はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

生まれ出(いず)る心に 3

2018年07月13日 14時03分35秒 | 生まれ出る心に

殺すのはたやすい。だが、生かすのはむずかしい。
そう言ったのは誰であったか。『村』の人間か? 
ちがう、軍師だ。あのひとが、いつだったか、そう言っていた。
偉度は、いまこそ、その意味を理解した気がした。
名前を読んでも、振り返ることを途中であきらめ、死を選んだ娘。
なぜ死ななければならなかった? 
最後に見たときは、とてもそんな様子ではなかったのに。

蕭花の父親の薛は、それから喪に服しているとかで、左将軍府にも顔を見せなかった。
代わりにやってきたという男に話を聞いたところ、わたしはまったくの臨時の雇われで、くわしいことはわかりませんが、縁談が、破談になった、とかいう話でもないそうですよ、と言う。
商売が立ち行かなくなった、というわけではない。左将軍府の筆の仕入れを一手に任されていた家だ。
となると、博打かなにかの借金が、実はあったので、家門が傾いた、という話だろうか。

偉度は主簿の仕事は、ほかの主簿たち(孔明は複数の主簿をつかっており、それを束ねる仕事を偉度はしていたのである。ちなみに全員が偉度よりずっと年上であったが、この限りなく有能かつ毒舌な青年に、従わない者はだれもいなかった)にいつもの仕事をまかせ、薛家へと足を運んでみることにした。
はじめて足を運ぶ薛家は、立派な門構えの、清潔で規律正しい家人のひとがらをしのばせる、大きな屋敷であった。
しかし、喪に服している、というだけあって、家は沈黙し、なにやらそこだけが、ぽつりとすべてから取り残されて、凍りついた空気に閉ざされているようですらある。
偉度は門を叩き、中の者を呼ぼうとしたが、だれも出てくる気配がない。
しばらく粘って門を叩いていると、やがて裏口のほうから、迷惑そうな顔をして、小太りの中年女が姿をあらわした。
見慣れぬ来訪者の姿に、中年女は、あからさまに胡散臭そうに、剣呑な眼差しをむけてきたが、名乗るとおどろいて、ここではなんですから、といって、屋敷の中ではなく、人気のない路地に、偉度をぐいぐいと引っ張っていく。

「あたしは、あの家に、通いで雇われている賄(まかない)なのでございますが」
と、中年女は、偉度の名と役職を聞いた時点で、すっかり興奮している様子で言う。
「ひどい話でございますよ。ええ、間違いはないのでございますが」
「なにがだ」
「あの家に、強盗が入ったことでございます」
「強盗だと? いつのことだ?」
「お嬢様のお亡くなりになる二日ほど前でしょうか。あたしがいつものように、お屋敷に参りますと、旦那様が一晩中起きていなさったのか、ずいぶんやつれた様子で出ていらして…いいえ、あれははっきりと泣いておられました。
そうしていきなり、あたしに、今日はよいから、もうかえっていい、とおっしゃるのです。しかも、小銭までくださったのですよ。もちろん、突っ返しましたとも。その日のお給金をいただけないのは、たしかに苦しいですけれど、それじゃあ、まるで口止め料のようではありませんか。それで、帰るフリをして、こっそり庭にまわって、中を覗いてみたのです」
と、ここで賄い女は、はっと気づいたらしく、手をぶんぶんと振って、偉度に言い訳した。
「もちろん、旦那さまたちが心配だったからですよ。ええ、それだけですからね。ともかく、いったいなにがあったのだろうと思ってみたら、驚くじゃありませんか、旦那さまが、たったひとりで、めちゃくちゃになった家の中を片付けしてらっしゃるのです。
酔っ払いの喧嘩でそうなった、なんてものじゃありませんよ、あれは。もうあたりはぜんぶひっくり返されて、ぼろぼろになっている、というふうなのです」
「そのとき、蕭花どのはいらしたのかね?」
「お嬢様は、奥にいらしたようで、あたしは見ていません。旦那さまに声をかけようかと、よっぽど迷ったのですけれど、家に入ってほしくない様子でしたから、あたしとしても引き返すしかありません。それでもだいぶ迷って、どうしよう、どうしようとお屋敷のそばをうろうろしていたら、お医者さまがいらしたようなのです」
「医者?」
賄い女は、偉度の目をまっすぐ見て、頷いた。
「そうしましたら、旦那様がやはり応対に出られたようなのですけれど、とたん、お嬢様の声がいたしまして、それはもう、すさまじい剣幕で、誰にも会いたくない、帰って、帰ってもらってと、まるで気が狂ってしまわれたかのような声で」
と、その声を思い出したらしく、賄い女はぶるりと身体を震わせた。
そうして、偉度の顔をまたじっと見つめると、言う。
「お役人のところに行くべきか、ずいぶん悩みましたけれど、でも、お分かりになるでしょう。もしや、と思いまして。お嬢様の名誉に関わることです。あたしで力になれることは、お嬢様のご様子を見守ってさしあげるだけですわ。それで、次の日もお屋敷に参りましたら、お嬢様は、お部屋に閉じこもりになって、一度も顔を見せてくださいませんでした」
「家の中の様子は?」
「旦那さまがお片づけになったのでしょう。ちょっと片付きが悪くなっている程度でございました」
「待て。屋敷にあった、金目のものが盗まれたようだ、というのには気づかなかったか?」
偉度に問われ、賄い女は、ああ、そういえば、おかしゅうございますね、と首をひねる。
「旦那さまが一番大事にしてらした、銀の妓女のお人形や、茶葉の入った壷は盗まれておりませんでした。あたしが泥棒だったら、ぜったいに見逃しやしないのに」
「金目のものが目当てじゃないのだろう」
そうつぶやいた途端、偉度は体中の血が沸騰するかのような、はげしい怒りに捕らわれた。

感情を抑えること、つねに冷静であること。
そう躾けられて刺客として育てられた。
苛烈な生活のなかで、死にゆく者に対しての感情は薄かった。
いや、もっとも無感動になるようにと育てられてきたからだ。
いま、偉度は、樊城で味わった、あの永遠に癒されぬ傷を負ったのとおなじくらいの、冷たく深い傷を負ったのを覚えた。
劉備の話していた、仏門に入ってしまったという女官のこと、そして、左将軍府で、恥らった笑みをみせていた蕭花の、振り返らなかった、わずかな横顔が頭をよぎる。
『盗賊』はいるのだ。
だが、だれも訴えない。
なぜか。
訴えられないからだ。
訴えられないことをわかっていて、狼藉を働いて、去っていく。

「薛家の主人は、いまどうしてなさる」
ひどく乾いてはいるが、それでも冷静で、震えてもいないおのれの声に、偉度はうんざりした。
ここまできて、熱を覚えるということがないのか、わたしは。
「ひどく落ち込まれております。あの医者でしょうか。どうしてか、うちに盗賊が入ったのではないかと噂が立っていて、興味本位に訪問してくる者が、あとをたたないのでございますよ。今朝だって、なんだか蜘蛛みたいな体型の男がやってきて、いきなりご主人にお会いしたい、なんていうものですから、もちろん、野良犬を追っ払うみたいに、水をぶっかけて追い返してやりましたけれど」
「そうか。ご主人が、姑娘のあとを追おうなどと考えないよう、おまえ、ちゃんと見ていてやってくれ」
「ええ、それはもう。うちの親戚の者にも頼んで、二人で目を離さないようにしておりますから、安心してくださいませ。で」
「で?」
賄い女は、強い眼差しで偉度を見据える。
人は、ときに残酷で、ときにひどく優しい。
世の中の複雑さに、戸惑いを覚えるのは、こういうときだ。
「わかっておる。左将軍府事の主簿たる、わたしが動くのだ。蕭花殿の仇は、きっと討ってくれようぞ」
「ありがとうございます。とてもおやさしくて、あたしの自慢のお嬢様でした。あんなふうにお亡くなりになるなんて、とても黙っておられません」
「だが、しばらくは沈黙を。よいな」
賄い女は頷くと、偉度が立ち去るまで、深々と頭を下げたまま、その場に留まりつづけていた。

偉度は、立ち去りざま、薛家の屋敷を見上げた。
薛は、娘のために沈黙を守ったのだ。
それのに、どこからか話が漏れていく。
あの賄い女ではなかろう。
おしゃべりはたしかだが、口を閉ざすべきには、閉ざすことができる性質の女だ。
と、すれば、話を漏らしているのは、狼藉者本人であろう。

村での生活は悲惨をきわめた。
顔立ちのよいものは、十歳を越したあたりから『特殊な仕事』をするために選ばれて、仕込まれて、『荊州を守るため』に己の身体を穢しつづける。
これが、ほんとうにみなのためになるのか、疑惑を抱くことすら許されなかった。
ひたすらよいことなのだ、よいことなのだと自分に犠牲を強いて、それがじつは偽りだったと知ったとき、偉度の中にあった純粋なものは砕け散ってしまった。
堕ちるところまで堕ちたってよかった。
人を殺してもなんとも思わなかった。
だれが何をしようと、だれと何をしていようと、喜怒哀楽、すべてがつながらない。
バラバラになった体と心を持て余し、それでもなんとか繋げて、心を傾けてみた相手もいたけれど、その者は自分を選ばず、そして死んだ。

軍師は、わたしを育てなおしている、と、主公はおっしゃっていたな。
偉度は思わず苦い笑みを浮かべてしまう。
そうではない。あのひとは、きっかけを作っただけ。
胡偉度という人間は、いま諸葛孔明という胎盤をとおして、生み直されている最中なのだ。
女ではないし、母でもないからわからないけれど、感情が生まれ出る瞬間は、こんなに苦しく悲しいものなのか。
怒りがおさまらぬ。
朝に、薛家を訪れた、野次馬が、いったい、どこから話を聞きつけてきたかが問題だろう。
そいつを辿っていけば、あるいは…

と、考える偉度の目の前に、まさに僥倖。
怪しげな男が、暗がりにて、薛家の塀の外で、ぴょんぴょんと飛びながら、中をうかがおうとしている。
手足が異様に長い。
蜘蛛のような体型の男…こいつか。
偉度は、そっと忍ばせていた短剣を抜き放つと、しずかに男の背後に忍び寄っていった。
もとより、偉度の足音は、よほどの手練れでなければ、感知することのできない類いのものだ。
手に馴染む短刀をさっと宙にふりあげ、自分より背の高い男の背後より、ぐっと顎を掴んで上を向かせるようにして、その咽喉笛に、ぎらりと光る刃を突きつける。
「何者ぞ」
ありったけの殺意をこめた一言であった。
この一言を聞いただけでも、歴戦の将でさえ、粟肌を立てずにはいられないだろう。
男は答えない。
怯えて声も出ないのか。それとも、単なる野次馬か。
どちらにしろ、只で返すつもりはなかった。
偉度はさらに顎を掴む手を強くし、動脈のぎりぎりのところで刃をちくりと肌に刺す。そして二度目の誰何をした。
「何者ぞ。答えよ」
「ほ、ほはへなは」
意味不明の言葉が返ってきた。
なるほど、あまりに顎を上に向かせすぎたため、まともな発音ができずにいるらしい。そこで、偉度は顎を掴む手を緩めた。
が、刃を突きつける力は、いっそう強くなる。
この暗い路地で、咽喉笛を切り裂いて捨ててやっても良いのだ。
男は、すこし口が自由になったらしく、ようやく言った。

「お、おまえなぁ、いつも、こんなことをしているのか」

つづく……


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