Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●《現地の慣習や風土、文化を尊重…平和主義を貫いた医師の理念》《治安が悪化しても人々を見捨てず、見下すこともなかった》

2019年12月12日 00時00分43秒 | Weblog

琉球新報のコラム【<金口木舌>中村哲さんの生き方に学ぶ】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1038281.html)。
東京新聞のコラム【筆洗】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019120602000127.html)。

 《「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」。伊江島の土地闘争のリーダー、故・阿波根昌鴻さんが反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家の前に掲げた言葉だ…▼阿波根さんの生き方は、非政府組織(NGO)「ペシャワール会」代表の中村哲さんに重なる。「非暴力による平和の貢献として沖縄県民が認めてくれた」「暴力によって立つ者が暴力によって滅びることは、人類史上の鉄則である」》。
 《▼生きる希望が尽きそうになっていた人たちの前に現れ、三十年以上の長きにわたって共に汗を流してきた遠い国で本望という言葉を使って感謝の言葉を贈られる日本人は多くないだろう治安が悪化しても人々を見捨てず、見下すこともなかった。その生き方は忘れることができない》。

 東京新聞の記事【中村哲さん、福岡に帰郷 NGO会長「全て継ぐ」】(https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019120901002423.html)によると、《アフガニスタン東部で殺害された福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師中村哲さん(73)の遺体が9日朝、羽田空港から遺族と共に福岡空港に到着した。中村さんは福岡県大牟田市に自宅がある。同会によると、11日に福岡市の斎場で告別式が執り行われる予定。ペシャワール会の村上優会長(70)は「中村先生が実践してきた全てを継続していきたい」と遺志を継ぐ決意を表明。国内外の多くの人が喪失感を共有し、励ましの言葉を寄せてくれたことで「今後の事業継続への力となった」と述べた。福岡空港では、九州在住のアフガン人らも花や中村さんの顔写真を手に集まった》。

   『●NGO「ペシャワール会」の中村哲さんが亡くなる…《平和憲法の
          もとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった》
    「NGO「ペシャワール会」の中村哲さんが亡くなる…
     《平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった》。
     《「治安を良くするのは武力ではない」という先生の志を、
     絶やしてはいけない》」

 先日お亡くなりになった中村哲さんが、家族に付き添われて帰国されました。警備のアフガンの方々も含めて、銃弾により命を落とされました。
 「ペシャワール会」は、《「中村先生が実践してきた全てを継続していきたい」と遺志を継ぐ決意》をしたそうです。《平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった》《「治安を良くするのは武力ではない」という先生の志を、絶やしてはいけない》と。
 《「非暴力による平和の貢献…」「暴力によって立つ者が暴力によって滅びることは、人類史上の鉄則である」》ことを肝に銘じ、《戦争という名前で他国の人々を殺したことがない》平和憲法の下、アベ様らによって日本〝軍〟が暴走するような世の中にしてはいけない。《未来はわれわれ主権者に託されている》、日本は《非暴力による平和の貢献》を。戦争や暴力に頼らない国際貢献を。《近代国家の強制ではなく、現地の慣習や風土、文化を尊重し「一番いい治療法、一番いい生き方を準備するというのが私たちの仕事」》と中村さんは仰っていたそうだ。《平和主義を貫》くべき。

   『●「防衛装備移転三原則」と「武器見本市」…《歴代政権が
     踏襲していた武器輸出禁止政策に立ち戻るべき》(琉球新報)
   『●《戦争という名前で他国の人々を殺したことがない》
     『憲法くん』の《未来はわれわれ主権者に託されている》

 涌井雅之さん「中村哲さんにこそ、国民栄誉賞を」(2019年12月8日 サンデーモーニング)。アベ様は、「嵐」にあげたいようですが…。一方、ニッポンは再び「化石賞」を受賞する恥さらし。3.11のモラトリアムは終了しているのに…。この国は、本当に、恥ずかしい。

   『●内省の〝無い〟国 ~不適切かつ無責任で、道徳的に誤った国~

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https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1038281.html

<金口木舌>中村哲さんの生き方に学ぶ
2019年12月7日 06:00
中村哲 非暴力 沖縄戦 金口木舌

 「すべて剣をとるものは剣にて滅ぶ」。伊江島の土地闘争のリーダー、故・阿波根昌鴻さんが反戦平和資料館ヌチドゥタカラの家の前に掲げた言葉だ

▼「聖書と歴史から学んだことである」と著書「命こそ宝」に記す。阿波根さんは沖縄戦で一人息子を失った。戦後は軍用地契約に応じない「反戦地主」として非暴力の闘いを続けた

▼阿波根さんの生き方は、非政府組織(NGO)「ペシャワール会」代表の中村哲さんに重なる。「非暴力による平和の貢献として沖縄県民が認めてくれた」「暴力によって立つ者が暴力によって滅びることは、人類史上の鉄則である」。2002年、第1回沖縄平和賞の授賞式でこう述べた

▼1984年、パキスタンのペシャワールに赴任し難民らの治療に従事する。その後、アフガニスタンでかんがい事業や医療支援に尽力した

▼活動は危険と隣り合わせだった。アフガン東部で銃撃され、志半ばで命を奪われた。無念でならない。この地域は反政府武装勢力タリバン、過激派組織「イスラム国」も活動していて治安が悪い

▼アフガンの復興支援について中村さんは、近代国家の強制ではなく、現地の慣習や風土、文化を尊重し「一番いい治療法、一番いい生き方を準備するというのが私たちの仕事」と著書で説いた。平和主義を貫いた医師の理念を深く心に刻む。魂の安息を祈るばかりだ。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019120602000127.html

【コラム】
筆洗
2019年12月6日

 掘っていた井戸で事故が起きた。地元のアフガニスタン人作業員が死亡している。非政府組織代表の中村哲さんが作業員の村を訪ねると、高齢の父親は悲しみを押し殺して言ったという▼「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから、本望です…泉が涸(か)れ果て、小川の水も尽きたとき…あなたたちが現れたのです」(著書『医者井戸を掘る』)▼生きる希望が尽きそうになっていた人たちの前に現れ、三十年以上の長きにわたって共に汗を流してきた遠い国で本望という言葉を使って感謝の言葉を贈られる日本人は多くないだろう。アフガニスタンでも、中村さんの突然の死に悲しみが広がっている▼「生きるとは旅である」と書いている。昆虫が好きで山を愛した。登山隊に参加したのが、かの地との出会いだった。数年後、医師として難民救援などにかかわることになる。やがて活動を「天命」と知ったという▼作家火野葦平は伯父。葦平が『花と龍』で主人公にした玉井金五郎は祖父にあたる。四国から流れて来た福岡・若松で零細な港湾労働者たちのために、命をはったと伝えられる人物だ。生き方は重なる▼凶弾で旅は突然終わった。治安が悪化しても人々を見捨てず、見下すこともなかった。その生き方は忘れることができない。
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●NGO「ペシャワール会」の中村哲さんが亡くなる…《平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった》

2019年12月06日 00時00分21秒 | Weblog

ペシャワール会のWP(http://www.peshawar-pms.com/)、『Peshawar-kai&PMS(Peace Japan Medical Services)』(http://www.peshawar-pms.com/eg/index2.html)。



Afghanistan Documentary - Development via a Japanese Doctor Mr. Nakamura Initiative
https://youtu.be/U_gxTsT6khg

 NGO「ペシャワール会」の中村哲さんが亡くなる…《平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった》。《「治安を良くするのは武力ではない」という先生の志を、絶やしてはいけない》。
 2019年12月4日17時過ぎ、ツイッターで知りました。なんで…。信じられない。アフガニスタン-日本両国にとっても、大変に残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

 アサヒコムの記事【アフガンで銃撃、中村哲医師が死亡 現地で人道支援】(https://www.asahi.com/articles/ASMD45HLBMD4UHBI02P.html?iref=comtop_8_01)より、《アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで4日朝、同国で人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の現地代表で、医師の中村哲さん(73)の乗った車が何者かに銃撃された。州政府によると、中村さんや運転手ら計6人が死亡した》。
 【中村哲医師、銃撃され死亡 アフガン東部、同行5人も】(https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019120401001501.html)《2019年12月4日 17時55分 【イスラマバード共同】アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで4日朝、福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師(73)らが乗った車が武装した男らに銃撃され、中村さんが死亡した。日本政府関係者が明らかにした。州報道官によると、中村さんのボディーガードや運転手ら5人も死亡した。ペシャワール会は4日、福岡市で記者会見し、中村さんは同日朝に宿舎を出て、約20キロ離れたかんがい作業の現場に向かう途中に襲撃されたと明らかにした。右胸に銃弾1発を受け、ジャララバードの病院で手術を受けていたという》。

 ツイッター(https://twitter.com/KOJIHARADA/status/1202132953423212544)で、《Koji Harada@KOJIHARADA 『事件の発生を受けて、タリバンは声明を出し、「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。日本のNGOは、われわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」として、犯行への関与を否定しました』》…とのこと。

 ツイッター(https://twitter.com/masurakusuo/status/1202150605373890560)で、《古田大輔@masurakusuo 中村哲さんが、2008年に同じように現地でペシャワール会のメンバーとして働いていた伊藤和也さんが撃たれて亡くなったときに語った言葉。「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」》。同じく(https://twitter.com/masurakusuo/status/1202153987044040705)、《古田大輔@masurakusuo アフガンの人たちが中村医師への追悼の言葉をツイートしてる。「最良の人」「人生をアフガンに捧げた」と。中村さんは人生をアフガンに捧げたというよりも、そこで出会った人たちに捧げたんだと思う。そこで困っている人たちを絶対に見捨てない。そう誓っていた》。

 ツイッター(https://twitter.com/kojiskojis/status/1202138745752805376)で、《杉原こうじ(NAJAT・緑の党)@kojiskojis 米軍等のように武器を差し向けるのではなく、井戸を掘り、農地を広げることで人々の命を救ってきた中村哲さんが、武器によって命を奪われるのは理不尽過ぎる。無念過ぎる》。同様に(https://twitter.com/kojiskojis/status/1202151321958150144)、《杉原こうじ(NAJAT・緑の党)@kojiskojis アフガニスタンの人々の命を奪ってきた無人攻撃機(ジェネラル・アトミクス社)や「ヘルファイア」ミサイル(ロッキード・マーチン社)が、武器見本市で公然と展示されるまでに堕落した日本にとって、大きな損失》。

   『●「防衛装備移転三原則」と「武器見本市」…《歴代政権が
     踏襲していた武器輸出禁止政策に立ち戻るべき》(琉球新報)

 ツイッター(https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1202451553895870464)で、《望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI 武力によらない平和訴え続けた #中村哲さん 彼の思いを引き継がねば。政府がイラク特措法を成立させた後は、活動車両から日の丸外す米国支援でテロの標的になると判断。「活動できるのは日本の軍人が戦闘に参加しないから九条は辛うじて力を放ち、自分を守ってくるてる」》。

 ツイッター(https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/1202419608461946882)で、《想田和弘@KazuhiroSoda 中村哲氏の活動がアメリカ人にほとんど知られていないことに腹が立つ。同時に、アメリカに住む者として責任を痛感する。記事を出すだけマシとも言えるが、中村氏らの用水路を作る活動すらも米軍の標的になってきたことを、NYタイムズはなぜ書かないのか》。
 国際人道法第54条文民たる住民の生存に不可欠な物の保護」…「2. 食糧、食糧生産のための農業地域、作物、家畜、飲料水の施設及び供給設備、灌漑設備等文民たる住民の生存に不可欠な物を……を攻撃し、移動させ又は利用することができないようにすることは……禁止する」【「水」戦争の世紀 (“Blue Gold”)、集英社新書】。《────「まず、水が破壊される」現実の裏返し》。民営化・水道私企業化という経済的な水システムの破壊以上に、物理的に「水」を破壊する戦争。戦争なんてやるものではない。戦争行為は、環境破壊の最たるもの。

 アサヒコムの記事【「足元から震えが」 中村医師と交流あった澤地久枝さん】(https://www.asahi.com/articles/ASMD45QTZMD4UCVL029.html?iref=comtop_8_02)《アフガニスタンで4日、銃撃され死亡した医師の中村哲さんの著書「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」の聞き手を務め、一緒に講演もするなど親交のあったノンフィクション作家の澤地久枝さんがコメントを寄せた。…本当に寒気がします。中村先生のご健康を心配していましたが、まさかこんなことが起きるなんて想像もつきませんでした。何ということでしょう。どういう人が何のためにしたのかわかりませんが、今まで長年にわたって、そしてこれからもアフガニスタンのために、聴診器だけでなく井戸を掘ったり、重機も操縦されたりして日本人として尽くされてきた。それを理解されずにどれだけ残念か。いや、本当に足元から震えがのぼってきます。東京からですが、できるだけのサポートをしたいと思ってきましたが何と残念なことでしょう。私自身の気持ちの整理がつかず、言葉もないというのはこのことです。でも、中村先生が何より残念でいらっしゃるでしょう》。

 西日本新聞の号外【中村哲氏、銃撃され死亡 ペシャワール会、アフガニスタンで活動中】(https://www.nishinippon.co.jp/item/o/565306/)では、《ペシャワール会は4日、福岡市で記者会見し、中村さんは同日朝に宿舎を出て、約20キロ離れたかんがい作業の現場に向かう途中に襲撃されたと明らかにした。右胸に銃弾1発を受けたが、撃たれた直後は意識はあったという。在アフガン日本大使館によると、中村さんはペシャワール会の活動の一環で同州を訪れていた。中村さんはアフガンやパキスタンの国境付近などで貧困層への医療活動に長く関わっている。2000年にアフガンで大干ばつが起きてからは、用水路を建設し緑化に取り組む。18年にはアフガン政府から勲章を授与され、今年10月には政府から名誉市民権を授与された》。

 沖縄タイムスの記事【死亡の中村医師 第一回沖縄平和賞で語った沖縄への思い】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/506478)では、《中村医師は、授賞式で「私たちの活動を『非暴力による平和の実現』として沖縄県民の皆さんが認めてくれたことを、特別に意味のあることと受け止めます」と謝意を示していた。さらに、「遠いアフガニスタンでの活動と、アフガンに出撃する米軍基地を抱える沖縄。このコントラストは、現場にいる私たちには圧倒的であります」「平和を唱えることさえ暴力的制裁を受ける厳しい現地の状況の中で、物言えない人たちの奪われた平和の声を『最大の米軍基地の島・オキナワ』が代弁するのは、日本人として名誉でもあります」とも語った》。
 琉球新報の記事【「平和賞ふさわしい人」 中村医師死亡 県内から惜しむ声】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1037052.html)/《「沖縄の抱える矛盾、これは凝縮された日本の矛盾でもありますが、米軍に協力する姿勢を見せないと生き延びられないという実情は、実はかの地でも同じです」。中村哲さんは第1回沖縄平和賞の授賞式でこうあいさつした。平和賞で贈られた浄財の一部をアフガニスタン東部ダラエピーチの診療所建設費に充て「オキナワ・ピース・クリニック」と名付けた中村さんの訃報に県内からも惜しむ声が相次いだ》。

   『●「「愛国」と戦争 安倍政権の軍事改革徹底批判」
     『週刊金曜日』(9月20日、960号)について
    「佐高信さん【風速計/護憲派列伝】、「城山三郎佐橋滋
     野中広務三國連太郎美輪明宏宮崎駿吉永小百合中村哲
     むしろ、いわゆる保守派が多い。革新の常連だけでは、もう憲法は
     守れないと思うからである」。壊憲させるな

   『●「人殺し」なんぞには行かせたくない
    《――駆けつけ警護はどうですか?
      アフガニスタンで援助活動をしているペシャワール会の
     中村哲代表は「自衛隊が邦人救助に来るのは危ないからやめてほしい」
     と言っています。実際、ペシャワール会は日本がインド洋の給油活動を
     する前は、車両に日の丸を掲げて活動していた。それが守り札になった
     からです。しかし、給油活動を境に日の丸を消した。
     米国と一体と見られる懸念があったからでしょう。集団的自衛権による
     武力行使や集団安全保障による制裁措置に自衛隊が参加すれば、
     ますます、憎悪と攻撃の対象になる。もうひとつ、集団的自衛権で
     海外に出ていけば、おそらく、米軍の傘下に入る。邦人がいなくなった
     から帰ります、なんて言えるでしょうか。米軍は無人機で攻撃する。
     一般市民が巻き添えになれば、その恨みは陸上で展開している自衛隊に
     向く。こうなる可能性もあるわけです》

 《調査・研究》の名目で、国会で議論することもなく、お得意の閣議決定で自衛隊を中東〝派兵〟する…。そんなこと、許されないし、やってはいけない。

   『●《中東への自衛隊派遣の本格検討に着手した。大災害を尻目に
          自衛隊を海外派遣――。国民二の次政権の本質…》

 東京新聞の社説【中村哲さん死亡 憲法の理念を体現した】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019120502000166.html)では、《平和憲法のもとでの日本の国際貢献のありようを体現した人だった。アフガニスタンで長年、人道支援に取り組んだ医師中村哲さんが現地で襲撃され死亡した。志半ばの死を深く悼む。紛争地アフガニスタンでの三十年近くに及ぶ活動の中で、戦争放棄の憲法九条の重みを感じていた人だった軍事に頼らない日本の戦後復興は現地では好意を持って受け止められていたという。政府が人道復興支援を名目に、自衛隊を派遣するためのイラク特措法を成立させた後は、活動用車両から日の丸を取り外した。米国を支援したことで、テロの標的になるという判断だった。現地での活動は続けた。「活動できるのは、日本の軍人が戦闘に参加しないから九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている」。二〇一三年、本紙の取材にそう語っている。その後も集団的自衛権の行使容認や安保法制など、憲法の理念をないがしろにして自衛隊の海外派遣を拡大しようとする政府の姿勢を苦々しい思いで見つめていた。安倍晋三首相が掲げた「積極的平和主義」を「言葉だけで、平和の反対だと思うと批判していた中村さんは、真の平和につながる道は日常の中で、目の前の一人を救うことの積み重ね」と考えていた》。

 東京新聞の記事【中村哲さん 平和への志砕かれ 「あまりに突然…」妻悲痛】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201912/CK2019120502000136.html)によると、《「こんなことがないようにと、いつも無事を祈っていました」。中村さんの妻尚子さん(66)は四日、福岡県大牟田市の自宅前で取材に応じ「あまりに突然で悲しく、残念でなりません」と涙を拭いながら語った》。

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201912/CK2019120502000136.html

中村哲さん 平和への志砕かれ 「あまりに突然…」妻悲痛
2019年12月5日 朝刊

 アフガニスタン復興に懸けた信念は突然の凶弾に打ち砕かれた。「用水路を造り、農地を増やせば、平和が訪れる」。現地で人道支援活動を続ける「ペシャワール会」の医師中村哲さん(73)が四日、武装した男らに襲われ死亡した。「こんな日が来ないことだけを…」との不安は現実に。「信じたくない」「無念」。失われた存在の大きさに悲しみが広がった。

 「こんなことがないようにと、いつも無事を祈っていました」。中村さんの妻尚子さん(66)は四日、福岡県大牟田市の自宅前で取材に応じ「あまりに突然で悲しく、残念でなりません」と涙を拭いながら語った。

 尚子さんや親族によると、帰国は年に四回ほど。最近では十一月に約二週間、自宅で孫たちと遊ぶなどして過ごした。同二十九日にアフガニスタンに出発する際には、尚子さんは普段通り「行ってらっしゃい」と送りだしたという。

 ペシャワール会から事件の連絡が入った当初は命に別条ないと聞き「まずはほっとした」ものの、四日夕になって事態の急変を知らされた。「どういう地域で活動しているのかは分かっているし、いつも家にいてほしいとは思っていた。ただ本人は活動に懸けているので強く反対するわけにいかず、見守っていました」。言葉を振り絞った。

 中村さんのいとこの玉井史太郎(ふみたろう)さん(82)=北九州市若松区=は「彼の仕事は『人間らしい仕事』だった。彼を貫いていたのは困っている人に手を差し伸べるという素朴な正義感」としのんだ。中村さんは同区で幼い頃を過ごし、今年八月に区内で開かれた講演会でも平和の大切さを訴えた。

 玉井さんの父で芥川賞作家の火野葦平(あしへい)は、中村さんの伯父に当たり、日中戦争時は中国戦線で従軍しながら「麦と兵隊」などを執筆した。玉井さんは「テツは『葦平と一緒で、危険なとこで活動しているのが同じ』と笑っていた。自分のいとこの活躍は誇り。テツがアフガンでやってきたことは、これからも生きていくと思う」と力を込めた。(西日本新聞・吉田賢治、米村勇飛)


◆ペシャワール会 遺志を継ぐ覚悟

 ペシャワール会の福元満治(みつじ)広報担当理事(71)らは四日、福岡市内の事務局で記者会見し「無念だ」と涙をこらえながら話した。事務局には一時、命に別条はないとの情報ももたらされ「とにかく生きて」と願ったが、かなわなかった。

 治安が悪く、安全には細心の注意を払っていたという。銃器で武装した警備要員を常に数人配置し、車で移動する際は前後を警護車両で固め、経路も毎回変更していた。襲撃者については見当もつかないとした上で「あり得ないことだ」と不条理な暴力を批判した。

 現地の長老からは「この地に招いてくれた神に感謝する」と最大限の賛辞を贈られていた中村さん。地元での評価も高かった。「あと二十年はやる」と意気込んでいたという。

 福元氏は、これまで取り組んだ農業用水の整備などは治安の安定につながると指摘する。襲撃を受けても「事業が中止になることはない」と力を込めた。ただ、事業の拡大は難しくなる見込みで、活動が岐路に立たされる可能性があるとの認識を示した。


◆アフガンに寄り添った中村先生 現地で活動 元職員の本紙記者

     (ジャララバードのペシャワール会事務所に赴任した際、
      中村哲さんから贈られた本)

 2008年から約半年間、ペシャワール会職員としてアフガニスタン東部ジャララバードの事務所に赴任し、中村さんと一緒に活動した経験のある本紙の山中正義記者(35)=現熱海通信局=が当時を振り返った。

 「中村先生」を初めて知ったのは大学生の頃。国際協力に漠然と興味があり、東京都内の大学での講演を聞きに行った。パキスタンやアフガンの現地語を独学で習得し、現地の文化を尊重して支援活動に取り組む姿勢に感銘を受け、一緒に働きたいと思った。

 大学卒業後、会の拠点病院があったパキスタン・ペシャワルへ留学。病院を訪れ、日本人スタッフを介して中村先生に働きたい旨を伝えてもらった。現地は当時、自爆攻撃が多発するなど治安が悪化。会は日本人職員の採用を停止していたが、中村先生から「今すぐ来られるなら来てください。来られないなら今後は採用しません」と伝言が届いた。迷いはなかった。

 赴任後は用水路建設に必要な資材の調達など主に事務を担当した。中村先生は現地で「ドクター・サーハブ(お医者さん)」と親しまれ、長年培ってきた信頼が活動の安全を支えていると、身に染みて感じた。

 中村先生からは赴任したばかりのころ、「現地スタッフの意見をきちんと聞くように」と助言を受けた。「支援する側」として自分の指標を押しつけるのではなく現地の人たちと対等に、ともに考えて行動する姿勢を教わった。

 中村先生の身に起きたことはまだ信じられないし、そんな日が来るとも思っていなかった。最後に会ったのは、二〇一五年九月に中村先生が一時帰国した際。現地の強い日差しの下で働いて日焼けした顔が、以前と変わらず輝いていたのを覚えている。

 「治安を良くするのは武力ではない」という先生の志を、絶やしてはいけない。
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 最後に、ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%93%B2_(%E5%8C%BB%E5%B8%AB))より、《福岡県福岡市出身。古賀市立古賀西小学校、西南学院中学校、福岡県立福岡高等学校、九州大学医学部卒業。国内病院勤務ののち、1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事する。登山と昆虫採集が趣味で、1978年には7000m峰ティリチミール登山隊に帯同医師として参加した。パキスタン・アフガニスタン地域で長く活動してきたが、パキスタン国内では政府の圧力で活動の継続が困難になったとして、以後はアフガニスタンに現地拠点を移して活動を続ける意思を示している》。

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