それでも・・

ここに日々の全てを記す

気が重い

2015-01-16 17:55:57 | 日記
何をするんでも触りだけ

この”触り”の意味も実は違うらしいが
そんなことはどうでもよくって


もっと深く繋がりたかった、
もしくは
もっと自分自身が成長したかった、

そんなところなのかな

自分が欲することと
人から求められること

両方がマッチしていれば
それは素晴らしいと思うし
幸せなんじゃないかなって思うんだけど

俺はあまりマッチしてしないみたい、


この5年を振り返ってみて

大きな転機になってしまったのは
やっぱり
事故かな

初めの2年くらいは
自分の出来なかったことを
実現させるべく
あれこれと動いていた気がする、

その前の段階での失敗というか
清算も含めて

他の人はどうかはわからないが
俺は一つの失敗を必ず繰り返さないように
振り返って対策をするタイプの人間だから

ある意味では
執念深いというか
軽く忘れ去るタイプではないんだろうね、

本当はそれこそがあまりいいことではない、とも思っているんだけどね。

でも、人の思考パターンはなかなか変えることは難しいのは
重々承知しているので
意識だけはするようにしている、

で、

自分がそこまでにやってこれなかったことを
やってきた結果
大学を卒業して
次の流れにというところまで
来た時に
事故を起こした。

もちろん、大学を卒業しただけで
仕事を変えたり
生活が大きく変わったりということがないのは
判ってはいた、

その先へ行くためには
まだまだ俺には必要なものもあったし
積極的に自分が外へ
関わっていかなければいけないと言う思いもあった、

しかし、
結果からいえば
そこであったのは
資金難

虚無感


ほぼ1年
自分のためにだけ
生きてみて

確かに楽しかったけど
虚しくもあるもんだ、

誰かのために生きている方が
幸せだったりもするもんだよ、
ただ、
その誰かが必要としていないのに
誰かのために生きることはできないんだ。

このブログを読んでくれているかわからないが
極限られた人のために
今でも
俺の存在があると言っても過言ではないし
それがあるから
まだここを書き続けているとも言える

人と上手く繋がれないで生きて行くとか
この身体で疎まれて生きて行くと言う感覚は
思いのほか厳しいんだ、
少しでも自分の中で意識を抜くと
飲み込まれるというか、

もうどうでもいいな、って思ったりもするんだ。

それを打ちけすために
自分の生きている意味や価値を
すごく意識するし
考えたりもする、



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