My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

酷暑の福岡

2013-07-30 13:21:10 | 猫日和
福岡市では七月、全国でいちばん気温が高かったそうです。

七月の平均最低気温・・ちなみに29℃(最高ではないです・・)

我が家の猫たちもいろいろな涼しいところで、毎日ほとんど寝ています。
クーラーは一日中つけないとすごせない暑さです。






こんなところで寝たり・・・


          みーたんは外を知っている猫なので昼寝が上手です。
          こんな棚のすきまも涼しいんでしょうか・・






     





無題(自作詩)

2013-07-30 13:04:35 | The Words




        ただ

        どんなにもかえがたい何かを求めて
    
        旅に出る

        でもいつも立ち返る場所
        それがふるさとなのかもしれない

        しかし

        
        また旅に出る

   
        たとえその惜別のくりかえしでも
        
        今幸せなのかと皆問いながら 

        永遠の旅路を繰り返して


        ゆこう 友よ


        いつか別れてもまたどこかで会える気がする

        そして みな 想い出として

        こころの箪笥に残してゆくのだ


        想い出だけは持って行ける

        たとえ身体は土に還っても


        ひとやすみしたら

        さあ 旅を続けよう

        まだみぬ誰かがどこかで待っている

 

あなたを想えば(自作詩)

2013-07-30 12:57:28 | The Words
  




             あなたを想えば



        あなたを想えば

 

       それはことばとなり
        
       詩(うた)となり



       それは大地に芽生えた双葉のように

    
        いつか

        風にそよぐ 大樹となれ


        あなたを想えば



昔から詩を書くことが好きでした。ライフワークにしたいと思うこともありました。
でも母の介護や色々なことがあり、詩、どころではなくなり、今に至るのですが・・。
これはかなり昔のものですが、これからまた新しく書いていってもいいな、と思うように
なりました。

プロフェッショナル

2013-07-30 12:07:41 | 救急箱
みなさんこんにちは。
久しぶりの更新です。

私は「プロフェッショナル~仕事の流儀」という某番組が好きでよくみています。

ご存知の方も多いかもしれませんね。

昔の話になりますが、これぞ、プロフェッショナル!という現場に居合わせたことがあります。

母が胃がんで長くないとわかって、緩和ケアがある病院に入院が決まって、打ち合わせもかねて、
挨拶に出向いた時のことです。

緩和ケア病棟の先生(医師)と数人の看護師の方がいらっしゃったのですが

「がん、という病気は、何があるか、正直予測がつきません。すぐに亡くなる方もいれば
一年以上ここで過ごしていらっしゃる方もいます。まずそれをご理解いただきたい。
ここの病棟は二十四時間体制をとっており、いつでも身内の方は面会が可能です。
また、看護師は少人数ですが、みな優秀なスタッフですので、安心しておまかせになってください」

こう、先生は話してくれました。

母は無料の個室に入院することになり、無料なのに絨毯がしかれて、さながらホテルのような病室でおどろきました。
先生の言われた通り、スタッフの皆さんが一流であること、プロ意識を持っておられることは、すぐわかりました。

まず「接遇」です。かならずみなさん敬語で優しくにこやかに接しておられること。

たとえば、「大丈夫かねえ・・お風呂に、はいろっかー○○さん」ではなく

「体調はどうですか?お風呂に入れるかどうか、確認してみましょうか」


そしてベットのシーツ交換なども、手早く完璧にされます。

私も昔ベットメイクの仕事をアルバイトでしていたので、思わずみていたのですが、私の視線に気づいたらしく

「ああ、しわが少しでもよったらお体にさわりますから。綺麗にしないといけませんからね・・」

こう言われて、(悪いけど施設とは雲泥の違いだ)・・と思ったことを覚えています。

それから口腔ケア。

お見舞いに来たいとこが、「ちゃんと乾燥しないようにリップクリームまで叔母さんぬってもらって・・。本当にいきとどいているのね。すごいね!」感心しきりでした。

母の体調の変化もきちんんと細かくチェックされ、些細な変化も身内に連絡していただけるので
本当に助かりました。


亡くなる前日に「血圧がずっとすこしさがりぎみなのが、気になりますが、今すぐどうこうではないと思います」

こう言われ、

亡くなるその日の朝、「血圧がまたやや下がってきています。念のためにお知らせしますね」

携帯にそのように連絡があり、気付けば朝の七時でした。

とりあえず身内に連絡をして病院に直行。ずっと細かく体調を教えていただけていたので、今回はもしやと思ったのです。

先生の話では、朝の段階で、明日があぶないのではないか、という話でしたが、ゆるやかにその後も血圧がさがりつづけ、お昼に家族と看護師さんに見守られて母は静かにをひきとりました。

早朝の電話のおかげで、佐賀在住の弟も間に合ったのです。

そして亡くなって落ち着いてから、一か月後くらいに病院から一通の手紙がきました。

母が早く亡くなったので、色々きがかりなことがあったのではないか、スタッフの対応はどうだったのか、不適切なことはなかったかという内容のアンケートでした。

最後の最後まで、患者さんが人生の最終ステージを終えるにふさわしい環境をつくりたい、という熱意とまた細やかな気遣い。


本当にプロフェッショナルな方々だったと思います。





病院の名前は「西福岡病院」です

*この記事はツレのブログに書いたものを修正加筆したものです。

山笠の季節

2013-07-02 16:58:15 | 我が街
七月がはじまりました。
七月は福博の街は「博多祇園山笠」というお祭り一色になります。

ちなみに山笠が終わると梅雨があけるともいわれています。

伝承によると、鎌倉時代の1241年夏、博多で疫病が蔓延し多くの人々がその犠牲となりました。このとき、宋から帰国してきた承天寺の開山聖一国師弁円が、町人達のかつぐ施餓鬼棚に乗って町内を練りまわり、疫病封じの祈祷水をまき清めたとされます。

この施餓鬼棚が発展して山笠の形となったともいわれていますが、それについては他にも諸説があり、その起源は定かではありません。

毎年7月1日から15日までが山笠の期間であり、その間、博多の町のいたるところに「飾り山」が建てられ行き交う人々の目を楽しませてくれます。


1日には当番町、9日に全流れによる筥崎浜でのお汐井とりが行われ、10日夕刻の流舁きから舁き山笠が動き出す。

11日早朝は朝山、12日午後は追い山ならし、13日午後は集団山みせ、14日の流舁き、そして15日早朝の追い山で全行事を終わります。

ちなみにクライマックスの追い山のの終点は櫛田神社です。



                     


                     楼門



                     


                     本殿





         櫛田神社も飾り山があります(こんな感じです)