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●翁長雄志さん「保守は保守でも自分は沖縄の保守。本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖

2018年08月12日 00時00分40秒 | Weblog


2年前のリテラの伊勢崎馨氏による記事【万策尽きたら夫婦二人で辺野古に座り込む! 翁長知事の妻が基地反対の思いを告白、知事は「殺されても…」とも】(http://lite-ra.com/2016/01/post-1874.html)。
東京新聞の社説【翁長知事死去 沖縄の訴えに思いを】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018081002000150.html)と、
コラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018081002000148.html)。
日刊スポーツのコラム【政界地獄耳/立場の違う人たちからの敬意】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808100000235.html)。

 《こうした妻や沖縄県民の思いの一方、安倍政権の翁長知事いじめ、訴訟など強行姿勢はますます苛烈さを加速…翁長知事夫妻が基地前に座り込むような「万策尽きた」事態になる前に、私たちの手で安倍政権の横暴を食い止めなければならない》。
 《沖縄の保守政治家として、なぜ保革の垣根を越えた「オール沖縄」を率いて安倍政権と真っ向対決してきたのか。…そうした差別的構造の打破には保守も革新もなく、民意を結集して当たるしかない、オール沖縄とはそんな思いだったのだろう。言い換えれば、沖縄のことは沖縄が決めるという「自己決定権」の行使だ。翁長氏は二〇一五年に国連人権理事会で演説し、辺野古の現状について「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と、世界に向け訴えた…「保守は保守でも自分は沖縄の保守本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖でもあったという》。
 《<政治的に死んでも肉体的に滅んでも、沖縄を代表して言いたいことを言おう>。そう決意したという…選挙のたびに、米軍基地の是非を巡って、沖縄の人同士が、激しく対立する光景も、くり返し見ている。政治家としての原点だろう…▼道半ばではある。が、決意の通り、沖縄のために最後まで戦い抜いた人だった》。
 《権力と戦うと一口で言うが、時の政権中枢や米国の安全保障戦略を向こうに回して県民を守ろうとするのだから大変なことだ。知事は元来自民党沖縄県連幹事長を務めた人物。共産党委員長・志位和夫が「…」とツイッターに記したように、保守・革新の垣根を越えたところに政治があるのではないか。…立場の違う人たちに敬意を示される政治家へ敬意を表したい》。

   『●翁長雄志知事亡くなる…「折れない、言うことをきかない
           翁長知事に対し、安倍政権が陰湿ないじめ、報復」
    「翁長さんの《うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー》の叫びが
     忘れられない」

   『●翁長雄志さん「那覇市長として…東京のど真ん中で体感した
                 むき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という」
    「アベ様の取巻き連中による様々な沖縄イジメ・沖縄ヘイトを含め、
     《安倍政権が陰湿ないじめ、報復》に対しても、《折れない、
     言うことをきかない翁長知事》は、真の意味での沖縄の市民の立場に立つ、
     真の保守政治家だった」

 週刊朝日の記事【追悼 翁長知事が果たせなかった妻との約束「万策尽きたら夫婦で一緒に…」】(https://dot.asahi.com/wa/2018080900019.html)によると、《新基地建設反対の信念は最後まで揺るがなかった。闘う知事を支えた妻の樹子さんは、過去に「万策尽きたら夫婦で一緒に(辺野古基地前に)座り込むことを約束している」と明かしたこともある。16年に「朝日ジャーナル」のインタビューに応じた翁長氏は、この“約束”について問われている。そのときは、言葉を選びながらも「座り込みについて妻が言ったことは、話が違うわけではありません」と否定せず、さらに「辺野古移設阻止が挫折して、一人間、一市民、一県民に戻った場合に何をするかは、沖縄県民のみんなと一緒です」と語っていた》…そうだ。
 2016年1月8日のリテラの記事を改めて読み直してみた。《翁長知事夫妻が基地前に座り込むような「万策尽きた」事態になる前に私たちの手で安倍政権の横暴を食い止めなければならない》…いま、辺野古破壊のトドメまであと一歩、そこまでアベ様や最低の官房長官らに許してしまった。辺野古の「美ら海」が醜悪に囲い込まれ、土砂投入を待つ。翁長さんの望んだように「辺野古埋め立て承認を撤回」し、この醜悪な〝檻〟を取り去り、元の美しい海の姿に戻すべきだ。

   『●「最低裁」のコールが聞こえる…沖縄負担軽減担当相らの
             「辺野古が唯一の解決策」をオウム返しでしょう…

 それにしても、《唯一の解決策》《基地負担軽減》を、まだ言うか、最低の官房長官
 東京新聞の記事【菅氏「新基地建設 唯一の解決策」】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080902000258.html)によると、《菅義偉官房長官は…名護市辺野古への新基地建設に関しては「日米同盟の抑止力維持、普天間飛行場の危険除去を考えたとき、唯一の解決策ということに変わりはない」と強調した。…「政府として、翁長氏の沖縄にかける思いをしっかりと受け止め、できることは全て行うという思いで、沖縄の基地負担軽減に取り組む」と説明》…って、あまりに酷すぎないか?
 保守を詐称する政治屋・最悪最低の官房長官《菅義偉官房長官は九日の記者会見でも、辺野古移設を「唯一の解決策」と繰り返すのみだ》…なぜ、唯一なのか? 普天間の撤収のために、なぜ辺野古が破壊されなければならないのか? しかも、辺野古は破壊「損」の可能性が高いときている。そして、一体、どこが負担軽減なのか?

   『●「番犬様の尾っぽ」=世界一危険な基地・普天間は 
        返還されない!? 辺野古は単なる破壊損なのか??

 「本土」ではニセ保守政治屋だらけ…。《立場の違う人たちに敬意を示される政治家》は稀有だ。翁長雄志さんは本物の保守政治家だった。
 翁長雄志さんは、《「保守は保守でも自分は沖縄の保守本土の保守政権に対して言うべきことは言う」が口癖》だった。

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http://lite-ra.com/2016/01/post-1874.html

万策尽きたら夫婦二人で辺野古に座り込む! 翁長知事の妻が基地反対の思いを告白、知事は「殺されても…」とも
2016.01.08

     (翁長雄志オフィシャルウェブサイトより)

   「とにかく新基地は造らせない。でも、もし万策尽きたら、
    その時は2人で座り込もうな

 沖縄県の翁長雄志知事は知事当選を果たした夜、自宅に戻って晩酌を傾けながら妻にこう語ったという。証言したのは、その翁長知事の妻・樹子夫人(60)。
 夫婦二人で辺野古に座り込むというのは、かなり悲壮な覚悟だが、たしかに、辺野古移転を巡る翁長知事と安倍政権の対立は緊迫の度を増している。昨年12月2日には国が翁長知事に対して埋め立て承認取り消し撤回を求めた代行訴訟弁論が始まり、同月25日には、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しに対し、石井啓一国交相がその効力を一時停止したのは違法であるとして、県が国を提訴する事態となっている。
 そんな中、妻の樹子さんが「女性自身」(光文社)1月19日号の連載ルポ「シリーズ人間」に登場し、沖縄が抱える基地問題や平和への想いを語っている。その中でも興味深いのは夫・翁長知事の基地に対する考えの変遷が“妻の目から”語られていることだ。
 よく知られているように翁長知事は知事出馬以前、自民党に所属する議員であり基地容認派”で“辺野古移転賛成でもあった。それが一転、2014年の知事選では辺野古移転反対やオスプレイ配備撤回を求めたことで、保守派から批判される材料ともなったが、そこには翁長家、いや沖縄全体を襲った事件と翁長氏の苦悩が存在した。
 那覇市で生まれた樹子さんが翁長氏と結婚したのは1982年。夫である翁長氏が那覇市議選に初出馬し当選したのはその3年後だった。その後も沖縄県議、那覇市長と歴任した翁長氏だが、その間一貫して自民党からの出馬であり、基地問題や辺野古移転に関しても容認、賛成の立場だった。もちろん当時の樹子さんも夫の選挙や政治活動を支えている。

   「本当にありがたいことなんですが、選挙がないときも、妻の私も
    いろんな会合に顔を出さないといけない。選挙中ともなれば、朝、
    家を飛び出したら、帰宅できるのは毎日夜中です。それでも
    いろんな人が支えてくれていますから」

 そんな樹子さんが「ああ、もう無理」と衝撃を受ける大事件が起こった。それが95年9月に起きた米軍兵士3人による小学6年生少女集団暴行事件だ。

   「そのときね、うちの長女は5年生だった。そばにいた長女を見て
    『この子だったかもしれないんだ』と思ったら、ショックでね……
    私のなかで、ハッキリ、もう地位協定も基地も無理って思ったのは、
    この事件がキッカケでした」

 この問題は沖縄だけでなく日本全体を震撼させ、その後の日米地位協定の運用改善の契機ともなった事件だ。ショックを受けた樹子さんは、夫の翁長氏へ議論を挑み、激論を交わし詰め寄った。

   「あたし、直情型だから。毎晩のように翁長とけんかしてました。
    『地位協定、おかしいでしょ』『自民党、おかしいでしょ!』って。
    その時の翁長? 思っていることの半分も出さずにためておける人なんです。
    胸のなかでは私と同じような怒りを共有していたと思うけど、
    私が感情的になればなるほど、抑制したというか……でも、彼だって人の親、
    苦しかったと思います」

 翁長知事の実父・助静氏は保守系の政治家だった。幼いころから周囲には敵対陣営となる革新派が多い中、翁長氏は言いたいことが言えず、多くを溜め込む性格になったのだというのが樹子さんの分析だ。
 とはいえ少女暴行事件が起きてから、基地反対に変わるまで約20年もの年月がかかってしまった。しかし少女暴行事件に端を発した妻・樹子さんの思いに呼応し、翁長知事自身、「長年の怒りや悲しみの感情が積もり積もっていたはず」だと樹子さんは言う。そして、保守の壁を打ち破るために知事選で打ち出したスローガンが「イデオロギーよりもアイデンティティ」だった。

   「知事選に出るときに、あの人は『ぼくはピエロになるかもしれない』
    と言っていたの。一歩間違えれば、保革双方の支持者が離れていくって。
    でも彼は『自分はそれでも構わない』とも。もっと言うとね、私言ったの。
    『あなた、殺されちゃうかもしれないよ』って。それでも翁長は
    『それでもしょうがないと思っている』って」

 現在辺野古のゲート前で声を上げるなど基地反対を叫ぶ樹子さんだが、夫とともに沖縄のため平和のために闘っていく決意をしている。

   「裁判の行方はわからない。でも勝とうが負けようが、沖縄のプライドだけは、
    もう捨てたくない。そして、1人でも多くの子どもたちに、沖縄戦のことを、
    平和がいかに大切かを、伝え続けていきたい

 こうした妻や沖縄県民の思いの一方、安倍政権の翁長知事いじめ、訴訟など強行姿勢はますます苛烈さを加速させている。同時に宜野湾のディズニーリゾート誘致、復興予算の増額など、なりふり構わぬ切り崩しに躍起だ
 安倍政権はこれからもますます、圧力を強め、次々と強行策を繰り出してくるだろう。しかし、今年1月には宜野湾市長選、6月に県議選、そして7月の参院選と、有権者が基地問題に意思を表明するチャンスは残されている。翁長知事夫妻が基地前に座り込むような「万策尽きた」事態になる前に私たちの手で安倍政権の横暴を食い止めなければならない

伊勢崎馨
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018081002000150.html

【社説】
翁長知事死去 沖縄の訴えに思いを
2018年8月10日

 沖縄の保守政治家として、なぜ保革の垣根を越えた「オール沖縄」を率いて安倍政権と真っ向対決してきたのか。翁長雄志知事が亡くなった。その訴え、沖縄の現状をよく思い起こそう。
 翁長氏の政治信条は「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉に象徴されていた。
 国土の0・6%の広さしかない沖縄県に、国内の米軍専用施設の70%が集中する。にもかかわらず政府は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の代替施設として、同じ県内の名護市辺野古に新基地建設を強行している。日本国憲法よりも日米地位協定が優先され、県民の人権が軽視される
 そうした差別的構造の打破には保守も革新もなく、民意を結集して当たるしかない、オール沖縄とはそんな思いだったのだろう。
 言い換えれば、沖縄のことは沖縄が決めるという自己決定権の行使だ。翁長氏は二〇一五年に国連人権理事会で演説し、辺野古の現状について「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と、世界に向け訴えた。
 父、兄が市長、副知事などを務めた政治家一家に生まれ、那覇市議、県議、自民党県連幹事長などを歴任した。県議時代には辺野古移設を容認していたが、那覇市長当時の〇七年、沖縄戦の集団自決に日本軍の強制を示す記述が削除された教科書検定問題を巡る県民大会に参加。さらに、民主党政権の県外移設方針が迷走したことなどを機に移設反対にかじを切る。
 戦争につながる基地問題に敏感なのは、沖縄戦後、激戦地に散乱したままだった戦死者の遺骨集めに奔走した実父の影響も強いとされる。「保守は保守でも自分は沖縄の保守本土の保守政権対して言うべきことは言う」が口癖でもあったという。
 翁長県政の四年弱、安倍政権はどう沖縄と向き合ったか。県内を選挙区とする国政選挙のほとんどで移設反対派が勝利したが、その民意に耳を傾けようとせず、辺野古の基地建設を進めた。菅義偉官房長官は九日の記者会見でも、辺野古移設を「唯一の解決策」と繰り返すのみだ。
 内閣府が三月に発表した自衛隊・防衛問題に関する世論調査で、「日米安保が日本の平和と安全に役立っている」との回答が約78%を占めた。安保を支持するのなら、その負担は全国で分かち合うべきではないか。翁長氏の訴えをあらためて胸に刻みたい。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018081002000148.html

【コラム】
筆洗
2018年8月10日

 ほほはこけて、声の量も乏しい。それでもなお、迫力を感じるのは、視線の力強さか、冷静で決然とした語り口か。亡くなる十日余り前の先月下旬、記者会見に臨んだ翁長雄志沖縄県知事の映像をみると、衰えぬ強い意思を感じさせる顔がある▼那覇市長時代、胃がんの手術を受けている。<政治的に死んでも肉体的に滅んでも、沖縄を代表して言いたいことを言おう>。そう決意したという(『戦う民意』)▼長く沖縄の保守勢力の重鎮として活動しながら、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対を唱えた。革新勢力からの支持も広く集めて、県知事に当選するのは、その八年後のことだ▼保守政治家の家系に生まれている。沖縄戦を生き延びた父が、敵味方を問わず、遺骨収集に走り回る姿をみてきた。東西冷戦下、沖縄に集中する米軍基地が、ソ連の核ミサイルに狙われるのではないか、という恐怖を感じながら育ったという。選挙のたびに、米軍基地の是非を巡って、沖縄の人同士が、激しく対立する光景も、くり返し見ている。政治家としての原点だろう▼「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。座右の銘の通り、戦後の沖縄に課された数々の困難の解決に、身をささげようと決意したときに保守、革新の枠を超えた「オール沖縄」の道が開けた▼道半ばではある。が、決意の通り、沖縄のために最後まで戦い抜いた人だった。
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https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808100000235.html

政界地獄耳
2018年8月10日9時51分
立場の違う人たちからの敬意

 ★政治家とは命を擦り減らす仕事だと改めて感じさせられた。沖縄県知事・翁長雄志が志半ばで亡くなった。がん闘病中の67歳。早すぎる死だった。権力と戦うと一口で言うが、時の政権中枢や米国の安全保障戦略を向こうに回して県民を守ろうとするのだから大変なことだ。知事は元来自民党沖縄県連幹事長を務めた人物。共産党委員長・志位和夫が「不屈の信念と烈々たる気概で辺野古新基地反対を貫いた4年間のたたかいに、深い敬意と感謝をささげます。保守・革新の垣根を越えた共闘にこそ沖縄の未来がある。ご遺志を継ぎたたかう決意です」とツイッターに記したように、保守・革新の垣根を越えたところに政治があるのではないか。

 ★5月23日、引退を表明している沖縄出身の歌手・安室奈美恵に県民栄誉賞が授与されたが、闘病中だった知事は授与に出席し安室に表彰状を手渡した。安室は訃報に接し、ホームページで「翁長知事の突然の訃報に大変驚いております。ご病気の事はニュースで拝見しており、県民栄誉賞の授賞式でお会いした際には、お痩せになられた印象がありました。今思えばあの時も、体調が優れなかったにも関わらず、私を気遣ってくださり、優しい言葉をかけてくださいました。沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」と哀悼の意を表した。

 ★8日、米国務省の報道担当官もお悔やみの言葉とともに「日米関係に対する翁長知事の貢献に感謝しているし、沖縄県民にとって重要な問題をめぐる翁長氏との長年の協力をとても大切だと考えてきた。この困難な時期にあって、われわれの思いと祈りは翁長氏の家族や沖縄県民と共にある」と語ったという。元県知事・大田昌秀、元沖縄開発庁長官・上原康助、元官房長官・野中広務、沖縄本土復帰に尽力した福地広昭と相次いで他界しているが、いずれも広い視野に立った政治家だった。立場の違う人たちに敬意を示される政治家へ敬意を表したい。合掌。(K)※敬称略
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●菅義偉官房長官曰く「この問題は過去のものだ。争点にはならない」・・・・・・なんという言い草!!

2014年11月05日 00時00分11秒 | Weblog


東京新聞のコラム『筆洗』(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014103102000127.html)。

 「本当に名護市の辺野古沖でいいのか。そういう問題である▼きのう告示された沖縄県知事選の大きな焦点となる問題だが、菅義偉官房長官はこう言っていた。「この問題は過去のものだ。争点にはならない」」・・・・・・菅義偉官房長官、なんという傲慢さ! アベ様や菅義偉官房長官らは高江や辺野古で好き放題しておいて、「過去のもの」「争点にはならない」とは、なんという言い草だろう。沖縄県民の皆さんは、4年前の2010年11月の沖縄県知事選での「失敗」を繰り返さないでほしい、と本当に思います。傲慢な自民党政治を蹴散らしてほしい。

   『●前那覇市長・翁長雄志氏「(安倍首相の言う)
       『日本を取り戻す』の中に間違いなく沖縄は入っていない」

     「――仲井真弘多知事が辺野古埋め立てを承認したことで、
      政府によるボーリング調査も進み、基地移転の既成事実化
      着々と進んでます。菅官房長官は県知事選の結果と基地移転を
      切り離そうとしていますが、そういうわけにはいきませんよね?

       今度の選挙は仲井真知事の埋め立て承認に対し、民意を
      問うものになると思っています。工事を強行している安倍政権に
      対して、沖縄の民意をぶつけるということです。私たちは、
      仲井真さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していません。
      今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の
      初めての判断になります。だからこそ結果をしっかりと出す必要が
      あるのです。私たちは「オール沖縄」とよく言っていますが、
      「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということです。
      「心を結集して闘っていこう」と呼びかけています。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2014103102000127.html

【コラム】
筆洗
2014年10月31日

 この問題はもう過ぎ去ったこと、終わったことなのだと言う人もいる。沖縄の普天間飛行場をどこに移設させるか、本当に名護市の辺野古沖でいいのか。そういう問題である▼きのう告示された沖縄県知事選の大きな焦点となる問題だが、菅義偉官房長官はこう言っていた。「この問題は過去のものだ。争点にはならない」。昨年末に沖縄の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事は辺野古の埋め立てを承認した。それで区切りは付いたとの見解だ▼だが当の知事自身が「まさに今進行中の課題」と言っていた。仲井真氏を含め出馬した四人全員がきのうの第一声で辺野古の問題を取り上げた。過去のものとする官邸と、現在進行形のものとして向き合う沖縄の人々。このずれにこそ、問題の本質はあるのかもしれない▼過去を見れば、戦争中に「本土の捨て石」とされて県民の四人に一人が死に、戦後も「基地の島」とされてきた事実がある。未来に目を向ければ、辺野古の美しい海を我々の代でつぶしていいのか、次の世代に渡さなくていいのかという疑問がある▼過去から未来へと続く問い掛けに対して「過去の問題だから、争点にはならないと言うのは、答えになっているのだろうか▼先日八十八歳で逝去したドイツの作家ジークフリート・レンツ氏はこんな言葉を残している。<過去は去り行かない。それは現在にあって、我々を試している>
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●前那覇市長・翁長雄志氏「(安倍首相の言う)『日本を取り戻す』の中に間違いなく沖縄は入っていない」

2014年10月14日 00時00分13秒 | Weblog


nikkan-gendaiのインタビュー記事【前那覇市長・翁長雄志氏が語る「沖縄知事選」出馬への覚悟】(http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/154030)。

 「現職の仲井真知事が辺野古埋め立てを承認し着々と進む工事に対して、「断固阻止」を訴えている・・・・・・私たちは、仲井眞さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していません」。
 新しい沖縄県知事には、仲井真弘多氏のようなことがないことだけを願っている。前那覇市長・翁長雄志氏のインタビュー記事を読んでいて、ブログ主は期待感を持った。

   『●沖縄の「屈辱の日」を祝う神経
    =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
     【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013042802000132.html

      【コラム】
      筆洗
      2013年4月28日

       ・・・・・・▼政府はきょう、主権回復を記念する式典を開く。仲井真弘多
       沖縄県知事は
欠席する。当然だ。
       沖縄にとっては、祖国から切り離された屈辱の日」なのだから
       ▼「憲法改正よりも日米地位協定を改定することが主権回復だ」。保守系の
       翁長雄志那覇市長が語っていた。こうした正論は安倍晋三首相の耳には
       聞こえないようだ▼講和条約と同時に結ばれた日米安保条約の下で
       沖縄の人々が強いられてきた犠牲は、本土のメディアや国民の無関心
       よって一層強められた。「屈辱の日に立ち上る声に耳を澄ませたい
     =*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=

   『●国外移設どころか、やはり辺野古埋立承認へ:
       2010年11月の沖縄知事選の予想が現実に
   『●2010年11月の沖縄知事選の選択はやはり誤りだった
                ~そうさせた「本土」の重い責任~
   『●稲嶺進氏が名護市長選圧勝:
        「安倍政権はそれでも埋め立てを強行できるのか?」
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』: 
      「こんな巨大な事件が、・・・日本人としての資質が問われる」
   『●「辺野古の海を守ろう」:
            アベ様の「政権が抱える差別性の極み」に屈せずに
   『●米軍の「差別性の極み」:NNNドキュメント’14
        『続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今』
   『●稲嶺名護市長は「激しい憤り禁じ得ない」と語り・・・
                 でっ、仲井真知事は「僕に聞かれても」?
   『●辺野古「この風景は戦争」:
      誇り高き「海猿」の実像は番犬様の飼い主「アベ様のイヌ」
   『●番犬様・米軍の飼い主の声は聞こえても、
        辺野古市民の声は聞こえず「戦場」が見えない防衛省』 
   『●丸腰市民へ掃海母艦派遣・・・アベ様豪語
      「最高の責任者は私だ。・・私たちは選挙で国民の審判を受ける」
   『●番犬様・米軍の飼い主の声は聞こえても、
       辺野古市民の声は聞こえず「戦場」が見えない防衛省


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http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/154030

前那覇市長・翁長雄志氏が語る「沖縄知事選」出馬への覚悟
2014年10月13日

     (沖縄知事選に出馬する/(C)日刊ゲンダイ)

埋め立てがなぜダメか? 国有地になって基地が固定化するからです

 11月16日の沖縄県知事選は、安倍政権の今後を占う重要な選挙になる。現職の仲井真知事が辺野古埋め立てを承認し着々と進む工事に対して、「断固阻止」を訴えているのが、この人だ。3日に那覇市長を辞した翁長雄志氏(64)に、出馬への覚悟を聞いた。


――仲井真弘多知事が辺野古埋め立てを承認したことで、政府によるボーリング調査も進み、基地移転の既成事実化が着々と進んでます。菅官房長官は県知事選の結果と基地移転を切り離そうとしていますが、そういうわけにはいきませんよね?

 今度の選挙は仲井真知事の埋め立て承認に対し、民意を問うものになると思っています。工事を強行している安倍政権に対して、沖縄の民意をぶつけるということです。私たちは、仲井真さんの普天間県外移設の公約破棄を容認していません。今度の知事選は、公約破棄である埋め立て承認に対する県民の初めての判断になります。だからこそ結果をしっかりと出す必要があるのです。私たちは「オール沖縄」とよく言っていますが、「イデオロギーよりもアイデンティティーが大切」ということです。「心を結集して闘っていこう」と呼びかけています。


――9月20日に辺野古の浜辺で開かれた5500人集会で、翁長さんは「絶対阻止」の決意表明をされた。なぜ、埋め立てはダメなんですか?

 沖縄の基地問題の原点のひとつに、「プライス勧告」というものがあります。戦後、沖縄を占領した米軍は銃剣とブルドーザーで土地を県民に提供させて、強制接収をして基地を造っていきました。そして1956年にアメリカの大物政治家プライスがやってきて、「土地は一括して買い上げる」という布令を出したわけです。

 当時、私は6歳で裸足で歩いていました。沖縄は貧しい時期でした。どれだけ一括買い上げのお金が欲しかったのか分かりませんが、県民は将来の子や孫のことを思って「一坪たりとも売らない」と拒否しました。売らなかったからこそ、沖縄のあらゆる基地では、個人の所有地や県有地という形で物を申すことができるような状況にあるのです。なおかつ、地主に対しては軍用地資金が毎年入ります。これは、私たちの先人が本当に苦しい中で自らを奮い立たせて、頑張ってきた結果です。ところが、日本政府は、この辺野古の海、160ヘクタールを埋め立て国有地にしようとしています。軍用地代とか土地代は入らず、国有地ですから当然、国の勝手で100年間もずっと基地として使うこともできるのです。本当に言語道断で絶対に阻止しなければなりません


――5500人集会の手応えはどうでしたか?

 集会の1カ月前にも名護市議会選挙(投開票9月7日)に現地入りをしたので、自然な形で辺野古の集会に来ることができました。今日までの長い時間の中で、「心を含めて気持ちもつながってきたな」という感じがしてきております。「オール沖縄」の言葉通り、県民がより大きく輪を広げていくのを強く感じております。

 集会の最後で肩を組んで歌った「沖縄を返せ」という歌は、中学時代から聞いていました。その歌をこういう形で一緒に歌ったということは、「沖縄の置かれている環境が50年間変わらないのだな」と感じました。


――翁長さんの政治経験は長いですね。

 市議から県議を経て那覇市長になった。私の政治活動の中での一番の悲しみは、自分が持ってきたわけではない基地を挟んで、県民同士が保守と革新に分かれてののしり合うような選挙をやってきたことでした。ウチナンチュー(沖縄の人)の誇りを傷つけるもので、「どこか上の方から見ていて、笑っている人がいませんか」という気持ちでしたから、このような形でひとつになれる素地が見つかったことで、「沖縄の政治の歴史の一ページを開けたのではないか」と思っています。


安倍首相の「日本を取り戻す」に沖縄は入っていない

――辺野古の海は工事が着々と進んでいます。新知事が誕生すれば、工事を止められるんですか? たとえば、仲井真知事時代の環境アセスメントのずさんさを明らかにするとか。そういう期待もありますね。

 日本政府、アメリカ政府の権力は大変強大でありますから、私たちがこういう集会を20万人規模で開いても、いまの状況で進めていくと思います。ただ時代背景が変わってきた。アジアのダイナミズムを沖縄で体現することができるようになりました。別の言い方をすると、日本という国が疲弊してきている。アジアを見つめてみると、沖縄がこの地域のゲートウエー(玄関口)になり、フロントランナーにならないといけない。そういう中で、辺野古基地反対の大きなうねりが沸き起こり、県知事選挙に勝利できれば、国際世論やアジアの人たちの沖縄に対する見る目が変わってくると思います。「新基地建設を中止して日本国民全体で安全保障を考え直す」ということにつながっていくのではないか。沖縄県知事選によって日本の安全保障政策を変えていくのです。


――工事を強行する姿勢を続けている安倍首相については、どうですか?

 安倍総理は日本国をあずかる方ですから、それなりの気持ちでやっていると思いますが、ただ「(安倍首相の言う)『日本を取り戻す』の中に間違いなく沖縄は入っていない」という感じがいたしております。沖縄を入れて初めて、日本は民主主義国家になる。もともと日本はアジアからも世界からも評価が高いわけですから、この沖縄問題で二流国家になってもらいたくない。ですから、「沖縄問題を解決することによって、日本が世界に誇れる国になってもらいたい」と安倍総理に申し上げたい。


――安全保障担当の内閣官房副長官補を務めた柳澤協二氏は「『抑止力のために辺野古に新基地が必要』というのはまやかしだ」と話しています。つまり、機動性が売り物の海兵隊員が沖縄にいる必然性はないと。

 私からすれば、日本全体で0・6%しかない沖縄に米軍基地を押し付けておいて、抑止力も何もないと思いますよ。日本国民全体で守って初めて抑止力が働くのであって、中国はこれだけ沖縄に米軍基地が集中するのを見て「防衛のために沖縄だけ切り離すつもりだな」と思ってしまう。そんなことになったら抑止力にはなりません。「日本国全体で守る」という素地をつくっておかないと、抑止力にならないと思いますし、日本国の決意は見えません。このままでは沖縄戦の70年前と同じです。


――稲嶺進名護市長は1月の市長選で再選された後、アメリカに渡って市民の民意を伝えました。知事選で当選されたら国際世論に訴える?

 国際世論に訴えるのは当然ではないですか。アメリカにも行って沖縄の民意を伝えます。知事としての初めてのアメリカ訪問になりますので、どういう形になるのかはまだ分かりませんが。


――仲井真陣営は「沖縄へのカジノ誘致を政策の目玉にしようとしている」という話があります。カジノ誘致については慎重な姿勢と聞いていますが、どうお考えでしょうか。

 公約、政策は未発表なので、その質問にはまだ答えるわけにはいきません。近日中に政策を発表する予定です。


▽おなが・たけし 1950年、沖縄県真和志村(現那覇市)生まれ。法政大学法学部法律学科卒業。那覇市議会議員、沖縄県議会議員を経て、2000年、那覇市長選に出馬し当選。以後4回連続当選。
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