竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

宿命下の抒情

2010-11-10 07:32:44 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(3)
宿命下の抒情         

百首歌たてまつりし時、秋の歌  式子内親王
桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり かならず人を 待つとなけれど
 桐の落葉も踏み分けにくいほどに積もりました。といって、わたしはかならずしも訪れてくる人を待っているわけではないのですが。

 式子内親王は、後白河天皇の第三皇女で、1159年、斎院となり、11年間ほど加茂神社に奉仕し、退下後も独身のまま生涯を終えた。兄宮・以人王は、源三位頼政とともに平家討伐のために挙兵し、無残な最期を遂げた。
 この歌は、「わが宿は 道もなきまで 荒れにけり つれなき人を 待つとせしまに」(古今集)を本歌にしている。しかし「新古今集特有の修辞法を用いて、心の奥底では恋人の訪れを待っていることを暗示的に表現している」とする通説に、私は従いたくはない。
 式子内親王の生きた時代は、変転きわまりない世の中だった。藤原氏に代わって武家の平氏が台頭し、帝位は次から次へとたらい回しにされ、一介の女房が中宮になり、女院となる。もとより作者のような「内親王」は、自分より身分の低いところへ嫁ぐことはできない。内面にゆるぎない自負と鋭い感性を秘めていながら、何もかも耐えて生きていくほかなかった。
 この歌は、作者が不治の病中にある時の作である。数か月後に死が迫っている作者の目に庭一面の桐の落葉がどう映ったか。「新古今集の歌人たちは、いずれも虚構的態度の上に立って、虚構性の歌を作っている。ところが、この作者は、真実のいのちの悲しみの上に立って、歌の虚構性を借り着しているのである。」(石田吉貞)

思えば、これまでどれほど多くの日本人たちが、過ぎゆく秋の寂しさを歌にしてきたことか。そしてその大半は、感傷的、類型的なものである。凋落の秋の哀韻を真に聞き知ることができるのは、宿命に従って生き、孤独のなかで死を迎えようとする人である。「かならず人を待つとなけれど」と、ことさら自嘲的に詠まれた内親王の乾いた心境を思うと、いたわしいかぎりだ。