Activated Sludge ブログ ~日々読学~

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●教育壊革!? ~忠魂碑と教育塔~

2013年04月27日 00時00分18秒 | Weblog


東京新聞の社説(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041602000159.html)。

 「政府の教育再生実行会議が出した教育委員会改革の提言」ってそんなに素晴らしいものなのか? そもそも自分たちで破壊しておいて「教育再生」って、マッチポンプ。「再生」「改革」するどころか、「さらなる破壊」「止めを刺すこと」になりはしまいか?

   『●元大阪〝ト〟知事は単なる目立ちたがり屋!? 「あざとい」・・・
   『●日弁連声明: 都教委を擁護する東京高裁
   『●対橋下元〝ト〟知事、どうすべきか?
   『●犬がワンと鳴き、飼い主が喝采する、というお話
   『●「東京都立三鷹高校元校長」対「東京都教委」
   『●日の丸訴訟、君が代判決
   『●大阪元〝ト〟知事、重いツケ、将来への大きな禍根
   『●ト知事たちのハタとウタ
   『●日弁連声明: 都教委を擁護する東京高裁
   『●『石原慎太郎よ、退場せよ!』読了(2/3)
   『●『創(2009年8月号)』読了(2/2)

 3.11東京電力原発人災で日本の環境を破壊し、次に壊憲。本当に酷い政治状況。それを許している我々大人っていったい・・・・・・。
 「忠魂碑」と「教育塔」。

   『●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013041602000159.html

【社説】
教育委員会改革 政治からの中立保て
2013年4月16日

 政府の教育再生実行会議が出した教育委員会改革の提言は、自治体の首長に公教育を事実上委ねてしまうものだ。政治的思惑に翻弄(ほんろう)されないか憂慮される。中立性をどう守るのか議論を尽くさねば。

 提言の仕組みでは、これまで教育行政の実務を取り仕切ってきた教育長に権限と責任を集中させる。そして首長は議会の同意を得て、その教育長を任免できる。

 子どもへの愛国心教育を徹底したいと考える首長は、その意向に沿う教育長を送り込めるし、逆に意に背くようなら退場させられる。この仕組みが実現すれば、例えばそんなかじ取りも、首長には可能になるだろう。

 教育予算に加えて教育長人事を握り、教育行政に関わる度合いが強まるのだ。首長は地域の民意の体現者なのだから一見、民主的な仕組みに映るかもしれない。

 だが、懸念が拭えない。首長が個人的に信奉する価値観や思想信条が持ち込まれないだろうか。選挙で首長が交代する度に教育の理念や方針が変わり、学校現場が混乱しないだろうか。

 公教育がそんなふうに政治に左右されないようにと、戦後一貫して教育行政を担ってきたのが教育委員会だ。戦前の軍国主義教育への反省を原点として政治から距離を置き、落ち着いた教育環境を提供する。そんな考え方だろう。

 ところが、機能不全が問題視されて久しい。最近の大津市のいじめ自殺事件や大阪市の体罰自殺事件でも対応が後手に回った。不都合な情報を隠す体質もあらわになった。厳しく非難され、教委廃止論さえ勢いづいた。

 原則五人の教育委員は教育長を除き、非常勤だ。実務を統括する教育長と教委代表の委員長が併存し、責任の所在がはっきりしない。合議制だから意思決定が遅く、教育長率いる事務方の議案を追認するばかりだという。

 長年の批判を背景に、政治的独立性の高い教委から権限を奪い去ることが提言の主眼だ。教育長に教育の方向性を示したり、仕事ぶりを点検したりすることに主な役割を縮小するという。

 教委が形骸化したのは地域の住民にも責任がある。どんな教科書を使うのか。どんな子どもを評価するのか。地元の学校教育にどれほど関心を抱いてきただろう

 首長と教育長とですべてが決められる公教育では危うい。教育委員の公選制も考えられる。中央教育審議会での制度設計に際しては暴走の歯止め機能が最重要だ。
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●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(5/9)

2009年04月07日 07時56分32秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』

「Ⅲ 少しビンボーになって競争社会から降りようよ」
 「名を秘し続けた一市井人の反骨精神 田中伸尚著『反忠――神坂哲72万字』書評」(pp.244-247)。「女たちの裁判」である神坂玲子さんや古川佳子さんらの箕面忠魂碑違憲訴訟を「陰で裁判を牽引した強力な黒子」。「「立て、日本のランソのヘイ!」などという戯文を草して、人民はすべからく訴訟を起こすべしと呼号してみせた」センセ、「私の戯文がいささか後押ししたと聞いている」。結びは、「はたして彼の死後、・・・原告の逆転敗訴とする。/そして最高裁は、哲の長男神坂直樹君の任官を拒否して恥じないのだ。 (ああ)!
 「書評の喜び、胸の疼き・・・」(pp.248251)。上述の田中伸尚さんの書。草伏村生著『生きぬいて愛したい』。センセ自身が「・・・日本赤軍がらみの容疑だが、いいがかりとしかいいようのない不当捜査・・・(『週刊朝日』編集部注: 東京地裁は松下さんら六人については捜索を違法と認めた)
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●『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』読了(7/9)

2009年04月07日 07時55分04秒 | Weblog
【梶原得三郎・新木安利編、『松下竜一未刊行著作集2/出会いの風』
 「松下竜一の眼」シリーズ (pp.268-274)。前述の書評に対して、『反忠――神坂哲72万字』の田中伸尚さんから「実はもう著述業をやめようと思いつめていたのですが、この評をいただいて、もう少しやってみる勇気が湧いてきました」との礼状。田中さんや、「筑豊の地に蟠踞 (ばんきょ) して〈地の底の人々〉を記録しつづけた上野英信」に見られるように、「どんなに赤字であれ書かずにおれぬ (ごう) を負っている者が、ノンフィクションライターとして生き残っていくのだろう」。
 本書のタイトルに採られた同名の節「出会いの風」 (pp.287-305)。もう一度読みたい、重要な節。「私を救いあげた人」洋子さんのお母さん「三原の奥さん」。石牟礼道子さんの『苦界浄土』も出版した講談社きっての名編集者、『豆腐屋の四季』により「私を世に出した人」加藤勝久さんは、「八十二年、私は『ルイズ ――父に貰いし名は』によって第四回講談社ノンフィクション賞を受賞したが、・・・しきりに「これでぼくもほっとしたよ」という言葉がくり返された。/・・・多くの新人の本を世に送り出したが、・・・そのほとんどはつぶれていったという。そういう悲劇を見るたびに・・・、にがい悔いを抱いたのだ。/・・・「ああ、またしても・・・」と、悲劇を予感してくやんだという。/「もう心配ない。あなたは立派な作家になった」と繰り返して、氏はその夜遅くまでグラスを傾けていた」。「私を引き出した人」向井武子さんは仁保事件の救援運動にかかわり、また、ある死刑囚の養母にもなった方。センセの『汝を子に迎えん ――人を殺めし汝なれど』に詳しい。つづく。
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●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(1/4)

2008年03月10日 18時36分50秒 | Weblog

田中伸尚著、『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了。一葉社、19967月刊。連載時にも読み、単行本化された時にも読んだので、今回で3回目。田中伸尚さんの代表作だと思う。

神坂哲さんは、最高裁に判事任官を拒否されていた直樹さんのお父さん。3度にわたり、大阪地裁裁判長古崎(こざき)慶長さんの見事な全面勝訴判決を、弁護士無しで勝ち取っている。神坂さん自身は敗訴を経験することなく・・・、生命を削って、72万字を訴訟に係わる書面に刻み込んだ。十年間、「書いて、書いて、書き続けて逝った」(p.452)。伊藤ルイさんは述べている、「形としての「ひと」は滅びるけれども、命を惜しまず守られたその人の思想と行動は絶ゆることなく後世に受け継がれていく」(p.457)。
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●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(2/4)

2008年03月10日 18時35分10秒 | Weblog
田中伸尚著、『反忠 ~神坂哲の72万字~』】
神坂さんは「勝訴をほとんど確信」していたそうである。「・・・神坂さんという個性と古崎さんという個性がぶつかり合って」、そして、「司法の反動化の中で古崎という珍しい硬骨裁判官と、滾(たぎ)るようなパトスを持った戦闘的な平和の論客、哲との出逅いがスパーク」した結果 (p.428) だった。直樹さんは、「古崎慶長という裁判官の姿勢」に大きく感化されている。原告勝訴の判決を出した後、古崎さんも、嫌がらせや脅迫の電話・手紙を受けており、日本刀を持った暴漢に襲われかけたこともあるそう。でも、新聞のインタビューで「裁判官は良心に従い法解釈するだけで一切妥協しない」「私を殺しても判決は変わりませんよ」としつつ、「裁判官はそれぞれの個性を生かし、慣行や圧力に屈せず、独自の判断を下すことが、司法における『言論の自由』であり、真の司法の独立だ」、と述べたそうである。
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●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(3/4)

2008年03月10日 18時33分55秒 | Weblog

田中伸尚著、『反忠 ~神坂哲の72万字~』】
古川佳子さんは、松下竜一さんの〈濫訴の兵〉を思い浮かべ、『五分の虫、一寸の魂』と自分たちを重ね合わせたそうである
(p.147)。神坂さん自身も、「濫訴の一翼を担う」と考えていたようである (p.288)。大分県中津市の作家松下竜一さんは、九州電力豊前火力発電所の建設差止めのために、環境権を旗印に弁護士なしで提訴 (p.288)
した〈濫訴の兵の隊長〉であり、『五分の虫、一寸の魂』に詳しい経緯が記されている。神坂さんは「頭が良い」けれども、病弱で非常な苦労をした点で、松下さんとダブっているように感じた。

忠魂とは? 忠魂碑とは
??
戦後直ぐの頃から、各地でほとんど戦前のままの姿で立ち現れた・・・。前の職場近くの道路拡張工事の際に忠魂碑があるのに気づいて、ギョッとした。確認はしていないが、きっとそう・・・。
「・・・言語に絶する戦争責任の取り方 (無責任の象徴) ・・・、それを人々が万歳と歓呼で支え続けている姿 ―― 哲は自宅間近の忠魂碑を突き抜けて、そのことを視た」(p.298)。戦争責任の本当の所在を曖昧にし、「忠死を美化し、顕彰するのが」、その役割(p.342)

同様に「教育塔」は、「・・・忠君愛国思想から脱却できない日教組は、「日の丸」「君が代を」を受け入れて・・・」(p.304) いく、という流れに関連しているらしい。

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●『反忠 ~神坂哲の72万字~』読了(4/4)

2008年03月10日 18時31分45秒 | Weblog

田中伸尚著、『反忠 ~神坂哲の72万字~』】
生活扶助費の支給打ち切りという正に「血も涙もないむごい仕打ち」と闘った“人間裁判”「朝日
() 訴訟」(p.178) が神坂さんに大きな影響を及ぼしているようである。異常な自殺の多さや、プレカリアートを思い浮かべる。

「勁い」(p.415)、「勁さ」(p.341417) という言葉が印象に。多分、松下さんの影響。

「裁判とういうのは、何とも過酷」(p.347)C型肝炎という薬害などを見れば明らか。それとは別の意味で古川さんにとっても・・・、痛恨の思いに苛(さいな)まれたそうである。

ラルフ=ジョルダーノの述べている「第一の罪」と「第二の罪」(p.348)。そして、現在進行形の「第三の罪」。非常に危険な時代。

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