大仙院>

 大徳寺も臨済宗。

 大仙院は、大徳寺の塔頭(たっちゅう)といって、高僧が引退後住んだ場所のようです。

 大徳寺の三世古径和尚は、豊臣秀吉の怒りにふれ、さらし首にされた千利休の首を山内に持ち帰り、手厚く葬ったそうです。

 また漬け物の「たくあん」を考案したとされる七世沢庵(たくあん)和尚が、宮本武蔵に剣道の極意を教えた所としても有名だそうです。

 さすがに歴史を感じさせる逸話ですね。

 枯山水{写真}は、国宝の方丈(ほうじょう)を取り囲むように作られています。

 室町時代を代表する枯山水庭園であり、蓬莱山(ほうらいさん)から落ちる滝、堰を切って大海に流れ込む水をすべて砂で表し、宝船や長寿の鶴亀を岩組で表したそうです。

 建物の裏手に細長い庭として存在し、主石が置かれ、方丈の東北庭は枯滝から落ちた清流が大河へ流れいく様を表しているそうです。

 南庭は白砂敷と一対の砂盛だけで完成している禅庭であると。

枯山水の美感11

2007年12月02日 09時47分42秒 | Weblog
 国際庭園コンテストで金賞を受賞した、-自然や宇宙との共生を語る-「月と竹の物語の坪庭」とは一体どのような庭だったのでしょうか?

 気になりますよね。

 月と竹の物語、というとかぐや姫がモチーフだったのでしょうか?

 実際には、

「月の水鏡の坪庭」

<庭の中央に水盆から静かに湧き出す池をもうけ、月明かりを池の水面に映し、幽玄な雰囲気を演出しています。

池の水面に映る月の姿を観賞するため、月の館から池に降りる観月台をもうけ、その周りを竹(クロチク等)で囲みます。

また、池を囲む「星河の石庭」の石は、宇宙の惑星をあらわし、小さな庭に、無限の広がりの宇宙をイメージさせています。>



「月明かりの坪庭」

<月の館と竹の館に囲まれた小さな坪庭で、敷き詰められた白砂の波紋の陰影と、富士山をもイメージさせる砂盛が、月明かりに輝く姿は神秘的ですらあります。

また、月の館と竹の館をつなぐ回廊は「天の橋」と名づけ、その下を流れる白砂の河は、天の川をあらわしています。>

 といった内容だったそうです。

 確かにロマンティックですね・・。

 夜、月を主役にした庭・・・、日本以外ではあまり聞いたことはないですよね。

 狂王ルートヴィヒが泣いて喜ぶお庭ですね。

 僕にはぴんと来ませんが、考えてみれば、天体を庭に描くというのも珍しいので、これが「宇宙観」といえば「宇宙観」なのでしょうか?

 G・ハンコック氏に言わせれば、エジプトのピラミッドも、アンコールワットも「天空の鏡」ですから、発想としてないことはないですけれども・・・

 クラシック音楽に宇宙を取り入れた、イギリスの作曲家、グスターヴ・ホルストや、ロックに宇宙を取り入れた同じくイギリスのD・ボウイはすごいな、と感心したことがありましたが、やはり島国だと思いは天に向かうのでしょうか?

 わが日本人も、そのような鋭い感性を、実は古くからご先祖様より受け継いでいるのでしょうか?

 それにしましても、どうも日本伝統文化は、わが日本人より、外国人からの評価のほうが、毎度のこと、悲しいながら高いようで・・・。



 では、これからは各論。

 次回はやはり、日本最古の禅寺・建仁寺(けんにんじ){写真}からやりましょう。

枯山水の美感10

2007年12月01日 06時14分34秒 | Weblog
 日本庭園では古来より、作庭にあたっては「用と景」の調和が大切だといわれてきたそうです。

 たとえば茶庭(露地)では飛石をあるきやすく打つことと、千鳥形や雁行(がんこう)形に配された美しさとのバランスが大切とされた、と。

 あるきやすい実用性(機能性)と配石の美観性の調和だそうです。

 『実用性』と『美』の調和は、あらゆる日常品に求められると思いますが、今まで日本製品が実用性のみを追い求めすぎて、家具でも電化製品でも携帯でも、ヨーロッパ製品に大きく水をあけられていたのも、この『美』ではないでしょうか?

 ようやく、ソニーなどが対抗できるデザイン性を持ってきたかな・・・と思いませんか?

 しかし依然として建築物や車においては暗澹たる歴然たる差があり、向こう100年以上追いつくのにかかるのではないでしょうか?


 一方、2003年4月から、ドイツのロストックで開催された国際園芸博覧会に、日本国政府(国土交通省)などが、日本庭園を出展したそうです。

 日本庭園は高い評価を得て、国際庭園コンテストの最高賞である金賞を受賞いたしました。

 テーマは-自然や宇宙との共生を語る-「月と竹の物語の坪庭」だったそうです。