はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

生まれ出(いず)る心に 6

2018年07月16日 09時36分11秒 | 生まれ出る心に

ああ、こいつが蕭花の夫になるはずだった男か、と偉度は見当をつけた。
突然に、花嫁に自殺された男なのだ。その死の原因を知りたくなるのは当然であろう。割って入ればややこしいことになりそうだし、しばらく様子を見ようと、偉度は物陰に隠れることにした。

「養父上、なぜ隠されるのですか。蕭花に、禍事が降りかかった、それを恥じて、あれは死を選んだという、その話は本当なのでございますか?」
「奉や、なぜお前それを知っているのだ!」
奉、と呼ばれた男は、ああ、と悲しそうな声をあげて、その場に膝から崩れ落ち、地面を拳で打った。
その様を見て、薛はやはり、天を仰いで、胸をつよく叩く。
「奉、誰に聞いたのだ? あの男か。あいつが、もしや蕭花のことを言いふらしているのか? この世には天もないのか! 娘に死を選ばせるほどの恥を与えておきながら、さらに死者を踏みつける真似をする! 黄家が何者ぞ!」
「黄家? 養父上、なにゆえ黄家なのでございますか? 狼藉者を、ご存知なのですか? それなのに、なぜ訴えようとなさらないのです!」
立ち上がり、詰め寄る奉の言葉に、薛は愕然とした顔をする。
「ちがうのか。おまえ、だれから、蕭花の話を?」
「賄い女でございます。叱らないでやってください、わたしがあまりに落胆しているので、実はと教えてくれたものでございます」
それを聞いて、偉度は、あのおしゃべり女め、とちいさく悪態をついた。
「養父上、黄家の男なのでございますね? 脅されているのですか? そうなのですね?」
「あやつは狼藉を働いたあと、蕭花の身につけていた簪を奪い、もしもお上に訴えようものならば、おまえの恥をあますところなく世間に知らせてやろう、どちらにしろ、我は漢嘉太守の息子なり、おまえたちには手出しはできぬ。しかし、これは万が一のための口止めだといって、去って行ったのだ」
「卑劣な…! 養父上、それで沈黙をしているというのですか! それではあまりに蕭花が哀れにすぎまするぞ!」
「では、訴えてなんとする! 蕭花は、死をもってすべてに口を閉ざしたのだぞ。それを、我らが暴いてよいのか? わたしも怒りがおさまらぬ、悲しみも癒えぬ、言葉では、尽くせぬほどなのだぞ。だが、相手が悪すぎよう」
「泣き寝入りをなさると? そんな、意気地のない! わたしには我慢ができませぬ!」
「どこへ行く!」
「お上に訴えに行くのでございます! 黄家が出てくるならば、出てくるがよいのです!」
「待て、ならぬ!」

出番だな、と偉度は物陰からさっと姿を現すと、意気込み走り去ろうとする奉の、着物の襟元をぐっと掴んで足を止めさせた。
「待て。お上に訴えること、いまは、まかりならぬぞ」
なんとなく、どこかの誰かに口調が似てきたな、と自分で思いつつ、偉度は、自分を止める者を驚いて振り返る奉に、厳しく言った。
「養父の言に従え。お上に訴えれば、蕭花殿だけではない。同じ被害に遭って、それでも訴えることもできずに、口をつぐんでいる者たちすべてが傷つくことになるのだぞ」
「胡偉度さま!」
薛がおどろいて声をあげると、その名だけは知っていたようで、奉はぎょっとして、もがくのをやめたが、それでも敢然と睨みつけてくる。
同年か、すこし年上、といったところであろうか。
背丈がほぼ同じなので、にらみ合うと、真正面に目がある形となる。
「では、狼藉者を、このまま野放しにされるというのか!」
「そうは言うておらぬ」
「われらの悲しみはどうなる! 蕭花を奪われた悲しみは? ただ指をくわえて、事態がなんとなく収まるのを、ただ見ていろとおっしゃるのか?」
だんだん、偉度は腹が立ってきた。
格好は地味ではあるが、薛と同じくらい裕福で、幸福な家庭に暮らし、天然の要害の成都のなかにあり、さしたる戦乱の恐怖を味わったこともなく、いままで安穏と過ごしてきた男なのだろうな、と思う。
その環境に、嫉妬したのではない。
この男が、憤りを晴らすために、お上、お上と、ひたすら人を頼っている、その態度が、情けなく見えたのである。
ただし、この男自身に意気地がないわけではない。
意気地がなければ、名家であり豪族の、黄家に繋がるものを、訴えようなどとは思わないだろう。偉度とでは、歩んできた人生があまりにちがいすぎる、ということなのだ。
「わたしがおまえならば、お上に訴えなぞしない」
「では、どうなされる?」
挑戦されれば応えずにはいられない、偉度の悪癖が、ここで出てしまった。
敢然と睨みつけられた偉度は、その視線をまっすぐ受け止め、つんと顎をそらし、まるで挑発するかのような表情で、答えた。
「恨みは、己の手で晴らすさ」
もしも、孔明なり、趙雲なりがいれば、偉度は派手に拳骨を喰らっていたにちがいない。
奉は、それを聞くや、やはり偉度を睨みつけたまま、黙って背を向けて走り去って行った。
しまったな、と思ったが、とりあえず、お上に駆け込むことはなかろうと判断し、ひとり、力なく残された、薛のところへと向かう。
「偉度さま、お応え下さいまし。娘のことを、もしや左将軍府のみなさまは、じつはご存知なのでは?」
「安心するがいい、このことを知るのは、左将軍府では、わたし一人だ。上の者も、黄家の者が『名前ばかりの盗賊』であるなどとは、掴んでおらぬ」
一番上が掴んでいるが、あれは例外である。
「黄家に、お咎めは行きましょうや? その際には、娘や…ほかの同じ目に遭った娘たちはどうなりましょう?」
「すまぬが、いまは、わからぬ、としか言えぬ。奉という男に、わたしもずいぶんきついことを言ってしまった。すまぬが貴方から、偉度が謝っていたと伝えてくれぬか」
「奉は、蕭花の幼なじみでございまして」
と、薛は、ふと昔をなつかしむような、優しい、しかし遠い目をして言う。
「早くに親を亡くし、わたくしどもで面倒を見ておりました。あの二人は、兄妹のようにいつも一緒で、いつしか自然に、夫婦になる約束もできていたのです。奉は、じきにわが婿養子となるはずでございました」
「そうであったか」

自分とは遠い、幸福な光のあるところに住んでいた者たち。
だからこそ興味をおぼえたし、惹かれもした。
妾腹だったから、かわいそうだった? 
冗談ではない。その程度の寂しさが原因で、人々を踏みにじる権利が、いったいおまえのどこにある。
偉度は、胸につかえていた痛みが、転じて怒りと義務に変わっていくのを覚えていた。
これを正義感とも呼んだかもしれないが、偉度は自分の心にうまれた義憤の心を、正義とは見たくなかった。
自分は、日陰に生きるものでいい。
その覚悟は、偉度の誇りでもある。
日陰に生きる覚悟をした者には、それなりの規則がある。
それは、光を侵食してはならぬという不文律だ。
それを破ったものには、相応の仕置きをせねばなるまい。

「薛どの、ひとつ申し上げたい」
なんでございましょう、と薛は顔をあげて偉度を見た。
その、わずかの間に、一気に老け込んだ顔を見て、偉度はやはり、とおのれの勘のよさに頷いた。
「死ぬおつもりであれば、あと三日。三日だけ、この世に留まられよ。三日過ぎてからは、自由にされるがよい。わたしも口をはさまぬ」
薛は、心の内をずばり言い当てられ、言葉をなくしてうろたえている。
そして偉度は、ある準備をするために、その場を静かに立ち去った。

つづく……


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