My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

よいお年を!

2013-12-28 23:21:49 | 雑記
きづけば、もうすぐ新年ですね。
我が家は今年は寝正月になりそうです(笑)

一番の重大ニュースは、私が携帯をスマホに変えたことです

freebitが出しているスマホとタブレットのあいのこみたいなものですが
携帯を普段はほとんど使うことがなく、固定電話もいえにあり、いつも誰かがいるので
私にとってはよかったと思います。

これから使い良くしていくのだと思っています。

料金は「2000円~」ちなみにパケ放題つきです。
ただ、カスタマーの対応などもいまいちだし、とっても慣れるまでは時間がかかりそうなので
お正月の間に慣れておきたいです。

ところで我が家のおてんば娘は脚力がつよい。二足歩行ができるのではないかと思う。

               


今年は自分にさんざん向き合った年でした。

来年のテーマは「翔」

みなさまにとって良い年になりますようにお祈り申し上げます。

よいお年をお向かえください。


クリスマス

2013-12-25 16:39:23 | 雑記

今日はクリスマスですね。クリスチャンの方は教会でミサをされるのでしょう。

私は某大学の法学部卒です。

まず一年生は「憲法」を学びます。

みなさん、憲法、読んだことあるでしょうか・・。

近頃憲法改正の議論もあるようですが、今の憲法で見落としがちで大事なのは「信教の自由」が保障されていることです。

「どんな宗教や教えを信仰していいですよ。権利ですよ」ということです。

信教の自由が保障されているというのは日本の歴史をみても画期的なことなのです。

「キリスト教」の信仰を禁じた「キリシタン禁止令」なるものがあり、多くの殉教者が出たという歴史が日本ではありました。

「信教の自由」が保障されているということは、「特定の宗教」を強制し、その大義で戦争ができないことにほかありません。

「宗教」の大義のもと世界各地で戦争がたえないことをかんがみれば、私たちは憲法によって守られているともいえます。

改正の議論はきちっとされないと、本当にとんでもないことがおこるかもしれない。
これは肝に銘じておかなければ・・と思います。


ところで、先日友人から可愛いプレゼントをいただきました!


            


         ペンフォルダーです☆彡ありがとうです~

           また布シールが残っていたので




           



           パッチワーク的にデコしてみました

       (携帯入れです。落としても大丈夫なように、中にもう一枚入れています)



         

なぜにダメンズ?

2013-12-19 17:57:18 | 雑記
今日はとても寒い一日です。

そしてさむいお話をひとつ。

結婚する前の私の恋愛遍歴をときどき思い出した今年。

ストーカーに殺された、というニュースから思い出すんですが

私ももしかしたら殺されていたかもしれません(おいおい・・)



昔の話。友人の紹介でとある男性と知りあったのですが・・。

なんでも病気もちでなんとか回復して、医学生になりたいという年上の方でした。

いつも行く場所に病院が含まれていて、まあ持病だからだろうとしか思ってなかったけど

私も母の具合がよくなく、看病で忙しくなるので、自然にすれ違って自然消滅するだろう・・と思っていたんです。

つきあいはじめてびっくりしたのが、約束の時間にこれないということです。

5時間遅れるのもざらでした。家に遊びに行きたいと言うので待っていてもこないので
もうつきあいきれない、と断ったんですが、結局家まできてインターホンを押し続けるので
やむなく家にあげると、「絶対今度からきちんとくるようにするから」泣いて謝るんですね。

いつのまにか「理解できるのは私だけ。私がささえなければ・・
なんて、私はバカなことを思いだしました。

「理解して支えられるのは私だけのようだ」

この思考パターンはある意味、とても危ない考えだと思います。

そして「自分は病気をもっているから、(私に別に)いい人ができたら別れる」

そんなこともいうので、結局お互い傷が浅いうちにお別れしたほうがいと思って
別れの手紙を書きました。

そしたらとたんに彼はストーカー状態になってしまい、警察に相談するはめに。

警察はほんとになにもしてくれなかったです「気が動転するのも仕方ない」というだけです。

一番怖かったのは、家に来られることなので、敷地に入れないようにしました。

そしたら塀を乗り越えて、呼び鈴を押し続けるんです。

(不法侵入でこうなると犯罪ものなんですが)

丁度彼の自宅の電話を知っていたので、すぐかけて、御両親に実情を話して事なきを得ました。

そしてお母様からわび状が来て、おさまったかのようにみえましたが

それから彼が何をしたかといえば、あることないことを紹介者の知人に吹き込み、それが職場に広がったようで、結局復帰できない状態までされてしまいました。

でもそのころ仲良かった職場の友人から「こんなことが広まっているのだけど本当?」
こう言ってきた人はいなかったので、それまでの話だ、と思いましたが

私の怒りはMAXに達したのはいうまでもない。でも今はいい授業料だと思ってます。
実際、今の世間をみれば、わたしはとっても幸運です。

それから二年後にも

家に来たことがあります。

そのときは母が退院していて自宅療養になり
訪問介護の職員さんに代わりに追い払ってもらいました。

その後、自宅を引き払ってしまったので、もう大丈夫・・と思ってはいます。
でもFBは絶対できないです。

実際、彼が出没していたところの様子を聞くと今でもみかける・・という話を聞いたことが
あるので、絶対行かない。

とにかくある意味「私がいなければ」という気持ちって、よしあしだ、ということを
覚えておくことが或る意味大切だとしみじみ思います。







恐れの本質を見ること

2013-12-13 13:39:34 | 雑記
気がつけばもうひとつきもなく、街はクリスマス仕様です。
今年は私にとってターニングポイントになりました。
締めは、ずーっと前から、なかなか乗り越えられなかったことをなんとか乗り越えることが
できたことです。
シェアできる内容ですので、体験談ですが、書きたいと思います。

私は昔から、怖がりの子どもでした。何をするにも「いいようのない恐れ・・?」
にとりつかれてしまい、それがどこからくるものかもわからずにいました。

ただ、私にとってゆるぎなかったものは「家庭」でした。

幼いころは両親が子煩悩だったので、よく遊んでくれたため、いじめを受けながらも精神的なバランスはかろうじてとれていたように思います。

しかし、ゆるぎがないと思われた家庭も、大人の世界は色々あったようです。
ただ私が「いじめられている」ことを隠していたように、家族も色々なことを抱えていたのだと、振りかえってそう思います。

家庭の崩壊の象徴は、父の自殺でした。

何回かは止められたのですが、結局逝ってしまいました。

きっと踏みとどまってくれる、そう思っていたもので、私にとって父の死は

「この先なにがおこるかわからない」という強烈な「不安、恐れ」に拍車をかけることになりました。

そして、経済的な不安、母の難病の発病、次々と起こる出来事・・。

しかし、「この先なにがおこるかわからない」ということにフォーカスすると

一見悪いことみたいですが、よいことだって沢山あったのだと分析して気付いたのです。

母の介護がなければ、ツインソウルであるかけがえのないパートナーにあっていなかったと思いますし、いじめにあってなければ、パートナーがうけていたパワハラにもきづかなかったかもしれません。
そう分析していくと「プラスのこの先なにがおこるかわからない」ことだって沢山あると気付きました。

気付いたとたん、「恐れ」は薄くなり、残像となり、ゆっくり消えてゆきました。

もし、心配性な方がいらしたら是非自分のこれまでを振り返って分析してみることをお勧めします

悪い波の時代もあったかもしれませんが、それだけの良い時代も確かにあったと気付かれると思います。

そして、いろいろあったけど、生きているじゃないか!乗り越えているから、こうして生きている自分は思っているより強いんだ。きっと大丈夫だと気付かれ、「プラスのフォーカス」ができるようになると思います。