はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

番外編 甘寧の物語 その8

2024年02月29日 09時54分27秒 | 番外編・甘寧の物語



すっかり勝ち戦の勢いに乗っている孫権の軍のなかで、甘寧ひとりが、喜びに乗り切れずにいた。
黄祖の勢力が滅びることに、感傷的になっていたのではない。
自分を孫呉に導いてくれた恩人である、蘇飛《そひ》のことが心配でならなかったのだ。
前線に出ていなければよいがと心配する甘寧であるが、ふと、孫権のほうを見ると、側仕《そばづか》えのものが、うやうやしく、ふたつの空箱を差し出している。
なんの箱かと首をひねっていると、こんな声が聞こえてきた。
「われらの勝利は、ほぼ決まったも同然。
あとは、この箱に、黄祖めと、蘇飛の首をおさめることができたなら、最高の勝利というべきでしょう」


これを聞いて、甘寧は沈み込んだ。
蘇飛を助けたいと思う。
しかし孫権にとっては、黄祖は親の仇。
そして、蘇飛は、その仇に与する男なのである。


落ち込んでいる甘寧のもとへ、子分がそっと近づいてきた。
「親分、蘇の旦那さまの手下が、親分あてに手紙を持ってきています。
見つかったらコトですぜ。
追い返しますか、それとも、受けとるだけは受けとってみますかい」
「莫迦!」
甘寧は一喝すると、すぐさま蘇飛の部下と面談した。
蘇飛の部下は、混乱に乗じて死んだ兵卒の衣を奪い、孫権の兵になりすまして、甘寧のそばまで命がけでやってきたのである。
その部下の持ってきた手紙には、蘇飛の、悲鳴にも似た、別れの言葉が綴られていた。


それを見てしまっては、もう甘寧は黙っておられなかった。
いつか、かならず恩を返すのだと誓ったことを思い出し、そして、そのためには命も惜しくないとさえ思った。
そも、いまの自分があるのは、蘇飛のおかげではないのか。


甘寧は、思いついたら、即実行の人である。
もはや宴席に入りつつある孫権のそのまえに転がり込むようにして平伏すると、呆気にとられている孫権のまえで、おのれの額を、何度も何度も床に打ちつけた。
何度目かで、額が割れて血が出たが、それでもなお、頭を打ちつけようとするので、孫権があわてて止めた。
「待て待て、このめでたい席で、なぜ貴公はそのように嘆くのだ」
「恩人を見捨てなければならぬ、この身が疎《うと》ましいからでございます!」


そうして、甘寧は、泣きながら、蘇飛がどれだけ自分に類まれな友情を示してくれたか、そのいきさつをつまびらかに孫権に語ってみせた。
蘇飛がいなければ、甘寧は、孫家に仕官することはできなかったのだ。


孫権は、甘寧のことばに心を動かされたようである。
だが、それでも慎重なので、こうたずねてきた。
「しかしだ、蘇飛を助けてやったとして、のちのち、わたしに恩を感じるどころか、かえって恨みに思って刃を向けてきたらどうする」
「されば、そのときには、甘興覇の首をさし上げまする。
そして、その箱に、この首をおさめてくだされ!」


孫権は、甘寧のその熱気に押されて、蘇飛を助けることをゆるした。
甘寧はよろこんで、手下たちにその旨を伝えると、蘇飛の命を救ったのである。


一方で、夏口の英雄・黄祖は、乱戦のなか、とうとう命運が尽きて、死んだ。







またも盛大な宴が催された。
とくに董襲《とうしゅう》は、その勇気ある見事な行動が、孫権の賞賛を得た。
程普や黄蓋などは、長年の悲願をようやく達成できたことに感激し、泣き笑いを繰り返していた。
凌統も、同じく、父の仇をこれで討てたと喜んでいたが、甘寧はあえて、凌統とは距離を置いて、席も近づかないように気をつけた。


そうして賑やかに飲み食いをしているなかで、孫権が言った。
「わたしが蘇飛をゆるしたのは、もちろん、貴公の言葉に感じ入ったこともあるのだが、公瑾の口ぞえによるところも大きいのだ。
あとで、貴公の口より、公瑾に礼を述べておいてくれ」


さて、そうなると、いてもたってもいられない。
甘寧は、宴のなかに周瑜の姿がないとわかると、座を立って、どこにいるのかと探しに出た。


ほどなく、周瑜は見つかった。
人気のない場所で、だれかとひそひそと話をしているようである。
だれかな、と思って近づいていくと、話相手は、いつか見た、あばた面の青年であった。
篝火のあかりが、青年の特長のある面貌を浮かび上がらせる。
非の打ち所のない美貌をほこる周瑜と、気の毒にも、病の爪あとを顔に残している青年とでは、ふしぎな取り合わせであった。


「そうか、死んだか」
周瑜がつぶやいたのが聞こえた。
「襄陽より使いがございました。
劉州牧は死に、跡目は遺言どおり、劉琮どのがつかれます。
後見には、蔡将軍が指名されております」
「長男の劉琦のほうは、どうなった」
「面倒なことに」
と、青年が、舌打ちでもしかねない口調で、言う。
「劉州牧が死んだら、蔡将軍は、すぐさま劉琦どのとその一派を片付ける腹積もりであったようです。
ところが、新野の劉豫洲の軍師の諸葛亮が、劉琦どのに、なるべく早く襄陽を出て、江夏へ向かえと知恵をつけたのです」
「江夏。近いな。なるほど、厄介だ」
「黄祖の軍が弱かったのは、いままで劉州牧が貸していた水軍のうち、その一部が劉琦どのの元に戻ってしまったからです。
もともと劉豫洲は劉埼どのの後見でした。
曹操に追われて劉豫洲が江夏に逃げてきたら、劉琦どのは、おそらくこれを助けることでしょう。
これにより、劉豫洲は、荊州の劉琦と、さらにはその水軍まで手にしたことになる。
どこまでが諸葛亮の指図かはわかりませぬが、これでわれらは、劉豫洲を無視するわけにはいかなくなりましたな」
「子敬が便りを寄越したぞ。劉豫洲はなかなかの傑物なので、これと手を組み、曹操を撃退すべきだとのことだ。
かれはどうも、暴走する嫌いがある」
「困った御仁ですな。しかし、あいにくと、魯子敬どののおっしゃるとおりにするしか道はない。
劉豫洲を懐柔し、わが方へ組み込むのです」


青年のことばに、周瑜が笑ったのが聞こえた。
その笑い声は、それまで聞いたことがないほど、暗く、陰に籠もったものだった。
「諸葛亮……諸葛孔明とか言ったか、たしか諸葛子瑜どのの実弟だということだが、士元、貴殿から見て、どうだ」
「たしかに、見てくれだけならば、人を魅了するに十分でしょう」
「中身は」
「気むずかしい理想家。青臭さが抜けておりませぬ」
「それは困った。わが陣営に組み入れるにしても、張長史(張昭)のような人物がまた増えてもな」


それからしばらくの沈黙がつづいた。
話が終わったのだろうかと甘寧が思っていると、周瑜は夜の風に揺れる木立に負けないほど力強い声で、言い放った。
「もしわれらの邪魔になるような男なら、消さねばなるまいな」
「左様で」
「こちらに恭順するならよし、そうでなければ消す。手はずを整えてくれ」
「わかり申した」




甘寧は、逃げるようにして、その場を去った。
さいわい、気づかれなかったようである。
宴の席に戻ると、煽るように酒を喰らった。


周瑜の、ほの暗い月光に浮かび上がるその横顔は凄絶なまでに美しく、また不吉に見えた。
野生の勘ともいうべきか、甘寧は嫌な予感がしてたまらなかった。




番外編 甘寧の物語 おわり


※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます(^^♪
そしてブログ村にたくさん投票していただきまして、ほんとうに感謝感激であります!(^^)!
がんばってつづきも制作しておりますので、また遊びにいらしてくださいませ!

そして、本日で甘寧の物語は最終回。
次回より趙雲と孔明の活躍する赤壁編がはじまります!
といっても、まだ制作中で、かなりぎりぎりの戦い(笑)になりそうですが……けんめいに書いております。
明日から、どうぞ赤壁編もよろしくお願いいたします。

ではでは、また次回も読んでやってくださいませね(*^▽^*)

番外編 甘寧の物語 その7

2024年02月28日 10時08分05秒 | 番外編・甘寧の物語



甘寧はもともと黄祖の元にいたので、出陣の際にも、そう怯えることはなかった。
恐れ入ったのは、周瑜の度胸のよさである。
周瑜は黄祖に軍を向けるのも、これが最後だと、はっきりわかっているようであった。
山越の民を平定したことが、その自信になっているのだろうかと、甘寧は考えた。


すると、周瑜は、声をたてて、じつにさわやかに笑いながら、
「それもたしかにあるが、もうひとつ、勝利はまちがいないと確信できることがある。
興覇どのには、分からなかったかもしれぬが、山越の叛徒どもの勢いが、以前とくらべて落ちていたのだ。なぜだかわかるかね」
と、たずねてきた。
さあて、これは俺の答えられる問いだろうな、と思い、甘寧は頭を働かせた。
「孫将軍のご威光に、とうとう心服した。それしかあるまい」
答えると、周瑜はまた、愉快そうに笑った。
笑うと、ひどく無邪気に見えるのが周瑜である。
「いやいや、それもあるが、それだけではない。
山越の民にいままで援助をしていた者の力が衰えたから、その力も衰えていたのだ」
そして、周瑜は笑みを引っ込めると、甘寧を真正面に見据え、言った。
「劉州牧(劉表)の命は、あとわずか。おそらくこの夏を越えることはできまい」
「なんと」
甘寧の驚いた様子に、満足そうに、周瑜はうなずいた。
「劉州牧は、おのれの跡継ぎに庶子の劉琮どのを推されているが、これに反対する家臣が江夏に集りつつあるとか。
劉州牧がそのような有様では、これを頼りにしている黄祖の力も弱くなるのは道理」
「なるほど」
納得しつつも、甘寧は、どうしてそこまで周瑜が荊州の事情にくわしいのだろうと不思議に思った。


ふと視線をおぼえて、目線を周瑜からその背後に移動させると、見たことのない、あばた面をした、身なりのよい若者が控えていた。
若者は、甘寧と目が合うと、ぺこりとお辞儀をして、無言のまま、その場を去っていった。


周瑜は言う。
「劉州牧のことは曹操の知るところでもある。天下が大きく動くぞ。
われらもまた、先代からの悲願をここで達するのだ。
亡き大殿は、わたしにとっても父のような存在であった。
あの方をわたしたちから奪った憎い敵を、今度こそ討ち取って、その墓前に首を捧げるのだ」





孫権と黄祖の戦いは、いつでも悲壮感がどこかに漂っている。
黄祖が、孫権にとって憎い仇だということが、まず前提にあるからだろう。
そして、九年にわたる長い戦のなかで、孫権の払ってきた犠牲も、けっして軽いものではなかった。


孫権は、これが最後という周瑜のことばを受け、先鋒に、以前に甘寧が射殺した凌操の息子である凌統を指名した。
このはからいには、凌統本人ばかりではなく、家臣たちすべてが奮い立った。
凌統はまだまだ年若く、これをみなで助けてやろうという気風が、軍全体に生まれたのである。


かつてない一体感、高揚感のなかで、孫呉の水軍は、みな一丸となって黄祖に向かって行った。
なにせ、いままでとちがって、後顧の憂いがなにもない。
思い切り、前だけに進めるのである。


一方で、周瑜が言ったとおり、黄祖のほうは、まるで勢いがなかった。
孫権が押し寄せてくると、夏口に二艘の駆逐艦を並べた。
これを互いに綱で堅くしばり固定して、それぞれに千人の兵卒を配置し、水上の砦として、そこから弓でもって攻撃をしかけてきた。
この弓の攻撃に、孫権軍は、しばし足止めを喰らう。
これを倒すべく、名乗りを挙げたのが、董襲《とうしゅう》、字を元代《げんだい》という男である。
たいへんな大男で、力自慢であり、孫策の時代から孫家に仕えて、揚州の山賊や海賊を討伐して、名をあげていた男である。


董襲は、凌統とともに、孫権に先鋒を願い出た。
それが許されると、董襲は、兵卒たちの中から、とくに士気が高く、そして泳ぎに巧みなものを二百人選び出した。
そして、かれらに命じて、鎧を二重に着せた。
飛んでくる矢を防ぐためである。
董襲と凌統は、兵卒を百人づつに分けて、それぞれが大型の船に乗り込むと、力任せに、黄祖の船に特攻をかけた。
ぶつかり揺らぐ船の、その混乱に乗じ、董襲と凌統の率いる兵卒たちは、黄祖の船に乗り移る。
そして、敵兵をあらかた蹴散らすと、身に纏っていた鎧を脱ぎ捨てて、つづいて水に飛び込んだ。
その先頭に立ったのは、やはり董襲であった。
苦しい水中にて、必死になって、船と船を繋いでいた綱を、斧で切り捨てた。


これにより、均衡を失った船は、もはや砦としての役に立たず、黄祖の軍は、一気に崩壊へと向かっていくのである。




つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
みなさまに幸あれー!
おかげさまで、番外編ものこすところあと1回となりました。
三月からは「奇想三国志 英華伝 赤壁に龍は踊る」がはじまります(そういうタイトルにしました)。
どうぞおたのしみに!

でもって、明日もいらしてくださいね、おまちしておりまーす(*^▽^*)

番外編 甘寧の物語 その6

2024年02月27日 09時57分09秒 | 番外編・甘寧の物語
甘寧は、はじめに送った孫権あての書状のなかに、おのれの思いのたけと、そして、これからの天下の趨勢《すうせい》がどうなるかの予測を、あますところなく綴っていた。
その予測を読んで、呂蒙は、これは只者ではないと判断したのである。
呂蒙は甘寧の見識の高さを買って、孫権へとりなす役目を買ってくれることになった。


それだけではない。
呂蒙から甘寧のことを聞いた周瑜が、甘寧につよい興味をおぼえて、同じく、推薦の役目を買ってくれることになったという。
周瑜、字を公瑾。
孫権の実兄孫策の義兄弟で、孫家を公私共に支えている傑物である。
その人物が後ろについたことで、甘寧の孫家への仕官は、まちがいのないものとなった。


甘寧は、呂蒙、つづいて周瑜と接見し、それから孫権に紹介された。
とんとんとうまい具合にすべてが順調にすすみ、あっという間に江東の孫家の家臣に加えられた。
孫権も、甘寧の気性の荒さと、義に厚い性格が気に入ったのだ。
「たしかにかれは黄祖の家臣であった。
われらの敵ではあったが、今後は仲間なのであるから、旧怨はいっさい忘れて、これに復讐しようとしてはならない」
孫権みずからが、こう命令を出したほどである。


甘寧がこれほどまでに歓迎されたのは、見どころのある人物だから、というだけではない。
歓迎された理由。
それは、周瑜にある。


孫権に下るにあたり、甘寧は、呂蒙らに送った手紙のなかで、情勢の予測のほかに、孫権がどうしたら天下をとれるか、その計画にまで筆を進めていた。


甘寧は、こう考えた。
まずは夏口をおとして黄祖を倒し、つづいて荊州を奪う。
そして荊州を奪ったあと、そこを足がかりにして益州を併呑。
中原の曹操の勢力とは、北と南とで対峙する。
実際に巴郡の生まれで、蜀では、平和にかまけて、劉璋の政治がゆるんでいることを、甘寧はその目で見て知っている。
益州を攻略するにあたって気にするべきは、土地の堅牢さであり、劉璋そのものは、すこしも恐れる必要がない。


それは、周瑜の考えと、ほぼ一致するものであった。
周瑜は天下を二分する計画を立てていたのである。
だからこそ、呂蒙はおどろき、そして周瑜は、自分と同じ目を持つ同志として、甘寧を歓迎したのである。
実際にあらわれた甘寧が、荒々しくも颯爽とした男であることが、よけいに歓迎される理由となった。


それまで冷遇されつづけてきた甘寧にとって、孫権の歓待ぶりは、夢ではないかしらというほどだった。
物資が豊かなのか、その宴は、とにもかくにも派手である。
蔵の中が空になってしまったのじゃないか、というくらいに大量の料理が並び、酒も飲みつくせないほどに、つぎからつぎへと差し出された。
いっしょについてきた子分たちにも、ご馳走が振る舞われ、それどころか、まだ何の働きもしていないうちから、それぞれに、あたらしい絹が配られた。
宴のさいには、たくさんの芸人たちがやってきて、舞姫が踊ったり、芸人が玉乗りをしてみたりと、さまざまに楽しませてくれた。


きわめつけは、宴が最高潮を迎えたころにやってきた。
それまで孫権、それから程普につぐ席に座っていた周瑜であるが、すっくと立ち上がると、楽団たちに指揮をして、剣の舞をはじめたのである。
それまでさまざまな人間の顔を見てきた甘寧にとっても、周瑜は格別だなと感心するほどの男前であった。
前もって、美貌であることは聞いていた。
実際に会って、動いているのを見ると、また一層、印象が変わる。
軽薄さのまったくない、威風堂々とした美丈夫で、物腰は優雅ながら、発言には重みがあり、若くして高い地位についた人間にありがちな驕慢《きょうまん》さは、欠片も感じることができなかった。


とん、とんと、楽団の打ち鳴らす太鼓に合わせて、うっとりするほど見事な剣の舞をみせる周瑜をながめながら、甘寧は、腹の底から、わくわくするのを感じていた。
これから、とびきり楽しいことがやってくるような、そんな予感である。


そして、甘寧をそんな心持ちにさせる、周瑜とは、そういう人物であった。







甘寧が黄祖のもとを去って、孫権に仕えるようになって以降、夏口に陣取る黄祖との小競り合いは、数度にわたってつづけられた。
孫権が黄祖を攻めあぐねていたのは、やはり、その水軍の強さに秘密があった。
それに、孫権のほうにも、黄祖に集中できない理由があった。
揚州の内部を荒らす、山越《さんえつ》を始めとする異民族の叛乱である。
もともとが、山越の土地に漢民族が入り込んだという図式であるが、かれらはまさに、まつろわぬ民であった。
さまざまに撃退しても、かれらは何度となく立ち上がり、孫権の統治の悩みの種となっていた。


それまで、揚州の南と、荊州に向かって西にと、孫権は両方に気を配っていた。
だが、建安十一年(206年)、周瑜を中心とした軍は、異民族討伐に、集中して動き出した。
これは周瑜と程普の見事な指揮により、大成功をおさめた。
完全とまではいかないが、あらかたの叛乱を収めることが出来たのである。
そして翌年、周瑜は勢いにのった軍を率いて、一気に夏口へ軍を向ける。
何度かの小競り合いのあと、周瑜はふたたび水軍を再編成しなおして、建安十三年(208年)夏、黄祖へふたたび軍を向けた。
黄祖との最終局面がやってきたのだった。




つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます(^^♪
みなさんにたくさん読んでもらっているおかげで、弾みがついております!
赤壁編も、一週間分のストックができましたー!(^^)!
この調子で、どんどん書いていきます!
今後もひきつづき、当ブログをごひいきに(^^♪

ではでは、次回もおたのしみにー(*^▽^*)

番外編 甘寧の物語 その5

2024年02月26日 09時56分02秒 | 番外編・甘寧の物語



そんな甘寧を見かねた蘇飛《そひ》が、あるとき、こっそりと甘寧を自邸に呼び寄せた。
月見をしようというのが表向きの理由であったが、ほんとうは、そうではない。
蘇飛は、甘寧を身近に呼び寄せると、ささやいた。
「興覇どの、あなたは、もうお若くないでしょう」
なにを言い出したのだろうと思いながらも、甘寧はたしかにそうだ、と答えた。
「人の寿命は、あっという間に尽きるもの。
いまのこの世の中で、高い志を持ちながらも、運に恵まれず、埋もれたまま死んでいった者たちの、なんと多いことか。
ときに、あなたは禰正平《でいせいへい》という人物をご存知か」


その名を知らないものは、この夏口には存在しないのではないかというほどに、禰衡《でいこう》、字を正平《せいへい》は、有名人であった。
もとは曹操に仕えていたのだが、言動が放埓にすぎたために嫌われ、劉表への使者になる。
そこでも嫌われて、最終的に黄祖のもとへ厄介払いされた、いわくつきの人物である。


「禰正平どのは、なかなかの才人でありました。
傲慢な男でありましたが、それは一方で、純粋で正直にすぎたからだと思うのです。
わたしは、かれが、度量のひろい人物と出会えていたなら、その性質も矯正され、本来の力を引き出せていたのではないかと思っております。
ところが、わが君は、禰正平どのの言葉がゆるせぬと言って、くびり殺しておしまいになった」
「それは聞いております。無惨な最期であったとか」
「左様。しかし、わたしが見るところ、興覇どのも、かれと似たような道をたどりつつある気がしてなりませぬ」


おれが禰衡のように、ひどい最期をむかえるというのか。
なぜ、こんな不快な話題を持ち出すのだろう。
甘寧が蘇飛の気持ちをはかりかねていると、蘇飛は、顔をぐっとちかづけて、さらにささやいた。
「あなたは、この田舎でくすぶっていてよい人物ではない。
わたしが協力してさしあげます。孫権のもとへお行きなさい」
甘寧は目をみひらいて、蘇飛を見た。
蘇飛は覚悟をきめた顔で、こくりと一回だけうなずいた。


蘇飛の計画とは、こうであった。
黄祖が甘寧を厚遇することは、おそらくは、もうない。
そして、いま、黄祖は、甘寧の子分たちのなかでも、見どころのある者のほとんどを引き抜いたので、満足している。
その油断を逆手にとる。


蘇飛は言う。
自分から、甘寧を片田舎の県長にすべしと進言するという。
黄祖がそれを受けたなら、甘寧は田舎に引っ込むふりをして、すぐさま江東に向かえばよい。
夏口にいるから、黄祖ににらまれて、身動きがとれないのだ。
しかし、夏口から離れてしまえば、あとはしめたもの。


「東に近い、邾《ちゅう》県が適任でしょう。
あそこからなら、江東は目と鼻の先です。
よろしいか、なるべくわが君には悟られぬよう、慎重にお行きなさい」


甘寧が驚いたことには、蘇飛はすぐさま計画を実行に移した。
さっそく黄祖に進言して、夏口から、さらに長江を東にむかった川沿いの町の県長の役目に、甘寧を推薦したのである。
蘇飛の読みは当たった。
黄祖からすれば、甘寧は側に置いておきたくない人物だった。
それを田舎に追いやれるならば、ちょうどいいと思ったらしい。


甘寧は蘇飛に感謝した。
蘇飛が、危ない橋を自分のために渡ってくれるとは、思ってもいなかったのである。
そこで、蘇飛にも一緒に江東に行かないかと誘った。
しかし蘇飛は首を縦に振ることはしなかった。
「わたしはあなたとちがって、わが君から恩を受けている身なのです。
これを裏切って、江東に行くことはできません。
しかし、あなたはちがう。あなたは、ここにいるべき人ではない。
敵味方になってしまうのは残念ですが、これも宿命というものでしょう」


甘寧はそれでもなお、蘇飛を説得しようとしたが、結局、うまくいかなかった。
甘寧はますます蘇飛を尊敬し、いかなることがあろうと、このことは忘れまい、この恩義はいつかかならず返すのだと、心に誓った。







さて、いよいよ江東へ向かわんとした甘寧であるが、残った部下たちだけで逃げることはしなかった。
甘寧は、自分のもとを去った子分たちのことも、気にかけたのだ。
というのも、自分が孫権の側につく以上は、黄祖の運命も、すぐに尽きるだろうという読みがあったのである。
もちろん、そのことだけではない。
曹操が南下してくれば、黄祖の背後にいる劉表も倒れ、おなじく黄祖も呆気なく蹴散らされるだろうという予想もあったのだ。


こうした情の深さが子分たちの心をうごかし、一度は黄祖に与していた者も、ひとり、またひとりと、甘寧のもとへ戻ってきた。
そして、甘寧は、ただひとつ、蘇飛のことだけを気にしながら、ようやく孫権のもとへと向かったのであった。


心を躍らせながら甘寧は江東の地に足を踏み入れた。
しかし、一方で不安がないわけではない。
なにせ、劉璋、劉表、黄祖と、これまでことごとく、冷遇され、期待を裏切られつづけてきた。
しかも、心ならずとはいえ、黄祖のもとで、何度か孫権と刃を交えてもいる。
仕官したいと申し出たところで、わかりましたと、簡単に迎えてもらえるものなのか、どうか。
最悪の場合は、捕らえられて首を跳ねられてしまうかもしれないなと、甘寧は覚悟した。


ところがである。


帰順の意をあらわして孫権に書状をおくった甘寧のもとに、すぐさま返事がやってきた。
返事を寄越したのは、孫権ではなく、孫権の家臣のひとり、呂蒙からのものであった。


呂蒙もまた、甘寧に負けず劣らず、気性の激しい男である。
少年時代から、成り上がることを夢見て、武器を手に、揚州に出没する異民族たちを討伐する軍に参加していた。
あるとき、軍の役人に、年が若いことを理由に、ひどく面罵されたことがあった。
それが一度だけではなく、二度にわたったため、呂蒙はとうとう堪忍袋の緒を切らし、これを斬り殺してしまったのである。
とはいえ、この殺人には、呂蒙ばかりに非があったのではない。
庇《かば》ってくれる者が多くいて、これが、孫権にとりなしをしてくれた。
そこで呂蒙は孫権のもとに出頭し、そのまま気に入られて、家臣になることを許されたのである。
呂蒙は、それ以来、すっかり粗暴な真似をしなくなった。
おのれをかばってくれた者たちへの恩義を深く感じ、その経験を通して、他者への配慮も学ぶようになっていった。


さらに、呂蒙と甘寧には、似たところがあった。
ただの武辺者ではなく、ひろい視野でもって、天下を見ることができたのである。


つづく


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甘寧の物語、次回もどうぞおたのしみにー(*^▽^*)

番外編 甘寧の物語 その4

2024年02月25日 10時00分39秒 | 番外編・甘寧の物語



しかし、夏口での三年間は、甘寧にとって、無駄な年月にはならなかった。
黄祖は問題のある人物ではあった。
だが、熟練のつわもので、戦上手であることには変わりがない。
黄祖のあつかう水練になれた兵卒たちをあずけられ、将としてはたらくことになった甘寧は、そこで、はじめて、正規の軍隊における水軍の動かし方、というものを学んだ。
それまで、故郷の臨江にて、海賊まがいのことをしたこともあった。
しかし、本物の水軍は、やはりすべての規模がちがっていた。
気心のしれた子分たちを動かすのと、兵卒たちに号令をかけるのとは、使う能力がちがう。
甘寧は必死に兵法の勉強をし、将とはなんぞやと、おのれの頭で考えつづけた。
そうこうしていくうち、やくざ者の雰囲気は薄れ、かれにはどっしりとした落ち着きが備わり始めた。
当然のことながら、周囲の扱い方も変わってくる。


こうした甘寧の変化を支えるものが、もうひとつあった。
黄祖の部下で、蘇飛《そひ》という人物の存在である。
蘇飛は、黄祖の不足しているところを上手に補佐する、地味ながらも有能な男であった。
その蘇飛は人を見る目を備えていた。
短気ではあるが男気があり、なかなかに見識も高い甘寧を気に入ったようである。
さらに、甘寧が部下たちにたいへん慕われていることや、短いあいだに、どんどんと、水軍を動かすための知識や技術をおのれのものにしていく様子を見て、甘寧をひとかどの人物と認めた。


蘇飛の友情はほんものだった。
かれは何度も、黄祖に、甘寧を厚遇するようにと進言してくれるまでになった。
甘寧のほうも、冷遇されている自分にたいし、なにかと気にかけてくれる蘇飛に感謝した。
益州の劉璋、荊州の劉表、その二人の英雄と言われている男たちが認めてくれなかった自分を、本当に認めてくれる人物がいる、ということだけで、甘寧は嬉しかった。
くわえて、学識では蘇飛のほうが上だったので、甘寧は学問の教えを請うことになった。


こうして次第に親密な関係になっていった二人であったが、一方で、黄祖の甘寧いじめはつづいた。
甘寧をまるきり無視しつづけるのはもちろんのこと、蘇飛の進言にも耳を貸さなかった。
それどころか、甘寧が調練した水軍をうばって、ほかの部下に与えたり、あるいは、臨江からずっと付いてきてくれた子分たちを、金や地位で誘惑して、自分の直接の配下に加えることをはじめた。
そうすることで、甘寧を孤立させたのである。


甘寧は、それでも、しばらくは黙って耐えていた。
なんにせよ、親戚は黄祖に恩義があると言い張っているし、自分も黄祖から禄を与えられている。
それに、夏口で黄祖が頑張っている以上は、これから逃れて孫呉に向かうことは、とうていむずかしかった。
もっと若かったころの甘寧ならば、あとのことは知るものかと、残った手下たちと一緒に夏口を出発したかもしれない。
だが、さまざまに学問をおさめ、武将としてのおのれの身の振る舞い方を真剣に考えるようになってからは、物の考え方が、ずいぶん慎重になっていた。
けんめいに身につけたものが、甘寧の動きを鈍くする重石《おもし》の役目をになってしまったのは、皮肉なものであった。





黄祖に甘寧が仕えてからしばらく経って、江東の孫権との戦が起こった。
甘寧は、もともと孫権に仕えたかった。
だから、あまり戦をしたくない。
とはいえ、いまは黄祖に仕えている以上、これに従わねばならなかった。


戦いはいつもの如く熾烈を極めた。
若かった黄祖なら、これを撃退できたかもしれない。
だが、黄祖は老いていた。
戦局はどんどんと、悪くなっていった。


甘寧はどこか呑気なもので、
『やはり、孫権軍はつよい、若いから勢いがある。できればあちらに行きたいな』
などと考えていた。
しかし命のやりとりの現場で、必死に戦っている部下たちを見捨てて降伏するなど、とてもではないが考えられない。
むしろ甘寧は、敗走する部下たちを上手にまとめて、追撃してくる孫権軍と戦った。


孫権軍のなかで、いちばん先頭にたって追いかけてくるのは、凌操《りょうそう》という男であった。
甘寧は知らなかったが、孫権が戦を起こすと、その先鋒は、いつもと言っていいほど、凌操だったのだ。
このときも、凌操は、部下たちといっしょに、勇猛果敢に追いかけてきた。
甘寧はしかし、あわてず騒がず、船の舳先にすっくと立つと、弓をかまえて、凌操めがけて矢をはなった。
みごと、矢は凌操の身体をつらぬいた。
歴戦のつわものであった凌操が死んだことは、追撃していた孫権軍に大きな衝撃をあたえた。
孫権軍は追いかけてくることはせず、黄祖は命拾いをしたのである。


これほど大きな勲功をあげながらも、やはり、黄祖の甘寧に対する扱いは変わらなかった。
このころになると、甘寧もすっかりしょげていた。
運のない親分を見限って、子分たちも次第にいなくなるし、蘇飛のほかは友と呼べる者はないし、それでまた元気がいっそうなくなるので、ますます残った子分たちも離れていくし。
塞ぎこむことが多くなった。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
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とってもうれしいです!
甘寧の物語、今月いっぱいですが、おたのしみください。
そして、来月からは「赤壁編」を更新できそうです。
「飛鏡、天に輝く」とはまたちがった展開での赤壁の物語になりますので、どうぞ出来上がったら読んでみてくださいませ(^^♪
励ましてもらって、ほんとうにありがたいです。がんばって書きまーす!

ではでは、次回もどうぞおたのしみにー(*^▽^*)

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