『名前ばかりの押し込み盗賊』が徘徊していると聞き、偉度は『兄弟たち』を動かしつつ、みずからもまた、市井に下りて、怪しい者の動きがないかどうかを探った。
しかし、『名前ばかり』とはよくいったもので、噂ばかりはあるものの、具体的に、どこがどうなった、という話になると、なかば中傷であったり、過去のことと混同されていたり、あるいは人騒がせが好きな者の、根も葉もない嘘であったりした(もちろん、偉度自身がそんな者をみつけたら、ただではおかなかったが)。
やれやれ、と一息を突き、成都のなかでも、ひときわ閑静な、大きな屋敷のあつまっている区域へと足を運ぶ。
どこかしら気取った町ではあるが、歴史は古いながらも、そこに住まう者自体は、みなあたらしいので、どこか古いものと新しい物が、いまだに馴染みきっていないような、浮ついた空気がある。
そんななかでも、ぽつんと、感じよい佇まいを見せているのが、陳到の屋敷であった。
陳到の家は、ほかの屋敷とくらべれば、ずっとこじんまりとしていたけれども、清潔で飾らない素朴な雰囲気が、偉度は好きである。
玄関には立たず、庭に回るようにして、しばらく小道より屋敷を眺めていると、まるで呼びかけに答えるようにして、屋敷の中から銀輪が姿をあらわした。
「あー、偉度っちだ、どうしたの? おじさん」
言いながら、銀輪は、つっかけをひっかけて、偉度のところまで垣根越しにやってくる。
「パパならいないよ。お仕事だから」
「判っているが、おまえ、ちゃんと回覧板は読んだか」
回覧板、とは、孔明の指示によってまわしている、『婦女子は伴をつけずに夕刻以降、出歩くことを禁ずる』というものである。
銀輪は素直に頷いた。
「うん、でも、なんで『婦女子』なんて限定するのかなー? 偉度っちだって、危ないよ」
「わたしは男だから大事無い」
「変質者なんて何考えているかわかんないよー。偉度っち、色っぽいから」
「私に敵う変質者なんぞいるか」
「あいかわらず、自信家だねー。で、回覧板を読んだか確認するために、わざわざ来たの? 大丈夫だよ、最近は、変質者がいるとかで、学校も集団登下校だもん。PTAもいっしょでうざいけどー、被害に遭わないためには、我慢しないとねー」」
「いい心がけだ。ではな」
「なーんだ、もう行っちゃうの?」
銀輪は名残惜しそうにしていたが、偉度は振り返らずに、言葉どおり、さっさと足を進める。
が、ふと曲がり角へきて、すこしだけ振り返ると、銀輪が、偉度にむかって、無邪気に手を振っているのが見えた。
だが、そこで素直に手を触れる偉度ではない。
ふん、と顎をわざと逸らして、無視して角を曲がる。
しかし、妙に居心地が悪くなり、思わず引き返して、そっと角から覗くと、銀輪が、垣根の隙間から、尾っぽを下げてしょげ返った犬のようになっているのが見えた。
…………………………………悪かったか、な?
偉度は、ときどき銀輪が小学生だということを忘れる。
まったくもって、自分はなにをやっているのだか。
謝りにいくか、と足を動かそうとしたとたん、右肩に、なにかがのしかかる。
それは耳元で、荒い息をひゅうひゅうといわせていた。
すわ、変質者か、と身構えた偉度であるが、耳慣れた声がつづく。
「偉度っちー」
首をわずかに動かし、ちらりと見ると、そこには、剣呑に目を細めた、陳叔至が、偉度の肩に顎を乗せて、ぴったりとくっついていた。
さすが、元同業。背後に迫る気配を、偉度はまったく感知できなかった。
じっとりと嫌な汗を偉度は背筋におぼえる。
自分にこれほど極度の緊張をさせるのは、趙雲と陳到くらいのものだ。
ほかの武将は、たとえ力で敵わなかったとしても、口と頭で勝てる自信が、偉度はある。
「偉度っち、って、なんですか、偉度と普通にお呼びくださいませ」
「いいじゃん、偉度っちー。しつもーん」
「なんでございましょう」
「二十一引く、十二は、なーんだ?」
「なんの計算でございますか」
陳到は顎を偉度の肩に乗せたまま言う。
「いいから答えてみ? 二十一引く十二だぞー」
「九?」
「だよねー。おまえは、九つも銀の年上なのに、なーんでいじめているのかなー?」
「いじめるとは人聞きのわるい。通りすがりに、挨拶をしただけでございます」
「ふぅん? それじゃあ、なんで挨拶をしただけなのに、銀は泣いているのかなー」
泣いている、と聞いて、偉度の、普段は使われていない良心回路が、めずらしく息を吹き返し、ちくちくと胸をいじめた。
「それは、ちょっと、わるかった、かな、と」
「ちょっとー? ちょっとかあ」
とたん、ぱっと陳到は偉度から離れる。
と、同時に、偉度の頬をぎりぎりに鏢が投げられ、頬をなぜるように切った。
「わが娘に近づき、あまつさえ涙をながせしは許すまじ!」
「おぼえたか、陳叔至!」
すかさず二撃目が打ち込まれるのを、偉度はすばやく身をかわし、身を駒のようにくるくると回しながら、陳到が三撃目を繰り出すのを防ぎ、そのまま素早く手にした短刀にて、陳到の咽喉笛を狙う。
相手は、趙雲に次ぐ武芸達者で、その気になれば並び立つこともできるとさえ評される陳到だ。
しかも面倒なことに、この家庭人、本気である。
「甘いわ!」
陳到は言いながら、両手に持った剣を咽喉の前で十字に交差させ、偉度の攻撃を防ぎ、跳ね返したと同時に、反動でのけぞる偉度めがけ、片足を軸に、びゅん、と素早く蹴りを入れようとする。
偉度は、のけぞる力にさからわず、そのまま後ろへ宙返りすると、すんでのところで陳到の足を避けた。
そうして地に足が着いたか着かないか、という頃合に、蹴り損ねたためにこちらに背を見せる形となった陳到を視界におさめ、懐に隠し持っていた手裏剣を投げつける。
ドス、ドス、と鈍い音がし、手ごたえを覚えた偉度であったが、しかし次の瞬間目にしたのは、手裏剣が刺さったままの上着が、砂埃のあがる地面に、まるで生き物のようにゆっくりと地に落ちていくさまであった。
頭上に影が落ちる。
ぎん、と鋭い音がして、額を割られる直前のところで陳到の刃を受け止めた。
しかし、重い。剣にこれほど重さを籠められる男と、偉度ははじめて剣を交わした。
「小癪な小僧よ、しかし、貴様の命運も今日で費えると知れ!」
陳到がいうと、
「笑止! 貴様の首は、わが刃の錆となり、二度と天を拝むまい!」
偉度もそれに応じ、二人は互いに一歩も譲らず、激しい剣戟が繰り返された。
ざざざ、ざざざと草を揺らす風のわたる叢に、二人の男がいま、対峙している。
一人は鎖帷子に身を包む、いまや往年の(といっても陳到はまだ三十代後半であるが)顔を取り戻した陳到と、いまや己が本性を取り戻し、しなやかな獣のごとき隙のなさを見せる胡偉度である。
ぴゅうと吹きすさぶ風になぶられながら、二人は、瞬きもせず、互いにはげしくにらみ合っていた。
どちらかが隙を見せれば、片一方は容赦なく渾身の一撃を繰り出し、命の息吹を消し飛ばす構えである。
ぎらりと光る刃が、夕闇に光る。
その磨きぬかれた刀身に映る己が風貌は、まさに鬼神。
西に熔けかかる太陽の、残照を背に、いま、偉度は先手を打つべく、地を蹴りとばす。
そのとき…
「陳叔至、胡偉度、両名とも刃をおさめよ! 武将同士の私闘は禁じられておること、忘れたか!」
重々しい一喝に、偉度の足は止まり、陳到の動きも止まる。
ふたりが同時に振り返ると、そこには、両手にそれぞれスーパーのビニール袋をぶら提げた、趙子龍の姿があった。
「何をしているのだ! 刃を納めぬか! さもなくば、俺が貴様らの相手になろうぞ!」
と、凄む趙雲の両手にぶら下がっている、スーパーのビニール袋から覗く、長ネギやらキャベツやらを見て、偉度はちらりと、いまなら勝てるかも、と思い、すぐにその考えを打ち消した。
趙雲には、得物がなんであろうと関係ない。
異常なまでの武芸のセンスがあるので、長ネギだろうと牛乳だろうと、瞬時に武器にして闘うことができる男だ。
長ネギで死ぬのは、みっともなさ過ぎる。
「今宵の夕食は、回鍋肉でございますか、趙将軍…」
透明なビニール袋には、『簡単クッキング 回鍋肉の素』が見えた。
偉度に言われ、趙雲は、怒気をやわらげ、自分の持つスーパーの袋を見下ろした。
「ああ、これか。たまたま通りがかったら特売をしていたのだ」
「左様でございますか…」
そのとき、偉度と陳到の両者の脳裏に浮かんだ言葉は、
『哀れなり、独身男』
という言葉であった。
男ぶりが妙に良いせいで、スーパーのビニール袋、という取り合わせが実に似合わない。
つづく……
お待たせしました、旧サイト「はさみの世界」のデータ移行、本日より再開です。
次回は土曜日の掲載となりまーす。
しかし、『名前ばかり』とはよくいったもので、噂ばかりはあるものの、具体的に、どこがどうなった、という話になると、なかば中傷であったり、過去のことと混同されていたり、あるいは人騒がせが好きな者の、根も葉もない嘘であったりした(もちろん、偉度自身がそんな者をみつけたら、ただではおかなかったが)。
やれやれ、と一息を突き、成都のなかでも、ひときわ閑静な、大きな屋敷のあつまっている区域へと足を運ぶ。
どこかしら気取った町ではあるが、歴史は古いながらも、そこに住まう者自体は、みなあたらしいので、どこか古いものと新しい物が、いまだに馴染みきっていないような、浮ついた空気がある。
そんななかでも、ぽつんと、感じよい佇まいを見せているのが、陳到の屋敷であった。
陳到の家は、ほかの屋敷とくらべれば、ずっとこじんまりとしていたけれども、清潔で飾らない素朴な雰囲気が、偉度は好きである。
玄関には立たず、庭に回るようにして、しばらく小道より屋敷を眺めていると、まるで呼びかけに答えるようにして、屋敷の中から銀輪が姿をあらわした。
「あー、偉度っちだ、どうしたの? おじさん」
言いながら、銀輪は、つっかけをひっかけて、偉度のところまで垣根越しにやってくる。
「パパならいないよ。お仕事だから」
「判っているが、おまえ、ちゃんと回覧板は読んだか」
回覧板、とは、孔明の指示によってまわしている、『婦女子は伴をつけずに夕刻以降、出歩くことを禁ずる』というものである。
銀輪は素直に頷いた。
「うん、でも、なんで『婦女子』なんて限定するのかなー? 偉度っちだって、危ないよ」
「わたしは男だから大事無い」
「変質者なんて何考えているかわかんないよー。偉度っち、色っぽいから」
「私に敵う変質者なんぞいるか」
「あいかわらず、自信家だねー。で、回覧板を読んだか確認するために、わざわざ来たの? 大丈夫だよ、最近は、変質者がいるとかで、学校も集団登下校だもん。PTAもいっしょでうざいけどー、被害に遭わないためには、我慢しないとねー」」
「いい心がけだ。ではな」
「なーんだ、もう行っちゃうの?」
銀輪は名残惜しそうにしていたが、偉度は振り返らずに、言葉どおり、さっさと足を進める。
が、ふと曲がり角へきて、すこしだけ振り返ると、銀輪が、偉度にむかって、無邪気に手を振っているのが見えた。
だが、そこで素直に手を触れる偉度ではない。
ふん、と顎をわざと逸らして、無視して角を曲がる。
しかし、妙に居心地が悪くなり、思わず引き返して、そっと角から覗くと、銀輪が、垣根の隙間から、尾っぽを下げてしょげ返った犬のようになっているのが見えた。
…………………………………悪かったか、な?
偉度は、ときどき銀輪が小学生だということを忘れる。
まったくもって、自分はなにをやっているのだか。
謝りにいくか、と足を動かそうとしたとたん、右肩に、なにかがのしかかる。
それは耳元で、荒い息をひゅうひゅうといわせていた。
すわ、変質者か、と身構えた偉度であるが、耳慣れた声がつづく。
「偉度っちー」
首をわずかに動かし、ちらりと見ると、そこには、剣呑に目を細めた、陳叔至が、偉度の肩に顎を乗せて、ぴったりとくっついていた。
さすが、元同業。背後に迫る気配を、偉度はまったく感知できなかった。
じっとりと嫌な汗を偉度は背筋におぼえる。
自分にこれほど極度の緊張をさせるのは、趙雲と陳到くらいのものだ。
ほかの武将は、たとえ力で敵わなかったとしても、口と頭で勝てる自信が、偉度はある。
「偉度っち、って、なんですか、偉度と普通にお呼びくださいませ」
「いいじゃん、偉度っちー。しつもーん」
「なんでございましょう」
「二十一引く、十二は、なーんだ?」
「なんの計算でございますか」
陳到は顎を偉度の肩に乗せたまま言う。
「いいから答えてみ? 二十一引く十二だぞー」
「九?」
「だよねー。おまえは、九つも銀の年上なのに、なーんでいじめているのかなー?」
「いじめるとは人聞きのわるい。通りすがりに、挨拶をしただけでございます」
「ふぅん? それじゃあ、なんで挨拶をしただけなのに、銀は泣いているのかなー」
泣いている、と聞いて、偉度の、普段は使われていない良心回路が、めずらしく息を吹き返し、ちくちくと胸をいじめた。
「それは、ちょっと、わるかった、かな、と」
「ちょっとー? ちょっとかあ」
とたん、ぱっと陳到は偉度から離れる。
と、同時に、偉度の頬をぎりぎりに鏢が投げられ、頬をなぜるように切った。
「わが娘に近づき、あまつさえ涙をながせしは許すまじ!」
「おぼえたか、陳叔至!」
すかさず二撃目が打ち込まれるのを、偉度はすばやく身をかわし、身を駒のようにくるくると回しながら、陳到が三撃目を繰り出すのを防ぎ、そのまま素早く手にした短刀にて、陳到の咽喉笛を狙う。
相手は、趙雲に次ぐ武芸達者で、その気になれば並び立つこともできるとさえ評される陳到だ。
しかも面倒なことに、この家庭人、本気である。
「甘いわ!」
陳到は言いながら、両手に持った剣を咽喉の前で十字に交差させ、偉度の攻撃を防ぎ、跳ね返したと同時に、反動でのけぞる偉度めがけ、片足を軸に、びゅん、と素早く蹴りを入れようとする。
偉度は、のけぞる力にさからわず、そのまま後ろへ宙返りすると、すんでのところで陳到の足を避けた。
そうして地に足が着いたか着かないか、という頃合に、蹴り損ねたためにこちらに背を見せる形となった陳到を視界におさめ、懐に隠し持っていた手裏剣を投げつける。
ドス、ドス、と鈍い音がし、手ごたえを覚えた偉度であったが、しかし次の瞬間目にしたのは、手裏剣が刺さったままの上着が、砂埃のあがる地面に、まるで生き物のようにゆっくりと地に落ちていくさまであった。
頭上に影が落ちる。
ぎん、と鋭い音がして、額を割られる直前のところで陳到の刃を受け止めた。
しかし、重い。剣にこれほど重さを籠められる男と、偉度ははじめて剣を交わした。
「小癪な小僧よ、しかし、貴様の命運も今日で費えると知れ!」
陳到がいうと、
「笑止! 貴様の首は、わが刃の錆となり、二度と天を拝むまい!」
偉度もそれに応じ、二人は互いに一歩も譲らず、激しい剣戟が繰り返された。
ざざざ、ざざざと草を揺らす風のわたる叢に、二人の男がいま、対峙している。
一人は鎖帷子に身を包む、いまや往年の(といっても陳到はまだ三十代後半であるが)顔を取り戻した陳到と、いまや己が本性を取り戻し、しなやかな獣のごとき隙のなさを見せる胡偉度である。
ぴゅうと吹きすさぶ風になぶられながら、二人は、瞬きもせず、互いにはげしくにらみ合っていた。
どちらかが隙を見せれば、片一方は容赦なく渾身の一撃を繰り出し、命の息吹を消し飛ばす構えである。
ぎらりと光る刃が、夕闇に光る。
その磨きぬかれた刀身に映る己が風貌は、まさに鬼神。
西に熔けかかる太陽の、残照を背に、いま、偉度は先手を打つべく、地を蹴りとばす。
そのとき…
「陳叔至、胡偉度、両名とも刃をおさめよ! 武将同士の私闘は禁じられておること、忘れたか!」
重々しい一喝に、偉度の足は止まり、陳到の動きも止まる。
ふたりが同時に振り返ると、そこには、両手にそれぞれスーパーのビニール袋をぶら提げた、趙子龍の姿があった。
「何をしているのだ! 刃を納めぬか! さもなくば、俺が貴様らの相手になろうぞ!」
と、凄む趙雲の両手にぶら下がっている、スーパーのビニール袋から覗く、長ネギやらキャベツやらを見て、偉度はちらりと、いまなら勝てるかも、と思い、すぐにその考えを打ち消した。
趙雲には、得物がなんであろうと関係ない。
異常なまでの武芸のセンスがあるので、長ネギだろうと牛乳だろうと、瞬時に武器にして闘うことができる男だ。
長ネギで死ぬのは、みっともなさ過ぎる。
「今宵の夕食は、回鍋肉でございますか、趙将軍…」
透明なビニール袋には、『簡単クッキング 回鍋肉の素』が見えた。
偉度に言われ、趙雲は、怒気をやわらげ、自分の持つスーパーの袋を見下ろした。
「ああ、これか。たまたま通りがかったら特売をしていたのだ」
「左様でございますか…」
そのとき、偉度と陳到の両者の脳裏に浮かんだ言葉は、
『哀れなり、独身男』
という言葉であった。
男ぶりが妙に良いせいで、スーパーのビニール袋、という取り合わせが実に似合わない。
つづく……
お待たせしました、旧サイト「はさみの世界」のデータ移行、本日より再開です。
次回は土曜日の掲載となりまーす。