はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る 三章 その17 脱出と再会

2024年06月21日 09時50分42秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
「大丈夫か、あいつら」
思わず言うと、梁朋《りょうほう》が答えた。
「あの方は、壺中《こちゅう》のなかでも一、二を争う使い手です、大丈夫ですよ!」
「なんだって? 壺、中……?」
なんだそれは、と聞き返そうとしたところで、梁朋の脚が止まった。
行く手の木陰で、じっとこちらをうかがっている人物がいるのだ。
笠をかぶった背の高い男だった。
その男の衣は、昨日見た、梁朋と会話をしていた男と同じだ。


敵か、味方か?
戸惑う徐庶に対し、梁朋は表情を明るくした。
その者は、笠を軽くあげて、梁朋に叫ぶ。
「梁朋、逃げるぞ、こちらへ!」
その声を聞いて、徐庶はぎょっとしたが、考えている暇もなく、梁朋は徐庶を連れて、その笠の者のほうへ向かう。
笠の者は、梁朋に優しい口調で言った。
「よくやったな、逃げ道は作った。急ぐぞ」
「ありがとうございます! さあ、元直さま、おれが負《お》ぶります! 逃げましょう!」
どこへ、と聞くより早く、梁朋は徐庶に背中を見せる。
笠の者も、
「お早く!」
と急かすので、徐庶は梁朋の背中に身を預けた。


とたん、非力かと思っていた梁朋は、思わぬ胆力と脚力を見せて、その場から走り出した。
おどろいたことに、梁朋に並走して、笠の者も付いてくる。
背後では、呼子《よびこ》の甲高い音が聞こえた。
おそらく衛兵が劣勢をくつがえすべく、仲間を呼ぼうとしているのだろう。
だが、それはすぐに途切れてしまった。
黒装束の一団が、呼子を吹いた者を始末してしまったのか……


梁朋の背中で、がくがくと徐庶は揺れた。
揺れながら、ものすさまじい勢いで風景が流れていくのを見る。
梁朋と笠の者は、走りに走って、やがて要塞の果てまでやって来た。
背丈以上もある高い塀が、縦にも横にもそびえている。


行き止まりじゃないかと徐庶が思っていると、笠の者が素早く要塞の塀の一部を叩いた。
すると、外から合言葉を求める声が聞こえてくる。
笠の者がそれに応じると、おどろいたことに、塀の一部が動き、取り払われた。
ひゅっ、と外からの風が入り込む。
同時に、外にいた者が、小さな顔をのぞかせた。
「みなさま、よくご無事で!」
「うむ、船は用意してあるか? 隠れ家に急ぐぞ」
はい、と返事をしたちいさな声は、少女のもののように聞こえた。


笠の男の主導で、外に出た徐庶たちは、外で待機していた少女と合流した。
松明を持っていたその少女は、ほっかむりをして髪を隠し、男装をしている。
「船はこちらです、お早く!」
少女は松明《たいまつ》を持って、笠の者と梁朋、そして徐庶を気にしながら、烏林の葦の原を慣れた風に抜けていく。
それに合わせて、徐庶を負ぶった梁朋と、あれほど長距離を全速力で駆けたのに、ほとんど息を乱していない笠の者とで、岸辺に向かう。


岸辺に小舟が浮かんでいるのが、松明のあかりで見えた。
迷いのない動作で、少女と笠の者が乗り込み、さらに梁朋が慎重に徐庶を船に下ろす。
四人がしっかり船に乗り込むと、梁朋は自ら櫂をとって、船をこぎ出した。


「あんたらの仲間は大丈夫なのか」
黒装束の者たちはどうなるだろう。
徐庶がたずねると、梁朋が振り向きかけた。
だが、それより先に、笠の者が、笠を脱ぎつつ、答えた。
「おそらく問題はないでしょう。あの程度の敵に始末される子たちではありませんから」


やはり。
だが、なぜ?


徐庶は、笠を脱いだ人物の顔をおどろきをもって、唖然として見つめた。
ゆらゆらと揺れる船の先を照らす松明のあかりに浮かぶその顔は、まぎれもなく、孔明の妻である黄月英《こうげつえい》のものだった。
おどろきのあまり、立ち上がってしまいそうになったが、なんとかこらえて、おのれを保つために、ぐっと船べりを手でつかむ。
それから、あらためて、月英を見つめた。


孔明の妻女で、まちがいないか?
いや、まちがいはない。
何度も顔を合わせたことのある、孔明の妻女、月英。
襄陽《じょうよう》にまだ孔明がいたときなどは、街の酒店で飲み明かして徹夜をしたあと孔明を送っていくと、きまってこの女人が待っていた。
そして、どうしようもない人たちね、などと笑って出迎えてくれたものだ。
変わり者の孔明に似合いの、変わり者の妻と世間では言われていたが、二人の相性はぴったりだった。
さまざまな学問を習熟している賢明な妻女ということで、孔明はいつもいい妻をもらったと自慢をしていたほどだ。


その月英が、いま、申し訳なさそうな顔をして、こちらを見ている。
この、戦場の最前線から逃げんとしている船の中で。


「驚かせてしまいましたわね、申し訳ございませぬ」
こころからすまなさそうに言われて、徐庶は気勢をそがれた。
何と答えていいのかわからない。
黙っていると、男装の月英は、さらに言った。
「詳しい話は、隠れ家についてからいたしましょう。それより、怪我の程度は?」
「あ、ああ、大丈夫だ、ちょっと蹴られたくらいだし、きっと痣になってるくらいだろう」
「ひどい目に遭いましたね。あなたを拷問にまでかけようとするとは、徳珪《とくけい》(蔡瑁)どのも、いよいよ畜生以下の人間に成り果てたようす。
まったく、見下げはてたやつらです」


その蔡瑁は、この妻女の親戚だったはず?
それにしては、口調に、ありあまるほどの憎しみが感じられた。


「元直さま、もうすこし我慢しておくれね。じきに隠れ家だよ」
梁朋の声に振り向くと、前方の葦の原にぽつんとある、年季の入った小屋が見えてきた。
近在の村の漁師が使っているものだろうか。
やがて、小屋のそばにあるはしけに船は接岸した。


「まずはご安心ください、元直どの。いまは、曹操も徳珪どのたちも、周瑜の軍と戦うのに手いっぱいで、われらを追うことまで手が回らないでしょう」
月英に言われて、徐庶は、蔡瑁と張允の会話を思い出していた。
曹操が、江東の軍の力を測るために出撃するとか、なんとか。
いま、このときに、戦が起ころうとしているのだ。
小屋の入口から、長江の東を見やるが、そこには月の光に照らされている水面と、さわさわと揺れる葦の原があるだけである。
「目立つといけません、早くお入りになってください」
月英にうながされ、徐庶は小屋に入った。


つづく

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おととい、ウェブ拍手を押してくださった方も、かさねてありがとうございましたー!(^^)!

私事ですが、いろいろと状況がよくありません。
すぐにではないですが、近々、お休みさせていただくことになりそうです。
前回も書きましたが、くわしくわかりましたら、お知らせさせていただきます、どうぞご了承ください。

次回は月曜日の更新です、どうぞおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その16 驚きの中で

2024年06月19日 09時36分19秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
まさに万事休すかと思ったとき。


目の前に、ぱらぱらと埃《ほこり》と木くずの雨が降ってきた。
なんだろうと思う間もなく、ばきばき、めりめりっ、と派手な音がして、壊れた木材と一緒になって、人間が降って来た。
あっと声をあげることもできなかった。
降って来た人間は、剣を一閃させると、徐庶と大男の前に割って入ってきた。
そして、風のようにくるりと身をひるがえすと、迷うそぶりもなく、大男のどてっ腹に、手にしていた剣の切っ先を突き立てる。
大男は呆然と、おのれの腹に深々と突き刺さった剣を見つめた。
それから、がふっと血を吐いて、その場に崩れ落ちた。


「て、敵だっ、こっちにも敵がいるぞっ」
鍾獏《しょうばく》が慌てふためいて叫ぶが、応援がやってくる気配はない。
床に転がったままの徐庶は、唖然として、突如としてあらわれた助け手の背中を見上げた。
その頼りなさそうな、やせっぽちの背中。
その者は、顔を頭巾で隠していた。
振り向くと、その顔を覆っていた布をずらす。
そして、にっ、と人懐っこく笑った。
「元直さま、ご無事でなによりです!」
「おまえ……」
梁朋《りょうほう》だった。


皿洗いの少年・梁朋は、表情をふっと消すと、鍾獏のほうへ向き直る。
鍾獏は自分も大男と同じ運命をたどるのだと気づいたらしく、大男の落とした焼き鏝《ごて》を拾い上げると、めちゃくちゃに振り回しはじめた。
「来るなっ、あっちへ行け! わたしはただ、都督に命令されただけだっ」
梁朋は、無言で剣をかまえ、鍾獏にゆっくり近づいていく。
一気に襲われるよりも、よほど恐ろしい思いをしているらしく、鍾獏はひいひい言いながら、焼き鏝をいっそう大きく振りまわした。
と、逃げ回っているうちに、火桶に足が躓く。
「危ないっ」
徐庶が思わず叫ぶが、間に合わなかった。
火桶のなかにあった熱せられた炭や燃えカスが、地面にどっとぶちまけられる。
そして、その中に突っ込むようにして、鍾獏の身体が倒れ込む。
鍾獏は熱さにはじかれるように起き上がろうとしたが、それよりさきに、鍾獏の衣に火が燃え移った。


「う、うわあああああっ」
鍾獏は慌てて、動き回る。
しかし火の勢いは激しく、あっという間に鍾獏の全身を焦がしていった。
悲痛な叫びが拷問部屋に響く。
ものすさまじい焦げた臭いがあたりに漂い、さすがの徐庶も思い切りむせた。
吐き気もするし、視界は煙いし、ひどいものだ。
やがて、鍾獏は真っ黒こげになってその場に崩れ落ち、動かなくなった。


この凄惨な状況においても、梁朋はまったく動じることなかった。
かれは拷問部屋の壁にかけられていた器具のなかから手斧を取り出すと、素早く徐庶の手枷《てかせ》を打ち壊した。
「さあ、早く逃げましょう!」
言いつつ、傷ついた徐庶に肩を貸す。
徐庶は驚きの連続で、生返事しかできない。
これが、ほんとうに、あの痩せっぽっちの梁朋だろうか。
何度もまぶたをぱちくりさせて、目の前の少年を見るのだが、どう見ても、やはり梁朋なのだった。
「どうなっているのだ」
「詳しくは、あとでお話します。さあ、早く外へ! 曹操の応援が来ちまうとやっかいだ」
梁朋にうながされて、けんめいに足をうごかす。
そして拷問部屋の外に出て、徐庶はまた驚くことになった。


拷問部屋の外に配置されていたとおぼしき衛兵たちが、梁朋とおなじ黒装束の一団と激しく戦っていた。
衛兵のうちの目のいい者が、徐庶と梁朋が部屋から出てきたのを目ざとく見つけて、
「逃げるか!」
と大音声をあげて斬りかかって来た。
剣を両手で振り上げてくるその男にたいし、徐庶に肩を貸している梁朋はすぐには動けない。
その代わり、徐庶をかばって、覆いかぶさろうとする。
逃げられたと思ったのに、と徐庶が悔しく思っていると、梁朋を|袈裟懸《けさが》けに斬ろうとしている男の手が止まった。
縄鏢《じょうひょう》が絡みついたのだ。
縄鏢を投げつけたのは、やはり黒装束の一団のひとりで、かれは、
「おまえの相手はわたしだっ」
と言いながら、素早く衛兵に斬りかかっていく。
さすがに曹操軍の衛兵らしく、縄鏢に絡みつかれてもあわてず、力任せにそれを引いた。
衛兵は剣を持つ手を入れ替えて、斬りかかってくる相手をいなす。


それからは激しい剣戟のはじまりだった。
小柄な黒装束の人物は、大柄な衛兵に、一歩も退かない。
どころか、その華麗な剣さばきで、相手を翻弄し始めている。
仲間の衛兵がやってきて、劣勢をくつがえそうと二人がかりで斬りかかるが、それでもなお、黒装束の人物はひるまない。
剣だけではなく、足蹴りも有効に使って、相手を徐庶たちから退き離そうとしている。
さらには、黒装束の人物は、周りがよく見えているらしく、梁朋に叫んだ。
「このままこの場は、わたしたちに任せろっ! おまえは行くのだ!」
「で、でも」
「いいから行けっ」
叱咤されて、梁朋が徐庶に肩を貸したまま、動き出す。


徐庶は張允に強かに蹴られて痛むろっ骨を気にしつつ、けんめいに動いた。
振り返ると、黒装束の一団が、どんどん衛兵たちを圧倒しているのがわかった。
しかし、ここは要塞の真っただ中だ。
このまま騒ぎが大きくなれば、応援がつぎつぎとやってきてしまう。


つづく


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さて、ちょっと事情が変わってきまして、近々、すこしお休みをいただくことになるかもしれません。
楽しみにしてくださっている方、すみません!
ハッキリわかりましたら、またご連絡させていただきますね。

ではでは、また次回をおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その15 万事休す

2024年06月17日 09時57分41秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
蔡瑁は、拷問部屋に入ってくるなり、張允《ちょういん》に踏みつけられている徐庶を無感動な顔で見つめてきた。
「訴状は取り上げたのか」
「もちろんでございます。こんなものが丞相の手元に渡ったら……」
「わかっておる。さすがにわしもおまえも御終いじゃ。
しかし面倒な。出撃の前に、こやつに、おのが罪を認めさせねばならんとはな」
出撃、と聞いて、張允が徐庶を踏みつけていた足を止めた。
「出撃と申しますと?」
「聞いておらぬのか、のんきな奴め。おまえもすぐに支度をせよ。
丞相は夜明けとともに江東へ出撃することを決められたのだ」
「なんと。では、いよいよ決戦で?」


問われて、蔡瑁は訳知り顔になって、よく手入れのされたあごひげを手で弄んだ。
「そうではあるまい。じつはさきほど、陸口《りくこう》に派遣されていた使者が帰って来たのだ。
それが、周瑜のやつにかなり愚弄されて帰って来たようでな。
さすがの丞相も怒り心頭で、目にもの見せてくれると出撃を決められたのだ。だがな」
「だが?」
「お怒りなのは、おそらくそうわれらに見せているだけのもので、本心は、単に江東の軍の実力を測りたいというところではないのかな」
「なるほど。江東の水軍の実力がどれほどのものか、曹丞相はご存じありませぬからなあ。
さすがは徳珪《とくけい》(蔡瑁)どの、そこまで丞相のお心を理解されているとは」
と、張允はみごとな腰ぎんちゃくぶりを見せて、蔡瑁の明察を褒めあげた。
蔡瑁はまんざらでもない様子で、笑みを浮かべつつ、徐庶を見下ろす。
「われらはこの戦で、だれにも替えが効かない人間だと軍中に知らしめねばならぬ。
こやつに邪魔されるわけにはいかんのだ」


「おれを消したところで、流行り病が広がるのは、止められぬぞ」
徐庶がうめくように言うと、蔡瑁は厳しい顔で応じた。
「おまえを生かしたら、おまえは丞相にあることないことを吹き込むであろうが!」
「事実しか言わぬ。おまえたちが、あの建屋に病人を押し込めて、流行り病を隠蔽していることをな」
「黙れっ! 流行り病なんぞ、ないのだ!」
叫べば、言葉がそのまま真実になると信じているような勢いだった。


「呆れるぜ、あんたら、ろくな死に方しないぞ」
徐庶が憎まれ口をたたくと、それを黙らせるべく、張允がまた徐庶を痛烈に蹴飛ばしてきた。
その痛みに耐えかねて、徐庶がうめくと、蔡瑁は唇をゆがめて笑う。
そして、部屋の隅っこで成り行きを見つめていた医者の鍾獏に命じた。
「鍾獏《しょうばく》よ、こやつが『おのれの罪』を認めるまで、拷問にかけよ。
自白するならそれでよし、自白せぬようならば……わかっておるな?」
「心得ております」
鍾獏が慇懃《いんぎん》に礼を取ると、蔡瑁と張允はそれぞれ拷問部屋から出て行った。


ふたりの背中をじっと見つめていた鍾獏が、徐庶を振り返る。
その目は冷たく、徐庶のために面倒ごとを抱えたことを恨んでいるのは、あきらかであった。
鍾獏は、さきほどの卑屈なまでの低姿勢をあらため、大男に命じた。
「聞いていたな? こいつを適当に痛めつけろ」
「適当って、どういうふうですかね?」
やはり、あまり賢くない様子の大男が、きょとんとした様子で尋ねるのを、医者の鍾獏は苛立って答える。
「そこの火桶にある焼き鏝で、肌を焼いてみろ。たいがいはそれで吐く! 
すこしは知恵を働かせろ、馬鹿者めっ」
「おいおい、おれは牛や豚じゃないんだぜ」
徐庶がまぜっかえすと、鍾獏は鼻の上に皺を寄せて、憎々し気に言った。
「黙れ! 貴様のせいで叱られる羽目になったではないかっ! 
わたしとて、こんな役目はしたくないのだ」
「じゃあ、やらなけりゃいいだろう」
「やらねば、わたしに害がおよぶ。蔡都督に逆らって、この荊州でうまくやってこられた人間はおらぬ」
「あんたが最初のうまくやれた人間になりゃいいじゃないか」
「減らず口を。わしを心変わりさせようとしても無理だぞ。
ほれ、ぼおっとしておらんで、そこの焼き鏝《ごて》を持ってこい! そいつをこいつの腕に押し付けるのだ!」


大男は妙に素直に、焼き鏝をじっくり火桶であたためてから、その真っ赤に熱された鉄のかたまりを徐庶のからだに近づけてくる。
その熱さは、衣のうえからもはっきりわかるほどだった。
『くそっ、こんな目に遭うとはな!』
さすがに焼き鏝を押し付けられたことは、生涯で一度もない。
徐庶はぎゅっと目をつむり、やってくるだろう激しい痛みに耐えることにした。


しかし、さいわいというべきか。
その真っ赤に熱せられた焼き鏝は、徐庶の身体に押し当てられることはなかった。
拷問部屋の表で、騒ぎが起こったのである。
鍾獏と大男は、騒ぎにつられて、顔を外に向けた。
きん、がん、と金属のぶつかり合う音が聞こえてくる。
はっきりした声で、だれかが「敵襲だっ」と叫んでいるのが聞こえた。


「敵だと? なぜこんな要塞の内部に?」
鍾獏がおろおろしているのを見て、大男もまた、どうしたらよいかわからなくなったらしく、焼き鏝を持ったまま、つぶやいた。
「困ったな、それじゃあ、敵が来る前に、さっさと仕事を片付けちまわないと、また叱られちまう」
ありがたくないことに、鍾獏が外に気を取られているというのに、大男のほうは、粛々と拷問のつづきをしようとする。


徐庶は今度は目を開き、芋虫のように地面に這いずって、男の手から逃れようとした。
しかし、なかなか体が思うように動かない。
足だけを頼りに、けんめいに後ずさる。
大男は、
「逃げるなよ、面倒なやつめ」
と悪態をついて追いかけてくる。


つづく

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どうなる徐庶? 
次回は水曜日です、どうぞおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その14 囚われて

2024年06月14日 09時45分26秒 | 赤壁に龍は踊る 三章



「やはり、こやつは、例の建屋のひみつに気づいてたようだな。とんでもないやつだ。
鍾獏《しょうばく》、そなたがしっかりしていないから、こんなやつに気づかれてしまうのだぞ! 
よいか、このことが丞相に知れたら、われらもただでは済まぬが、おまえも同罪。
それをわかっておるのか!」
一拍置いて、蚊の鳴くような声が応じた。
「そ、それは、あなたがたが、わたしどもに無理やり」
「なんだと!」
「いえ、申し訳ありませぬ。以後、気を付けます」
それでよい、とキンキンした声をした男が吐き捨てるように言う。
この声、どこかで聞いたことがあるような?


がんがんと痛む頭を振りつつ、徐庶は目をひらいた。
手を地面に付こうとしたが、うまく動かない。
そこでようやく、自分が手枷《てかせ》をされていることに気が付いた。


頭痛に耐えながら顔をあげると、ぱらりとほどけた髪が顔にかかった。
その髪と髪の隙間から、先刻、宿舎のまえで見た、泥鰌髭《どじょうひげ》の中年男が、痩せぎすのねずみのような顔をした男に跪《ひざまず》いているのが見えた。


そのねずみ顔の男を徐庶は知っていた。
襄陽城に司馬徽《しばき》の用事で出入りしていたさいに何度か見かけた、蔡瑁の腰ぎんちゃく。
張允《ちょういん》であった。
「あんたか」
と、言ったつもりだったが、唇から出たのは、牛が唸ったような声だった。


「起きたようだな」
張允が中年男の肩越しに、徐庶を見る。
徐庶はおのれがどこにいるのか、素早くたしかめた。
ちいさな空間で、窓はない。
入口には、徐庶を昏倒させた大男が控えていた。
張允が動き出したのとおなじように、大男も、徐庶が起きたのに合わせて、ありがたくないことに近づいてくる。
部屋の三方の壁には恐ろし気な器具がずらりと掲げられていた。
どうやらここは、急ごしらえの牢のなかの、拷問部屋であるらしい。
遠くから、さらにありがたくないことに、だれかのうめき声や哀願する声が聞こえてきた。


「思いもかけない再会だな、元直どの。
貴殿はてっきり、おとなしく丞相に従っているものと思うていたが」
張允は言うと、手にしていた徐庶が曹操に当てて書いた訴状をぐっと徐庶に向けた。
「こんなものを書いて、われらを窮地に陥れんとしているとは!」
勝手な言い草に、怒るより前に呆れてしまった。
「荊州の兵士たちは、おまえたちにとっては子飼いの兵だろう。
それが流行り病に襲われているのを目の当たりにしても、良心が痛まぬのか」
徐庶が言うと、張允はふんと鼻を鳴らした。
「流行り病なんぞ、わたしは知らぬ。貴殿の悪質な言いがかりだ」
「なんだと?」
「ここにいる鍾獏は、兵士たちのために献身的に治療をおこなっている名医じゃ。
それを貴殿は、この訴状で、われらと結託して流行り病が起こっているのを隠匿しようとしている悪人に仕立て上げておる」
「図星だろうが」
「証拠はなかろう。医者のところにいるのが病人なのは、当たり前ではないか」
「見下げはてたやつだな、おれはおまえたちが死体を隠すところも見たのだぞ!」
「見たのは、貴殿だけであろうが。その死体とて、どこにあるのやら」
「要塞の西側の」
と、言いかけて、徐庶は張允の悪意に満ちた笑みを見て、悟った。
こいつなら、死体を掘り返して移動させることくらい、平気でやる。


張允は、訴状を卓の上に捨てるようにして置くと、徐庶の前にやってきた。
「たしか、貴殿は劉備の軍師であったな」
「元の、な」
「いまの劉備の軍師の諸葛亮とは、朋輩であったはず」
「それがどうした」
「あの老いぼれの劉備は、生意気にも江東の孫権と同盟を組んで、わが丞相の前に立ちふさがんとしておる。
おまえはその劉備や諸葛亮と、いまだに通じているのではないか?」
「ばかな」
反論しようとするのを、張允は手ぶりで止める。
「いや、わたしにはわかっておる。諸葛亮に知恵を授けられたおまえは、水軍を操るわれらを滅ぼすべく、罠をかけようとしているのだ。そうにちがいない」


こいつ、正気か?
徐庶はすっかり呆れてしまって、おのれの推理に悦に入っているようにすら見える張允の、ねずみ顔をまじまじと見あげた。


「狂っているぜ、あんた」
「だまれ、下郎がっ! われらはそんな罠にはかからぬぞ!」
とつぜん張允は叫ぶと、徐庶の横っ面を拳でがつんと殴りつけてきた。
またもや眼前に火花が散る。
鼻を切ったらしく、血が垂れてきた。
うつむくと、血がどんどん垂れてくるので、あえて顔をあげる。
すると、それが気に入らないらしく、張允は徐庶の髪を掴み上げると、顔を近づけてきた。
「諸葛亮に唆《そそのか》されたのだと言え」
「だれが」
「諸葛亮だ、おまえの弟分の。おまえがそう言えば、すべては丸く収まる」
「言うものか」
張允は、ふん、と鼻を鳴らすと、徐庶の頭を乱暴に突き飛ばした。
ぐらりと体が揺れる。
徐庶は短く悪態をついた。
それが面白いらしく、張允は横倒しになった自由の効かない徐庶の体を足で蹴りつけてくる。
子供が芋虫をいじめて楽しんでいるような様子だった。


と、そこへ、足音も高く、もうひとりあらわれた。
趣味の良い色合いの戦袍と、ぴかぴかの甲冑を身にまとった洒落男・蔡瑁である。
徐庶は踏みつけられながら、蔡瑁を睨み上げた。
張允がひとりでやったことではない。
さきほどから、張允はうるさいほどに、われら、われら、と言っていた。
こいつが、黒幕なのだ。


つづく

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さて、囚われた徐庶、いったいどうなる?
次回は月曜日の更新です、どうぞお楽しみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 三章 その13 暗転

2024年06月12日 09時40分00秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
徐庶は知らず、ガタガタと震えている自分に気づいた。
おそらく、連中の埋めようとしているのは、人だ。
怒りのために震えているのではない。
怖かった。
時代は乱世で、いつどこで人が死んでもおかしくないし、戦場以外でも路傍に死体が転がっているのさえ珍しくない。
なのに、無性に怖かった。
かれらがあまりに死というものに慣れ過ぎている、そのおぞましさと無自覚さが恐ろしかったのだ。
悪鬼だ。
あそこで人を埋めている男たちは、悪鬼そのものだ。
身体の震えをおさえるため、徐庶は持ってきた長剣の柄をぎゅっと両手で握りしめた。


それからしばらくして、男たちは作業を終えたらしく、足早に建屋に戻っていった。
徐庶はかれらが扉の中に消えてしまうのをじっと待ってから、堀棒のところへ急いで駆け付ける。
堀棒は、墓標のように地面に突き立てられていた。
掘られたばかりの地面はやわらかい。
徐庶は堀棒を引っこ抜くと、まだ固められ切っていない地面を掘りした。
ざくざくと土を掘り返す、その音を無感動に聞いている自分が、まるで連中と同じものになったような気がして仕方がない。


むわっと立ち上る土のにおいにうんざりしてきたころ、堀棒がなにかに当たった。
連中が埋めたものだ。


徐庶は、いったん堀棒を動かす手を止めた。


出てくるのは、おそらく人間の身体だ。
間違いはない。
これを見たなら、おれはこの要塞に居場所をなくすかもしれない。
引き返して知らぬふりをしていれば、この遠征が終わるまでは、うまくすれば命をつなげることができる。
知らぬふりを決められないのなら、あとはいばらの道だ。
命を捨てる覚悟で、土を払いのけて中身を見るか、阿庶?


『心は決まっている。仮に今夜、ここで引き返しても、おれのことだ、明日もまたこの忌々しい土を犬みたいに掘り返しているだろうよ』


そうだ、引き返すなどできるはずがない、と覚悟を決めて、徐庶は堀棒を放って、今度は手で土を払いのけはじめた。
ほどなく、冷たいものが手に触れた。
声を上げずにいられたのは、上出来と言うものだろう。
土の中に顔があった。
目を閉じた、若い兵士の顔。
その額にまだ生々しい傷があった。
昨日の喧嘩のさいにつけられたものだろう。
『崔淵とかいうやつだ。まちがいない』


徐庶は、月明かりに照らされている、そこかしこに掘削の痕のある地面を見つめた。
まだほかにも、大勢の『病人』がここに埋められたのだ。
碌に手当ても受けられず、あの建屋に押し込められて緩慢に死に追いやられた者たちが。


徐庶は、男たちのうち、死体を運んでいた者たちが口を布で覆っていたことを思いだした。
いつだったか、やはり襄陽で流行り病が起こったことがあった。
そのとき、医術の心得があるという孔明の妻が、近所の者の看病のために外へ出る際、やはり口を布で覆っていたことを思いだした。
『連中もおなじことをしているのだ。やはり、軍中に流行り病が蔓延している』
このまま、建屋に乗り込んで、証拠を掴むべきだろうか。
『いや、こちらは単身。下手に突っ込んでも、医者とその手先に袋叩きにされるだけだろう。
それより、このことを本当に曹公はご存じないのか?』


曹操はたしかに残酷な男だ。
しかし軍のかなめ中のかなめである兵士たちを粗略に扱って、平然としていられるほど冷酷な男だとは思われない。
それに、いまでこそ兵士たちは流行り病のことを知らないが、いずれそれが広がれば、抑えきれないほどの混乱が生じるのは、火を見るより明らかだ。


徐庶は空を見上げた。
銀の貨幣のような月が、傲然と徐庶を見ている。
『曹公に上訴するほかない』
流行り病を隠蔽しているのは蔡瑁だという可能性に賭けるのだ。
徐庶は空を見上げていた顔を、今度は要塞の塀に向けた。
要塞の建屋から遠く、江東の軍からもっとも遠い西側にあるせいか、このあたりには見張りの兵もない。
『いまなら、ひとりで逃げられる』
そこまで浮かんで、徐庶は苦く笑った。
梁朋《りょうほう》をはじめ、これまで面倒を見てきた荊州の兵士たちの顔がつぎつぎと浮かんできたからである。
『そうさ、おれはそういう損な性分なのさ』
自嘲気味にこころのなかでぼやいてから、徐庶は掘った土を元に戻した。





徐庶は、おのれの宿舎に戻り、明かりをつけると、すぐさま筆を執った。
曹操に向けての訴状を書き始めたのだ。
興奮していても、手はさいわいなことに震えたりはしなかった。
思いのたけをぞんぶんにぶつけたものを一気に書き上げて、それから、曹操のいる要塞の中心の奥堂へ向かうべく、外へ出る。
身なりもろくに整えておらず、爪にはさきほどの土がついたまま。
しかも真夜中だったが、かまっていられなかった。
曹操は今頃、ぐっすり眠っているだろうから、たたき起こされれば機嫌が悪くなるかもしれないが、そんなことを言っている場合ではない。
さあ、行くぞと気合を入れて歩を進めたときだった。


「どこへ行かれる、元直どの」
声にぎょっとして、振り返ると、泥鰌髭《どじょうひげ》の傲慢そうな顔をした中年男が、松明《たいまつ》のあかりにぼおっと浮かび上がっていた。
そのとなりには、例の目の妙につぶらな大男が控えている。


しまった!


徐庶はあわてて逃げようとするも、大男のほうが動きが早かった。
壺ほどの大きさもあろうかというでかい拳が、顔面に飛んできた。
避けきれなかった。
目の前に火花が散り、鈍い痛みとともに、徐庶は昏倒した。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます(^^♪
いつの間にか、「奇想三国志」だけで、450回目の連載となっておりました。
これから、まだ続きますので、ひきつづき閲覧していただけるとさいわいですv

ではでは、次回は金曜日! どうぞお楽しみにー(*^▽^*)

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