My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

思いがけずに役立った!~日頃の備えについて~

2015-07-22 17:39:28 | 雑記


引っ越しをして、二週間くらいたちます。

引っ越しは、わたしのひざ痛がはじまりで、なかなか物件も決まらない現状にこれまた

びっくりしながら、スタートしました。


ふくおかでは、審査が厳しくなり、保証人の予定の身内が海外勤務で不在ということで

やむなく、保証人不要のところを探しに探して、引っ越しをしました。


が。


まず、引っ越し業者を安心できる大手に頼んだのですが(○リ)

物件に傷をつけたばかりか、(頼みもしないのに、)適当に、クローゼットに荷物を

押し込んで、去っていきました。

こちらは、勝手にされそうだから、荷物は部屋に「置くだけ」でいいです、といいましたが、

です。

とりあえず、「契約違反」ということで書面で通知した後、営業の方に苦情を言うと、支店の

トップが握りつぶそうと電話をかけてやっき。

料金も、たった、数万円なのに、がたがた言う。、



引っ越しの会社は念のために保険にはいっているので、損はないようにできているんです。

一部、お詫び料として、お客さんに、払うだけの、器量もなし。


大手も信用できない時代になったと思います。


その後、ばたばたしているうちに、「台風」と「地震」がやってきた。
台風には、本当にびっくりしました。

ひざ痛で、ご飯をまともにつくれない状態で、外に突然でられなくなり、どうしよう、と

思ったときに、思い出したのが


「常備食」

念のために、簡単にできるものを買い込んでいたので、助かりました。


地震の時に、と、思っていたんですが、台風の時に役立ちました。


急な天候変化のときにも、本当に役立つことを実感しました。


ヒットしたもの~毎日少し食べたもの~


・コーンポタージュ(お湯をかけるだけの即席)

・甘酒 (水でも、お湯でも、おいしかったです)

・カンに入っている、輸入クッキーの詰め合せ

・即席みそ汁

・チョコレート

・スナック菓子                        など


まさに、備えあれば憂いなし、です。また、キャリーケースに、避難生活でいるものも

念のために整理しなおして、まとめました。


これからは、どこで、なにが、あってもおかしくない時代です。


定期的に、常備品も、見直すことも、必要だと思います。

みなさまのお役に立てば幸いです。


供養について

2015-07-22 15:53:12 | こころの窓辺から


引っ越しが終わって、二週間近くたちました。

引っ越しすると、不用品もそうですが、いろいろなものが出てきます。

たとえば、遺品などです。

その中に、ツレの父親である、(私からすると義父)をしのんだ追想集なるものが

出てきましてろいろと考えさせられました。


いつも、なぜか、次男であるツレが、いわゆる「法事」(父親、母親など)を行うのが通例に

なっていました。



長男だったツレの父親(私から言えば、義父)の法事には、義父のきょうだい以外に

参加する身内はありません。(いとこなどで代替わりで参加する人はいない)

また、新婚のときから、嫁の私が疑問に思っていたこと・・。


義父は、気難しいところなど、いろいろあったようですが、法事なのになぜか

亡くなって、故人になった義父のゴシップしか、話題にあがらないのです。


ひとは、悪い面だけではありません。

義父の追想集を読むと、たくさんのエピソードがつづられていますので、なおさら考え込んで

しまいました。

故人をしのぶ法事の席で、その故人の悪口しか話題にあがらない・・・

お義父さんは、あの世があるとすれば、そこでどう思っているだろう?


追想集なので、写真ものっていますが、印象的な写真がありました。

長男であり、一家を支えるために就職して、初めて帰省した際の写真です。

疲れ切って、精細を欠いた義父と、フツーに帰省を喜んでカメラにおさまっている(きょうだいたち)家族の写真。


私は、もう、法事をする必要がないのではないか、と思いました。


子供(ツレなど)たちで、心をこめて、「ありがとう」と、お坊さんにお経をあげてもら

ことで、簡単にすませてもいいのではないか?



今年は法事の年なのですが、とにかく忙しいのと、年寄りになった「叔父、叔母」の安全も

ありますので、ツレの気持ちを思い切って聞いてみることにしました。



やはり、負担になっていたようです。

長男である義兄夫婦は、キリスト教を信仰しており、普通の感覚の弟のツレにバトンが

いやいや回ってきていたいきさつもあるのでしょう



「そうするよ」

手短に答えて、ツレは仕事に突入していきました。


そういうわけで、供養とは、そもそもどういうものか、ということですが

私は、「真心」がない、形だけの供養は、正直、意味がない、と思います。



親戚の憩いの場になっている、そういう点で「法事」を行うのはよいと思いますが

あまりこだわらなくても、よいのではないか、とも感じています。