はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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赤壁に龍は踊る 三章 その13 暗転

2024年06月12日 09時40分00秒 | 赤壁に龍は踊る 三章
徐庶は知らず、ガタガタと震えている自分に気づいた。
おそらく、連中の埋めようとしているのは、人だ。
怒りのために震えているのではない。
怖かった。
時代は乱世で、いつどこで人が死んでもおかしくないし、戦場以外でも路傍に死体が転がっているのさえ珍しくない。
なのに、無性に怖かった。
かれらがあまりに死というものに慣れ過ぎている、そのおぞましさと無自覚さが恐ろしかったのだ。
悪鬼だ。
あそこで人を埋めている男たちは、悪鬼そのものだ。
身体の震えをおさえるため、徐庶は持ってきた長剣の柄をぎゅっと両手で握りしめた。


それからしばらくして、男たちは作業を終えたらしく、足早に建屋に戻っていった。
徐庶はかれらが扉の中に消えてしまうのをじっと待ってから、堀棒のところへ急いで駆け付ける。
堀棒は、墓標のように地面に突き立てられていた。
掘られたばかりの地面はやわらかい。
徐庶は堀棒を引っこ抜くと、まだ固められ切っていない地面を掘りした。
ざくざくと土を掘り返す、その音を無感動に聞いている自分が、まるで連中と同じものになったような気がして仕方がない。


むわっと立ち上る土のにおいにうんざりしてきたころ、堀棒がなにかに当たった。
連中が埋めたものだ。


徐庶は、いったん堀棒を動かす手を止めた。


出てくるのは、おそらく人間の身体だ。
間違いはない。
これを見たなら、おれはこの要塞に居場所をなくすかもしれない。
引き返して知らぬふりをしていれば、この遠征が終わるまでは、うまくすれば命をつなげることができる。
知らぬふりを決められないのなら、あとはいばらの道だ。
命を捨てる覚悟で、土を払いのけて中身を見るか、阿庶?


『心は決まっている。仮に今夜、ここで引き返しても、おれのことだ、明日もまたこの忌々しい土を犬みたいに掘り返しているだろうよ』


そうだ、引き返すなどできるはずがない、と覚悟を決めて、徐庶は堀棒を放って、今度は手で土を払いのけはじめた。
ほどなく、冷たいものが手に触れた。
声を上げずにいられたのは、上出来と言うものだろう。
土の中に顔があった。
目を閉じた、若い兵士の顔。
その額にまだ生々しい傷があった。
昨日の喧嘩のさいにつけられたものだろう。
『崔淵とかいうやつだ。まちがいない』


徐庶は、月明かりに照らされている、そこかしこに掘削の痕のある地面を見つめた。
まだほかにも、大勢の『病人』がここに埋められたのだ。
碌に手当ても受けられず、あの建屋に押し込められて緩慢に死に追いやられた者たちが。


徐庶は、男たちのうち、死体を運んでいた者たちが口を布で覆っていたことを思いだした。
いつだったか、やはり襄陽で流行り病が起こったことがあった。
そのとき、医術の心得があるという孔明の妻が、近所の者の看病のために外へ出る際、やはり口を布で覆っていたことを思いだした。
『連中もおなじことをしているのだ。やはり、軍中に流行り病が蔓延している』
このまま、建屋に乗り込んで、証拠を掴むべきだろうか。
『いや、こちらは単身。下手に突っ込んでも、医者とその手先に袋叩きにされるだけだろう。
それより、このことを本当に曹公はご存じないのか?』


曹操はたしかに残酷な男だ。
しかし軍のかなめ中のかなめである兵士たちを粗略に扱って、平然としていられるほど冷酷な男だとは思われない。
それに、いまでこそ兵士たちは流行り病のことを知らないが、いずれそれが広がれば、抑えきれないほどの混乱が生じるのは、火を見るより明らかだ。


徐庶は空を見上げた。
銀の貨幣のような月が、傲然と徐庶を見ている。
『曹公に上訴するほかない』
流行り病を隠蔽しているのは蔡瑁だという可能性に賭けるのだ。
徐庶は空を見上げていた顔を、今度は要塞の塀に向けた。
要塞の建屋から遠く、江東の軍からもっとも遠い西側にあるせいか、このあたりには見張りの兵もない。
『いまなら、ひとりで逃げられる』
そこまで浮かんで、徐庶は苦く笑った。
梁朋《りょうほう》をはじめ、これまで面倒を見てきた荊州の兵士たちの顔がつぎつぎと浮かんできたからである。
『そうさ、おれはそういう損な性分なのさ』
自嘲気味にこころのなかでぼやいてから、徐庶は掘った土を元に戻した。





徐庶は、おのれの宿舎に戻り、明かりをつけると、すぐさま筆を執った。
曹操に向けての訴状を書き始めたのだ。
興奮していても、手はさいわいなことに震えたりはしなかった。
思いのたけをぞんぶんにぶつけたものを一気に書き上げて、それから、曹操のいる要塞の中心の奥堂へ向かうべく、外へ出る。
身なりもろくに整えておらず、爪にはさきほどの土がついたまま。
しかも真夜中だったが、かまっていられなかった。
曹操は今頃、ぐっすり眠っているだろうから、たたき起こされれば機嫌が悪くなるかもしれないが、そんなことを言っている場合ではない。
さあ、行くぞと気合を入れて歩を進めたときだった。


「どこへ行かれる、元直どの」
声にぎょっとして、振り返ると、泥鰌髭《どじょうひげ》の傲慢そうな顔をした中年男が、松明《たいまつ》のあかりにぼおっと浮かび上がっていた。
そのとなりには、例の目の妙につぶらな大男が控えている。


しまった!


徐庶はあわてて逃げようとするも、大男のほうが動きが早かった。
壺ほどの大きさもあろうかというでかい拳が、顔面に飛んできた。
避けきれなかった。
目の前に火花が散り、鈍い痛みとともに、徐庶は昏倒した。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます(^^♪
いつの間にか、「奇想三国志」だけで、450回目の連載となっておりました。
これから、まだ続きますので、ひきつづき閲覧していただけるとさいわいですv

ではでは、次回は金曜日! どうぞお楽しみにー(*^▽^*)


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