2月に入ってから、全国各地で大雪報道が・・・・
皆さん、埋もれてませんかぁ!!
交通にもかなり影響がでたようで大変でしたね。
札幌でも、雪に慣れているとはいえ毎日の除雪にウ~ンザリ、空を見上げては「バカ野郎!!」と怒鳴っているお方が約1名(わが妹です)。
山のふもとに戻ってきた私にも、大きな雪被害が!
それでなくても場所的にネット関係の電波が悪いところなのに、この大雪のせいでスマホの電波も弱っちくなってしまい、ネット検索はもとより、メールすらも受信、送信できる場所が限られてしまったわけで・・・。
やぁっと昨日あたりから回復し始めたようで、何とかメールも検索もできるようになりました。
この数日スマホを持ったまま、電波を求めて、あちこちウロウロしていたエドリンです、こんばんは。
というような事で、やっと戻った電波が嬉しくていろいろスマホで検索していたら素敵なお馬の逸話を見つけました。
ご存じの方もいるかもしれませんが、もう一度聞いて下さったら嬉しいです。
1・オンワードガイ
オンワードガイ(牡)・・・・誕生、1968年4月6日 没、1985年
父オンワードゼア、母リナウン(母父ネヴァセイダイ)
42戦10勝 主な勝鞍、朝日杯3才ステークス、AJC杯、目黒記念
同期生、ヒカルイマイ、ニホンピロムーテ
オンワード樫山という洋服ブランドをご存じの方はどのくらいいるでしょうか?
レナウンとならんで、私たち世代には懐かしいネームですが・・・・(遠い目)。
そこの社長さんが競馬好きで、馬だけでは物足りずに、ご自分の牧場も作ってしまったのです。
残念なことに最近、カントリー牧場と共にオンワード牧場も消えてしまいましたが・・・。
そのオンワード牧場の代表生産馬オンワードゼアなのですが、ちょっと出生(?)の逸話が面白いのです。
逸話には2種類あります。
その① 本当は違う種牡馬をつける予定だったのが、母のリナウンがその種牡馬を嫌って受け付けず、当て馬だったオンワードゼアと交配してしまった。
その② 1958年の春の天皇賞馬であり1959年有馬記念馬でもあるオンワードゼアでしたが、仔供に恵まれずいつ
か当て馬として使われる様になってしまった。
そのことに憤懣やるかたなかったゼア君は、スタッフの目を盗み、リナウンと交配してしまった。
それを知ったオーナーは怒り、ゼア君を幽閉してしまった。
どちらが真実なのかはわかりませんが、そういういきさつで生を受けたガイが、牧場の生産馬として最高の稼ぎ頭になったわけです。
もちろん、ガイの活躍でゼアの幽閉はとかれオーナーはゼアに謝罪し、再び種牡馬に返り咲いたのだとか。
でも、天皇賞馬で、有馬記念馬を当て馬にしちゃうってどうよ。
私的には、ゼアの執念説の方が好きですね。
やるじゃん、ゼア君!!
ついでにも一つおまけ、母、リナウンは当時オンワード樫山のライヴァル会社だったレナウンと、英字表記が同じだったそうな(笑)。
2・グッバイマイライフ
グッバイマイライフ(牝)・・・・誕生、2000年4月2日
父ティンバーカントリー 母センゴクアンバー(母父アンバーシャダイ)
このお馬さんは2勝馬です。
大きなレースも勝ってません。
生涯2勝しただけです。 もちろん2勝するだけでも立派ですが。
ただ、その2勝がどんな重賞よりも大きな意味をもった勝利だったのです。
この仔のオーナーさんは高知のお医者様でした。
ご自分の病院もお持ちになり、順調な生活をなさっていました。
ところがある日、ご自分の体に異常を感じ検査したところガンであることが判明したのです。
しかも末期で、余命が半年しかないと・・・・。
この方はそれがわかった時、お仕事をやめ、馬が走るのを見て暮したいという長年の夢を叶えるべく、馬主になったのでした。
その、初めて買った馬が“グッバイマイライフ”です。
グッバイマイライフ・・・・・さらば我が人生
あまりにはまり過ぎたネーミングです。
馬主になったこの方は、愛馬のデビューが楽しみで「1勝するのを見届けるまでは死ねない」というのが口癖だったそうです。
2002年8月に札幌でデビューしたグッバイマイライフでしたが、ここでは勝てずに、4戦目の中山第1レース、ダートで念願の初勝利をあげることが出来ました。
その仔の走るのを楽しみに頑張っていた馬主さんの喜びはどれほどのものだったでしょう。
余命半年と宣告されていたにもかかわらず、その後2年頑張って愛馬の走りを見てきた馬主さんでしたが、2004年2月に力尽き旅立って行きました。
その翌日、まるで追悼レースかのようにグッバイマイライフは2勝目をあげたのでした。
2007年、繁殖さんになった彼女が、その年産んだ女の仔と並んで草を食む姿が新聞に載っていました。
どんなお馬にも1頭1頭、物語があります。
人と馬とが紡ぐストーリーにはどんな名作もかないません。
私も最近、素敵なストーリーを知りました。
近々ブログアップしますので楽しみになさっていて下さいね。
今日はちょっと趣をかえてみました。
画像がなくつまんないと思ってらっしゃる方の為に、去年の今頃のスティング君を載せちゃいますね。
天使になったスティング君です(爆)
「みんな、天使スティングやで。 元気してるかぁ。 雪に負けたらあかんで。」
「雪が溶けたらまた遊びに来てや。 いつでもおいら待ってるで。」
追伸です。
スティングを偲ぶ会が4月19日~20日に決まりました。
ご都合が良かったら、是非、スティングの思いで話をしに来て下さい。
詳しくは “マイネルスティング公式ブログ”で。
皆さん、埋もれてませんかぁ!!
交通にもかなり影響がでたようで大変でしたね。
札幌でも、雪に慣れているとはいえ毎日の除雪にウ~ンザリ、空を見上げては「バカ野郎!!」と怒鳴っているお方が約1名(わが妹です)。
山のふもとに戻ってきた私にも、大きな雪被害が!
それでなくても場所的にネット関係の電波が悪いところなのに、この大雪のせいでスマホの電波も弱っちくなってしまい、ネット検索はもとより、メールすらも受信、送信できる場所が限られてしまったわけで・・・。
やぁっと昨日あたりから回復し始めたようで、何とかメールも検索もできるようになりました。
この数日スマホを持ったまま、電波を求めて、あちこちウロウロしていたエドリンです、こんばんは。
というような事で、やっと戻った電波が嬉しくていろいろスマホで検索していたら素敵なお馬の逸話を見つけました。
ご存じの方もいるかもしれませんが、もう一度聞いて下さったら嬉しいです。
1・オンワードガイ
オンワードガイ(牡)・・・・誕生、1968年4月6日 没、1985年
父オンワードゼア、母リナウン(母父ネヴァセイダイ)
42戦10勝 主な勝鞍、朝日杯3才ステークス、AJC杯、目黒記念
同期生、ヒカルイマイ、ニホンピロムーテ
オンワード樫山という洋服ブランドをご存じの方はどのくらいいるでしょうか?
レナウンとならんで、私たち世代には懐かしいネームですが・・・・(遠い目)。
そこの社長さんが競馬好きで、馬だけでは物足りずに、ご自分の牧場も作ってしまったのです。
残念なことに最近、カントリー牧場と共にオンワード牧場も消えてしまいましたが・・・。
そのオンワード牧場の代表生産馬オンワードゼアなのですが、ちょっと出生(?)の逸話が面白いのです。
逸話には2種類あります。
その① 本当は違う種牡馬をつける予定だったのが、母のリナウンがその種牡馬を嫌って受け付けず、当て馬だったオンワードゼアと交配してしまった。
その② 1958年の春の天皇賞馬であり1959年有馬記念馬でもあるオンワードゼアでしたが、仔供に恵まれずいつ
か当て馬として使われる様になってしまった。
そのことに憤懣やるかたなかったゼア君は、スタッフの目を盗み、リナウンと交配してしまった。
それを知ったオーナーは怒り、ゼア君を幽閉してしまった。
どちらが真実なのかはわかりませんが、そういういきさつで生を受けたガイが、牧場の生産馬として最高の稼ぎ頭になったわけです。
もちろん、ガイの活躍でゼアの幽閉はとかれオーナーはゼアに謝罪し、再び種牡馬に返り咲いたのだとか。
でも、天皇賞馬で、有馬記念馬を当て馬にしちゃうってどうよ。
私的には、ゼアの執念説の方が好きですね。
やるじゃん、ゼア君!!
ついでにも一つおまけ、母、リナウンは当時オンワード樫山のライヴァル会社だったレナウンと、英字表記が同じだったそうな(笑)。
2・グッバイマイライフ
グッバイマイライフ(牝)・・・・誕生、2000年4月2日
父ティンバーカントリー 母センゴクアンバー(母父アンバーシャダイ)
このお馬さんは2勝馬です。
大きなレースも勝ってません。
生涯2勝しただけです。 もちろん2勝するだけでも立派ですが。
ただ、その2勝がどんな重賞よりも大きな意味をもった勝利だったのです。
この仔のオーナーさんは高知のお医者様でした。
ご自分の病院もお持ちになり、順調な生活をなさっていました。
ところがある日、ご自分の体に異常を感じ検査したところガンであることが判明したのです。
しかも末期で、余命が半年しかないと・・・・。
この方はそれがわかった時、お仕事をやめ、馬が走るのを見て暮したいという長年の夢を叶えるべく、馬主になったのでした。
その、初めて買った馬が“グッバイマイライフ”です。
グッバイマイライフ・・・・・さらば我が人生
あまりにはまり過ぎたネーミングです。
馬主になったこの方は、愛馬のデビューが楽しみで「1勝するのを見届けるまでは死ねない」というのが口癖だったそうです。
2002年8月に札幌でデビューしたグッバイマイライフでしたが、ここでは勝てずに、4戦目の中山第1レース、ダートで念願の初勝利をあげることが出来ました。
その仔の走るのを楽しみに頑張っていた馬主さんの喜びはどれほどのものだったでしょう。
余命半年と宣告されていたにもかかわらず、その後2年頑張って愛馬の走りを見てきた馬主さんでしたが、2004年2月に力尽き旅立って行きました。
その翌日、まるで追悼レースかのようにグッバイマイライフは2勝目をあげたのでした。
2007年、繁殖さんになった彼女が、その年産んだ女の仔と並んで草を食む姿が新聞に載っていました。
どんなお馬にも1頭1頭、物語があります。
人と馬とが紡ぐストーリーにはどんな名作もかないません。
私も最近、素敵なストーリーを知りました。
近々ブログアップしますので楽しみになさっていて下さいね。
今日はちょっと趣をかえてみました。
画像がなくつまんないと思ってらっしゃる方の為に、去年の今頃のスティング君を載せちゃいますね。
天使になったスティング君です(爆)
「みんな、天使スティングやで。 元気してるかぁ。 雪に負けたらあかんで。」
「雪が溶けたらまた遊びに来てや。 いつでもおいら待ってるで。」
追伸です。
スティングを偲ぶ会が4月19日~20日に決まりました。
ご都合が良かったら、是非、スティングの思いで話をしに来て下さい。
詳しくは “マイネルスティング公式ブログ”で。