はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

おばか企画・たなばた。 3

2020年05月10日 09時41分03秒 | おばか企画・たなばた。




花火が始まると、とたんに河原中から喝采が上がった。そして、人々が見上げるなか、どん、と花火が打ち上がる。
花火が上がるごとに、その提供者の名前がアナウンスされる。
たいがいが、成都でも有名な大店が提供者となっている。
ほかは、ここぞとばかりに豪族の名も挙がり、それぞれの財力を誇る競争の場ともなっていた。
銀輪は偉度のとなりに座って、無邪気に花火が上がるごとに歓声をあげている。
そして、花火も中盤に差し掛かってきたのだが…

『提供は法揚武将軍さま』
どーん
『次も提供は法揚武将軍さま』
ばーん
『またまた提供は法揚武将軍さま』
どどーん
『また今度も提供は法揚武将軍さま』
どばーん

だんだんウグイス嬢が面倒くさくなってきたのが、声の調子でわかる。
しまいには、彼女はこういった。

『あとの五発も提供は法揚武将軍さま。面倒なのでアナウンスは省きます』

いい根性しているな、と感心する偉度であったが、ふと、河原でぶうぶうと抗議の声をあげている男がいる。
やかましいな、と思ってみれば、それは、ほかならぬ、法正その人であった。
「きちんとアナウンスせい! わたしが提供したのだ! ちゃんとわたしの名を言え!」
いきりたつ法正を、暗闇のなか、共にやってきた家族が、懸命に押し留めている。
短冊に書かれた願い事といい、孔明に、花火を見ろ、としつこく勧めたことといい、なにやら悲しくなってきた。
ここにも孤独な男がひとり。
「きれいだねぇ」
と、法正の雄叫びをよそに、銀輪は黒目に花火を映して、うれしそうに呟いた。
「また来年も一緒に来ようよ。あー、でも、偉度っちに恋人や奥さんが出来たらだめだけど」
「そりゃないな。逆におまえに恋人なり、許婚者ができたらダメだな」
「そんなの、まだないよ。ていうか、もしいたとしても、関係ないよ。偉度っちは銀の友達なんだから、恋人が出来たから、友達は二の次なんて、銀はそういうことしないよ。だから、やっぱり、また一緒に来ようよ。短冊にもねぇ、ちゃんとそうやって書いたんだよ?」
まあな、と偉度は曖昧に答えたが、銀輪はそれで満足したようだ。
来年がもしあったとしたら、難関は、あの親父さんだろうな、と偉度は、夜空に咲く大輪の花を見て思った。





左将軍府に、ほとんど人が残っていなかったのは幸いだった。
もしいたら、何事かと集ってきて、かかなくていい恥をかいただろうから。
残っているのも、暑さに負けてうとうとしていたり、もはややる気もなく、仲間と話し込んでいたりする者たちばかりである。
嫌な予感は的中し、趙雲は屋根に梯子をかけると、制止する間もなく登って行き、孔明にも登ってくるように催促する。
だれだ、こんなに飲ませたヤツは、と胸のうちで悪態をつきつつ、屋根に上った趙雲が、無理に孔明に手を差し伸べてくるので、転がり落ちてくる前に、結局屋根にあがらねばならないハメになった。
屋根にあがれば、東の空に打ち上げられている花火が、真正面に見えた。
趙雲は、なにが得意なのか、珍しく、声をたてて笑っている。
この男、暗闇でよく見えないが、ほんとうは趙雲の格好をした、別の誰かではあるまいな、とさえ孔明は疑った。
が、やはり趙雲なのである。
「子龍、なにかあったのか」
「なにもない。理由がなくてはならぬか」
「そうだな。いつもならばなんとも思わぬが、今宵は理由を聞きたい。役割が逆だろう。わたしが花火を見ようと言うのであればわかるが、あなたがそう言い出すとは思わなかった」
「いや、ほんとうに理由はなにもないのだ。ただ、だれの誘いも断って、顔を見せないやつが一人いるので、どうしているのかと思ってきたら、仕事をしているではないか。だからだ」
「やはり変だな。めずらしく口が軽すぎる。罰杯といったな。なんの罰だ」
「さあ、わからぬ。花火が打ち上がる前から、どいつもこいつも出来上がっていたからな、俺なぞ、まだましなほうだぞ。いまごろまともに花火を見ている人間は、宮城にはおるまい」
行かなくてよかった、と思いつつ、孔明は趙雲の顔を覗きこむようにして、さらに尋ねる。
「罰って?」
「俺の顔ばかり見てなにが楽しい。花火を見ろ」
「はいはい、ああ、綺麗だ、感動した。で?」
孔明が引き下がらないと察したのか、趙雲は、軽くため息をつき、それから答えた。
「子を為していない親不孝を罰するのだと」
「ああ…やはり行かなくて正解だったな。それにしても趣味の悪い。だれが止める者はなかったのか?」
「俺が宮城に行ったときには、もうみな出来上がっていたのだ。まったく、暇な連中だよ。人の粗をさがして飲ませて楽しんでいるのだから、まあ、罪がないといえば罪が無いか」
「無理強いしているのだから、十分に罪だ。で、頃合をみて、ここへ?」
「うむ、主公は帰って良いとおっしゃったのだが、張飛や馬超らがしつこくてな、あまりにしつこいので、殴ってきた。いまごろ廊下で倒れている」
「……殺してないだろうな」
「たぶん大丈夫だ」
「たぶん? 朝が来るのが恐ろしいな」
「軍師」
「なんだ」
「眠い」
だったら、降りて家に帰れ、と言おうとする前に、肩にのしかかる力がある。
まさか、と思いきや、そのまさかで、趙雲は、孔明にもたれるようにして、眠りはじめている。
「起きろ、酔っ払い。こんなところで人を枕代わりにして寝るな!」
「眠いのは仕方なかろう」
「場所を選べ。ここがどこだと…子龍?」
もう返事はなく、酔っ払いはすっかり眠りの世界に入ってしまったようだ。
やれやれ、何を考えているのやら、と呆れつつ、孔明はしばらく、花火を眺めながら、趙雲の枕代わりをつとめていた。
いつも一緒にいるし、こちらは左将軍府を中心に動いているのでわからなかったが、やはり趙雲は、妻もいなければ妾もない、実力はあるのに位も財産も求めない、そのくせ、意見だけは、はっきりという、というので、武将たちから浮いた存在に見られているのだろう。
爪弾きにされるほどではないけれど、宴席などの賑やかな場に置いては、趙雲は腹を割って話しにくい相手になってしまっているのだ。
なにせ立場がよくわからない。
位は低いが、孔明に最も近いために、軍内での権限は妙にある。
というより、頼られているからこそであるが、趙雲より身分の高い将軍たちが、趙雲が目下なのか、それとも別の何かなのか、判じかねているのだ。
だからといって、子を為さない親不孝、などと見当違いの当てこすりで、揶揄する、というのはいただけないな、と孔明は思った。
ちょっとした措置を為すことも考えたが、しかし、当の本人が、主犯格を殴り倒してきたということだし、七夕の宴のことだと流すべきなのだろうが…

孔明は夜空を見上げた。
せっかくの晴天も、花火の光と煙によってかき消され、見えないでいるのが皮肉なものである。
趙雲は一言も言わなかったが、やはり辛いにはちがいない。
ほかの武人たちにくらべ、左将軍府事たる孔明に近すぎるのが原因なのだ。
わたしの所為かな、と思えば、孔明も趙雲のいうとおり、おとなしくここで付き合うしかない。
思わぬ花火見物となったが……

「待てよ?」

孔明は、ふと我に返る。
この酔っ払い、いつになったら目を覚ますのだろう。
もし、朝まで目を覚まさなかったら、わたしはどうなる。
いま、すこしでも乱暴に動けば、前後不覚となっているこの主騎は、ごろごろと屋根を転がり落ち、下手をすれば骨折。
となれば、ずっとここで我慢しているしかない、でもって、寝てしまったら、自分も転げ落ちる不安があるので、眠ることすら出来ない、ということではないか?
「子龍、起きよ、子龍!」
しかし、花火の光に一瞬だけ映えたその寝顔は、深い安らかな眠りに入ったことを示しており、孔明が頬を叩こうが、抓ろうが、まったく効果はなかった。
だれか助けを呼ぼう。
そして孔明は、だれかあれ、と声を上げるのだが、これまた花火の音にかき消されて声が届かない。
どころか、下では、どやどやと、人が帰っていく気配がある。
宿直の衛兵が気づかないだろうか。
そうだ、不審な梯子で気づくはずだ………と、信じたい。
孔明は身体を強ばらせつつ、助けが来るのをひたすら待った。





花火大会も、最後の大ナイアガラで幕を閉じ、集った人々は、拍手喝さいでこれを讃え、笑顔のうちに帰路についた。
偉度も、銀輪を連れて帰宅しようとしたそのとき、ウグイス嬢のアナウンスがふたたび入った。

『迷子のおしらせをいたします。迷子のおしらせをいたします。陳銀輪さん、お父様が迷子です。至急、総合案内所までいらしてください。くりかえします…』

「パパの馬鹿!」
「何をやっているのだ、あの人は…」
アナウンスを聞いた人々は、だせー、親父が迷子だってよー、と笑っている。
その失笑のなか、隠れるようにして、偉度と銀輪は、総合案内所へ陳到を迎えに行くはめになった。
その後、一ヶ月ほど、陳到は銀輪に口を利いてもらえなかったそうである。





一方、おなじく一ヶ月ほど、やたら刺々しい孔明と、ひたすら低姿勢の趙雲の姿が見られたが、これは原因がわからないため、人々は、すわ、政変か、と構えたほどであったという。

こうして七夕は終わった。

おわり


※どうやって孔明は屋根の上から助けだされたのか? 
説1・養父の帰らないのを心配した喬が、董和と一緒に左将軍府に来て発見した。
説2・売れ残りの牛串を差し入れにやってきた文偉と休昭に発見された。
説3・趙雲に泣きつきにやってきた陳到によって発見された。
説4・朝までそのままだった。
説5・そのほか
お好きなものをお採りいただければと思います。

御読了ありがとうございました!


(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08)

おばか企画・たなばた。 2

2020年05月10日 09時40分00秒 | おばか企画・たなばた。


往来で、不審者の如くきょろきょろとあたりを見回す偉度であったが、さいわいにも、見知った顔には当たらない。
隣の銀輪はというと、すっかりご機嫌で、綿飴をなめつつ、ヨーヨーをぼんぼんと揺らして遊んでいる。
こういうときは本当にガキだな、と偉度は思いつつ、河原を目指した。
「あ、偉度っち、おもしろいコーナーがあるよ」
見れば、大きな竹が三本ほど並んでおり、『成都都民のふれあいコーナー あなたの願いを短冊に!』とあった。どうやら、自治会主催で行っているイベントらしい。
筆と墨は用意してあり、短冊にめいめいの願い事を書いて、枝に結びつけるのだ。
銀輪が、どうしても参加したいと袖をぐいぐい引っ張ったので、しぶしぶと偉度はそれに倣う。
ほかの連中はどんなことを書いているのかな、と偉度は短冊をめくってみた。

『あたまがよくなりますように 益徳』
『魏と呉が知らない間に自滅して、うまうまと天下が手に入りますように 玄徳』
『もっと庶民に人気がでますように 孝直』
『よみがえれ、我が一族 孟起』

「…どいつもこいつも願いが大きすぎる。この竹、ぽっきり折れるぞ。馬将軍の願いは、せっかく倒置法を使っているが、黒魔術にでも縋らぬかぎり、無理だろう」
「偉度っちは、書いた?」
「わたしは遠慮しておく。こんな短冊の横に何を並べたって、インパクト負けする」
「競争じゃないのに。つまんないの」

実際のところ、偉度にはなにも願うことなどなかった。
つくづく、日々を消費しているだけの人生だな、と思う。
つまり、時間を潰すために、忙しい孔明の周囲をうろうろして、仕事を見つけては、日の過ぎるのを待っている、といった繰り返し。
大望はなにもない。
生きているというだけだ。
唐突に虚しさに襲われる。
とくに、幸せそうにしている往来の人々の中にいるから、余計に、おのれの異質さが際立つのだろう。
普段は、孔明という存在に圧倒されているので、小さなことを考えないでよいのだが、少しでも離れてしまうと、すぐに足元がぐらついてくるのだ。
わたしという人間は、いったいなんだ? 
ずっと誰かの付属品としてしか生きられないのか?

「どうしたの、偉度っち」
袖をぐいっと引っ張られて、偉度は我に返った。
そうだ、隣にこいつがいたのだっけ。

こいつは、わたしが以前にどんな人間だったか知らない。
こいつくらいの年に、自分がどこにいて、どんなことをしていたか、教えたらどうなるだろうな。
そりゃ、気味悪がって逃げるだろうな。
二度と近寄ってこないだろう。

不意に手に温かい感触をおぼえ、偉度は、手を引こうとするのだが、思いのほかつよい力によって、手を戻すことはできなかった。
「なんだ、手なんか握るな」
偉度はきつく言ったが、銀輪はまるで聞こえなかったように、にっこりと笑って、言った。
「だって、人がたくさん増えてきたんだもん。はぐれたら大変でしょ? 河原に着くまで、こうしてようよ。でなきゃ、銀も怖いもん」
「おまえなら、怖いものなんてないだろ」
「あるよぉ。お祭りのときって痴漢がたくさん出るんだよ。今日だって、偉度っちが一緒だよ、って言ったから、ママが行っていいよ、って言ったんだもん。ちゃんと銀のボディーガードしてくれなくちゃ」
ああ、そうかい、とぶっきらぼうに答えつつ、仕方なく、偉度は手をつないだままにしておいた。仕方なくだ。仕方なく。

すると、そこへ突然に、ぴりぴりぴり、と甲高い笛の音が鳴らされた。

なにかと思い、見れば、交通警備員が、偉度たちに向かって、激しく笛を吹き鳴らしているのであった。
しかも、その警備員、よくよく見れば…
「陳将軍?」
「あ、パパだ。パパのバイトって、これだったんだ?」
「バイト? 将軍職にある人間が、なんだってバイト…ああ、あんまりサボリがひどいので、みんなが年俸制なのに、あなただけが時給制になったのでしたっけ」
このところ、偉度の毒牙より銀輪を守るため、という他者には理解のむずかしい理由を引っさげ、陳到はやたらとサボっている。
そのため、あの趙雲もとうとう我慢しかね、陳到の給料を時給制に変えてしまったのだ。
二人のこのところの挨拶は、通常ならば、
「おはよう」
「おはようございます」
のところが、
「叔至、今日はさぼるなよ」
「将軍、年俸制に戻してください」
という実のないものに成り代わっている。
バイト諸氏にまじって、タイムカードを押す陳到の姿は、その実力を知るものから見れば、涙を誘うものであった。
時給制になったことより、陳家の経済状況は悪くなり、陳到はバイトをせざるをえなくなっているのだ。
「いよいよ本性を現したな、左将軍府のインキュバス! 我が娘から離れろ!」
「人をまるで色魔のように…仕事したら如何か」
「その言い方がムカツク! 銀! その凶悪ロリコン男から離れなさい!」
「偉度っちはロリコンじゃないよ。銀の友達だもん!」
「騙されているのだ、おまえは! ええい、胡偉度、現場を押さえた今日こそが百年目! いまこそ決着をつけようぞ、いざ!」
と、陳到は警備会社支給の警棒を持ち出して構えるのだが、偉度は構えない。
「なんだ、そのやる気のない型は! もしや、あらたな拳法?」
「そうじゃない。周りを御覧なさい。あなたの交通整備が滞っているので、みんなが怒っていますよ」
む? と陳到が周囲を見回せばたしかに、混雑きわまる往来で、陳到が持ち場を離れてしまったので、そこだけが人の足が止まってしまっている。
「うぬぅ、このようなときに! 偉度、ちょっと待っていろ!」
だれが待つか、と小さくつぶやき、偉度はさっさと河原に足を向けた。
隣では銀輪が、小さく忍び笑いをして、ささやかな反抗を楽しんでいた。





どん、と腹の底に響くような、小気味よい音が響き、孔明は、おや、始まったな、と刀筆を止めた。
左将軍府には、孔明をはじめ、ほんの数人しか残っていない。
いつもならば、もっと大人数が残っているのだが、今日ばかりはみな早めに帰宅し、家族をつれて花火大会に向かったのである。
残っている者といえば、人ごみと花火に興味はない、という偏屈者か、今日中に書類を仕上げねば、大変なことになる者ばかり。
孔明は、どちらかといえば偏屈者に当たるだろう。
ほんとうは、宮城の楼閣からだと、人ごみに邪魔されることなく、ゆっくり酒を楽しみながら優雅に花火を楽しめるから、一緒に、と劉備らに誘われたのだが、孔明はこれを断っていた。
許家からも、喬だけではなく、孔明も誘われていたのだが、これも断った。
許家のほうには、董和が行っているはずである。

なぜ、わざわざ一人を好んで、仕事をしているのかと問われれば、なんとなく、としか答えようがない。
時折、無性に一人になりたくなる。
それは波のように、あるときに唐突にあらわれる感情なのだが、たまたま、今夜はその気分になってしまったのだ。
宮城には、張飛ほか、めずらしく馬超や黄忠も顔を出しているというから、おそらく趙雲も行っているのだろう。
どん、どん、とつづく音を耳に、孔明は、刀筆をふたたび動かす。
とはいえ、どうしても、いましなければいけない仕事ではない、と頭でわかっているからだろうか。
いつもよりもはかどらず、書類は遅々として片付かない。
なにも、ここに残っていることはないか、と思い、筆を置いて、自邸に帰ろうかと考えたときである。
ふと呼びかけられた気がして、庭のほうを見れば、なぜだかそこに、宮城にいるはずの趙雲の姿があった。案内も請わず、庭に入り込んできたらしい。
その態度自体がめずらしかったが、なにより、纏う雰囲気がいつもと違うことに、孔明は驚いた。
立ち上がり、趙雲の元へ行けば、なにやら上機嫌な趙雲は、満面の笑みを浮かべて、礼を取る。
近づいて、孔明は理解した。
趙雲は、ひどく酔っていた。
酒には強いはずだが、相当に飲んだのだろう。
いや、飲まされたのだろうな、と孔明は思う。
趙雲は、度が過ぎて呑むということをしない。
これまで、酒に逃げたことは一度もないのだ。

きつい酒の匂いをさせつつ、趙雲は欄干にもたれかかる。
まともに立っていられないほどなのだろうか。
「子龍、水を持ってくる。しばらくそうしていろ」
孔明がそう言って、去ろうとすると、趙雲にぐいっとつよく袖を引っ張られた。
「大事無い。酔ってはおらぬ」
「滅茶苦茶な嘘をつくな。泥酔しているではないか」
そのあいだにも、東の空では、花火がぱっと大輪の花を咲かせているのが見える。
「飲んだのはたしかだ。罰杯とか言って、なぜだか今日はやたらと負けたからな」
「妙な勝負に乗ること自体が、らしくないな。まだ宴の最中だろう。主公にはちゃんと御挨拶申し上げたのか」
「ぬかりない。いつもならばしつこく引き止められるのだが、今日は早く帰ったほうがよい、と言われた」
「この様子ではそうだろうな。で、なんだって家に帰らず、こちらに来た」
「べつに」
「偉度の真似か?」
しかし趙雲はなにも答えず、欄干にもたれるようにして、立ったまま突っ伏してしまう。
「子龍?」
呼びかけると、趙雲は、いきなり顔をぱっと上げて、いつものように厳しい顔になったかと思うと、言った。
「よし、花火を見るぞ」
「は?」
孔明が唖然としていると、勝手知ったるなんとやら、趙雲は裏手に回って、ふらふらの足取りながら、梯子を持ってきた。
嫌な予感がする…

つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08)

おばか企画・たなばた。

2020年05月10日 09時37分21秒 | おばか企画・たなばた。
「行き給え、ぜひぜひ行き給え。とくに花火は見ものだ。ほかはどうでもよい、ともかく花火を見に行き給え」
宮城にて、今宵に行われる七夕花火大会の打ち合わせにやってきた孔明であるが、帰りがけに珍しく、揚武将軍の法正に呼び止められた。
なにかと思えば、花火を是非見に行け、という要請である。
しかしそれは、
「軍師は働きづめであるから、少し休まれたほうがよろしかろう」
という、優しい動機からきているものではないことは、細いキツネ目が、なにやら、よこしまに笑っているところから推測できる。
「なにか企みでもあるのでしょうか」
孔明のお供で竹簡を抱えていた偉度は、法正のしつこいほどの「花火をみろ」要請を胡散臭く思っているようだ。
もとより、偉度は、法正が大きらいである。
高らな笑いを残して去っていく法正に、キツネを前にした山犬のように、いまにも牙をむきそうになっている偉度をたしなめつつ、孔明はぼやいた。
「せっかくのお誘いだが、わたしは無理だな。偉度、代わりに行って、様子を見てきてくれ」
「なぜです。成都中がお祭りだというのに、一人外れて仕事をなさるのですか。喬さまとご一緒に行かれたらよろしいでしょう」
「喬は、許家の人たちと一緒に行くようだ。あちらにすっかり気に入られてね。高台の飯店を借り切って、バーベキューをしながら花火見物だそうだよ」
「それは優雅ですな」
「そういうおまえとて、今宵は用があるのだろう。わたしに付き合わなくてよいから、行っておいで」
「あなたを一人にしておくわけには参りませぬ。仕事より優先させねばならぬものなど、ほかにはございませぬ。ご一緒いたします」
偉度が意気込んで言うのを、孔明はやんわりと抑える。
「そういうな。子供との約束を破ると、あとで、とんでもなく後味が悪いものだぞ」
偉度は、ぴたりと表情を固め、それから、しばし思案したあと、大きな目を上目遣いに動かして、孔明に問う。
その、らしからぬ動揺ぶりに、孔明は思わず笑ってしまう。
「なぜにお笑いになる。どうしてご存知なのです」
「なにがだ」
「わたしが、その、子供の世話をしなければならない、ということでございます」
「昨日、あの子がわたしの屋敷に来たのだよ。偉度は、明日、大切な用事があるので、絶対に残業をさせないでほしい、と言ってきた」
あいつ、と偉度は気恥ずかしさと、ほんのすこしの苛立ちをおぼえたが、不思議とそれは怒りには発展しなかった。
「おまえの数少ない友だちの、たっての頼みであるからな、断るわけにはいかぬ。おまえを残業させたら、わたしがあの子に恨まれてしまう。子供の恨みを買いたくはない。命令だ。花火に行け」
といって、孔明は朗らかに笑った。





どういう命令だ、と偉度はぶちぶち言いながらも、孔明と別れたあと、メールを確認する。
そこには、数少ない友だちである、陳到の娘・銀輪のメールが入っていた。
『今日はこのあいだ着ていた、縞模様の着物で来てね』
そんなもの知るか、身づくろいは適当でいいや、とそのまま花火大会の会場に行きかけた偉度であるが、大路をずんずんと一人で歩き、待ち合わせ場所がどんどん近づいてくるにつれ、なんともいえぬ居心地の悪さに襲われ、結局、人の波に逆らうように、踵を返して自邸に戻り、そして急ぎ、縞模様の衣裳に着替えると、待ち合わせ場所に向かった。
汗だくになりながら、なんだってこんな思いをしているのだか、と、どこかで己を冷めて見つつ。
待ち合わせ場所に行くと、九つ年下の小学生・陳銀輪は、ぴょんぴょんと跳ねながら、大きく手を振った。
この銀輪、小学生には見えない体つきをしているため、どちらかといえば童顔である偉度と並ぶとちょうどよく、とても九つの年齢差を思わせない。
が、そこに問題があるのだと、偉度は思っているのだが。
偉度が近づいていくと、銀輪に声をかけようとしていた少年たちが、これみよがしに、「男つきかぁ」と言って立ち去っていく。
良家の子女を、これだけ雑多な人の波の中、ひとりにしておくのは危険だというのに、あの親父さん、変なところで自由にさせているのだな、と思いつつ、偉度は銀輪に近づく。
そして、銀輪の纏う衣裳を見て、偉度はさらに眩暈をおぼえた。
「なんだって、おまえも縞模様の衣裳を着ているのだ!」
偉度が言うと、銀輪は頬を膨らませる。
「ええ? いいじゃん、友達同士、おそろいの衣裳だよ」
「友達同士は、おそろいの衣裳は着ない! 着替えてくる」
「いまから着替えてたら、花火大会が終わっちゃうよ。だってさ、偉度っち、その衣裳がいちばん似合うなと思ったし、それにね、縦縞模様って、痩せて見えるでしょ? 銀は、胸が大きいから、着物を選ぶの、大変なんだよー。カワイイ柄つきのとかだと、胸のせいで太ってみえちゃうから、ダメなの。縦縞だと、ほら、意外に胸が目立たないでしょ?」
「目立たないでしょ、ってな…だれかに見られたらどうする」
「いいじゃん、不倫カップルじゃあるまいしー、友達同士で一緒に花火に見に来ただけで、どうしてやましく考えるの? ほらぁ、綿飴買ってあげるから、むずかしいこと考えないで、早く行こうよ。いい場所、なくなっちゃうよ」
渋る偉度の手を強引に引きつつ、銀輪は花火大会へ向かう人の波の中に入って行った。





花火大会は、成都の郊外の錦江でおこなわれる。
人々は、ちょうど長星橋商店街を抜けて、長星橋を渡って、河原に行くのであるが、それを目当てに、多くの出店が並んでいる。
そのなかでも、ひときわ目立つ牛串屋が、香ばしい匂いをぷんぷんさせて、客を釣っていた。
屋台の中では、ラジカセが、北島三郎の『祭』をエンドレスで流しており、かなりやかましい。

「♪まーつりだ まつりだ まつりだ かせぎどきー」

と、北島三郎の景気の良い歌声に、やはりハモリ+替え歌を入れて、うちわをバタバタ煽いでいるのは、ほかならぬ費文偉である。
その後ろで、牛串に何日も前から二人で懸命に作り上げたタレを塗っているのが、董休昭であった。
「文偉、それうるさいよ。となりの金魚すくいの親父さんに、にらまれる前に音量を下げろよ」
「なんでだよ。おかげで客が足を止めてくれるんので、売り上げ絶好調だろう。この機を逃してはならぬ。うむ、孫子も言っているだろう、戦いにおいては、勢いがなにより大切なのだ。いまが売りどきぞ。ヘイ、らっせい! 牛串一丁! おい、ねぎ串も用意しておいてくれ」
「調子のいいやつめ、刀筆吏なんぞやってないで、いっそ商人に身を転じたほうが、よっぽど大成するのじゃないか」
休昭の言葉も聞き流し、文偉は、いつものごとくニカニカと、愛想のよい笑顔を周囲に振りまきつつ、年頃の娘が寄ってくると、おねえさん、どこから来たの? 彼氏いる? 花火終わったら、また寄ってくれない? などと調子のよいことを言っている。
たいがいは相手にされていない。
「牛串二本」
「ヘイ、毎度あり! って、なんだ、公琰殿じゃないか」
「ナンパと小遣い稼ぎか。忙しいやつだな」
蒋琬、字は公琰は、今日はぞろりとした着物にちいさな剣を携えて、洒落た帯飾りを下げて、なかなか男ぶりのよいところを見せている。
どこかへ出かけていたのか、肌の色も真っ黒だ。
その首には、メタリックに光るデジカメがぶら提げられていた。
「今日くらい、休んで花火を楽しめばよいものを」
しかし文偉はばたばたと内輪を煽いで答える。
「貧乏暇なし。こちとら貧乏なので、こういうときに家計を助けねば、いざというときの保険料も払えぬ有様なのでな。そうだろう、休昭」
「月月火水木金金」
「公琰殿は、夏休みにどこかへお出かけに?」
色の黒いのを指摘されたとわかった蒋琬は、ははは、と声を立てて、言った。
「まあ、ちょっと泳ぎに行ったのだ。そうだ、馬将軍と一緒になったぞ。あの方は、優雅に舟で川遊びをしていらした。最後はビキニパンツで川に飛び込んでいたが。あの方の行動は予想がつかぬな」
「ビキニパンツ…想像したくない…」
「そうだ、記念に、おまえたちが働いているところを撮ってやろうか」
と、蒋琬がデジカメを構えたので、あわてて文偉と休昭は否定した。
「いい! いらない! マジで! つーか、わたしたちを撮っても面白くないから!」
断られたので、蒋琬は不服そうな顔をしながら、デジカメをしまった。
「そうか? 文偉を撮ると、やたら陽気なご先祖様も一緒に撮れて、面白いのだが。お盆も近いし、たくさん撮れると思うぞ」
「いい、撮らなくていい! ご先祖様は、われらが各自で偲ばせてもらう。具体的に知りたいとは思わないから!」
「冷たいやつらだな。馬将軍を撮って差し上げたら、久しぶりに一族の姿が見られたと喜んでおられたが」
「……あいにくと我らは器が小さいのでな」
「まあ、ここでわたしが立っていると商売の邪魔だろう。そろそろ行く。がんばれよ。すこしだが、売り上げに貢献させてもらう」
免官になって久しいのに、余裕があるな、と不思議に思いつつ、文偉は蒋琬に牛串を二本渡した。
「一人で来たのか」
「いいや、向こうに妻を待たせてある。ではな」
そういって人ごみのなかに去っていく蒋琬の姿を、休昭は身を乗り出して見送った。
「いいなあ、『向こうに妻を待たせてある』だって。ちょっと言ってみたい台詞ではないか。公琰殿の奥方は、どのような方なのだろう」
「さあて、わたしも紹介してもらったことが無いので知らないが、偉度によれば、可愛らしい方だそうだよ」
「偉度か、あいつは何でも知っているな。噂じゃ、陳叔至さまのご長女となにやら良き仲になっているとか」
「叔至さまのご長女? って、あそこは四人ともまだ小学生だろう。偉度め、ロリコンだったのか」
「ロリコンでもなんでも、噂になるだけ華があるじゃないか。どうしてわたしは、そういう話からとんと縁遠いのだろうな」
ぼやく休昭であるが、実は最近、見合い話が大量に舞い込んでいるものの、父の董和が、「うちの息子にはまだ早いので」と片っ端から断っているという事実を、まだ知らない。


つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08)

新ブログ村


にほんブログ村