加藤ちゃんの日々是好日

安達太良山行&芸能ボランティア

近代化産業遺産 万世大路 part4

2017年05月07日 | 消え行く風景

5月3日、今回は万世大路の拡幅工事に使用された機材運搬の板谷駅からのトロッコルートを探索した。

 (板谷駅から鎌沢に沿い途中の峠を越え、二つ小屋隧道の北側の烏川上流まで)

 

栗子第二トンネル入口の福島側を流れる鎌沢に沿って登る

 

間もなく砂防ダムを越え更に登ると

 

砂防ダム堰堤で熊の足跡を発見

 

川岸には花盛りのワサビも

 

水量の少ない場所を選んで対岸に渡る

 

適当に登りやすい斜面にはイワウチワも

 

ブナ林には珍しくヒノキも混在し、クマの爪跡も生々しく

 

家形山~東大巓の県境が見渡せ、左下には栗子スキー場の急斜面も

 

登り過ぎた斜面を100m程北側に下ると漸くトロッコルートを見つけた

 

ショウジョウバカマと〇〇花も

 

トロッコ路線の最高地点は長さ100m、高さ5~6mほど切り取られ

 

トロッコ路線は場所によりスイッチバックか

 

このぐらいのカーブがあれば回れたか?

 

小さな沢は石積で越えた

 

鳥川の下流に沿い、二つ小屋隧道まではかなりの距離(2KM以上)がある

 

帰路、烏川から峠越えの難所を見上げる

 

再び峠箇所を越え右手の沢を下ることに

 

今が旬のカタクリも

 

ニリンソウの大集落に出会う

 

沢筋の雪渓を踏み抜かない様に歩くのも楽しい

 

下流は雪が消え歩くのが辛い

 

本流の鎌沢に漸く合流(対岸から撮影)

 

雪崩れて!

 

カタクリの群生地もあちこちに

 

ヤマエンゴグサ?

 

鎌沢が山形県と福島県境となる

 

砂防ダムを横断するのは厳しいので右の対岸に渡る(この雪渓がトロッコルート)

 

砂防ダムから上流を見る

 

最後は西栗子トンネルの通用口から板谷駅方を望む

 

近代化産業遺産 万世大路 part4

おわり

 

 

 


旧米澤街道を歩く

2016年05月14日 | 消え行く風景

5/13(金)旧米澤街道の桧原峠越えに挑戦、そこで遭遇した念願のくまモンとの対面や如何に

桧原湖畔から望む磐梯山 128年前(明治21年)大爆発、長瀬川が堰き止められ風光明媚な桧原湖が誕生した

 

10日前、大塩温泉から蘭峠を越え此処桧原集落まで歩いた。今日は此処から続きの桧原峠越えに挑戦する目論み(9:35)

 

桧原湖の北端に位置する大山祇神社、ここから100m先、湖底15mに旧桧原宿があった

 

渇水期、当時の鳥居と参道の杉の根株が見られるらしい(参考写真)

 

金山集落はかって金銀鉱山で栄え1,520人が暮らしていたという、此処から湖畔の道路と別れ旧米澤街道を北に辿る(10:15)

 

長井川の清流に沿って旧米澤街道は北に延びる

 

通行止めの標識通り、崖崩れ箇所があちこちに

 

突然黒い物が目に入った、その距離10数m  待望の「くまモン」と一瞬目が合った

自転車から降り、カメラを向けた時は一目散に退散!お尻がちょっとだけ・・・絶好のチャンスを逃し残念!

 

遭遇時はちょうどこんな感じ(イメージ写真)

 

くまモンが去った後の現場、水芭蕉が食い千切られて無残な姿 冬ごもりから覚めると胃を洗うための習性らしい?

 

鷹の巣一里塚、若松から九里の位置に造られた、東側の一基は林道工事によりなくなった(10:50)

 

旧米澤街道概念図(今日の行程は金山から桧原峠を山形県側に抜け林道を戻る)

 

道路脇にはごく自然に山葵が生え白い花が満開、つまむとピリリと辛い

 

林道から分かれ、チャリを置いて旧米澤街道に分け入る 山祇神社で出会った車が一台駐車(11:15)

 

予想よりはるかに刈り払いされ、整備された街道にはスミレが出迎える

 

九十九折の急坂にはブナの巨木も

 

「桧原峠まで行って来た」と、山祇神社で出会った軽装のご夫婦が下山して来た

 

フカフカの道にはブナの赤ちゃんが若葉を広げる姿が微笑ましい

 

これはクマモンの落とし物

 

ブナの新緑が途切れ青空が広がると、あっけなく桧原峠の広場に躍り出た(12:05)

 

西の塚にはトチの木が

 

東の塚にはブナの大木が

 

家が一軒建つほどの明るい広場で、山ご飯を食べながら昔の峠越えの感慨に耽る(12:30)

 

カタバミ、💛形の葉が3枚

 

薄いブルーのキクザキイチゲ

 

ニリンソウ

 

大峠

 

小峠(12:50)

 

サンカヨウ

 

山菜の王様、モミジガサ(シドケ)

 

素手で触ると激痛が走る、ミヤマイラクサ(アイコ)

 

サンカヨウの群生

 

ホウノキの影絵

 

扇風機の様な、エンレイソウ

 

おたすけ茶屋跡

 

特大のカタバミ

 

足の踏み場もない、ニリンソウの群生地

 

コゴミの群生地

 

長持ち岩

 

渓流沿いは崩落個所が多く険悪な街道

 

中丸沢と綱木沢が合流し、丸太橋を渡ると無事峠越えは終わる(14:05)

 

旧会津・米澤街道入口の看板が立つ舗装路の林道に飛び出る

 

此処から延々と長い林道を歩いて福島県側に戻る、やがて舗装路も砂利道に

 

渓流沿いにはムラサキツツジ

 

豪雪の名残、道路脇には残雪が残る

 

視界が開け、東に県境の西吾妻スカイバレー山岳道路が走る、東鉢山(1,511m)が姿を見せる

 

県境の標高約1,120mの峠を越え、此処から福島県側に下る(15:55)

 

新緑が眩い林道は気持ち良いが、延々と果てしなく続く道と強い陽射しに飽きて来た

 

唯一の慰めは道端に咲くスミレの群落

 

ブナ林は一段と緑が鮮やか、クマモンでも出れば最高だが?

 

曲がりくねった林道の先にチャリをデポした看板が見え、2時間余りの林道歩きは終わった(16:35)

 

水芭蕉に見送られチャリに跨り、金山に下る・・あゝ楽チン

 

金山から車を置いた桧原集落まで、湖岸沿いに一走り(17:15着)

 

帰路、静寂の五色沼(毘沙門沼)から望む磐梯山

 おわり

 


会津の峠道

2016年05月04日 | 消え行く風景

5/3  蘭峠(あららぎとうげ)福島県耶麻郡北塩原村にある峠で、会津と米沢を結ぶ旧米澤街道に位置する

予め、ゴール予定の桧原湖畔の桧原集落にチャリをデポし、車でスタート地点の大塩裏磐梯温泉に移動

 

会津山塩で有名な大塩裏磐梯温泉、日本秘湯を守る会 米澤屋さんの駐車場に車をお願いし、美人女将に見送られ出発!(10:15)

 

現在地の大塩温泉から右上の桧原までが旧米澤街道で、今日辿る約10kmの道程

 

先ずは温泉神社の長~い階段を登り、近道作戦だが出がけから疲れ果てる

 

神社裏手の高台は、タンポポの見事な群生地

 

道路沿いのネギ坊主越し、1,058mの無名山の右手が大塩峠に位置する

 

舗装道路から分かれ、標識に導かれ米澤街道に踏み入る

 

先ずは八丁壇一里塚、寛文七年(1667)に作られ若松から六里、大塩から八丁の距離に当る

 

シロバナイカリソウ、日本海側には白花が多いような気がする

 

窪地状にえぐられた?街道、大雨の時は水浸し?

 

目に青葉、イタヤカエデの大木も

 

立派な舗装道路の九十九折と旧街道は、何度も交差するが車はほとんど通らないので静寂の世界

 

日本を代表するタチツボスミレ、土手などで普通に見られる

 

アミガサタケ、優秀な食用キノコの一つであるが風貌がグロテスクで日本では人気が無い

 

コブシの爽やかな香りと清純な姿は新緑に良く似合う

 

江戸時代の面影を残す街道沿いの松並木、現在7本が残されている

 

湿地帯には水芭蕉が群生し、今も昔も旅人を和ませる

 

スミレサイシン、根が太くトロロに似た風味が味わえ美味

 

松並木で最大級の「殿さま松」樹齢は400年以上、迫力満点な姿はカメラに納まりきれない

 

萱峠(大塩峠、茶屋峠とも呼ばれる)今は山桜がひっそりと

天正13年(1585)5月伊達政宗がこの峠に立ち、ここから桧原に引き返した

 

鹿垣(シシガキ)カモシカなどを避けるため、竹や木の枝を編んで垣に造られ合戦にも使われた

ここ、鹿垣トイフで大塩柏木城の伏兵が伊達の先兵を討ち取ったとされる

 

谷筋の日陰にはまだ雪渓が残り、ここで遅い昼食タイム(12:50~)

 

萱峠を越すと小塩川に沿って蘭峠まで、ほぼ直線道路となる

 

道端の湿原には水芭蕉の群生する姿も見られる

 

中ノ七里の一里塚、若松から七里、米沢へも七里の距離の中間で中ノ七里と呼ばれた

 

中ノ七里の集落跡、宝永三年(1706) 大塩から13軒が引っ越し、平成19年まで人家があったという

 

道路沿いの小塩川、昭和14年~19年に黄銅鉱を採掘した蘭鉱山がこの付近にあった

 

集落跡の外れには萱峠と蘭峠を見渡すことの出来る物見ノ岩があり、その昔山賊が旅人を岩陰から窺っていたと言う

 

標高940mの蘭(アララギ)峠、アララギとは粗々葱(ノビル)の意味でもあるが何かロマンを感じる(14:10)

 

峠を越えると今度は会津川に沿って桧原集落まで約2km、標高差100mの下り直線道路となりGOALは近い

 

ブナの初々しい新緑、長い冬を耐えて開く姿にパワーをいただく

 

清楚なキクザキイチゲ(菊咲一華)

 

ヤマエンコグサ、ブルーからピンク色までカラフルな彩りを見るだけで楽しい

 

ようやく辿り着いた感じの桧原集落、大塩温泉から実に4時間30分を要した(14:45)

 

集落入口で迎えてくれたニリンソウ、途中では探しても見かけなかったのだが、集落ではわんさか咲いていた

 

畑仕事のおばちゃんから、昔の暮らしの苦労話を聞かせてもらう

 

桧原集落の真ん中を流れる会津川、春の花々と元気に泳ぐ鯉のぼり、長閑な日本の風景

 

明治21年の磐梯山の爆発により生じた桧原湖に当時の桧原集落51戸は没した、この五輪塔は渇水時に湖底の墓地から移した

 

磐梯山噴火で多くの人命を失い、荒廃した山野は大小の湖沼を生み、今や山紫水明の観光地に変わり、赤いホンダNSXが走る

 

桧原から湖底を経て金山そして県境の桧原峠と旧米澤街道は続く・・・何時の日か越えてみたい

 

湖畔にデポしたチャリにまたがり、再び今歩いた米澤街道を大塩温泉に戻ることに(15:30)

 

2kmの苦しい坂を登り切り、再び蘭峠を会津側に越える(15:50)

 

二つの峠を越えて戻り着いた大塩温泉、往路の1/5の50分で到着した(16:20)

 おわり

 

 


近代化産業遺産 万世大路 part2

2016年03月30日 | 消え行く風景

 3/29(火) 先週に続き、今回はぴんころ120さんを助っ人に万世大路の栗子隧道米沢口を探検、あわよくば栗子山も初攻略なるか!

自宅から北の県境に見える栗子山、ごく最近まで左の立派なピラミッド形が栗子山と信じて疑わなかった

 

R13号西栗子トンネルを抜け、ダート道(万世大路)を約2km、米沢砕石所で入山許可を、女性事務員が笑顔で対応し気分爽快!

 

砕石場外れの瀧岩上橋(昭和7年9月竣功)、明治天皇がご休息あらせ給ふ

告「保安上、夜間五時より翌朝八時迄と休日は保安上閉鎖しますのでご協力下さい」と看板が

 

橋を渡るとすぐ先のカーブには積雪が残り、車をデポしアイゼンを履いて出発(8:20)

 

間もなくゲートがあり、車両進入禁止の看板が(8:30)

 

万世大路「ななむずり」の標識、七回曲がると標高差100mを稼ぐ

 

太助茶屋跡で小休止、テルモスのお茶を飲んで(8:50)

 

「峠みち 遠く去りけり 木の根明く」

 

突然展望が広がり、「飯豊!朝日!」一瞬頭も真っ白に見間違うほど興奮!

 

前方にも木々の間に栗子の峰々が

 

杭甲山は米沢側から見ても端整な姿を惜しげもなく見せる 

昔、地元の人は栗の形に似ているので栗子山とも呼んだそうだ

 

カーブを抜けると、珍客に慌てたカモシカの足跡が点々と

 

川石を積み上げた石垣、当時の労苦が偲ばれる

 

暫し足を止めて、好天の栗子山攻略作戦を練る

 

ようやく栗子隧道が見えて、ぴんころさんはワクワク?の初対面

オラは半世紀前の昭和40年5月、栗子隧道がまだ現役時代、福島➡米沢を自転車で3時間で越えた実績がある

 

明治13年10月19日に貫通した初代の栗子隧道入口を覗くと・・・想定外の感動が待ち受ける

 

トンネルと言うより洞窟の表現が似合う坑内には無数の見事な氷筍がニョキニョキと

 

ガラス工芸品かと見間違うほど繊細な自然の造形に只々驚きと感動が

 

幅3間、高さ2間の隧道岩盤には素掘りの鏨掘跡が生々しく残る

 

昭和10年3月に竣功した、二代目の栗子隧道は従来の古い坑道を掘り下げて自動車道として拡幅

 

隧道内には《選奨土木遺産》の大きな看板が

 

先週の二ツ小屋隧道では見れなかった氷柱が健在、奥の落盤箇所には氷筍も

 

落盤箇所から奥をのぞく、延長870mトンネル中央部での落盤により往来は完全に遮断されている

 

遺産と氷の芸術に満足し、隧道のズリ道と言われる平坦な道を、最終目的の栗子山攻略に向かう

 

目印の赤布を頼りに谷筋を登る、お荷物の?スノーシューはブナの根元にデポ(10:50)

 

真っ青な水窪ダムの奥に、燦然と純白に輝く飯豊連峰が眩い

 

急こう配をアイゼンを効かせ、ふと見下ろすと万世大路のヘアピンカーブが小さく

 

頼みの雪渓が消え、背丈を越す猛烈な藪に突入(11:30)

 

優しくなった膝下の笹藪で一息、ぴんころさんは強烈な藪と戯れ中か?

 

尾根筋に出て存在感抜群の抗甲山(1,202m)を望み、登りたい衝動を鎮める

 

北の方角には二つのピークと笹原が最高点の栗子山を遮る(11:50)

 

福島市の秘境、七つ森(1,219m)の奥には南蔵王の連山

 

中央右には文殊山と三ツ森、その奥には半田山がゆったりと

 

中央奥にかすかに霊山の姿が霞む

 

福島盆地、高性能望遠鏡があれば我が家も見える筈なのだが?

 

杭甲山の肩下から見事なブナ林が中腹に続く

 

改めて杭甲山を

 

稜線の笹原にはウラジロヨウラクとレンゲツツジが点在する

 

杭甲山も低くなり吾妻の山並みも顔を出す

 

二つ目のピークに立つと漸く前方に栗子山が、なだらかなその姿を見せる

 

なだらかな山頂で雪に埋まった三角点を赤布頼りに探し当てるのも至難の業(12:50)

 

栗子山(1,216.6m)で感動の証拠写真を、赤布に記載された文字と雰囲気で三角点箇所とする

 

手頃な木の枝に腰かけて山ランチタイム、温かいカップ麺と沢庵が美味い

 

ぴんころさんとアレコレ山座同定をしながら名残りの山頂を後に(13:30)

 

無雪期の下山口付近から見た砕石場と、工事中の第四世代の高速道路を見下ろす

 

台形の鉢森山(1,003m)此処から尾根筋を縦走する強者もいる、遠景は兵子~東大巓の県境尾根

 

 ぴんころさんが立つ鞍部から、雪の詰まった谷筋を一直線に下山することに

 

 中央に見える栗子隧道の広場まで標高差200m余り、好天で雪が緩み滑落の心配は少ないが(14:05)

 

気持よいブナ林の中を一歩一歩慎重に、登りの苦労がウソのよう

 

スノーシューのデポ地点に降り、朝から履いたアイゼンをスノーシューに履き替える(14:40)

 

栗子隧道の偏額にも陽が差して、昭和十年三月竣功と明瞭に読める

 

明治の初代隧道(右)と昭和の隧道(左)に別れを告げて

 

前方、右手は採石場で山が大規模に削られて痛々しい

 

ミヤマハンノキの枝越しに、頂を極めた喜びと感謝を捧げる(栗子山は中央奥)

 

道路も雪解けスノーシューも此処で脱ぎ、春の香りのフキノトウを摘みながら余裕の下山

 

ゲートに無事下山、正面にドロノキの大木が迎える(16:05)

 

帰路下山報告に立ち寄った採石場から望む栗子の山々にお別れを

万世大路 part2に、ご訪問いただき有難うございました

 

 

 毎年4月末のGWに開催される米沢の上杉まつり、背景が栗子山です(中央左寄り)

 


近代化産業遺産 万世大路 part1

2016年03月24日 | 消え行く風景

3/21  近代化遺産の万世大路、一昨年5月に栗子隧道までの徒破は果したが、冬のトンネルに現れる巨大氷柱は見れるか?

 

福島と秋田を結ぶ国道13号線、東栗子トンネル福島口が出発点、右手の土手をよじ登る

 

土手を登ると東北中央自動車道、栗子トンネル(8,975m)用の換気用のトンネルがほぼ完成

 

換気抗(延長2,283m)はここから栗子トンネルの中央地点(旧栗子隧道福島口付近の地下約440m、標高差で約100m下る)

 

かって此処は飯坂スキー場、名残のリフトの支柱が右上に見える

 

スキー場跡の九十九折の坂を登ると万世大路に出る(此処から福島方は道路崩壊で通行出来ない)

 

「福島市万世大路を守る会」万世大路の説明書き

 

昭和初期、自動車道に改良された道路法面の石垣は今も健在

 

二ツ小屋隧道(350m)昭和9年3月に拡幅して完成

 

二ツ小屋隧道の偏額、82年経った今も昭和9年3月竣功とハッキリ読める

 

期待した氷柱は暖冬の影響で既に路面に落下し無残な姿に、残念!

 

トンネルのほぼ中央地点で小規模な落盤個所がある

 

米沢方は天井が崩落、沢から入り込む土砂で水が堰き止められ歩行は困難

 

トンネル出口の積雪量は今年は極端に少ない

 

米沢口から見た二ツ小屋隧道、補強したコンクリートは一部剥がれているが壁柱などは健在

 

トンネル出口付近の表層雪崩の跡、巻込まれたら一巻の終りだ

 

突然の珍入者に驚いたカモシカ君が目の前を!

 

道路境界の杭には意味不明な文字?が

 

トンネル入口の上部を探索、壁柱や上部の笠石の隙間から樹木が伸びて破壊が徐々に進行

 

気温の上昇に伴い雪がボソボソに腐れツボ足が抜かる! スノーシューの硬い踏み跡を見つけ忠実に辿る

 

二つ小屋トンネルから500mほど下ると烏川橋に到達

 

鉄筋剥き出しの朽ちた欄干越しに烏川の上流を望む。福島市民はこの清流を飲んでいるのだ

 

橋を渡ると道路は右にカーブするがその先が大崩落し車は通行不能、即ちその先は道路が極端に荒れ放題となる

 

本日は烏川橋を折り返し点とし、ブナ林を眺めながら往路を戻ることに

 

トンネルまで戻り遅い昼食に、”白のひととき”と”沢庵”が美味い

 

雪崩れの現場を慎重に戻り、二ツ小屋隧道に突入

 

よく見ると壁柱上部の笠石を押しのけて樹木が伸びている

 

米沢口から50m入った箇所で天井に穴が開き、沢水が滝となって流れ込んでいる

 

トンネル中央の崩壊場所、心霊スポットに相応しくゾクゾク感がたまらない?

 

名残の氷柱に、お別れのハグは冷ややかだ

 

天井からの冷たい漏水が突然の侵入者に遠慮なく降り注ぐ

 

温暖な福島口に無事帰還?

 

トンネル入り口内に積み上げられたセメント袋?

 

風格ある二つ小屋隧道をあらためて振りかえり見る

 

トンネルに向かって右手に石段があり、明治14年10月3日の開通式に明治天皇をお迎えした記念碑がある

 

さらに石段を登ると山の神が鎮座

 

付近の杉の根元にはリスの仕業か大量のクルミの殻が

 

トンネルから急斜面を真っ直ぐに降りると明治期の九十九折道路が残る、表示には第5号カーブと書かれていた

 

昭和40年まで定期バスも走った昭和初期の改良道路は今も健在

 

褐色の木に花が咲いた様なツルアジサイの花柄が風に揺れる

 

往路を戻ると、第3世代の東栗子トンネルを行き交う車の騒音で現実に帰る

 

柔らかい陽射しを浴びフクジュソウが春一番を謳歌

 

雪解けの陽だまりにはフキノトウ、春の香りの自然の恵みは遠慮なくお土産に!

 

4世代目の東北中央自動車道、新西川橋を渡り8,972mの栗子トンネルは今3月に貫通した

平成19年度内に一般道路として供用予定、右の小さなトンネルは非常用に設けられている

おわり

 

祝 北海道新幹線開業

 

 吾妻小富士をバックに疾走する上り初列車「はやぶさ10号」H5系(3月 26日 9:48分)