はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

虚舟の埋葬・あとがき 2

2009年08月21日 17時22分08秒 | 虚舟の埋葬
とはいえ、人間の感情には波があるわけで、文偉が、一時、覚悟を決めて、あえて策謀を張り巡らせたことがあったのかもしれない。

私利私欲のためではなく、だれかのために、あえて策謀を使ったとしたら?

そうなると、また視点がちがってきます。
楊儀と魏延、どちらかが生きていると、困ってしまう人物はだれか?
やはり蒋琬か。
盟友である蒋琬を守るために、文偉はあえて前線で動いたのか?
とはいえ、魏延や楊儀にまったく味方がいなかった、というわけではないでしょうし、文偉、共犯として姜維、この二人が動いたとして、ほかの、馬岱や王平といった人たちが、黙っていたでしょうか? 
魏延は優秀な男で、馬鹿ではなかったから、自分の力を強めるために、賛同者を増やしていたはずです。
魏延の動きを制し、孤立させることが可能な人物、そして、ほかの家臣たちをも黙らせることが出来、魏延や楊儀の死が、みなから必然として迎えられる状況を作れるのは?
ただ一人。孔明です。
つまり、深読みしてぐるぐる考えていたら、あら不思議、結局、元に戻ってきていたのでした。

細かく説明すると、以下の通り。
孔明は、自分の後継としては、楊儀も魏延もふさわしくなく、自分がいたからこそ、ふたりは活用できたと思っていた。文官の楊儀より、魏延のほうが、孔明には危険な存在に映った。
とはいえ、楊儀も危ういことにはちがいない。
そこで、孔明は、楊儀には内緒で、文偉に、二人を消すようにと別の指示を出していたのではないか? 
蜀の実権は孔明が握っており、その力は絶大なものだった。
そのため、孔明の死後しばらくは、力がまだ諸将に及んでおり、孔明の遺言どおりに動く文偉に、異議を挟むものもなく、策は成り、二人は死ぬこととなった…

政権交代のために家門が凋落し、貧乏のきわみにいた文偉を引き上げたのは、孔明です。とてもとても恩を感じていたにちがいない。
孔明の死には本当に動揺したことでしょう。
そして、孔明の遺言を忠実に実行した。

そこに気づいたとき、ブラック・ヒイ説は、はさみのの中で破棄されました。

魏略の記載がなかなか邪魔者で、ほかにも、もっと暗い可能性を探すことはできます。
しかし、文偉の性格、魏延や楊儀の性格と、馬謖でさえ斬るのにためらわなかった孔明の厳しさをあわせて、わたしなりに考え、こうじゃなかったのかしらん、と結論しました。

今回、このお話を書くにあたり、文偉を主役に据えたのは、きっかけが『ブラック・ヒイ説』であったからです。

はさみのは認識不足でよく知らないのですが、五丈原というと、だいたい孔明や姜維、仲達に目線を集めたものが多く、文偉や楊儀たちに焦点を当てたものは、少ないのではないでしょうか。
書きながら気づいたこともずいぶんありました。
同国人の、魏延への同情の声が、これほどないのは、帰国するために必要な橋を焼き落とし、敵地に多くの仲間を孤立させる状態を、一時的にでも作ったことが原因だったのでは、とか、ともかく、ネタがつぎつぎ浮かんできて、重い内容ではありますが、とても楽しく書くことができました。

文偉の目線で見た五丈原なので、通常だと山場になりそうな、魏延の最期も、説明だけで終わらせております。
魏延の死は必然だったのか? 
その問いに、いまのところ出しうる力ぜんぶを使って書いたつもりです。
もちろん、舌足らずな部分があるかと思いますが、そこはご容赦を。
本当にかわいそうなのは楊儀でして、ずいぶん歪んだ人になってしまいました。
ただ、心の病になっていたのは間違いなさそうでしたので、そのあたり、今後、知識を得るか、あるいは実体験(いやだなー)で楊儀の気持ちはちがうだろう、と思うときがきましたら、また書き換える予定です。

さて、このお話の続編を書く予定は、いまのところありません。

ありませんので、どういう流れを想定して書いたかをすこしだけ。
劉禅の静かなる暴走は、だんだんひどくなっていき、かれは、自分の意のままになりそうな、家臣の子弟(孔明の子など)を寵愛し、かれらを側近として重用するようになります。
この動きを止めるため、文偉は休昭と相談し、自分の子らを後宮に入れることで、その発言力を高めようとします。
しかし、懸命の努力も、蒋琬と休昭が、相次いではやり病で死ぬことによって、崩れていきます。
文偉は、二人を失ったことで、対外政策を一部切り捨てることにして、国内の引締めに専念せざるを得なくなり、それが、逆に劉禅や宦官たちの力を強めてしまうのです。
そして決定打となるのが、文偉が魏の降将に暗殺されてしまったこと。
強力な味方を失った姜維は、孤立を深めていき、最後は、劉禅から見捨てられ、死に至ることになってしまうのでした。

あらすじ書いただけで、しょんぼりしてきます。
劉禅については、また別の見方をすることもできます。
かねてより、魏延と楊儀の確執を快く思っていなかった劉禅が、『孔明の遺志を守るために』蒋琬の出兵をゆるしたのかもしれません。
最初にこの物語をつくった当初は、孔明の霊廟を建て渋ったというエピソードに引っかかりをおぼえたので、こういう造形にいたしました。
この霊廟に関しても、すっかり怠惰な生活に慣れていた劉禅が、孔明の祭祀を公的に許すことで、姜維を始めとするタカ派が勢いづくのを恐れたというだけのことかもしれない。

まだ調べきっていないのですが、姜維と共に死んだ人たちに、文偉の娘婿(皇太子)や蒋琬の子などが含まれているのですが、それは、姜維と、文偉や蒋琬たちとの関係の強さの証明にならないかしらん、とも思います。


さてはて、今回のお話ですが、タイトルをつけるのに、とても迷いました。
仮タイトルの『最初で最後の策謀』は、文偉の動きから名づけたものです。が、政治家として、これが最後の策謀というのはありえない、ということに気づき、変更することにしました。
つづいてつけたタイトルは『龍の葬列』。
あ、孔明の葬式か、とイメージしやすいかしらん、と思ったのですが(楊儀の死のしめくくりの一文は、ここから取っています)、なんだかありきたり。
ほかにも、『介士、愁眠にあり』『虚妄の儀礼』『斗の虚礼』など考えたのですが、どうもぴったりこない。
で、『虚舟の埋葬』に決定。
すぐに五丈原とわからないところがミソ(と、いうか、わかりにくいだろう…)
虚舟とは、からの舟、あるいは虚心のたとえの意味。
からの舟、というのが孔明の棺のことなのか、それとも虚心のことで、むなしい心、つまりは文偉や姜維の心のことか、孔明の絶望を指すのか、あるいは『虚心坦懐』のほうの虚心、公平無私な心、つまり孔明そのものを指すのか、文偉の中にあった、わだかまりのない心が失われたことを示すのか、そこは読んでくださった方にご想像をお任せします。
そして、文偉が最後に許されないと覚悟した『罪』がなんであるかも。

さて、最後に、今回のお話を楽しんでくださったみなさまに、あらためて感謝でございます。
これからも、このお話を超えるものを書けたらいいなと思っています。

おわり。

虚舟の埋葬・あとがき 1

2009年08月20日 17時08分28秒 | 虚舟の埋葬
ながいながーいお話となりましたが、ご読了どうもありがとうございました。お時間をいただきまして恐縮です。多謝ですm(__)m 

わたしは、正史三国志のなかでは、孔明、董和の伝につづいて、費文偉の伝がすきです。
孔明や董和は、立派な人だったんだな、と感心してしまうのですが、文偉の場合は、人柄がにじみでている。
「いいひと」だったんだな、という印象を受けます。
が、このサイトを開設してから、ほかの人物の伝と平行して見ていると、ひっかかる部分が。

それは、孔明の死後に発生した、魏延の謀反と、楊儀のその後の悲惨な死。
この両者の死に深くかかわっているのが、費文偉なのです。
魏延と楊儀の最後については、演義がもっともオーソドックスな流れだと思います。
儂を討てるものがおるか、と呼ばわると、馬岱が、ここにおるぞ! と答えて魏延の首を刎ねる…
しかし、正史を読むと、魏延は、けっして謀反を起こしたのではない、という陳寿の言葉と、さらに魏延の伝についている『魏略』の『なぜこうまで違うのか』と疑問符をつけられて紹介されている、『魏延こそが孔明の棺を守っていたが、身の危険をおぼえた楊儀に殺された』という注釈のせいで、印象が微妙なものになってきます。

とりあえず、陳寿や季漢補臣賛の作者のコメントは横においておき、じつは、魏延と楊儀の死が、謀殺であったなら?
ミステリーのセオリーに当てはめると、この二人が死ぬことで、当時、いちばん得する人間は……費文偉? 
ちがいます。蒋琬です。

蒋琬と文偉、そして休昭が、ずっと共闘体制をとっていたのは、蒋琬が尚書令と益州刺史を兼任した際に、文偉と休昭に、自分の地位を譲りたいと劉禅に言っていることからわかります。
差し引いて考えても、よい関係を築いていたはず。
孔明の死後は、後継と指名された蒋琬ですが、不安材料が。
蒋琬は無名で、経歴もあまりよろしくない。
対する楊儀のほうがベテラン。
しかし、性格に問題があった。
魏延もまた同様。
かれらが新しい体制に障害になるのは、目に見えている。
そこで、孔明の後継を速やかに引き継ぐため、問題を起こしそうな二人を、費文偉と共謀して殺してしまったとしたら…

二人の死後、いちばん得したのは蒋琬・文偉・休昭の一派である。
特に文偉は、自分の息子の嫁に劉禅の娘、自分の長女は皇太子妃にと、後宮政治にも乗り出しており、それだけ見ると、なかなか権勢欲が強かった…ようにも見える。
わたしは、これをブラック・ヒイ説と名づけ、いつか小説にしようと構想を練っておりました。

しかし、たびたび費文偉の伝を見ていると、なんだか違和感がある。
それは、わたしが文偉に思い入れを強くしてしまったからではなく、ブラック・ヒイ説を採ると、文偉の性格に整合性がなくなってしまうからなのです。
費文偉というのは、公務中に博打を打ったり酒を飲んだりと、なかなか豪快な人物なのですが、反面、慎重なところも持ち合わせていて、呉へ使者として赴いたさい、孫権に矢継ぎ早に質問されて困ってしまい、わざと座を外すと、ひそかに答えのアンチョコを作って、座に戻り、答えた、ということをしております。
孔明のように、打てば響く、といったタイプではなかったようです。
妙な答えをして、孫権を怒らせたらマズイ、と思ったのもあるのでしょうが、そこには責任感や真面目とともに、、誠実な人柄がうかがえます。

さて、こういう人物が、孔明の死後、一転して、魏延を騙し、楊儀を庶民に落とす。
これはまちがいないところなわけですが、伝を読むかぎりでは、そこだけが、文偉が大きく動いた、黒い部分で、ほかのエピソードに、陰湿さは感じられません。

姜維に兵を一万しか預けていなかったということも、そこに暗い思惑は感じられない。
姜維が文偉に不満を持っていた、ということを臭わせるようなものはない……史料から引き出した憶測のみになってしまうのですが、姜維は、文偉が死ぬまで、何十年と言うことを聞いていたわけですから、悪い関係ではなかったと思います。

つづく…

虚舟の埋葬 31

2009年08月19日 20時58分38秒 | 虚舟の埋葬
嘘は通じまい。
文偉は、似た面差しを持ちながらも、あまりに純粋で、真っ正直にすぎる姜維の眼差しを受けながら、静かに言った。
「丞相のご遺志だ」
姜維は柳眉をしかめた。
「まさか」
「丞相は、二人を連れて行くと言い切った。その志にわたしは従ったまでのこと。おまえは勘違いを起こしているかもしれぬが、わたしは楊威公の狂気を煽り立ててはおらぬ。公務から外すように進言したのも、蜀の未来のためだ」
とたん、姜維は、秀麗な顔を険しくして、怒鳴った。
「未来? 未来ですって? どのような未来なのですか! 丞相がいなくなった途端、魏文長は叛き、楊威公は狂い、貴方は陰湿な陰謀に耽っている! だれも、丞相のお心ざしを引き継いでいない! どういうことなのです!」

「楊威公が庶民に落とされて、蒋琬は守られたが、それでは済まなかったのが、楊威公その人だ。自分が零落した原因は、蒋?などではなく、都合が悪くなると見捨てた『その者』にあるのだと気づいてしまった。
そこで、庶民に落ちてからは、蒋琬ではなく、『その者』への激烈な誹謗文を書きはじめた。こうなると、もはやわたしでも手を出せぬ。楊威公は真に狂っていたのかもしれぬ。だから逮捕されることになった」
「それがまことであるというのなら、牢内での自害は、ほんとうに自害なのですか?」
「わからぬ。いまとなっては、そうであったらよいと思うばかりだ。だが、突き詰めれば、結局、わたしが楊威公を死に追いやったのかもしれぬ」

楊威公の死は、調べさせたものの、真相は不透明なまま終わった。
調べても、はっきりと陰謀の証拠を見つけることができなかったのである。
自害ともいえるし、陰謀とも疑える状況で、結局、うやむやにせざるを得なかった。
牢内での楊儀の死が、自らの意志による死であったらよいと願う気持ちは、おのれの罪が重くなることを恐れてのものか、それとも、内なる敵の非情さを恐れる気持ちなのか、文偉のなかでは、まだ整理がついていない。

「われらに出来ることは、ともに庶民に落とされていた楊威公の妻子を、ふたたび成都に戻してやることだけであった。それが、真相だ」
姜維の顔色が悪く見えるのは、けして葉陰のせいだけではあるまい。
「では、『その者』は、もう大人しくしているのでしょうか」
「いまはな。しかし、丞相にさえ心を開かなかったその者が、われらに心を開くかどうかは疑問だ。あの休昭さえ、手を焼くことが多くなったそうだからな。しかし、われらは、その者に期待を込めて呼びかけることを止めてはならぬ。これは、そういう戦いなのだ」
とたん、姜維は眦をつよくして、言った。
「なぜです? あの方は、いったいなにが不満だというのですか? この険阻な要害の地の奥にあって、みなに守られ、傅かれ生きている! まともに政務もしようとしない! 一度たりとも前線に出たことのない人間に、われらの苦労のなにが判るというのです! 安全な場所にいる者に、丞相のお気持ちなど、我らの気持ちなど、判るはずがない!」
「それは」

わかる、と言葉をつづけようとして、ふと、文偉は、姜維の言葉に、魏延の言葉と重なる部分を見つけて、思わず口を閉ざした。
こうして、あの男も不平を募らせて行ったのだ。
姜維の毒を引き受けてやって欲しいと、孔明は言った。
姜維は、孔明とはちがい、怖いくらいに純粋だ。
それは美点であり、同時に欠点でもある。
生真面目すぎるのだ……楊儀のように。
あの二人のように、孤立させてはならない。

「伯約よ、おまえの怒りは、わたしや休昭、蒋?も同じなのだ。だが、怒りをもって人を制することは、やはり出来ないのだよ。それは相手を滅ぼすだけだ。丞相も苦しんでおられた。
しかし、あの方はそれを耐え抜いたぞ。おまえが、丞相の遺志を継ぐというのなら、同じように耐えて見せるがいい。われらもまた、おまえと同じ苦しみを抱えていることを忘れるな」
言うと、姜維は悲しげに目を曇らせて、口はしに苦笑を浮かべた。
「一人が抱えていた苦しみを、四人で苦しもうというのですね」
「そうだ。人を恨み、卑屈になってはならぬ。その服を纏っていた方は、どんな辛苦の中にあろうと、いつも前を見据えておられた。辛いことではあるが、辛さに打ち勝ったからこそ、龍は龍でありえたのだ。おまえもそれに続け」
「丞相の後に続けとおっしゃるか」
「そうだ。おまえならば、出来よう」
力強く文偉が言うと、姜維は、すこし照れくさそうにして、笑った。
その、どこか憂いを帯びたうつくしい笑顔は、かつて青年であったころに見た、諸葛孔明の笑顔によく似ていた。

孔明は、姜維の器を作りきれなかったと言っていた。
どこまで出来るかはわからない。
しかし、文偉は、孔明がやり遂げられなかった事業を、蒋?が引き継ごうとしているのであれば、自分は、孔明が作ろうとしていた大器を、育ててみようと決意した。
歴史は紡がれゆくが、真実がかならずしも、そこに織り込まれていくとはかぎらない。
この静かなる戦いを、やがて見い出すものはあるだろうか。
龍は死んだ。しかし、まだ志は、われらの中に残っている。
志を守り、戦いに勝つこと。
それが、志なかばで挫折し、不本意な死をむかえた……いや、わたしが殺した、二人への手向けとなればいい。
しかし、わたしの罪は、許されることはないだろうと、文偉は覚悟し、瞑目した。


おわり

虚舟の埋葬 30

2009年08月18日 22時23分06秒 | 虚舟の埋葬
それは、姜維の本音であっただろう。
残暑のなか、庭の茂みから、のどかな虫の声が響いている。
庭の様子を、並ぶ部屋の扉の隙間から、子供たちが、こわごわと覗いているのが見えた。
どうしたものかと困っていると、奥から家人があらわれて、子供たちは遠ざけられ、扉は閉ざされた。

「わたしが楊威公を殺したと思うか」
「はい」
「殺す理由はなんだ?」
「わからない。だから、お聞きしているのです」
「伯約、聞いたとして、おまえはどうする。このことを上訴し、わたしに楊威公と同じ運命を辿らせるか」
「お話によります」
「おまえの心に叶う理由であったら?」
「生涯、沈黙を守ります」
「よろしい」

文偉は、息をつくと、一瞬だけ、まぶたを閉じた。
薄く閉ざされた闇の向こうに、亡き孔明の姿を思い出す。
貴方は偉大な方だった。すべての苦しみを引き受けていこうとした。
しかし、貴方は偉大だけれども、神ではなかった。
我らはやはり、貴方の抱えていた苦しみを、同じように抱えていくのだ。
そして、いま、貴方がもっとも心を残していった、貴方の志を受け継ぐ遺児に、同じものを背負わせようとする、このわたしをお許しください。

文偉はふたたび目を開き、姜維をまっすぐ見据えて、口を開く。
「蒋琬を守るためだ」
その言葉に、姜維はますます怪訝そうに眉をしかめた。
反論しそうなところを無視して、文偉は先を進めた。
「ある者がいる」
と、文偉は、慎重に言葉を選びながら話をつづけた。
「その者は、戦を拒む。国が疲弊すれば、己の地位が危うくなる…そう信じているからだ。だからこそ、戦を止めさせたいのであるが、しかし丞相が健在のあいだは、まちがってもそんなことを口にはできなかった。その者にとって、丞相は、実父より近しく、そして恐ろしい存在であったからだ。
しかし、丞相が病み、寿命が尽きかけていると知るや、その者は、丞相の志を継がない者を、つぎの後継に据えようと考えた。つまり、自分の意のままにできる人間だ。そこで、選ばれたのが楊威公だった。魏文長では駄目だった。かれは戦を好むからな。
そこで、その者は、楊威公とひそかに誼を通じ、その旨を伝えるのであるが、丞相がそれに気づかぬはずがない。すかさず密書を送り、つぎの後継は蒋琬が適任であることを伝え…丞相は多くは語られなかったが、もしかしたら、なんらかの策を必要として、やっと認められたのかもしれぬ…蒋琬は選ばれた。
しかし、丞相が亡くなれば、状況はひっくり返せると、その者は思っていたのかもしれぬ。楊威公の、丞相が亡くなられたときにみせた、奇妙な自信や言動は、その者の存在があったからこそなのだ。
蒋琬は、丞相より、後継を指名されていたから、丞相が亡くなったさい、早急に軍をととのえ、北上せんとした。しかし、結局、出発が遅れたのは、その者が、蒋琬を後継と、正式に認めるのをためらったからにほかならない。それが、蒋琬が、急使にもたせた、わたし宛の密書に書いてあったことだ」

密書には、すぐにでも孔明の元に参じたいが、ままならない現状に対する悔しさが綴られていた。
忘恩の徒とはいえ、長年の苦労をともにしてきた勇将を、狼のように狩りたてて殺すのは忍びないとも、蒋琬は書いていた。
もしも、蒋琬の出発が早く、南谷口に到着するのに間に合っていたなら、魏延は、自分が後継ではないことを認め、降伏した可能性がある。
蒋琬が後継だと知ったなら、魏延は態度を変えたかもしれないのだ。
魏延は、楊儀が許せなかったのだから。
反逆した事実は動かないから、やはり死を迎える結果になったであろう。
だが、その後の、楊儀の狼藉を許すような状態には、ならなかったはずである。

「楊威公が後継になれなかった理由は、単純なことだ。魏文長が死に、ただ帰国するだけならばよかったのだが、魏文長の遺体に楊威公が狼藉を働いたことは、みなの目には奇行としか映らなかった。
それゆえ、その者も、丞相のご遺志を曲げて、楊威公を後継に指名することはかなわなくなり、蒋琬が正式に後継となったのだ」
「では、楊威公を公務から遠ざけるように進言したのは、再び力をつけて、貴方のおっしゃる『その者』と結託することを防ぐため?」
「そうだ。今後のために、どうしても楊威公を失脚させる必要があった。伯約、わたしは丞相を苦しめた楊威公を、魏文長と同等に憎んだ。そのことは認めよう。
しかし、丞相は、楊威公を憐れみ、なるべくならば殺したくないとおっしゃった。成都に帰還してからの楊威公の態度が目に余るものであったのは、おまえも知っているだろう。過去の功績のことなど持ち出さず、そのまま刑場に送ることも可能であった。すくなくとも、わたしはそのつもりであった」

しかし、思いとどまったのは、最後に幕舎で聞いた、孔明の愁嘆が心の中にあったからである。
懐かしい時代を知る者だからこそ、つい甘やかしてしまったのだと、孔明は自戒もこめて悲しんでいた。
自分の甘さは、孔明の棺と共に葬ったつもりであった。
しかし、考えを変え、上奏し、庶民に落すことを進言したのは、自分を裏切っていると知りながら、それでも長生きをしてほしいと願っていた、孔明のためである。
楊威公に心があるならば、それが通じるだろうと、文偉は思っていた。
しかし、庶民に落とされた楊威公は、成都から遠く離れたことで、かえって、自分が利用されたことに気づいてしまったのである。

虚舟の埋葬 29

2009年08月17日 23時31分35秒 | 虚舟の埋葬

秋の気配をおぼえるようになってから、文偉は空をよく眺めるようになった。
しかし、成都の空は、五丈原で見た、無慈悲なほどにうつくしく澄み渡っていた青空とはちがい、無粋な曇り空である。
冬になれば、晴れ間も増えるのであるが。

孔明が死んでからの、混乱を極めた数日間は、すでに一年前の記憶となり、忙しさに流されて、いまは夢の残滓のように、ときおりふと思い出されるばかりである。
費文偉は後軍師に昇進し、尚書令となったを蒋琬の片腕として、孔明亡きあとの蜀の建て直しに追われている。
孔明が一手に引き受けていた仕事の量は、膨大としか表現ができないほどの量でだけではなく、文偉や姜維、休昭までも翻弄した。
ようやく慣れてはきたものの、自分が不安定な砂礫の上で踏ん張っているような感覚は抜けない。
これは蒋琬や休昭も同じであるらしく、ふたりとも、この一年でずいぶん面変わりをした。
三人集れば、まず話題にのぼるのが、それぞれの容姿のことだ。
老けた、やつれた、痩せた。
中年太りが気になる年代に入っているはずなのに、だれひとりとして太らない。
孔明もずいぶん痩せていた。もともとの体質もあったのだろうが、仕事の量に、文字通り身を削られていたということもあったのだろう。
最初は、孔明のことを思い出すと、しんみりと目に涙を溜めてばかりいた休昭も、一年経って、ようやく笑って話せるようになった。
逆に、蒋琬は話したがらない。
それぞれに、さまざまな想いがあるのだ。



庭に出て、とりとめのない思索に耽っていると、家人が、客がやってきたと告げた。
庭には、文偉の子と、引き取って養育している亡き従兄の子らが、一緒になって土だんごを作って遊んでいたが、文偉はこれを部屋に下がらせると、客を通すように命じた。
季節外れの蝉が、庭木に止まって鳴いている。
一瞬、薄曇の空が晴れ、文偉はまぶしさに目を庇い、それから、転じて、薄暗い屋敷を見た。
客がこちらにやってくる。
家人に案内され、廊下をやってきた男を見て、文偉は、心臓を突かれたような思いがした。
その衣擦れの音も、歩みも、颯爽たる雰囲気も、まさにそのもの。
孔明が、こちらに向かって歩いている。

思わず声をなくしていると、孔明は、怪訝そうに首をひねって、尋ねてきた。
「どうなされたのです、幽霊でも見たような顔をして」
「姜伯約か?」
よほど奇妙な顔つきをしていたのだろう。廊下の姜維は、心配そうに文偉の顔をのぞきこむ。
その華やかで凛々しい風貌は、孔明ではなく、姜維のものであった。
「お加減でもわるいのですか? ならば、改めますが」
「いや、大丈夫だ。急に陽が出たので、おどろいてしまったのだ」
文偉が言うと、犬じゃあるまいし、と姜維は呆れた。
この口調、この態度、まぎれもなく姜維である。
孔明の挙搓とはまったく違うのであるが、武装を解き、洒落た平服に身をつつんだ姜維の風貌だけ見れば、華のある顔立ちや鼻筋の通りぐあい、もっとも印象的な澄明な双眸など、よく似ていた。
それに、姜維が纏っている服に、見覚えがあった。

「その服はどうした」
「これですか。豪華すぎると辞退したのですが、丞相の家人より、形見だからといって押し付けられたものなのです。当節、絹も高いので、仕方なく纏っているのですが、やはり似合わないでしょう」
「いいや、よく似合っておる」
「そうですか? しかし、あらためて気づいたのですが、丞相は背の高いお方だったのですね。わたしでは、どうしても袖や裾が余ってしまうので、だいぶ詰めました」
と、口ぶりとはうらはらに、どこか嬉しそうに、姜維は言った。

「今日はどうした」
「いえ、董中郎将より、楊威公の件以来、費軍師がふさいでおられるようなので、様子を見てきて欲しいと頼まれたのです」
休昭らしい配慮である。休昭とて、孔明という押さえがなくなったせいで、とみにわがままを言うようになった劉禅を諌めるのに、相当な神経をつかっているのである。
「おまえが大人しくお使いとは、めずらしいな」
「ええ。わたし自身も、費軍師にお尋ねしたいことがございまして」
「なんであろう」
文偉が尋ねると、姜維は、にっこりと、艶やかに笑ってみせた。よくない兆候だ。
「ほかならぬ、楊威公の件で」
怖じたわけではないが、文偉は思わず顔を逸らせる。
「どのような件だ」
「楊威公は、たしかに狂い始めていたかもしれない。しかし、成都に帰還するまでは、まだまともでありました」
「あれがまともだと言うのか」
「ええ。狂っているとはいえないでしょう。本当におかしくなってしまったのは、中軍師になってからだ。お聞きしたいのですが、蒋尚書令に、楊威公は病を患っているようだから、仕事はしばらく与えないほうがいいと進言したのは、貴方ですね」
「なにを言い出すか」
「誤魔化しても駄目です。董中郎将も同席の場所で、進言したのはまずかったですね。あの方は、貴方を信じきっているから、まったく普通にわたしに教えてくださいましたよ」
「進言したのがわたしだとして、だからなんだという」
姜維は、孔明の服を纏い、よく似た顔から笑みを閉ざし、文偉を真っ直ぐ見据えて、口を開いた
「なぜ楊威公を殺したのですか」

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