月曜日の夜、私は多くなってゆく咳と鼻水に寝苦しさと同時に音戸の舟唄の競技仲間への申し訳なさと責任感とに押し潰されそうになっていた じろうさんとも もしかしたら これで今生の別れになるのかもしれない いや こばさんとも この1日が最後の日になるのかもしれないと思えば思うほど自分が情けなくて仕方なかったのである このままの状態が大会日まで続けば、私は大会を辞退させていただき、私の代わりに田村さんにお願いさせていただくしか道はないと踏んでいた 私の風邪はどこまで尾を引くのか誰にもわからないことだし、自分さえも全く予想もつかなかった。 ただただ雨の日は傘を挿し走り寒風の日も寒さと風の強い圧力に抵抗しながら頑張って走ってきた自分に対して、よくここまで頑張ってきたんだから、一生懸命にやった自分に後悔はないのだと言い聞かせていたのだった。
そして今日は、水曜日・・ 昨夜は1日中、風邪を少しでも治そうと、ほとんど布団を被り眠りについていたため 眠れなかった 私は毎年訪れる大会前夜を思い出す 毎年、なぜだか音戸の舟唄全国大会の時だけ眠れないのである。 隠岐しげさ節全国大会では ぐっすり なのに~ なぜ音戸の大会時だけ、こうなってしまうのだろうか その答えはどうやら第6回大会でのドッキリにあるようだ。
それまで決勝10人に残れたことなどなかった、この私が なななんと 初めての決勝に残っただけではなく 優秀賞(2位)にまで輝いてしまったのであった 私は名前を呼ばれて涙が止らず、泣きながら表彰を受けた。 第3回大会では、大会側が計測ミスを行い 私は途中、無念のタイムオーバー 途中強制退場となった(撮影したビデオを事務局に持参してタイムオーバーでないことを証明し間違いであったことを認めた。 だが一切の謝罪はなく、その事実は審査委員にも伝えられず、残念なことに私はよく年の大会でも、タイムオーバーした競技者として記録に残ったままとなった。 大会側は私の唄の開始からストップウォッチを計ったのではなく、尺八の前奏時から測っていたことが判明した。 私としては、この大会側の失敗は残念であったし、またミスを認めたならば、謝罪を行い、そのことをちゃんと訂正するべきだと考える)
だが、歴史の一人になったことは、それも一つの思い出となったので良しとしたい。 人間が行うことに完璧は有り得ないのだから。 そして本日、たまたま大会の出場メンバーを観ることが出来た それが驚いた 驚いたっていうもんじゃない 私が今まで、広島には最強と思われる すご腕民謡人が3名いると考えていたのだが(その内、お一人は赤田先生です) 赤田先生は近年、音戸に参加されなくなりましたが、あとのお二人は音戸に一度すら参加されたことはなかった。 私は心の中で、そのお二人がいつの時代になったら参加されるのだろうか いや、もしかしたら竹唄(尺八伴奏での唄のこと)の競技はお気に召さないのかもなどと勝手に空想を膨らませていたのだった。 だが、それも運命だったのであろうか 今年のメンバーを眺めているとーーー
お二人共出場されるではないか
そのことによって2年間、広島県(地元)の優勝者が現れなかった記録に歯止めを掛けてくださる可能性が大きく加わることとなった 病み明けの私には毛頭、そんな力などあるわけないのだが、嬉しいのは、その広島県を代表する方々の音戸の舟唄を生にて観覧できるということは、これは私の民謡人生にとりまして最高の栄誉であると断言致します つまり夢の競演なのでございます
「ああ、私はこの日まで生きてこられて本当に良かった」 更には神奈川県から、熊本県から、島根県から、兵庫県からも刺客が来呉される。 はっきりと申しまして、この時点で ゆうさん予選落ちが確定致しました あとは、ゆっくりと観覧席にて、優れた民謡人さん達の熱戦を観戦させていただきますよって あっ 私が合いの手に入る仲間が残るから、もしかしたら1度くらいなら、その舞台上に立てるかも
しかも、今年は出場人数が多くて一般の部 136名 こんなことをここに書いたら怒られちゃうかもしれないのですが、ざっと観たすごすぎるメンバーさん達のことを想像致しますと、間違いなく過去最高の高いレベルでの予選になるでしょう。 このメンバーの中から、たったの10人に残る人は 本当にすごい民謡人だと私は認めます どんなにか、観覧者(音戸ファンの方々)さん達は、喜びと感動の渦に引き込まれ絶賛の拍手の連続となることでございましょう
最後に私は、私は嬉しくて涙が出そうなんです。 せっかく大会に出るならば、レベルが高ければ高いほど私は嬉しい だって、レベルが上がれば上がるほど、優勝者が民謡フェスティバルに音戸の舟唄を歌ってくださって、より音戸の舟唄が有名になってゆき、更なる人気を呼んでくださるでしょ それに、そのような方々を同じ床に立って生で観れるだけでも、どれだけ幸せなことだか・・ そう、隠岐に初めて渡った時、サト先生や夢先生に初めて会った、あの感動 そんな素晴らしい時がもうすぐ訪れようとしているのです ああ、本当にここまで生きてこれて良かった 民謡ファンの皆様のお陰です ほんまにおおきに
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そして今日は、水曜日・・ 昨夜は1日中、風邪を少しでも治そうと、ほとんど布団を被り眠りについていたため 眠れなかった 私は毎年訪れる大会前夜を思い出す 毎年、なぜだか音戸の舟唄全国大会の時だけ眠れないのである。 隠岐しげさ節全国大会では ぐっすり なのに~ なぜ音戸の大会時だけ、こうなってしまうのだろうか その答えはどうやら第6回大会でのドッキリにあるようだ。
それまで決勝10人に残れたことなどなかった、この私が なななんと 初めての決勝に残っただけではなく 優秀賞(2位)にまで輝いてしまったのであった 私は名前を呼ばれて涙が止らず、泣きながら表彰を受けた。 第3回大会では、大会側が計測ミスを行い 私は途中、無念のタイムオーバー 途中強制退場となった(撮影したビデオを事務局に持参してタイムオーバーでないことを証明し間違いであったことを認めた。 だが一切の謝罪はなく、その事実は審査委員にも伝えられず、残念なことに私はよく年の大会でも、タイムオーバーした競技者として記録に残ったままとなった。 大会側は私の唄の開始からストップウォッチを計ったのではなく、尺八の前奏時から測っていたことが判明した。 私としては、この大会側の失敗は残念であったし、またミスを認めたならば、謝罪を行い、そのことをちゃんと訂正するべきだと考える)
だが、歴史の一人になったことは、それも一つの思い出となったので良しとしたい。 人間が行うことに完璧は有り得ないのだから。 そして本日、たまたま大会の出場メンバーを観ることが出来た それが驚いた 驚いたっていうもんじゃない 私が今まで、広島には最強と思われる すご腕民謡人が3名いると考えていたのだが(その内、お一人は赤田先生です) 赤田先生は近年、音戸に参加されなくなりましたが、あとのお二人は音戸に一度すら参加されたことはなかった。 私は心の中で、そのお二人がいつの時代になったら参加されるのだろうか いや、もしかしたら竹唄(尺八伴奏での唄のこと)の競技はお気に召さないのかもなどと勝手に空想を膨らませていたのだった。 だが、それも運命だったのであろうか 今年のメンバーを眺めているとーーー
お二人共出場されるではないか
そのことによって2年間、広島県(地元)の優勝者が現れなかった記録に歯止めを掛けてくださる可能性が大きく加わることとなった 病み明けの私には毛頭、そんな力などあるわけないのだが、嬉しいのは、その広島県を代表する方々の音戸の舟唄を生にて観覧できるということは、これは私の民謡人生にとりまして最高の栄誉であると断言致します つまり夢の競演なのでございます
「ああ、私はこの日まで生きてこられて本当に良かった」 更には神奈川県から、熊本県から、島根県から、兵庫県からも刺客が来呉される。 はっきりと申しまして、この時点で ゆうさん予選落ちが確定致しました あとは、ゆっくりと観覧席にて、優れた民謡人さん達の熱戦を観戦させていただきますよって あっ 私が合いの手に入る仲間が残るから、もしかしたら1度くらいなら、その舞台上に立てるかも
しかも、今年は出場人数が多くて一般の部 136名 こんなことをここに書いたら怒られちゃうかもしれないのですが、ざっと観たすごすぎるメンバーさん達のことを想像致しますと、間違いなく過去最高の高いレベルでの予選になるでしょう。 このメンバーの中から、たったの10人に残る人は 本当にすごい民謡人だと私は認めます どんなにか、観覧者(音戸ファンの方々)さん達は、喜びと感動の渦に引き込まれ絶賛の拍手の連続となることでございましょう
最後に私は、私は嬉しくて涙が出そうなんです。 せっかく大会に出るならば、レベルが高ければ高いほど私は嬉しい だって、レベルが上がれば上がるほど、優勝者が民謡フェスティバルに音戸の舟唄を歌ってくださって、より音戸の舟唄が有名になってゆき、更なる人気を呼んでくださるでしょ それに、そのような方々を同じ床に立って生で観れるだけでも、どれだけ幸せなことだか・・ そう、隠岐に初めて渡った時、サト先生や夢先生に初めて会った、あの感動 そんな素晴らしい時がもうすぐ訪れようとしているのです ああ、本当にここまで生きてこれて良かった 民謡ファンの皆様のお陰です ほんまにおおきに
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