はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

短編 クラッシャー・フェイ 後編

2020年04月30日 10時44分13秒 | 短編・クラッシャー・フェイ


趙雲は、孔明を誘って酒を飲み交わしたことがない。逆も然り。
意外につきあいがいいのだな、とちらりと盗み見ると、目が合った。
孔明が、屋敷に入ってから、どうも無愛想なのが気にかかる。
無理に誘った、というわけでもないのだが。
武人三人を前にした孔明、というのもなにやら新鮮であるが、本人はさきほどから、ほとんど会話に入らず、おとなしく杯をかたむけている。
とりあえず相槌を打ったり、冗談には控えめな笑みをみせたりしているので、ふてくされているわけではないようだ。

「しかし子龍、嫁に家を追い出された俺が言うのもなんだが、やはり一度は、嫁をもらうべきだぜ。ここはいい家だけど、なんか知らないヤツの家に勝手に上がりこんでいる気がしてしょうがねぇ」
最近は、すべての話題を『ヨメモラエ』に結び付けたがる張飛である。
張飛の言葉に、盛り上がり好きの陳到が、ぱあっと顔を輝かせて食い込んでくる。
「じつは、我らのあいだでも、趙将軍にヨメを、と運動したことがございます。この酒宴もなにかの縁。張将軍、如何でございますか。われらでふたたび盛り上げる、というのは」
「お、いいな。ふむ、では早速、荊州中の見どころのある女たちに声をかけねばならぬな。ははん、こいつならば、名前も知れているし、見た目もよい。もらってくださいと女たちが行列つくるんじゃねぇか、うらやましいな、色男」
張飛は、つん、と肘で趙雲をつつく。うれしくない。
「とはいえ、おまえにも好みというものがあるだろう。言ってみろ」
「好み以前に、いまは必要ない」
「また、それか。兄者がぼやいていたぜ。長阪でおまえにつらい思いをさせちまったのが原因で、おまえが家庭を持つのに神経質になっちまっているんじゃねぇのか、って。それとも、なにか別の理由があるのか? いい機会だ。言ってみろ」

もし別の理由があって、それを言ったとする。
だが、とりあえずほんとうに心から心配してくれているだろうが、口を閉ざしている、ということができない張飛と、口は閉ざしているだろうが、ことあるごとに意味ありげな顔をするようになるであろう噂好きの陳到、そしてなにより表情の読めない静かな表情で、じっとこちらを観察している孔明の三者に話すつもりはない。
天下に向かって打ち明け話をするようなものだ。
黙っている趙雲に、張飛が眉をひそめる。

「おまえ、まさか、不倫か?」
「フリン!」
きらりと陳到が顔を輝かして、腰を浮かす。
「勝手に話を膨らませるな! それはない!」
「たしかに、ないな」
と、さりげなく孔明がつぶやき、張飛と陳到は、あっさりと「なあんだ」と引っ込んだ。
「でもま、ヨメを取るにしても、子龍の年から考えて、いまさらどっかの娘、ってわけにもいかねぇだろうな。だいたい、こんなわかりにくいヤツ、十五かそこらの娘に我慢ができるはずがねぇ」
うんうん、とおおいに肯きながら、陳到が話をあわせる。
「となると、寡婦ですか」
「おうよ。寡婦で、そうだな、旦那が無口でも気にしない、心の広い女だ。器量はそこそこでいい。なぜなら、おまえはきれいな顔に慣れすぎている。そうじゃないほうが新鮮だろうが。あんまり田舎の女じゃだめだな。ある程度、世の中の動きに敏い女。お、だんだん具体的になってきたじゃねぇか。どうせなら同郷の女がいいだろうな。そのほうが、話題を捜しやすいだろう」
すると、それまで沈黙を守ってきた孔明が、突然口をひらいた。
「寡婦で、常山真定近辺の出で、心の広い女、器量はどうでもよろしい、というのであれば、手配してさがさせましょうか」
「お、はなしが早ぇな。さすが軍師」
孔明は、めずらしく愛想よくにっこり笑って張飛の杯に酒をなみなみと注ぐ。
「ほかにご注文は?」
「そうさなぁ。俺の頭の中じゃ、こんなふうなのだ。その女は、早くに幼なじみと結ばれて、しあわせな結婚生活を営んでいたのだが、旦那を徴兵に取られてしまい、心細い思いをしていたのだ。うむ、旦那の生死もわからず、家でじっと帰りを待っていたのだが、親戚連中が再婚話を持ってきて、相手が気に入らないやつだったので、とうとう旦那を捜すために家をでることを決めた」
陳到は、めずらしく想像力をはたらかせる張飛の話に目をかがやかせる。
「おお、貞婦ですな」
陳到の言葉に気をよくして、張飛はさらに酒をぐっと飲み干して、身を乗り出してくる。
そこへ、すかさず孔明が酒を注ぐ。
なんだ、この三人の、このなかよしぶりは。

「女の一人旅は、苦労の連続よ。それでも旦那の面影をもとめて、女は千里の彼方まで行く覚悟なのだ。健気じゃねぇか。ところが、旦那がどうやら戦死したらしい、という噂を聞くことになる。女はその真相をたしかめるべく、荊州のここまでやってくるわけだ。だが、その行く手を、夜盗どもが立ちふさがる! 女の危機だ。そこへ、いよいよ主役の登場だ。なにか予感に動かされて、夜の散歩にでた趙雲がそこにあらわれる。そうして、弱い者をいじめてはいかんと夜盗をバッタバッタと切り伏せる。その勇姿に女は感動し、お名前は、とこうくるわけだ。そうして名乗ると、『あら、貴方様はかの有名な常山真定の趙子龍さま。実はわたくしも常山真定の生まれです』となるわけだ。運命を感じるふたり! そうして話はとんとんと進み…いや、とんとんと進みすぎてもおもしろくない。実は旦那が生きているのじゃねぇか、という話もはさむか」

陳到は、うひゃうひゃと、なにがそんなに楽しいのか、奇妙な笑い方をして大喜びだ。
「いいですなぁ、盛り上がりますなぁ」
「惹かれあうふたり。艱難辛苦をのりこえて、子龍の家にヨメがやってくる。めでたしめでたし。というわけで、子龍、いまから夜回りに行って来い。嫁が落ちているかもしれん」
「断る。というか、おまえたちで行け」
「なにを言っているんだよ。俺たちはもうヨメがいるから駄目なんだよ。おまえのヨメは、こんな寒そうな夜に常山真定からはるばるやってきたあげくに、夜盗どもに襲われそうになっているのだぜ。可哀想じゃねぇか」
「勝手にかわいそうな話にしたのだろうが。それならば、こんな夜更けに、また外に出て行かねばならぬ俺だって可哀想だ」
「ヨメのためだぞ、頑張って行って来い! おおい、ご主人がまた出かけるぞー!」
と、張飛は勝手に家令に命令をし、すでに出来上がりつつあった陳到が、妙にはしゃいでそれを手伝う。
趙雲は、最後の砦、とばかり孔明に目線をおくるのだが、酒が入ったせいでほんのすこし顔色の上気した孔明は、
「行ってこい」
と無情にかえすだけであった。
そうしてしぶしぶと、趙雲は夜回りにいかねばならないはめになった。





とはいえ、張飛の話は作り話であるから、夜道に都合よくヨメがいるはずもなく、ヨメどころか気晴らしになってくれそうな夜盗の類も、野良犬一匹さえいなかった。
代わりに、夜警をしている兵士たちとばったり会ってしまい、抜き打ちに見張りにやってきたと勘違いされ、おおいに煙たがられた。
憮然として帰ってくると、ちょうど自分の屋敷から、大八車に家具を載せ、えっちらおっちらと夜道を移動する家令一家に出くわした。
こんな夜更けにどこへ行こうというのか。
趙雲が声をかけると、家令は、

「しばらくおいとまをいただきます」

と言って振りかえりもせずに、おもい車をぎいぎい言わせて去ってしまった。
いやな予感に突き動かされ、趙雲が屋敷に戻ると、まずは家の戸口が真っ二つに割れていた。
そうして、中に踏み入れると、フゴー、フゴーと化け物じみたいびきが聞こえてくる。
中は惨憺たるありさまで、あれほどきちんととのえられていた部屋の面影はどこにもない。
それこそ夜盗におそわれたのではないかというくらいだ。
いや、それよりも。

「ヨメは落ちていたか子龍」
孔明が、この夜更けにたすきがけをして、部屋のそうじをしている。
なにがどうなっているのか、頭が真っ白ではたらかない。とりあえず、趙雲はこたえた。
「いなかった」
「それはそうであろう。わたしが治めている街であるからな。夜盗なんぞいるか」
と、壊れ物の海の真ん中で居丈高にしていた孔明だが、急にしょんぼりうなだれた。
「すまない」
「みたところ、俺の家は壊れたようだが」
「うむ。わたしの思惑がこれほどまで壊れたのもはじめてだ」
「どういうことだ?」

孔明はよほど気まずいのか、めずらしいことに目を合わせようとしない。
趙雲は、口ごもる孔明に、首をかしげるような仕草で先をうながした。
いつもならば首をかしげる仕草は孔明がするのであるが。
これでは立場がまったく逆だ。

「悪気はなかったのだ。むしろ逆だ。街であったとき、あなたがあまりに憮然とした顔をしていたので、これは張飛と陳到がムリにあなたの家に押しかけようとしているのだと思い、それならば助けてやろうかと。思い上がりであった」
「で?」
「とりあえず、彼らのいちばん好きそうな話題で盛り上げさせて、酒をどんどん飲まして潰してしまえと思ったのだ」
「それで?」
「そうしたら暴れだした。張飛が暴れるといっても、噂は誇張で、ちょっと管を巻くだけだと思っていたのだが、ほんとうに暴れるとは…」
「軍師、いままで軍師が、張飛の暴れだすところを見たことがなかったのは、主公がいつも側にいたからだ」
そうであったのか、と、めずらしく、孔明はしおらしくうなだれる。
「ただの暴れようではなかったようだが?」
「うむ、陳到が家に帰りたいと泣き出したのがいけなかった。あいつは泣き上戸だったのだな。それで張飛が怒り出し、陳到は怒られて、逆に切れだして決闘になってしまったのだ」
「家の中でか」
「止める暇はなかった。家令一家を無事に脱出させるのが手一杯であった」
「脱出…というか、逃げていった。しばらく戻るまい」
「かさねがさねすまぬ。そこでせめてもの詫びにと掃除をしていたのだが」
臥したる龍とも呼ばれた男が、なんという情けない格好をしているのやら。
趙雲がため息をつくと、孔明は眉根をよせて、言った。
「すまなかったと言っているのだ。そんなに怒ることなかろう」
「いまのは、そういう意味ではない。お互い、今日は冷静になるのはムリなようだ。今日はこのまま帰ってくれぬか」
「追い出すのか?」
「そう物の尖った言い方はやめてくれ。この時点でおかしいではないか。ふつうならば、こんなことでいちいち、いい争いなどせぬであろう。俺たちは互いに疲れているのだ。疲れているときに言い争ったら、ろくなことにはならぬぞ。家は壊され、喧嘩もし、では目も当てられぬ。言いたいこともあるかもしれぬが、今日は互いに沈黙を守り、このまま一晩眠る、というのはどうだ」

ありがたいことに、孔明は抗弁しなかった。
どんなに疲れていても、思いやりだけは忘れないのはこの男の美点である。

「わかった。あなたの提案を聞く。しかし眠るとはいっても、子龍、こんな有り様のなかで眠れるか?」
「屋根があるだけ、野宿よりましだ。馬車のところに家人が迎えに来ておったぞ。一緒に帰るといい」
孔明は、趙雲に言葉を尖らせたことを気にしているらしく、まだなにか言いかけたが、わかった、と一度は了解した手前、それ以上のことは言わずに、部屋を出て行った。
やれやれ、と趙雲はふたたびため息をつき、部屋に飛び散った、陶器のかけらをひろいはじめた。
あの家令一家に口止めをする余裕がなかったので、張飛の噂はまたひとつ、ネタが増えるわけだ。明日、張飛の奥方のところへいって、たのむから旦那を屋敷から出さないで欲しいと頼むことに決めた。ついでに陳到のところへいって、餅のことはよく言い含めておくから、帰ってきてよいと、いってやってくれ、と頼もう。

そうしてしばらくいろいろ考えながら掃除をしていると、ふと玄関で物音がする。
部屋は出て行ったものの、孔明は、まだ玄関のところで、うろうろしているようだ。どうやら、引き返してちゃんと謝るべきか否かを迷っているようだ。
趙雲は思わず口元をほころばせた。
まあ、その態度ひとつですべて水に流せるが。
馬のいななきがしたので、どうやらあきらめて馬車に乗って、従者といっしょに帰ったらしい。
趙雲は、真っ二つにわれた戸口をまたいで、表に出ると、従者の手にする明かりにうかびあがる、夜道をしょんぼりと猫背で去っていく孔明の背中を見送った。

とりあえず、明日、いちばんに、まず軍師のところへ行こう。
張飛の家へは…あとでいい。屋敷も壊され、家令も出て行ってしまい、孔明とも仲たがい、というのはあまりに自分が悲惨すぎる。
そうして趙雲は、あらかた片付けおわった部屋に転がるふたりの男に布団をかけてやり、それから自分の寝台に行って、孔明にどんな言葉をかけるか、それを考えながら眠りについた。


おわり

御読了ありがとうございました。

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/02/12)

短編・クラッシャー・フェイ 前編

2020年04月30日 10時41分20秒 | 短編・クラッシャー・フェイ
「おまえらしくない家だな、オイ!」
と、早くも出来上がっている大虎・張飛は言う。
たしかにそういわれても仕方がない屋敷だ。十日にいっぺん、足をはこべばよいほうで、趙雲はすべての采配を、家令にまかせている。
だから身に過ぎた屋敷は、家令一家の趣味に合わせて整えられており、趙雲の意向はなにも反映されていないのだ。
居心地がよいことだけはたしかで、いきなり帰っても、家令一家は腰をひくくして、おかえりなさいまし、と迎えてくれる。温かい食事と清潔な寝床と、感じの良い家人。
宿賃のいらない宿屋のようなものである。
家令一家のほうも、天下に稀なほど手のかからない大人しいご主人に、おおいに満足しているようであった。
が、今日ばかりはちがうであろうな、と趙雲は、杯を口に運びながら、すまなく思う。
戸口をさきほどから、料理だの酒だのをせっせと運ぶために、独楽鼠のようにいそがしく立ち回っている夫婦が、泣きそうな顔をしているのを趙雲は知っている。
気まずい。まったくもって気まずい。

悪い噂ほど広まりがはやいもので、天下無双の乱暴者・張益徳の悪名は、はやくも荊州三郡に轟いていた。
張飛がとうとう酒代を踏み倒した酒家の話からはじまって、果敢にとりたてようとした酒家が、一喝されただけで、屋台が崩れてしまっただとか、火をつけられただとか、次の日から主が行方知れずになっただとか、そういう事件性の高い噂がおもしろおかしく講談調につたわっている。
たしかに張飛ほど、単純で豪快な男はいないから、話にしやすいのだろう。
実像はそう単純ではないのであるが、そのあたりを、趙雲は家令に話してやる時間がなかったのだ。

「でも料理は美味い。うちのカミサンのほうが上だけどよ」
「奇遇ですな、張将軍、うちの女房も上です!」
と、調子よく言葉を挟みつつ、だれより料理を頬張っているのが陳到。
そうしてせわしなく箸を動かしながら、となりの、ゆったりとした箸の動きを見せる男に、よせばいいのに話を向ける。
「軍師のお宅は?」
「あえて返答を拒みます」
孔明は、つんとすました顔で、陳到にすげなくする。
家庭に関しての質問を、孔明にはしてはならぬというのは、もはや常識になりつつあるのだが、陳到は非常識なので理解しない。





いま、趙雲の目の前には、張飛と、陳到と、そして孔明がいる。
いつもどおり、兵士の調練が終わって、さてひさしぶりに帰ろうか、というときに、張飛に声をかけられた。
「おい、関羽の兄貴のところの魚津の陶ってヤツのところに男の子が生まれたんだってよ。めでてぇじゃねぇか。祝い酒といこうぜ!」
「だれだ、それは」
趙雲は、関羽の部隊にいる魚津出身の陶、という兵士におぼえがなかった。
張飛があまりにうれしそうなので、知らないあいだに有名になったヤツなのか、と思っていると、張飛はガハハ、と呵呵大笑し、それから答えた。
「俺も知らん」
「知らぬヤツの家に子供が生まれたことを、なぜ俺たちが祝ってやる必要があるのだ」
「なんだかおまえ、あの軍師と仲良くなってから理屈っぽいぞ。いいじゃねぇか、きっかけなんて。要は気持ちだよ、気持ち!」
「意味がわからぬ。つまり、おまえは飲むための口実がほしいのだな?」
「ご名答! たまにはいいじゃねぇか。場所はおまえの家。行ったことないからな。よし、それじゃあ、ちょいと用意してくるから、待っていろ。逃げてもだめだからな!」
と、張飛は、趙雲の返答を待たず、勝手に決めて、うきうきした様子で去っていく。
たしかに逃げてもムダだろう。
どうしたものかとぼう然としていると、背後より声がかかった。

「あれはカラ元気」

めずらしく、終業の太鼓が鳴っても城に残っていた陳到であった。
囲炉裏端の妖怪、とあだ名される陳到は、家からもってきた餅をエサに、部将たちから、さまざまな噂話を仕入れては楽しんでいる。
いささか悪趣味な男である。
とはいえ、その噂を広めたり、悪用したりすることはなく、単に自分だけでコトコトと楽しんでいるようである。

「奥方と、大喧嘩をなさったようですよ。原因は、小遣いの値上げ。位があがって禄もあがったたのに、ほとんどを飲んでしまう張将軍にとうとう堪忍袋の緒を切らした奥方が、しばらく門をくぐるなといって、身の回りの品ごと張将軍を外にほっぽりだしたのだとか」
「迷惑な」
「その情報をいちはやく仕入れた町の酒家という酒家は、すべて臨時休業。だから張将軍は、行くところがないのですよ」
自分の部将たちのところへ行けばよいのに、と趙雲は思ったが、張飛の部将たちは、上司の考え方は読めていて、いちはやくなんらかの対策を立てたのだろう。
そういえば、今日は妙に城が閑散としているような。

「しかし叔至よ、おまえが残っている、というのも珍しいな」
と、何気なく言った趙雲であるが、陳到の顔色が一気に蒼ざめて、ぎょっとする。
「おまえもか」
「はい。禄もあがらぬくせに、せっかく取っておいた餅を、くだらぬ噂を仕入れるために、兵舎に持っていって、聞けば、あなたの餅を目当てに夕餉のしたくをしている部将もいるとか、そのあおりをくらって、わたくしたちはひもじい思いをしなくてはならぬ、これはどういうことでございます、と叱られまして、買い言葉に売り言葉。こんな家、でてってやる、とつい言ってしまったのでございます」
「おまえが、自分から出て行くと行ったのか」
家は主人の持ち物であるから、出て行くならば、ふつうは妻のほうである。
しかし、陳到は、きょとんとして趙雲に答える。
「あたりまえではございませぬか。妻や娘たちを野宿させるわけにはまいりませぬ」
家族には無類の優しさを見せる男である。
「それでおまえは宿無しになったと」
「左様でございます」
と、陳到はあわれっぽく顔をゆがめてみせる。
張飛といい、陳到といい、すっかり女房に手綱を握られているが、どちらも天下無双の武芸達者なのだ。
いまの様子では、とても想像できないが、ひとたび敵を前にすると人が変わる。
それがこのテイタラク。
まあ、平和な証拠かな、と思い、捨て置くのも気の毒であったので、趙雲は、張飛と陳到を回収して自分の屋敷へ連れて行くことにした。
一晩くらいならばかまうまい。





その帰途、もともと調子者のきらいのある陳到と、カラ元気全開で饒舌な張飛は、とりとめのない話をぺらぺらとしていたが、ふと、張飛がこんなことを言い出した。
「しかし子龍、おまえって無口だな。というよりは、キョウチョウセイがねぇぞ。なんだか俺たちばっかり喋っていて、おまえがつまらなさそうじゃねぇか。会話に入ってこいよ」
協調性、という言葉は、最近、孔明経由で劉備から仕入れた張飛おきにいりのむずかしい言葉である。
趙雲としては、無理して入らなければならないような会話にも聞こえなかったので、黙っていたのであるが、それが張飛には気にかかったらしい。
劉備の配下になって間もないころ、例によって例のごとく新人いびりの達人たちがこぞって、あいつは無口だ、無愛想だ、無反応だ、とさんざん言ってきたことが妙に思い出され、趙雲は意地になってしまった。
「話さなければならない話だったのか?」
「お。なんだかぴりっ、とくる言い回しだな、オイ。それじゃあ、内容のありそうな話をしてみろよ」
「まあまあ、張将軍、子龍殿はお疲れなのですよ。しかしたしかに三という数字は、どこかハンパでいけない。三すくみ、という言葉もございますが、きれいに治まる関係もあれば、硬直して冷え切ってしまうものもある。ここはひとつ、四にしてしまえばよろしい。どなたか、いちばん最初に出会った方をもう一人、仲間として加えましょう」

最初、陳到め、気が利いたことをいうな、とほっとしたのであるが、すぐに趙雲は感想を、陳到め、余計なことを、に変える。
自ら手綱をとった馬車に乗った、だれもがよく知る男が、ちょうど目の前を横切った。
なんとも間のわるいことに、孔明であった。


後編につづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/02/12)

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