My Life

春夏秋冬~日々の徒然や思うことを綴った倉庫です。

医者にかかる前に・・・

2014-03-19 15:04:06 | 救急箱
私は、持病を持っているために、薬を飲んでいます。

当時、よいお薬もなく、かなり副作用もあるものを長年飲んできたので生活に支障をきたさない
ように、色々と工夫しています。

まず、お薬手帳は必需品。飲み合わせもあるため、事故にあったときに
意識がなくなっても、説明のかわりになるように持っています。

また、かなり独自のメンテナンスで、体と向き合うくせがついています。

昔ですが、母の病気の副産物で、「指圧整体」を学びました。

現在はいろいろレイキやエネルギーワークなどもあるようですが、母をみてもらっていた
先生のすすめでした。

母がいなくなったら、整体の先生に相談してどこかでやとってもらって、生計をたてるという選択肢も視野にいれてのことでしたが、幸い結婚したため、現在はツレの仕事を手伝っています。

お題の「医者にかかる前に・・」ですが、体が悪くなると、医者にかかります

しかし、自分の体は自分がよく分かっているもの。

まず、自分の体の変化を自分で「察知」して整理したほうがよいと思います。


当たり前のことですが、人間はたくさんの細胞からできています。

その細胞のひとつひとつにも意識があります。

その「意識の変化」をひらたく言うなればとらえてから、

「どの医者がよいのか、あるいは医療行為以外のほかの施術が向いているのか。様子をみたほうがよいのか」

慎重に判断しなければとんでもないことになる。

母がそうでした。

難病でしたが、医者の誤診から「半寝たきり」になってしまったのでした。

なんでも母に言わせると「性格がいい先生だから、先生も仕方なかったのだろう」

難病なので誤診も仕方はないのですが、

「治療の経験値と性格が比例するとはかぎらない」といっても聞く耳はありませんでしたし、

何の薬を飲んでいるのか、それさえ関係ないからと私に教えない母でしたので

「気に入らない」と思うとあっさり次の医者を探して「医者めぐり」を繰り返す日々・・。

入院中も「気に入らない」と、子供ではなく、ひそかに兄弟に連絡して外出「ひそかに医者めぐり」

とんでもないです。今考えると入院先の病院と身内に申し訳ないと今でも思います。

そういうどうどうめぐり、をしないためにも、まずは急場以外はじっくり体と向き合う癖をつけたほうが
よいとおもいます。



まず、自分のことは自分がいのいちばんにわかっているものだからです。

たとえば肩こりだけでも立派なサインです。ほぐさないと「不眠症」を誘発してしまうものなのです。



いじめ

2013-10-05 15:56:25 | 救急箱
いじめについて、体罰について、連日ニュースを見ますが、
そのたびにいつもよみがえる風景があります。

当時私は体育がまったくだめな中学生でした。

一番の苦手は球技。特にバレー

バレーがはやっていたこともあって、当時の体育会は私にとって憂鬱な行事でした。
(体育会は運動会ではない。こういうものがあった)

試合がはじまると、対戦相手のクラスの上手い子が、私をめがけてサーブやシュートを執拗に
打ってくる。当然私は拾えないので、相手に点がどんどんはいって、結果負ける。

チームの同級生は、私さえいなかったら勝てるのに、という意識になってくる。

休憩時間に私は担任の教師から呼び出され、校舎裏にいくと同級生と担任に囲まれ
散々暴言を吐かれたことを覚えています。

しかし、私の心が傷つくことはありませんでした。

だって、できないものは頑張ってもできないものだから、仕方ないじゃないか。
あー早く終わればいいのにな。どうせ、勝ちたいんやろ?私だけ保健室行きにしてほしいな。
そしたら優勝するよ。

こう、思っていました。

しかし、ずらっと囲まれた時の、あの言いようのない恐怖は今でも忘れられません。

これが、ニュースを見るたびに蘇る光景です。

まだ、現在のように、たるんでいるから、しごき、といって暴行されなかっただけラッキーだったかもしれません。

またいじめ、という軽そうな言葉も悪いのだと思います。

「脅迫、暴行、傷害」これがいじめの実態なのだから、そういうべきです。

関連しますが、私は幼稚園から高校まで、「無視(シカト)」といういじめをうけてきました。
高校の卒業アルバムに、私の写真はどこにもありません。(不登校もなかったのですが)

存在すら忘れられ無視されたのだ、ということはとてもショックでしたが、大学にはいると不思議とぱったりいじめはなくなりました。

この長いトンネルをなんとかくぐりぬけてこられたのは、まだまだ人生にはずーっと先がある、という未来があることを教えてくれた少数の大人たちがいたからです。

だから、いじめや体罰をうけての自殺はもったいないのです。

いいようのない気持ちも、死んで恨み返したい気持ちもわかりますが、道半ば、まっさらな未来がこの先まだまだ待っているのです。

なんでも物事は永久に続くことはありません。

常に変化しつづけているものだという広い視点からみれば、必ずいじめも終わりもくるということを頭においてほしいと思いますし、日ごろいじめを隠しているお子さんも多いでしょう。

だから、お子さんにも、さりげなく先があるのだ、という視点を持たせてあげられたらな、と感じています。

子供がいじめを受けているようだ、あるいはたいしたこともないのに、いじめただろうと言われている・・私はアラフォーなので友達の子供はみな思春期、子育てが難しい時期に入っています。

子供とつながりたい、なんとかしたい

そんなときの魔法の言葉を御紹介します。

         「最近、どう?」

そう、これだけです。子供時代の経験から、とてもよいフレーズだなと思いました。

尾木先生(尾木ママ)の著作にあったのですが、「私はあなたのことをちゃんとみているのですよ
なにかあったらまもろうとしているのですよ、きにかけているのですよ」

シンプルですが、こういう見守りの気持ちが、優しく伝わる言葉だと思います。



また、私たちの大人社会も、いじめ社会ですね。難しい社会です。

ツレ(旦那さま)もパワハラを受けていました。うつ、寸前まで行きました。
考え抜いた末に、ボロボロの彼をとりあえず休職させました。

そして、彼は才能はあっても、組織のコマとして働くには向いていないと感じたので
「独立」を考えよう、と、きりだしました。

現在彼は、気の合うクライアント様とともにいきいきと働いています。

収入は安定しないけれど、何年もうつで悩む彼の心配を考えると、これでよかったと思っています

はなしがあちこち飛びましたが自作詩にも書いたとおり

「やられたら、やりかえす 仕返しではない 倍返し」

この気持ちでのりきれたら、きっとしらないうちに器の大きな温かい自分になっていたことにきづくはずです。












自然への回帰

2013-08-31 15:40:04 | 救急箱
今年の初旬にけいがんの検診にひっかかったことを書きましたが
検査の前に、今回異常がなければ、通常の検査で大丈夫だとのことを言われたので
ひっかかってしまったことが、とても残念でした。

しかし、これは何らかの身体からのサインではないか・・
そう感じたので、次の検診まで、セルフヒーリングを徹底的に行うことに決めました。

値が炎症を示すⅢaだったので、治癒力、免疫力をつければよいのではないか・・。
それで、まず、頭に浮かんだのが、アロマでした。弟夫婦からハーブのお茶をもらって、身体の調子が良くなったので、私の身体に向いていると思ったのです。

免疫力を上げる組み合わせの精油でハーブオイルを作ったら?

ティートリースウィート ユーカリラディアータ ラベンダー ローズウッド

これらをホホバオイル30mlに配合して希釈します。

(配合は上記、4:2:2:2:)

本当はインフルエンザなど風邪予防のレシピなのですが、免疫力をあげる点では共通なので
それをおまじないのように、下腹部に寝る前に塗っていました。

それからローズクオーツの丸玉で、子宮にピンクの波動が伝わってゆくイメージをしながら
チャクラのヒーリングも行いました。

そういうことをやって三ヶ月後

結果、検診は異常がなく、通常の検査でよくなりました!

本当に嬉しかったです!

実は手ごたえは三カ月めに入ったころにありました。
もうアロマは身体が求めていない・・十分、という感覚があって中止したのです。

私がこれらのことから深く学んだことは「自然への回帰」というテーマでした。
自分の身体をいたわることは、身体のリズムを自然のサイクルにあわせることにほかならないからです

それを一番体感できるのは、「月経」が毎月来る女性ではないか、と思います。

あと追記して言うなれば、自分の身体をいたわることは、心をいたわることにつながります。

自分が嫌いだ、自己嫌悪している方は案外多いとおもいます。

まず、からだから、こころへと働きかける。

これもありだと思います。





プロフェッショナル

2013-07-30 12:07:41 | 救急箱
みなさんこんにちは。
久しぶりの更新です。

私は「プロフェッショナル~仕事の流儀」という某番組が好きでよくみています。

ご存知の方も多いかもしれませんね。

昔の話になりますが、これぞ、プロフェッショナル!という現場に居合わせたことがあります。

母が胃がんで長くないとわかって、緩和ケアがある病院に入院が決まって、打ち合わせもかねて、
挨拶に出向いた時のことです。

緩和ケア病棟の先生(医師)と数人の看護師の方がいらっしゃったのですが

「がん、という病気は、何があるか、正直予測がつきません。すぐに亡くなる方もいれば
一年以上ここで過ごしていらっしゃる方もいます。まずそれをご理解いただきたい。
ここの病棟は二十四時間体制をとっており、いつでも身内の方は面会が可能です。
また、看護師は少人数ですが、みな優秀なスタッフですので、安心しておまかせになってください」

こう、先生は話してくれました。

母は無料の個室に入院することになり、無料なのに絨毯がしかれて、さながらホテルのような病室でおどろきました。
先生の言われた通り、スタッフの皆さんが一流であること、プロ意識を持っておられることは、すぐわかりました。

まず「接遇」です。かならずみなさん敬語で優しくにこやかに接しておられること。

たとえば、「大丈夫かねえ・・お風呂に、はいろっかー○○さん」ではなく

「体調はどうですか?お風呂に入れるかどうか、確認してみましょうか」


そしてベットのシーツ交換なども、手早く完璧にされます。

私も昔ベットメイクの仕事をアルバイトでしていたので、思わずみていたのですが、私の視線に気づいたらしく

「ああ、しわが少しでもよったらお体にさわりますから。綺麗にしないといけませんからね・・」

こう言われて、(悪いけど施設とは雲泥の違いだ)・・と思ったことを覚えています。

それから口腔ケア。

お見舞いに来たいとこが、「ちゃんと乾燥しないようにリップクリームまで叔母さんぬってもらって・・。本当にいきとどいているのね。すごいね!」感心しきりでした。

母の体調の変化もきちんんと細かくチェックされ、些細な変化も身内に連絡していただけるので
本当に助かりました。


亡くなる前日に「血圧がずっとすこしさがりぎみなのが、気になりますが、今すぐどうこうではないと思います」

こう言われ、

亡くなるその日の朝、「血圧がまたやや下がってきています。念のためにお知らせしますね」

携帯にそのように連絡があり、気付けば朝の七時でした。

とりあえず身内に連絡をして病院に直行。ずっと細かく体調を教えていただけていたので、今回はもしやと思ったのです。

先生の話では、朝の段階で、明日があぶないのではないか、という話でしたが、ゆるやかにその後も血圧がさがりつづけ、お昼に家族と看護師さんに見守られて母は静かにをひきとりました。

早朝の電話のおかげで、佐賀在住の弟も間に合ったのです。

そして亡くなって落ち着いてから、一か月後くらいに病院から一通の手紙がきました。

母が早く亡くなったので、色々きがかりなことがあったのではないか、スタッフの対応はどうだったのか、不適切なことはなかったかという内容のアンケートでした。

最後の最後まで、患者さんが人生の最終ステージを終えるにふさわしい環境をつくりたい、という熱意とまた細やかな気遣い。


本当にプロフェッショナルな方々だったと思います。





病院の名前は「西福岡病院」です

*この記事はツレのブログに書いたものを修正加筆したものです。

緊急時の対処

2013-06-20 20:35:37 | 救急箱
何回か、人の緊急時、を経験しました。父、母、ツレ・・(父は省略します)

まず、母。

夜ポータブルトイレでようをたしていら、ゆるゆるとうつむきがちに・・

「かあさん?」

呼びかけても答えません。

目も開けません。

・・・・これはなにかちがうよ・・もしかしたら、死相なのじゃないだろうか。

「かあさん!! 大丈夫よ!ここにいるけん、大丈夫よ!」

ここで看取るのか?それとも救急車を呼ぶべきなのか?

必死に呼びかけながら、思わず脈をとっていました。

まだ、ふれている!必死に「かみさまーーーーーっつ」って手をぎゅーっとにぎって。

それから、すぐ電話を入れました。

すると、隊員の方が到着したころ、気付いたようです。

よかったよ~~~(涙)

念のために病院に行きましたが「パーキンソンの方でトイレの時、気を失う方多いですよ」

こういわれ、めでたく帰宅したものの。



こんな思いはもうしたくない!と思ったが



今度はツレが緊急事態に陥った

とても寒い夜でした。会社から帰ってくるので、がんがん暖房をたいていました。
今考えると、それが悪かったんだと思います。

帰ってきて、しばらくしてトイレに行こうとして、すごい音がしました。
コード?にひっかかって倒れたような音。

ひっかかったな・・まあ起きてくるだろう・・。

しばらくしてもこないので、廊下をみたら、ばたっとツレが倒れていた。
あおむけにたおれているツレ・・。血の気が引きました。

「大丈夫?大丈夫?目みえる?」

なーんにも反応がないので

「かみさまーーーっ、連れていかないでーーーーっつ」母と同じ時のように手をぎゅーっとにぎって

そしたらかすかに反応が戻ってきた。

「手、ふってみて!足痛くない?わかるなら、手握ってみて?眼あけられる?」

「大丈夫だよ。」

ふらふらと起き上がって居間に戻ったものの、危ない気がして
念のために救急車で病院に行きました。

頭怪我してたみたいで、でも軽傷ですんでよかった(涙)
MRIもとりました。

「異常はありません。念のため、明日まで注意してくださいね」

この日は沢山救急病院に人が来てた。先生もばたばたしてました。


帰宅して。倒れた時のことを、全くツレは覚えていなかった!!


そして・・今でも思い出せない・・そうです。
どこから覚えているかと言えば・・・救急車の中の風景からだったそうです。

緊急時の対処

とにかく、呼び掛けることです。呼び掛けつづけてください。

できれば、どこでもよいので脈をとってみてください。判断のひとつになります。

意識が戻ったら、無理に動かさないことです。

そのまま手や足に異常がないか、みてください。足をそっとたたいたり、手を握って反応があるか。

かならず、救急車にきてもらってください。本人は大丈夫かもしれませんが、後に異常がでる
ことがあるからです。

*救急車を呼ぶ時、気が動転してパニックになることがあります。そのときの覚書。*

①どこどこの誰かと告げる。場所もつげる

②誰が、どうした、そして、現在、どうしている、

これだけでよいです。後は向こうの人が聞いてくるので冷静に答えてください。



私は、その時、そばに誰もいませんでした。

ただ、かなりの医療オタクだったので、いろんな某テレビドラマで、自然に対応を
覚えていたみたいです。

思えば、祖母は助産婦です。親せきに救命勤めの子もいるし、DNAなのかもしれないけど。

これから、熱中症などもあると思います。

熱中症に効果的なのは、牛乳だそうです。

とりあえず、水分補給に有効なのは、水でなくあれば牛乳なので、覚えておかれるとよいです。








簡単なセルフヒーリングの方法

2013-05-31 14:00:42 | 救急箱
   最近疲れて、マッサージなどで癒されたいなー・・でも時間がない。

        こういう方にお勧めの方法を御紹介します。

1 半身浴

夏は暑いので温まったら、湯船からでたほうがいいと思います。      

それからバスタブの中で身体をさする。

「リンパ」の流れが活発になり 熟睡できるようになります。

できるだけ入浴する時間は早めに。遅い時間に入ると副交感神経より、交感神経が活発になり、寝つきが悪くなります。

アロマの精油を数滴たらしてもよいです。

2お願いする

天使好きな方は、守護天使にお願いするのもよいかもしれません。

癒しならラファエル、といったところでしょうか。

カードをお持ちの方ならカードから、エナジーを感じてからお願いして床につくのもよいです
                                            


3自然の音霊(おとたま)を使う   

川のせせらぎや、海の音、いわゆる自然界の音を録音されたCDを聞く。

なお、聞く時はイヤホンかヘットホンが効果的。

滝や川のせせらぎはネガティブなエネルギーを浄化してくれるといいます。

日本では「瀬織津姫(せおりつひめ)」という穢れ払いの女神さまの領域です。

滝の流れや川・・水の力によって知らず知らずに人が起こしているであろう罪や穢れを大海に流し清める役目を持っています。また、桜の神とも言われています。

聞きながら、「身体のみそぎ」をお願いしてみてもよいでしょう。




いかがだったでしょうか・・。

お役に立てば幸いです。

パーキンソン病について~エピローグ

2013-04-06 13:37:38 | 救急箱
いままでパーキンソン病についてお話してきましたが、最終回はエピローグとして
少し枠を広げてお話していこうと思います。

パーキンソン病を発病して16年後、母は結局胃がんで亡くなりました。享年70。
告知を受けた時はすでに末期で1か月持たないかもしれないといわれました。

モニターの映像と母の姿が重ならず、しばし呆然としたのを覚えています。
ただ次にわいた思いはこういうものでした。

「母さんはがんという乗り物で天国に行くんだ。もういたずらに苦しむことはないんだ・・」

先の見えない介護からこれで解放される、という安堵感さえ感じる思いでした。

なんて不謹慎な!と思われた方もいるかもしれません。

よく、葬式のときに、悲しみで大勢の人が泣いているのに、看取った家族は涙さえみせないことに対して、立腹するという話を聞きますが、今はとてもよく理解できます。

看病や介護に注いだエネルギーが、「死」という病人の「最後の仕事」を見届けることで昇華してゆくからなのだと思うのです。

病人は病む、ことを通じてたくさんの学びを周囲に与え、周囲はいのちについて相手からとても濃い学びを得る。

その経験がかけがえのない宝として心に刻まれるときに生ずる思いの一つだと思います。

ですから、病人がもうすぐ死ぬというのに、これで楽になるなんて思うなんて自分は不謹慎だ、と自分を後ろめたく思い、責めるのではなく、それは当然湧く思いであります。
白黒つけずに、自分の気持ちをあるがまま受け取ることが大事かと思います。


それから、エピローグということで、最後に現在介護や看病をしておられる方へ書きたいと思います。

看病や介護は先がみえないものだとつくづく感じておられるのではないでしょうか。

丁度、真っ暗なトンネルをわずかな光をたよりに、病人を背負って歩いていくような思いの方も多いかと思います。

その時間が長ければ長いほど先の見えない苦しみや不安にかられてしまう。

そしてケアが思うようにいかないと自分を責め落ち込む。なかにはふと心中さえ考えてしまうかもしれません。

かつて私もそんな思いでおりました。母がやや早い発症でしたので、その時私は20代半ばでした。

看病が大変になってくると仕事をやめ、介護生活に入りましたが、世間から取り残されていくような不安や孤独にしばしば押しつぶされそうになり、そのたびに病身の母にあたりちらしては、母に泣いて謝る生活の繰り返しでした。そんな自分がいつか母を死に追いやるのではないか・・

そういう恐怖感から自殺未遂まで起こしてしまったのです。

しかし人生とはわからないもので、それが大きな転機となりました。

介護から離され、しばらく心と体のケアをするため療養生活を送ることになり、新しい暮らしの中でツレ(だんなさま)と出会い結婚しました。そして母は私の結婚を見届け想定外の一陣の風のごとく旅立ちました。

よく神様は本人が背負えない荷物は背負わせないといわれますが、振り返ると本当にその通りだと思います。

そして母と過ごした密度の濃い体験は、本当にかけがえのないものになりました。

どうか後悔のないように介護や看病をなさってください。

疲れたら遠慮なく介護サービスなどをつかってできるだけ休みましょう。

そしてまたぼちぼち歩き始めたらいいのです。

介護や看病は負の側面ととらえがちですが、病ということを通じての双方の「いのちの授業」はなにものにもかえられない、「経験」という名のギフトだと思います。

その「ギフト」はまた、大変なご家庭とシェアすることもできます。
そのシェアの連鎖で、これから少しでも皆が安心して暮らせる社会につなげることが
できればもっといいとおもいます。

パーキンソン病については以上です。いかがだったでしょうか。

どこかでお役に立てば幸いです。
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*
「これら一連のパーキンソン病記事はツレ(だんなさま)のブログの中で書いた記事を修正、加筆したものです」


パーキンソン病についてその三~薬の副作用について

2013-04-06 13:35:08 | 救急箱
本日はパーキンソン病の薬の副作用についてお話したいと思います。

普通に医学書に書かれていることは、長年服用すると、副作用として妄想や幻覚がでることがある。

こう記述されております。それから不眠が出やすくなることも特徴的にみられるようです。

不眠はわかると思うので割愛します。

幻覚とは、ありもしないことがあるかのように見えること

妄想とは、ありもしない事実を本当にあったことのように自覚してしまうこと。


ちょっとわかりにくいでしょうか・・。妄想はわかりづらいと思われるので母の場合を例に出したいと思います。

ある日病院から電話がありまして、母からだったのですが、「皇后さまと雅子さまと紀子さまを殺してしまったみたいなのよ」

こう話されまして正直内容に返す言葉が出ませんでした。

とりあえず「TVに普通に出ていらっしゃるから、夢でも見たんじゃない?生きておられるよ」

こう返したのですが、妄想は本人が真実と固く思っているので、それを覆すことは性格にもよりますがとても困難になってきます。

母の場合、ストレスから妄想がはじまり、その後家にもどってからは普通の状態に戻りましたのでストレスフリーの状態だと出ないんだ、と安心しておりました。

しかし、ある日「どうして警察署にあんたたちを迎えに行ったのにお礼の一言もなかったの?あんたたちは(兄弟)北朝鮮につかまっていたんだよ」

こう申しましたので、それは妄想だ、と言っても本人は事実だと言い張っていて
やはり薬の副作用は確かに続いていて軽度化しただけなんだ・・・と実感しました。

妄想はそういうはっきりした真実とは思えない話もあれば、日常的にあり得る話もあります。

例えば、母の姪がお見舞いに来たという話になり、母の姉は実はヒステリーで亡くなったのだ
というので、びっくりしてさりげなく先方に裏を取ったところ、お見舞いは事実でしたが亡くなった病名は全く違うものでした。

妄想を患った母のことを振り返って思うのは、過去に大変な思いをしたこと、本当はとても怖がりで懐疑的なところがあること、(本人の性格的な特徴)

そのようなことが裏にあり、からみあって、妄想の症状としてあらわれているということです。


もっとわかりやすくいえば、過去にお金で人知れずやりくりに苦労していたとします。

すると、医者にお金をだましとられているので転院させてほしい、通帳も盗まれている・・
こういう妄想が、過去にしまいこんでいたストレス・・

このよう仕舞い込んでいた思いが妄想として転化しておこることが特徴的にみられるということ・・。

そのことに気づいてからは、いたずらに母の発言に気持ちが折れそうになることが減りました。

それから、健康だったときの母には考えられないことでしたが、自分の許せる薬以外は飲まない。

こういうこともありました。病院側としては強制的に飲ませることはできないというので身内が説得してもいっこうに拒否する。

これも、一種薬に関して怖がりの性格がが引き起こした
ある種の妄想がつくりだしたことだったといえるかもしれません。


もうひとつ知っておくほうがよいと思うのでちょっと追記します。

薬の副作用かはわかりませんが食事などの、好みの偏りも症状の一つとしてあるように思います。

妄想より一番苦労したのは食事です。病院の出す食事は拒否し、お菓子ばかり食べるのです。
体重はどんどん減ります。しかしおなかはすいてるだろうに絶対食べないのです。

それで命をつなぎとめるために点滴におちいることがしばしばありました。

あれほど昔、食の細かった私を叱責し、薬と思って食べなさい、と言っていた母がです。

病院から退院を許可されたとき、家に引き取ろうと決めたのですが、この拒食といえることが続いていたからでした。

事実引き取ってから体重は十キロ以上太りましたし、妄想も軽くなり日常生活のコミニケーションは普通にできる状態まで回復したのです。

幻覚も妄想とセットでしたので、あまり母の場合は症状的には出にくかったように思います。

以上、これらが私が体験した母のパーキンソン病の副作用です。
もちろんそうならない方もたくさんおられますし、症状が出る前に他界される高齢の方もたくさんいらっしゃいます。

ただ、脳の病気ですので私が体験したこれらの症状だけではなく、医学書の症状だけではなく、「想定外の症状」もでることもあることを心にとめていただければと思います。

最終週は、エピローグとして「看取り」についてお話したいと思います。

パーキンソン病について その二 注意すべき点

2013-04-06 13:31:58 | 救急箱
パーキンソン病の症状について前回はお伝えしました。

意外に思われるかもしれませんが、パーキンソン病はしばしばうつ病と間違われることも多々あります。それから現在は典型的な症状はなかなかみられなくとも自律神経のほうがやられてパーキンソン病にいたる例も報告されています。

母が発症したときは決め手になる症状がみられませんでした。

そのため多くの病院をまわりました。(現在診断するのに足りる症例はたくさん増えていると思います)

注意していただきたいのは、薬を服薬されていた場合、誤診だったからといって、すぐに薬をやめないことです。母の場合、ある病院であらゆるパーキンソン病の薬が効かないからということで突然投薬が打ち切られました。

実際はパーキンソン病だったため、突然の打ち切りのため症状が激化する「激症パーキンソン」になってしまいました。

体がこちこちになり腰も曲がらず、頭も首がささえきれず、やむなく神経内科がある病院に緊急入院ということになってしまったのです。

その日は雨の日でなんとかタクシーの運転手さんに手伝ってもらい、受け入れてくれる病院をさがして三つ病院をはしごしました。
なんとか入院させて、誰もいない家にくたくたになって帰宅したとき、悔しくて悲しくて大泣きしたのを今でも鮮明に覚えています。

それから、医者の間では常識ですが意外と知られていないのは「せんそく」という足首から内側に足が曲がってしまう症状です。

パーキンソン病ではかなりのケースでみられるので、それを防ぐために、リハビリも不可欠です。
母は不幸にも、リハビリをしていてもその症状が出たため、闘病生活の半分は、半寝たきり状態になってしまいました。

知っていただきたいのは、パーキンソンとは一概にいえない症状もパーキンソン病である場合もたくさんあること

一度でもパーキンソンの薬を服薬した場合、違っていてもすぐに薬を絶つのではなく、徐々に減らし、他の薬に変えていく必要があること。
この二点です。

次回はパーキンソン病の薬の副作用についてお話ししたいと思います

パーキンソン病について

2013-04-06 13:22:37 | 救急箱
私は十六年間パーキンソン病の母を介護しました。

最後は胃がんで亡くなったのですが、今日にかけて、パーキンソン病が急増しているといわれています。

今回からしばらくパーキンソン病についてお話をしていこうと思います。

まずはじめに、パーキンソン病の典型的な例を申し上げますと

手足がふるえる、小走りになる、筋肉が固くなる、すくみ足(足を前に出そうとしても前に出せない症状)

表情がとぼしくなる 声が極端に小さくなる

こういった症状です。

母の場合は、足の親指だけが震えるので不審に思い、大きな病院で(神経内科)診察を受けたところパーキンソン病と診断されました。

パーキンソン病は、脳内ホルモンのひとつ、ドーパミン、という物質が少なくなることによっておこります。

そのためドーパミンを薬によって補う処方がまずなされます。

ただその薬は大変高額です。

脳の薬は薬の中で一番高いのと、進行性の難病であることから

パーキンソン病は「特定疾患」に指定されており、申請し、認定されれば、

薬代だけではなく、さまざまな補助が受けられるので、診断されたら必ず主治医に相談されることをお勧めします。

パーキンソン病は、難病の中でも長く研究をされていきた病気なので、よい薬もたくさん出てきていますし、また脳の外科的手術で大きく症状が軽減される症例も多いです。

また進行も大変遅く、パーキンソン病単独で亡くなることはあまりありません。

また、パーキンソン病は高齢者に多く、進行があまりすすまないまま他の病気を併発され
そのまま大往生を遂げた方も多くみられます。

そのため、多くの医療のパンフレットには

「適切な薬とリハビリによっては日常生活を普通におくれる病気」

こう、記述されています。

私も話を聞いて、当初はすこし安心しました。

ただ、以上、これまでお話したことはあくまでも典型的な症例のお話です。

母の場合はこれから大きくはずれることになりました。

実際、パーキンソンと判別がつかない症例もたくさんあることをのちに知ることになったのです

次につづきます。

子宮けいがんの検診のすすめ

2013-04-03 16:51:00 | 救急箱
女性のみなさんなら、一度は目にした事があるはずの検診。
けいがんの検診率は日本の女性はとても低いと聞きます。

結婚を機に、亡き母から婦人科の病気になりやすいかもしれないと言われていたので、気軽な気持ちで子宮がん検診を受けました。

内診は綺麗だどいうことで、問題はないですといわれ、すっかり安心して帰宅したのですが、ひっかかってしまいました。

いつも通っていた産婦人科は今は無く、現在住んでいる街のクリニックで再検査をしたところ、

とりあえず検査の結果を説明され「軽い炎症ですね。また来てください」
こう言われました。

先生は処置もしなかったし、いついけばいいのかも言われなかったし、自然に治ることも多いと聞いていたので結局一年間検査には行きませんでした。

そして一年後の検査。

「結果は電話で聞いてください」そう言われて帰宅。

一週間後電話すると看護師から「Ⅲaです。三ヶ月後にまた来てください」

「精密検査しなくてもいいんですか?三カ月も様子を見ても大丈夫なんですか?」

私の問いに看護師は「軽度のがんですのですぐ進行もしませんので」

「軽度のがんて・・・」


なんと、電話での「告知」それも「医師ではなく看護師からの説明」
さすがにショックを通り越してその対応に唖然としてしまいました。

それからけいがんについて、調べまくり、評判の良い産婦人科を受診しました。

そこの先生は「軽度のがんではないですよ。異形成です。今手術の必要はありません。
三カ月ごとに検査をして経過をみていきましょう」

すぱっと、こう言われました。

検査の結果もちゃんと先生が電話にでてくれますので安心できました。
(つうか、それが当たり前ですよね)

結局は自然に治癒したのですが、現在は半年に一度は検診に通っています。

やはりひっかかった過去があるからです。

けいがんは、普通の血液検査では分からず気付いたら手遅れ・・というケースも多いそうです。私はがんの家系ではないから、リスクはないと安心しきっていました。

それが間違いでした。

がんは、死亡率のトップ。今はだれにでもその可能性があること、検診でしか分からないこともあることもやはりあるのだと痛感しました。

けいがんはきちんと検診を受け、適切な処置をしていけば大丈夫な病気です。

結婚未婚かかわらず、Hの経験のある女性は、誰しも少なからず可能性はあります。

婦人科の敷居は高いと思いますが、早期発見だと、簡単な処置ですむので、
リスクも軽いです。

ぜひ、女性の皆さんには受けてほしいと思います。





pm2.5 、黄砂、花粉~福岡市でおこっていること

2013-03-11 20:50:58 | 救急箱
ご存じだと思います。

福岡市における大気汚染についてはリアルタイムで観測されるようになり、ネットやテレビでも注意喚起など放送されています。

話題になる前の一月末から二月あたまにかけて、突然のどが痛くなりました。風邪かと
思いましたが、今度は頭ががんがんする。けだるい、その後鼻炎・・・。
体感として風邪かと思ったのですが、全部の症状が入り乱れて現れるので
「アレルギー」を疑いました。
何年か前「花粉症ではないですが、アレルギー性の鼻炎があります」
こう言われたからです。

異物をだそうだそう、としているのかな?そしたら医者に行っても無理だな。
症状を抑え込む治療は意味ないものな・・。

そう思いまして、ただただ静養。結果二週間ダウンしておりました。まさに「激症アレルギー」・・。

そんなときに知ったのが、pm2.5 関連ででる症状です。
全部あてはまるではありませんか。

丁度マスクなどの対策をしていない気付かなかった頃に、福岡市では環境基準値を何日かこえていたからです。

ツレもダウンしてしまい、それから早急に空気清浄機とマスクを買いました。

マスクも防塵マスクといって、pm2.5が入らないマスクです。「N95」の表示のある
マスクがよいとされています。そして医療用のマスク(汚染がひどくない時用のサージカルマスク)も買いました。

「N95」も値段が高いものが多いですが、調べていくと
まだそのころ(二月初旬)需要が高くないようでお安いところもあることをしりました。そこで二十枚で690円くらいの商品で数セット購入。

私たち夫婦は過去にも同じような症状をおこしたことがあるので鉄板の対策をとり
ましたが、街には普通にマスクなしの人たちも沢山います。

すべての物質が化学変化をおこして、症状が激化する恐れもあるので、今年花粉症やアレルギーにならなくても許容量が今年でMAXになる方もおられるかもしれません。
そして来年なってしまう方もたぶんいるだろうと思います。マスクは最低限必要かと。

特に福岡市は海のそばなのでダイレクトに越境汚染にさらされている日がこれから
多くなります。

外出して帰宅したら、手と顔を洗い、うがい、目は目薬で洗い流す。
最低これだけはやっておいたほうがいいです。

また、目ですが、コンタクトでなく、メガネのほうがいいかもしれません。

またマスクの付け方によっては「無し」の時と同じことになるのでご注意ください。

マスクを自分の顔に合わせて微調整するといいかと思います。

                 




       こんな感じです(全体)



                 



       自分の鼻にあわせて、マスクの細いワイヤーの部分を折り曲げます
       耳の部分も下の感じで調整するとよいです。