竹崎の万葉集耕読

日本人のこころの拠り所である「万葉集」を味わい、閉塞感の漂う現代日本人のこころを耕したい。

桜花によせる愛着

2011-01-19 08:16:49 | 日記
日本人のこころの歌―私家版・新古今集耕読(13)
桜花によせる愛着(西行五)

  花の歌とてよみ侍りける    西行法師
吉野山 こぞのしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねむ
 去年つけておいたしおりの道を変えて、この吉野山のまだ見ていない方角の花を尋ねよう。

 西行の出家遁世の直接の原因については、身分違いの恋ゆえか、親しい友人の急死のせいか、定かではないが、彼は恋人や友人を想う気持ちと同じように自然を愛した。殊に花(桜)に対しては、異常と言っていいほどの愛着を持っていた。
 この歌は、実際に吉野山で詠んだ歌とは限らないが、「一目千本」と言われる吉野桜を「去年、目印しをつけておいた道を変えて今年は尋ねてみよう。」という執着は、実感であろう。
 「彼(西行)は、自然を友として愛すれば愛するほど、さびしくなった。そして淋しき心と調和する自然を友として交はらんとした。(しかし)寂しさの奥には尚深刻な寂しさがあるのみで、愛の真の歓びは見出されなかった。かくて彼はまばゆき光明にも、力強い信仰にも接することなく、未来に対する淡い希望と自然の寂しい慰藉とのうちに生を終へたのである。」(土居光知)
 「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」西行が七十三歳で亡くなったのは、1190年2月16日、桜の咲く頃であった。西行は、この歌の願いどおり、出家遁世の長い思い悩みの果てに、安らかな死を迎えたとされているが、果たして真実かどうか。「新古今集」の中に、最多の九十四首も採録され、当代の歌人達だれもが憧れるような人生を歩んだ人物として、敬愛されていたこの歌僧を私たちはどう理解したらいいか。数多くの評伝を読んでも、謎は深まるばかりである。