My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

卒業作品展で感じたこと

2015-02-27 18:59:13 | 雑記


毎年楽しみにしているのが、カレッジさんの作品展ですが.

私は、できるだけ作家さん(生徒さんたちも)とお話をするようにしています。

はじめは雑談からはいります。何気ない話から、なんとなくその人の個性がわかるので

作品にどう反映されているのか、そのほうが興味深いお話が聞けるのです。

(鶴瓶さんみたいにです)

その時のこと。

とっても素敵な帯があって、日本にない色の組み合わせだったので、素直に「素晴らしいですね。

売れると思います」といったのですが、生徒さんは困った顔になってしまいました。

「売れる」という言葉に、抵抗があるようで・・。


それで帰りに考えたのでした。

本来、帯というのは、着物の必需品。帯は美術品では困るのです。

なにせ、着物しか着るものがなかったのです。


洋服が日本に広まるまで、家のだれかが、自分の家の分を織っていた時代が主流でした。

洋服も、生地を買ってきて、自分で作るしかなかった時代をへて、今に至るのです。


きものが「庶民の必需品」から、隅に追いやられた理由はたくさんあるとおもうのですが

「庶民の味方」でなくなったことが、大きいと思います。


衣服は美術品でも芸術品でもありません。


でも、最近の卒業作品展などにいくと、みなさん芸術品として追及しておられるのが

気になります。きものは着る人がいて、なりたつものです。



気軽に誰でも買えるものでなければ、未来に残らないと思うのです。

きちんとその辺も学校で教わるのだろうか、と思います。



理想を追い求めるのも結構です。でも、ちょっと素敵な普段着も庶民には必要なのです。



売れるもの、というのは、マーケットの分野ではほめ言葉です。



現在、着物を着たい、という方はたくさんいますが、普段にお手頃に親しむ「値段」では

ないのです。



それを察してだと思います。母が和裁をしきりに勧めてくれた時期がありました。

きっと、将来、自分で着物を縫う技術があれば、体型が変化しても自分でなんとかするほうが

いいと考えたのでしょう。実際、十年以上前の着物は、今の私には少々着にくくなっています。



生活に必要なものであってほしい。

一部のお金持ちの道楽ではなく、「庶民のためのもの」、「誰でも手の届く素敵なもの」

になってほしいと思っています。






アジア美術館にて

2015-02-27 18:51:50 | 我が街

                  こちらが美術館内


                      



                   手作りのおみくじ?をひけます。 




                      


  わたしは無料体験でストラップをつくりました。中は撮影禁止ですが、ここの無料コーナーは

大丈夫でした。こちらに過程をUPしましたのでご覧ください。




                      



                      


                 はぎれと、金具を選んで・・・ 


                       


                        


              このように、カットして、完成です!


                           

博多織デベロップメントカレッジ卒業作品展~アジア美術館に行ってきました

2015-02-27 18:44:07 | 我が街


たまたまお知らせが来たので、久しぶりにアジア美術館に行ってきました。

アジア美術館は、文字通り「アジア」がテーマの美術館です。

地下鉄空港線で、中洲川端で下車、川端方面の出口に行くと、すぐ案内でわかるようになっています。

でも、あんまり人気はないです(汗


博多織の学校の卒業生たち、卒業予定?、とにかくフレッシュなたくさんの作品が待っていました。


手織り体験や、無料(先着20名らしい)体験ができます。



                     





                      



これがチラシとアクセスです。無料なので週末に天神方面にいかれる方はのぞいてみてください。


無料体験の様子は次に書きます。                     

ひなたぼっこ

2015-02-21 21:06:43 | 猫日和


              みーたんは、おひさまが大好きです。

              もう十五年以上、いっしょにいるんだね。






                       






                        




   

パステルアート

2015-02-21 20:55:01 | パステルアート作品

 

                 最近描いた作品です







                        




    

                        





私が使う色は、オレンジ、と真っ先にみんなに言われるのですが、案外そうでもなく。


きれいな、というかクリアな色、よりも、深みのある色のほうが好きです。


そういう色は、曼荼羅向きではないかもしれません。

枯れた草も、萌える新芽も混在しつつ、調和している自然が好きでしたので、よく写生もしていました。


それは、幼少のころ、自然の中が遊び場だった経験がこころの底にあるのかもしれないとおもいます。

手放す

2015-02-09 20:57:26 | The Words


古い考え方を手放し、新しい価値観へ移行しましょう。


こんな、フレーズに出会った方も多いと思います。


私も結構、てばなしちゃいなよ~ってよく仲間からいわれてました。


               でも、できない。



・・・・できない私は、本当に不器用なのか、だめなのか相変わらずだな、と思っていました。



      
今年になって、その「手放さないといけない」っていう「感情」に振り回されて、病気になりそうになるく

らい気力が落ち込みました。


でも、落ち込んだら浮かび上がるのを待てばいいだけ、というフレーズのとおり、


「てばなせない、じぶんを、みとめてあげる」


今まで、その感情をてばなさないとだめだっていう自分がいたけれど、そうではなくて。


「その感情が実は私の原点なんだ。情けないけど手放せないっていうのが根っこの自分なんだ。

だから、手放せないんだ。当たり前だ。本当の自分は手放せないもの」


ふっと、そう、気づくと、気持ちがすっとおさまりました。気にならなくなった感じでした。



わたしは「○○を手放したい自分」を手放した。・・・(結局そうなるのだと思いますが)


手放すって、いいまわしは、わかりやすい言葉でも、現実は難しいのかもしれないと思います。


人間あっさり、転向、できれば、悩む人もいないと思います。


でも、その感情を、「認めてあげること」、そういう自分も、あり、なんだよ。

と、ただ、認めてあげること。



そういう感情があったから、ここまでこられたんじゃないか。


手放したいことは、本当は、「「手放したい嫌な面」が自分にあることを許せなくて、「手放したい

自分」」なんじゃないのか?





結局、そういうことなんじゃないか、って、現在は感じています。


本当はもっと煮詰めて書きたかったんですが、このところの体験にしました。




            手放せないということは、結局それが、必要だからなんだよ

                大切だから、手放せないだけなんだ。

      他人にとっていらない小石でも、自分にとっては宝物のようなものなんだ、きっと。





















祈り

2015-02-08 00:03:20 | パステルアート作品


                 最近のパステルアートです。



            

                       




                        




パステルに静かにむかいあえるという、幸せに、感謝。


                 ともしびが世界に絶えませんように。

思うこと

2015-02-06 17:02:54 | 雑記


昔から、予知夢のようなものを見ることがありました。

幸い、身内に関することや、自分に関連することばかりで、振り返ると、みていた、ようなものなので

気にしないようにいたものの・・・


3.11の前には「津波」と「放射能」の夢を頻繁に見ていて、地震発生後にはぴたりとみなくなり、

これは皆さんも何らかの形で体に体感されているかたが多いと思いますので

自分でも気にしなかったのですが・・。

この頃みた夢が、なにかと、シンクロしているようなので書いておくことにします。

有名な方で、どうも危険、と書いておられる方がかなり多いこともあり、一応、です。

予知夢かな?と思われることは、このごろは母(亡き母)となんとなくいる設定が多いです。


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ある部屋にいました。というより、必要があって、その部屋を通り抜けるさなか、でした。

そこは、ショッピングセンターでもなく、なんとなく、公共の場の部屋の雰囲気です。

母と入っていったとき、「爆発するぞ、逃げろ!」という声がして、爆弾がぽん、と窓の外から

その部屋に投げ入れられて、恐怖のあまりパニック。ドアを必死に探す、という夢です。


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これは、一月の上旬にみていて、どこかの国のテロなのかも。


と思っていましたが、「イスラム国」の最近の日本への「メッセージ」とシンクロするようで

気になっています。あまり、この時期(二月から三月)

イベント関連を入れないほうがよいかもしれません。

特に「公共の場で開催されるイベント」は、自粛するほうが無難かもしれません。



また、今日、四国で地震もおきましたね。周辺の皆様は大丈夫でしょうか?


この地震の数日前、近畿地方の友人(四国より)に「あんたのところのちかくで地震が起きるから備えを」

と説得する夢をみていました。

関西でまた地震、という予知をされている方は結構多く、あまりその夢も気にしていなかったのですが

今回の四国の地震が、さらに、大きな地震の余震でないことを祈っています。


あと、なんとなく気になっていることを書きます。



いろいろな方が、いろいろな形で「パワースポット」など、神社仏閣、霊山、神域、というところに

行かれて、「何かの儀式」をされている、という傾向が、ここ十数年多いように思います。


たとえば、「光の柱」を下した、とか、「封印の解除」を行った、とか、そんなこと。

このブログを読んでいる方は、まず、ばかばかしい、と思われると思うので

スルーしていただいてかまわないのですが


絶対にかかわらないでください。(お参りなどは大丈夫です)


世界にはわけがあって、限られた方しか、たちいれない、ところが「聖域」として存在していました

その「聖域」にどんどん近年、人が立ち入っています。そしてなにか、をしたりする。


そうすると「地球のバランス」や「地域の土地」に関する力の「バランス」が乱れる。

結果、かつての全体の流れ、「エネルギー」の均衡をとろう、とする働きが起こり、「天災」などがおきや

すくなる。


パワースポットが「世界遺産」として、「観光地化」されている現象がわかりやすいでしょうか。



たとえば、富士山は昔から「信仰の対象」の山であり、「神域」とされ、その周辺に昔から住まう方々は

「山に登る」ということを「レジャー」としては、絶対にされなかった、そうです。



今はだれもが「世界遺産」ということで「山登り」を気軽に楽しんでいます。



それだけならまだしも、「ゴミ」を平気で捨てたりしている。

また、たくさんの宗教団体の本部も周辺におかれ、常に誰かが、「なにか」を行っている。



全部、古来は「タブー」とされていたことです。


近年、天候が激化しているのも、そういう現象と関係があるような気がします。

爆弾低気圧など、昔は耳にすることはほとんどありませんでしたし、酷暑といわれる現象

また、ゲリラ豪雨など、ほとんどありませんでした。

確かに、地球温暖化という側面が大きいと思いますが、それだけではないような気がするのです。


幼少のころ、「お守り」をお金がなくて買えなかったので、私は、気軽に、神社の「小石」をお守り

にしよう、と思って持ち帰ると、母から雷が落ちました。

「はやく返してらっしゃい」と怒られたのです。

「神社があるところは神様のいらっしゃるところで、すべてかみさまのものなのよ。

人間が気軽に「石」でも、持ち帰る、ということは、昔から、許されないことです。お守りはかってあげる

これからどこにいっても、そんなことはしてはいけない」


母は信仰ゆえにそういっているのか、と高校くらいまでは思っていました。

しかし、それからしばらくたって、巫女さん、という仕事をするようになって、

また、歴史等、学んでいくと、古来からの「常識」の範疇だということがわかりました。


私が小石をひろった神社は家の近所のふつうのところです。



しかし、古来は、それくらい、「デリカシー」というのでしょうか、その地域にすまわせていただいている

のは、地域を守っておられる神様の「お許し」があってのこと、という意識が、昔はあったのだ、と思いま

す。

そういう「謙虚さ」、は今でも本当に大切にしたいと思うので、あえて書きました。


話がいろいろと飛びましたが、参考になりましたら幸いです。


また、何かあそこには「行く予定だけど、行きたくない」と思われたら、直感に従われたほうがよいです。


それくらい、何が起こっても仕方がない、時節、に現在、世界中が、入っているように思います。


























大宰府~竈門神社編~

2015-02-01 22:21:26 | 我が街

今回は「かまど神社(竈門神社)が肝でした。

宝満山のふもとにあります。(山頂にも・・あったとおもいます)

太宰府駅のちかくから、コミュニティバスがでています。

ここはとてもふくおかでは重要なところだそうです。縁結びの神社として有名なところで

実は昔がんかけしたところで、(20数年前)思い出して慌てて行ってきたというわけ。

ここにきてやっと、落ち着きました。

気持ちの良いところでした。登山客か、参拝客(女性)

ずいぶんきれいになっていましたねー 

 (由緒は検索してみてくださいね。真剣に参拝すると、きっと叶います!)



                       



                       


                       



                         



               社務所がラブリーです



                       


                       



               神社の境内からの眺めも気持ちよいです。                  


                       


                       

太宰府に行ってきました。

2015-02-01 22:04:58 | 我が街

今日はいろいろかさなってしまったのですが、予定が予定なので、大宰府に行ってきました。

太宰府天満宮がおかしい・・・こんな記事を直前にどこかのサイトでみて、?と思ったのですが

参拝すると、珍しく「人酔い」してしまい、体調が思わしくなく。

いつも楽しみにしているごはんまで、ゆっくり食べられない状態でした。

八割は海外からの方のようです。

福岡市内の仏閣でも外国のツアーは普通に見ますが、「きちんと」敬意を表しているお客さん。

たぶん、お寺の方が事情をガイドに伝えているのでしょう。

「日本人がおまいりする神聖なところですよ」と伝えているので「静か」なままなのかもしれません。

大宰府で、敏感な方は、たしかに「何かがふつーの神社とおかしい」と感じるのもうなずけました。

観光地でもあるところですが、フツーの「観光地」にしていいの?って思うほど、なにかが

あわただしい。

今日の日本の動きを象徴するかのように、ざわざわしていて、落ち着きませんでした。

大宰府天満宮って境内の中に、縁切り橋があるの、ご存知でしょうか?

土地の人は避けるほど、メジャーなジンクスなのに、ふつーにわたっている人がほとんどでたぶん、他の人


とりあえず、気持ちの良かったショットだけ、掲載します。

海外の方がこない季節のほうが、本気のお参りならいいです。

私がほっとできたところは「如水さまの神社」のところくらい、だったかな?


                          


                          


                          


                          


                          


                          


(これが黒田官兵衛、如水さまの神社。晩年お暮しになっていたそうです。ここはとてものんびり)