医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

和風美画/川瀬巴水3

2007年12月10日 16時53分07秒 | Weblog
 解説によりますと、巴水が版画制作を始めようとした時期、版画制作の方法として、2つの大きな潮流があったそうです。

 ひとつは、明治30年代以降に生じた"創作版画"です。

 これは、画家が制作の全ての工程を自ら行う、"自画・自刻・自摺"を主張するものだったそうです。

 それに対して、大正時代初期からは"新版画運動"が起こりました。

 画家、彫師、摺師、版元が共同して版画を作り出すこの運動は、日本における伝統的な版画制作の工程を見直そうとするものでした、と。

 巴水は、"新版画運動"の一員として、処女作以来、約40年にわたり、風景版画を生み出したのだそうです。

 日本各地の取材にもとづき、四季折々の風景を描き続けた巴水の作品は、見るものの心に、郷愁や旅へのあこがれを誘います、と解説されておりました。



 今日の参考を見ていただくと、降りつける雨の激しさと、ほの暗さと、家のぬくもりが描かれておりますが、雨や霧にけぶる景観は、きっとやすりか何か、表面を傷つけて表現しているのでしょうね。

 そういう意味では、江戸時代から続く、明暗くっきりでグラデーションや影のない浮世絵とは、ちょっと技術的にも進歩的なのではないでしょうか?



 巴水の版画作品には、富士山をテーマにしたものも多く残されている、と。

 山梨へは東海道方面から入って、河口湖や山中湖を訪れたり、長野方面から甲府を経て、忍野や吉田を訪ねたりして、富士近辺の景色を数多くスケッチしていたそうです。

 実は僕も、順天堂の伊豆病院に足掛け3年くらいいましたし、御殿場にもよく仕事に行きましたし、富士吉田を越えて、都留にもたびたび仕事で参りましたので、実は河口湖、山中湖、忍野、吉田は詳しいのです。

 だから??って・・・?

 巴水それらのスケッチの中から、明け方や夕暮れの光が富士を染める様子や、春夏秋冬でさまざまな表情を見せる富士の美しさ、里の暮らしの背景にどっしりと構える富士の姿を描き起こし、情感あふれる木版画に仕上げている、と解説されていました。

 日本人で、富士山嫌いな人はいないでしょうからね・・・。

 ちょっと珍しい雲が出たりすると、沿道にアマチュアカメラマンが出てくるわ、出てくるわ・・・。


 そして初期の「塩原おかね路」も人気高らしいです。

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/060128.htm