はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

短編・夏の終わり

2020年04月28日 09時54分01秒 | 短編・夏の終わり
蝉の声で出来あがった堂を抜けるようだと、趙雲は思った。
さすがに正装は暑いので、城を出て、あまりひと目につかない場所にまでやってきた時点で、すぐに冠だの上衣などは取ったり脱いだりしてしまったのであるが、後方をゆったりとついてくる、一年中、外気と無縁といった顔をした孔明は、身だしなみをくずさぬまま、暑さをまったくかんじさせない涼やかな顔をして、なにやら、めずらしそうに周囲を見まわしている。
臨烝と公安とで離れていて、ひさしぶりに会ったということもあり、じっくり話をしたかったので、視界に邪魔な従者は、先に帰していた。

新野は、やはりあれでも都会だったのだな、と趙雲は思う。
中原から離れれば離れるほどに、長くつづいた戦乱の傷跡を見つけるのがむずかしくなる。
公安は、城から離れてしまえば、すぐに緑深い場所がいくつもみつかる、穏やかで静かな街であった。
それをかき乱しているものがあるとしたら、それは曹操の動向や、孫権の気配でもなく、戦火をのがれて南下してきた荊州人士たちの、浮ついた雰囲気であろう。
それぞれに、ようやく落ち着いてきたところであるが、趙雲も、転戦につぐ転戦、さらには桂陽太守に抜擢され、そのうえ、公安において孫夫人のお目付けと、ここ何ヶ月か、落ち着いたことが一度もない。
桂陽太守とは名ばかりで、ほとんど公安に留まっている状態で、しかもあの驕慢ということばがぴったりなほどぴったりな『小娘』……そう読んでもかまうものかとさえ、趙雲は思うようになっていた。よくない傾向だとは自覚しているのだが……は、ここにいる蝉よりもやかましく、自己主張をくりかえしてくる。

臨烝からやってきた孔明を見たとき、心の底から安堵したのは、ほんとうだ。
なにが変わるというわけではないのだが、ほっとしたのである。
待っていたものがやってきたと、正直に思った。
このささくれ立った心を趙雲はもてあましていたのだが、おそらく、同じわがままでも種類のちがう、この自称・天才が、万能ぶりを発揮して、なんとかしてくれるような期待がある。

が。

すずやかな顔をした孔明は、すずやかな声で、一気に汗が引くような口調で言った。
「貴殿はほんとうに、ひとの少ない、静かな場所を見つけるのがお上手ですね」
「は?」
「わたしなどは、出不精なものですから、公安の街は、知っているようでよく知りませぬ。まさか、宮城のそばに、このように落ち着いた静かな場所があるとは思いませんでした」
「はあ」
「これはよい気分転換になります。感謝いたしますぞ、趙将軍」
「そりゃどうも」
趙雲が呆れててきとうに返事をすると、たちまち、それまで、すずやかであった孔明の顔が、むっとしたものに転じた。
「人がここまで低姿勢になっているのだ。合せてみようとか、そういう気分にはならないのか」
「ならぬ。なんの遊びだ、それは。臨烝で流行っているのか」
趙雲がたずねると、孔明は、やはり暑いものは暑いらしく、袖を両手で持って扇の代わりにして、自分を扇ぎつつ、言った。
「こんなことが流行るか。慇懃無礼な若造と言われたのだ」
なんだ、そんなことかと、趙雲は脱力した。
「だれにだ。関将軍か。まさか、まだ新野での確執を、お互いに引きずっているのではあるまいな」
「ちがう。魏文長にだ」
趙雲の脳裏には、いかにも孔明と合いそうにない、いかにも叩き上げ、目的のためには手段も選ばず、といった男の、猛々しい姿が浮かんだ。
「おまえとさして変わらぬ年だろう。若造が若造に説教をしたのか」
「そうとも。若造に若造呼ばわりされた。ええい、口にしたら、また腹が立ってきたぞ、原因はあなただ!」
びしり、と孔明は、趙雲を指摘する。
「俺か?」
「そうだよ。なつかれたな、子龍」
孔明は意味ありげに趙雲を見る。
「どういう意味だ」
「つまりだな、魏文長は、あなたをとても気に入ったようなのだよ。尊敬しているらしい。いつか一緒に仕事をしてみたいと希望があると、はっきり言っていたなよ。
ところがぎっちょん、いつもあなたと組んでいる、わたしのことは気に入らないようなのだな。思うに、あれは嫉妬だな、嫉妬。あなたと組むと、わたしとも組まなくてはならなくなる。でもそれはいやだ。ええい、あの軍師邪魔、というわけで、嫉妬。
いつ、いかなるときでも、つねにだれかのねたみを受けてしまう、この完璧なわたしがいけないのだが」
「……話を進めてくれ」
「なんだか意味ありげな『……』だったな」
「いいから。で?」
「うむ、そのために、さきほど、わたしとあなたが話しているのを聞いていて、あやつは、わたしを追いかけてきてだな、『貴公はたしかに軍師という地位にあるかもしれぬが、趙将軍よりも若輩であろう。それなのに、その口の利き方や振る舞いは、慇懃無礼そのものではないか』と言いがかりをつけてきたのだ、笑わせる」
「なつかしい、というより、むしろ新鮮にすら感じる反応をするヤツが、新たにあらわれたな」
「感心している場合か。とりあえずは、『仮にも軍師たるこのわたしに意見するのであれば、蜀を取ってからにするがいい、新参者めが』と言い返しておいたが」
「あらたな火種を自分でまくか」
「あと半年もすれば、ほどよく発火するであろうよ」
「わかっているなら控えろ」
「売られた喧嘩は買う」
「ほかにも何か言われたのだな」
「言われたとも。宦官もどきだの、女々しい青書生だのなんだのと」
「火事になったら言え。消すのを手伝ってやる」
「それは心強い。ともかく、そうは言ったものの、わたしは素直なのでね、あなたも、じつはそう思っていたらいやだなと思って、口調をあらためてみたら、あなたは、なんの遊びかと言う」
「遊びではないか。おまえ、俺がいい反応をしないとわかっていて、そうしただろう」
「否定はできぬな」
「みろ。いまさら、そんなふうに、咽喉に何か引っかかっているような他人行儀な口調はよせ、気味の悪い。
公的な場であるというのならともかく、気兼ねの必要のない場所で『貴殿』だの『感謝いたしますぞ』なんぞと言われたくない。
おまえまで本音を隠すようになったのかと、ひやりとしたではないか」

すると、孔明は、おどろいたような顔をして、歩を早めて、趙雲のとなりにならぶと、その顔をのぞきこむような仕草をした。
「相当に痛めつけられていると見たぞ。じゃじゃ馬は、さすがの趙子龍でも抑えきれぬか」
趙雲は、歩きながらも、ため息をついた。
「そちらにも、いろいろと、噂が流れているのではないか」
趙雲がいうと、いつになく孔明は気を遣っているのか、ことばを濁した。
「まあ、流れているといえば、流れている。しかし、あなたはよくやっているよ。ほかの武将であったら、完全に言いなりになっているか、でなければ短気を起こして夫人を斬っているかもしれない。みなも誉めていたぞ」
孔明のことばも素直に聞けず、趙雲は、息をはいた。
「半分は、自分が貧乏くじを引かなくてよかった、という意味だろう」

孔明が、となりで顔をしかめた気配があったが、趙雲はそれを見たくなかったので、蝉のわんわんと鳴き続ける林のなかを、もくもくと歩いた。
木の香のつよい道である。
木漏れ日の向こうがわには、それでも過ぎる季節を象徴するかのような入道雲が、真綿のような姿をみせている。
夏も終わりらしい。

「なにか、して欲しいことはないか、子龍」
また、なんの冗談かと横を見れば、そこには、意外にも真剣な孔明の顔があった。
「新野では、あなたがわたしのために、いろいろしてくれた。泥をかぶってくれたこともあっただろう。
ここに来る道すがら、いまこそ、その恩返しをするときではないかと、気合を入れて、いろいろと考えてきたのだが、わたしとあなたとでは趣味も嗜好もちがうから、なにをしても、なにやら押し付けになるような気がしてしまった。
ならばいっそ、あなたが望むことをと思ったのだが、なにかないだろうか」
「なにって」

そんなふうに気をまわすな、とも思ったが、趙雲は思いとどまった。
そこを否定してしまうと、孔明までも、ほかの者たちと同じように拒んでしまうような気がしたからである。

「べつにない。あらためて言おうと思っていた。おまえが新野でどんな気分でいたか、初めてわかった気がする」
「おやおや、『だれとでも、そつなくうまくやる』と評判の趙子龍が、弱気だな」
「弱気もみっともないと思うが、仕方ない。俺がいままでしてこなかったことのツケが、いま一気に回ってきているのだ」
「ツケ?」
不思議そうに孔明は首をかしげる。
「人と、真正面から向き合ってこなかったことのツケだ」
孔明は、さらに不思議そうに自分を指差した。
「おまえは別だ」
予想はしていたようだが、それを聞くと、孔明はにんまりと満足そうに笑った。
「そうか、別か」

「俺は、あの夫人が、なぜにあそこまで猛り狂ってしまうのか、その心がさっぱりわからない。俺が手を焼いているのを喜んでいる連中の考えもわからぬし、見てみぬフリをする連中の考えもわからぬ。分からぬことだらけゆえ、これといった手が打てないでいるのだ。
この役目は、俺ではなく、もっと知恵の回る、おまえや、あるいは伊機伯どののような、老練な経験者のほうが向いているのだ」
「でも、主公は、あなたを指名した。あなたが大丈夫だと思うからこそ、安心して益州に向かう準備を進めてらっしゃる」
「武人としては、むしろそちらに参加したいくらいだ。魏文長は、そんなに俺が気に入ったのなら、俺と交替するつもりはないかな」
「ないだろうね。主公もなにを考えているのやら、最近は魏文長をなにかとおそばに置かれている。益州入りは、どんなことばを換えたところで、結局は『侵略』だ。
だから、あなたのような、龐統の作戦にも異議を唱えられる『戦略家』より、魏文長のようにわかりやすい性分の、どんな死地にも、作戦のためならばと、盲目的に喜んで飛び込んでしまう『切り込み隊長』に目が行くのだろう。そこが、主公とわたしの差だな」
「主公は、少しずつ変わってきておられるな」
それもまた、趙雲の戸惑いといらだちの一因でもあるのだが。

そうして林道を、ゆっくりと踏みしめるようにして歩いていると、孔明が、よし、となにやら一人合点して顔を向けてきた。
「わたしのやるべきことが、いまわかった。子龍、あなたはさきほど、人と向きあってこなかったと言ったが、それをわたしで試してみたまえ。思い切り、胸の内をわたしにぶちまけてしまうのだ。愚痴でもなんでもかまわぬ。秘密も守ろう。なにせ聞いているのは、わたしと、ここにいる蝉だけだ。安心しろ、蝉はすぐ死ぬ。わたしは長生きするが、蝉より賢いので、もっと安心だ」
どんとこい、というふうに、孔明は真正面から趙雲を見る。
その目が、まるで子供のように真剣にきらりと光っているように見えるのは、気のせいではないから、困ったものだ。
「さあ、遠慮するな。なんでも聞くぞ」
「そういわれると、かえって言いにくい。それに、おまえの気遣いはありがたいが、やはりこれは、遠慮させてもらう」
「なぜ。胸のなかにある、もやもやを吐き出してしまえば、楽になるぞ」

それは、きっとこいつなら、胸のうちに秘めているものでさえも、どこか救いのあるものだからな、と趙雲は思う。
孔明には、悟られまい、触れさすまいと決めている心の暗部。
いま、おのれの置かれている環境は、やたらとそこを刺激してくる。
孔明は聞き上手だから、うっかりすれば、聞かれたくないことばまで、迂闊に口にしてしまいそうだ。

趙雲は、別の理由を口にした。
「愚痴をいうと、かえって疲れてしまう。そうだな、逆に、おまえの話を聞かせてくれないか」
「わたしの話? 愚痴を?」
「愚痴があるならな。ともかく、なんでもいい。参考にする」
「む、参考にするとなると、迂闊なことは言えないな」
孔明はなにやら、むつかしい顔をして考え込んでいる。
魏延にいわれたことなど、すっかり頭からはじけ飛んでいる様子だ。
「そうだな、このあいだのことなのだが」

そうして話をはじめた孔明のことばに耳を傾けながら、趙雲は、ふしぎと鎮まっていく心を感じていた。
いまならこいつを、心の底から天才と呼んでやろう。
だれにもできなかったことを、一瞬でしてのけてくれた。
孔明が臨烝から来ると聞いた時点で、まるで真夏のなか、たったひとりで雪の中に閉じ込められていたようだった心が、太陽を待ち望むように逸ったのも、この安らかさが欲しかったからなのだろう。

こいつのことばは、なにか特殊な力でも持っているのだろうか。
いや、もしかしたら、ことばすら必要なかったかもしれない。

「蝉はすぐ死ぬそうだな」
趙雲がつぶやくと、孔明は怪訝そうに首をかしげる。
「そうだってね。こうして鳴いていられるのは、ほんの数日なのだそうだ。繁殖の相手を探すために鳴いているのだそうだよ。それを考えると、儚いものだと思わないか」
儚いだろうか。
趙雲には、この林に、おそらく無数にいるだろう蝉たちに、同情する気持ちは、まったくおこらなかった。
自然の摂理にしたがって生き、そして死んでいく。
むしろ、しあわせな連中だと思う。

一瞬、林を駆け抜けた風が冷たく思われて、趙雲は目を閉じた。
季節が過ぎようとしているのだ。

「軍師」
「なんだ」
「おまえは長生きしろよ」
「いわれなくても、そのつもりだ。ただし、あなたもそうするように」
「俺も? なぜ」
とたん、当たりまえではないかというふうに、孔明は顔をしかめた。
「人に長生きしろと言っておきながら、ひとりで生きろというのも薄情な。慇懃無礼だろうがなんだろうが、こうして、まったく構えることなく話せる唯一の相手がいなくなったら、きっとわたしは気が塞がって、長生きなんて、できやしない」
「おまえは、やっぱり変わっているよ」
「わたしが変わっているのではない。わたしを『変わっている人間に見せている』世の中が変なのだ」
「そのわりに、おまえも、いろいろ悩んでいるようだな」
そうして趙雲が笑うと、孔明は、そこはそれ、また別だ、とぶつぶつと言った。

ことばをそのまま受け止めてしまうのも、大人気ないかもしれないが、生きていてくれれば、それでもう、十分だと思う。
ほかに、そうだ、なにも望むことは、なかったはずではないか。

なにもかもを無視することはできないけれど、それでも、林の騒がしさに比べれば、ずいぶんと静かになった心を抱えて、趙雲は、孔明のことばを、まるで味わうかのように、じっくりと耳をかたむけつづけていた。


おわり

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2006/08/30)

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