加藤ちゃんの日々是好日

安達太良山行&芸能ボランティア

安達太良山開き

2016年05月20日 | 安達太良山便り

 5/15(日)登山シーズンを告げる安達太良山の山開き、絶好の登山日和に恵まれ開催された 

 

 

恒例の山開き、ぴんころ120さん、あかりんご夫妻と共に、ほんと空の下で参加した

 

快晴の山開き、駐車場も🚻もゴンドラも長蛇の列、ゴンドラ上駅の展望ハウスで待つと、あかりんご夫妻も到着

 

途中の湿地帯に一株、健気に咲き登山客を出迎えるミズバショウ

 

登山路で唯一の残雪を踏み、振り返ると水鏡になった大玉村の田園が広がる

 

山頂(乳首)直下、雲一つ無い青空の下、大勢の登山者が集う

 

県警のヘリ「あづま」14人乗り。搭乗したいが、吊上げられたくはない!

 

ごった返しの山頂で人波をかき分け、今日のフルメンバー勢揃い

 

憧れの飯豊連峰、まだまだ白い衣をまとっているが今年こそあの頂に・・・

 

山頂直下の広場ではセレモニーの準備中

 

登山者の安全を祈願する神事。ぴんころさん曰く「天気が良いので何時もより祝詞が長い」と

 

ミズあだたらコンテスト、年齢不問の女性50名がエントリー

笑顔の受賞者を祝福する新野二本松市長と、プレゼンターを務めた女優の一色采子さん

 

風も無い穏やかな山頂を後に、牛の背の稜線漫歩に登山者皆さんの足取りも軽やか

 

沼ノ平を見下ろす絶好の展望所、お山の大将は誰だ!

 

月の世界を思わせる不気味な沼ノ平噴火口、火山性ガス事故で火口の登山路は通行禁止

 

天気が良いのでチョット寄り道、矢筈森の西峰から急峻な東峰を望む

 

馬の背を鉄山に向かうカラフルな装いの山ガール

 

峰の辻広場は絶好の休憩場所、会社ぐるみで参加の御一行と他愛のないコントを暫し楽しむ

 

残雪が消えたばかりの谷間は春爛漫、色艶満点のショウジョウバカマ

 

矢筈森を望む振り子沢の雪渓も残り僅か、秋には絶好の紅葉スポットに変身

 

日当たりの良い場所ではミネズオウが開花、5mmほどの小さな花なのでピント合わせが難しい

 

くろがね小屋を見下ろす台地、緑の谷間には福島市街の信夫山も遠望できる

 

ミツバツツジも開花寸前

 

くろがね小屋もスタッフ総出で登山者の対応に大忙し、壁紙に迷句(失礼)をしたためるぴんころさん

「風も無く 祝詞も長く 山開き」と

 

みんなで馬の背の雪形の想像タイム、一位「くまモン」残雪に囲まれた箇所

二位、「カメさん」

 

 見返り坂から、くろがね小屋に別れを告げて

 

ユーモアなエンレイソウ

 

勢至塔も山開きを祝福、登山者の安全を見守る

 

ミヤマキンバイ(深山金梅)、花言葉は「幸せ」

 

烏川渓谷にはミツバツツジが「お帰り」と出迎える

 

小さくて可愛らしいチゴユリ

 

無事下山、朝には満杯だった第二駐車場もガラガラに

 

翌朝の福島民友新聞に掲載された「残雪を踏みしめながら山頂を目指す登山客」

後ろ向きがぴんころさん、左端にオラも写っていた

 

翌夕のNHKふくしま、五七GOに投稿「ほんとうの 空と笑顔や 山開き」・・・お粗末でした

 

余談ですが、くろがね小屋の壁紙に投句されてあった、渡部さんの句も紹介されました

 おわり

 

 

 


旧米澤街道を歩く

2016年05月14日 | 消え行く風景

5/13(金)旧米澤街道の桧原峠越えに挑戦、そこで遭遇した念願のくまモンとの対面や如何に

桧原湖畔から望む磐梯山 128年前(明治21年)大爆発、長瀬川が堰き止められ風光明媚な桧原湖が誕生した

 

10日前、大塩温泉から蘭峠を越え此処桧原集落まで歩いた。今日は此処から続きの桧原峠越えに挑戦する目論み(9:35)

 

桧原湖の北端に位置する大山祇神社、ここから100m先、湖底15mに旧桧原宿があった

 

渇水期、当時の鳥居と参道の杉の根株が見られるらしい(参考写真)

 

金山集落はかって金銀鉱山で栄え1,520人が暮らしていたという、此処から湖畔の道路と別れ旧米澤街道を北に辿る(10:15)

 

長井川の清流に沿って旧米澤街道は北に延びる

 

通行止めの標識通り、崖崩れ箇所があちこちに

 

突然黒い物が目に入った、その距離10数m  待望の「くまモン」と一瞬目が合った

自転車から降り、カメラを向けた時は一目散に退散!お尻がちょっとだけ・・・絶好のチャンスを逃し残念!

 

遭遇時はちょうどこんな感じ(イメージ写真)

 

くまモンが去った後の現場、水芭蕉が食い千切られて無残な姿 冬ごもりから覚めると胃を洗うための習性らしい?

 

鷹の巣一里塚、若松から九里の位置に造られた、東側の一基は林道工事によりなくなった(10:50)

 

旧米澤街道概念図(今日の行程は金山から桧原峠を山形県側に抜け林道を戻る)

 

道路脇にはごく自然に山葵が生え白い花が満開、つまむとピリリと辛い

 

林道から分かれ、チャリを置いて旧米澤街道に分け入る 山祇神社で出会った車が一台駐車(11:15)

 

予想よりはるかに刈り払いされ、整備された街道にはスミレが出迎える

 

九十九折の急坂にはブナの巨木も

 

「桧原峠まで行って来た」と、山祇神社で出会った軽装のご夫婦が下山して来た

 

フカフカの道にはブナの赤ちゃんが若葉を広げる姿が微笑ましい

 

これはクマモンの落とし物

 

ブナの新緑が途切れ青空が広がると、あっけなく桧原峠の広場に躍り出た(12:05)

 

西の塚にはトチの木が

 

東の塚にはブナの大木が

 

家が一軒建つほどの明るい広場で、山ご飯を食べながら昔の峠越えの感慨に耽る(12:30)

 

カタバミ、💛形の葉が3枚

 

薄いブルーのキクザキイチゲ

 

ニリンソウ

 

大峠

 

小峠(12:50)

 

サンカヨウ

 

山菜の王様、モミジガサ(シドケ)

 

素手で触ると激痛が走る、ミヤマイラクサ(アイコ)

 

サンカヨウの群生

 

ホウノキの影絵

 

扇風機の様な、エンレイソウ

 

おたすけ茶屋跡

 

特大のカタバミ

 

足の踏み場もない、ニリンソウの群生地

 

コゴミの群生地

 

長持ち岩

 

渓流沿いは崩落個所が多く険悪な街道

 

中丸沢と綱木沢が合流し、丸太橋を渡ると無事峠越えは終わる(14:05)

 

旧会津・米澤街道入口の看板が立つ舗装路の林道に飛び出る

 

此処から延々と長い林道を歩いて福島県側に戻る、やがて舗装路も砂利道に

 

渓流沿いにはムラサキツツジ

 

豪雪の名残、道路脇には残雪が残る

 

視界が開け、東に県境の西吾妻スカイバレー山岳道路が走る、東鉢山(1,511m)が姿を見せる

 

県境の標高約1,120mの峠を越え、此処から福島県側に下る(15:55)

 

新緑が眩い林道は気持ち良いが、延々と果てしなく続く道と強い陽射しに飽きて来た

 

唯一の慰めは道端に咲くスミレの群落

 

ブナ林は一段と緑が鮮やか、クマモンでも出れば最高だが?

 

曲がりくねった林道の先にチャリをデポした看板が見え、2時間余りの林道歩きは終わった(16:35)

 

水芭蕉に見送られチャリに跨り、金山に下る・・あゝ楽チン

 

金山から車を置いた桧原集落まで、湖岸沿いに一走り(17:15着)

 

帰路、静寂の五色沼(毘沙門沼)から望む磐梯山

 おわり

 


会津の峠道

2016年05月04日 | 消え行く風景

5/3  蘭峠(あららぎとうげ)福島県耶麻郡北塩原村にある峠で、会津と米沢を結ぶ旧米澤街道に位置する

予め、ゴール予定の桧原湖畔の桧原集落にチャリをデポし、車でスタート地点の大塩裏磐梯温泉に移動

 

会津山塩で有名な大塩裏磐梯温泉、日本秘湯を守る会 米澤屋さんの駐車場に車をお願いし、美人女将に見送られ出発!(10:15)

 

現在地の大塩温泉から右上の桧原までが旧米澤街道で、今日辿る約10kmの道程

 

先ずは温泉神社の長~い階段を登り、近道作戦だが出がけから疲れ果てる

 

神社裏手の高台は、タンポポの見事な群生地

 

道路沿いのネギ坊主越し、1,058mの無名山の右手が大塩峠に位置する

 

舗装道路から分かれ、標識に導かれ米澤街道に踏み入る

 

先ずは八丁壇一里塚、寛文七年(1667)に作られ若松から六里、大塩から八丁の距離に当る

 

シロバナイカリソウ、日本海側には白花が多いような気がする

 

窪地状にえぐられた?街道、大雨の時は水浸し?

 

目に青葉、イタヤカエデの大木も

 

立派な舗装道路の九十九折と旧街道は、何度も交差するが車はほとんど通らないので静寂の世界

 

日本を代表するタチツボスミレ、土手などで普通に見られる

 

アミガサタケ、優秀な食用キノコの一つであるが風貌がグロテスクで日本では人気が無い

 

コブシの爽やかな香りと清純な姿は新緑に良く似合う

 

江戸時代の面影を残す街道沿いの松並木、現在7本が残されている

 

湿地帯には水芭蕉が群生し、今も昔も旅人を和ませる

 

スミレサイシン、根が太くトロロに似た風味が味わえ美味

 

松並木で最大級の「殿さま松」樹齢は400年以上、迫力満点な姿はカメラに納まりきれない

 

萱峠(大塩峠、茶屋峠とも呼ばれる)今は山桜がひっそりと

天正13年(1585)5月伊達政宗がこの峠に立ち、ここから桧原に引き返した

 

鹿垣(シシガキ)カモシカなどを避けるため、竹や木の枝を編んで垣に造られ合戦にも使われた

ここ、鹿垣トイフで大塩柏木城の伏兵が伊達の先兵を討ち取ったとされる

 

谷筋の日陰にはまだ雪渓が残り、ここで遅い昼食タイム(12:50~)

 

萱峠を越すと小塩川に沿って蘭峠まで、ほぼ直線道路となる

 

道端の湿原には水芭蕉の群生する姿も見られる

 

中ノ七里の一里塚、若松から七里、米沢へも七里の距離の中間で中ノ七里と呼ばれた

 

中ノ七里の集落跡、宝永三年(1706) 大塩から13軒が引っ越し、平成19年まで人家があったという

 

道路沿いの小塩川、昭和14年~19年に黄銅鉱を採掘した蘭鉱山がこの付近にあった

 

集落跡の外れには萱峠と蘭峠を見渡すことの出来る物見ノ岩があり、その昔山賊が旅人を岩陰から窺っていたと言う

 

標高940mの蘭(アララギ)峠、アララギとは粗々葱(ノビル)の意味でもあるが何かロマンを感じる(14:10)

 

峠を越えると今度は会津川に沿って桧原集落まで約2km、標高差100mの下り直線道路となりGOALは近い

 

ブナの初々しい新緑、長い冬を耐えて開く姿にパワーをいただく

 

清楚なキクザキイチゲ(菊咲一華)

 

ヤマエンコグサ、ブルーからピンク色までカラフルな彩りを見るだけで楽しい

 

ようやく辿り着いた感じの桧原集落、大塩温泉から実に4時間30分を要した(14:45)

 

集落入口で迎えてくれたニリンソウ、途中では探しても見かけなかったのだが、集落ではわんさか咲いていた

 

畑仕事のおばちゃんから、昔の暮らしの苦労話を聞かせてもらう

 

桧原集落の真ん中を流れる会津川、春の花々と元気に泳ぐ鯉のぼり、長閑な日本の風景

 

明治21年の磐梯山の爆発により生じた桧原湖に当時の桧原集落51戸は没した、この五輪塔は渇水時に湖底の墓地から移した

 

磐梯山噴火で多くの人命を失い、荒廃した山野は大小の湖沼を生み、今や山紫水明の観光地に変わり、赤いホンダNSXが走る

 

桧原から湖底を経て金山そして県境の桧原峠と旧米澤街道は続く・・・何時の日か越えてみたい

 

湖畔にデポしたチャリにまたがり、再び今歩いた米澤街道を大塩温泉に戻ることに(15:30)

 

2kmの苦しい坂を登り切り、再び蘭峠を会津側に越える(15:50)

 

二つの峠を越えて戻り着いた大塩温泉、往路の1/5の50分で到着した(16:20)

 おわり