毎年楽しみにしているのが、カレッジさんの作品展ですが.
私は、できるだけ作家さん(生徒さんたちも)とお話をするようにしています。
はじめは雑談からはいります。何気ない話から、なんとなくその人の個性がわかるので
作品にどう反映されているのか、そのほうが興味深いお話が聞けるのです。
(鶴瓶さんみたいにです)
その時のこと。
とっても素敵な帯があって、日本にない色の組み合わせだったので、素直に「素晴らしいですね。
売れると思います」といったのですが、生徒さんは困った顔になってしまいました。
「売れる」という言葉に、抵抗があるようで・・。
それで帰りに考えたのでした。
本来、帯というのは、着物の必需品。帯は美術品では困るのです。
なにせ、着物しか着るものがなかったのです。
洋服が日本に広まるまで、家のだれかが、自分の家の分を織っていた時代が主流でした。
洋服も、生地を買ってきて、自分で作るしかなかった時代をへて、今に至るのです。
きものが「庶民の必需品」から、隅に追いやられた理由はたくさんあるとおもうのですが
「庶民の味方」でなくなったことが、大きいと思います。
衣服は美術品でも芸術品でもありません。
でも、最近の卒業作品展などにいくと、みなさん芸術品として追及しておられるのが
気になります。きものは着る人がいて、なりたつものです。
気軽に誰でも買えるものでなければ、未来に残らないと思うのです。
きちんとその辺も学校で教わるのだろうか、と思います。
理想を追い求めるのも結構です。でも、ちょっと素敵な普段着も庶民には必要なのです。
売れるもの、というのは、マーケットの分野ではほめ言葉です。
現在、着物を着たい、という方はたくさんいますが、普段にお手頃に親しむ「値段」では
ないのです。
それを察してだと思います。母が和裁をしきりに勧めてくれた時期がありました。
きっと、将来、自分で着物を縫う技術があれば、体型が変化しても自分でなんとかするほうが
いいと考えたのでしょう。実際、十年以上前の着物は、今の私には少々着にくくなっています。
生活に必要なものであってほしい。
一部のお金持ちの道楽ではなく、「庶民のためのもの」、「誰でも手の届く素敵なもの」
になってほしいと思っています。