新・名も無い馬ですが・・・・・

2013年11月3日に旅立ったマイネルスティング。
その想い出と一緒に、これからも名も無い馬たちの応援をしていきます。

初めまして  その2

2011-10-16 | 日記
昨日 雪虫をたくさん見ました。
この時期になると、やがてくる雪投げに思い悩むわたし・・・(だって、腰がぁ・・肩が
ぁ・・

こんばんは。 エドリンです。



出会い

2008年10月、2年に一度の‘FPの会’のツアーに私も参加していました。
全国から集まった馬好きさん達。 3日間 馬三昧です。

A牧場さんにお伺いした時の事です。
私は、そこの牧場の看板種牡馬に人参をあげていました。
その時 道路側の放牧地から笑い声と何かを呼ぶ声が聞こえてきました。
野次馬根性旺盛のエドリンです。 行きましたよ。

そこには数人の会員さんと黒い馬がいました。
黒い馬は 差しだされた人参を一通り口に入れると、クルッとターンして 放牧地の奥の方に走って行ってしまいました。 目的地に着いて 馬がとまった途端、突然
「すてぃんぐ~!」呼ぶ会員さん達。
すると走って来るスティング。 人参をもらうとまたターンして戻って行く。
近くにいた人に聞いてみると、スティングが立っている所から見える放牧地は牝馬専用なのだとか。

牝馬の見える場所に着く、スティングコールで呼ばれる、走って人参を貰いに行く、急いで戻る、呼ばれる、走って人参、戻る、呼ばれる、走る、人参、戻る、呼ばれる、走る、人参、戻る、呼ばれる・・・・何度 繰り返したか。
いつの間にか 彼の放牧地の前は人だまりが。 みんなで声を合わせて
  
「すてぃんぐ~!!」

何度呼ばれても その度に ワッセワッセと走って来るスティングにあちこちから「可愛い!」の声。


その牧場さんには‘引退馬ネット’でサポートしている地方競馬で名をはせた名馬もいるのですが、その日のスターは間違いなくスティングでした。
それが スティングとの初めての出会いでした。




衝撃




ホテルに到着し夕食後、希望者だけで会の代表の部屋で2次会。
お祭り好きの私です。 当然 参加。

和気あいあいと馬談議に花が咲いていた時
「実は 皆さんに聞いて貰いたい事があります。」と 引退馬ネットのスタッフでもあるKさんが話し始めた事に、その場にいた全員が、ほろ酔い気分も吹き飛び凍りつきました。

それは、マイネルスティングはこの10年間 一人のオーナーさんが面倒をみてきました。
ところが9月、オーナーさんに大きなアクシデントが起こり、これ以上スティングの面倒をみる事ができなくなった。
悩みに悩んだすえ、今残っているお金がある間はこのまま、無くなった時点で安楽死を・・・という苦渋の選択をされたというものでした。

馬一頭みるには、場所、人手、そして多額の経費がかかります。
重賞をいくつも勝った馬でさえ、いつの間にか消えてしまった例は 過去 沢山あります。
1勝しかできなかったスティングの面倒を引き受けてくれる人がいるとは到底思えません。
スティングを思うが故の決断なのでしょう。

それを聞かされたKさんは、今までオーナーさんが繋げてくれた命、どうにか出来ないかと 今回 私たちに相談したのでした。


思考がとまったかの様な私の脳裏に、今日見たスティングの姿が浮かびました。
呼ばれる度に必死に走ってくるスティング。
もう食べ飽きただろうに、差しだされた人参を残さずほお張るスティング。


重苦しい沈黙を突き破るように誰かが「私たちで何とかできませんか?」と叫びました。
その声をきっかけに、それぞれから「絶対に助けよう!」「スティングの命を守りましょう」との言葉が・・・。


そしてKさんを代表として“マイネルスティングの会”が発足。
スティングはこれから会員さん達に支えられて、神様のお迎えが来るまでのんびり馬生をすごせる資格を得たのでした。




おまけ

後に ある関係者の方が言っていました。
「スティングは普段、人がそばに行っても寄ってくるわけでもない。 愛想も素っ気もない馬なのに あの日は(ツアーの日)は馬が変わったみたいだった。
もしかしたら自分の状況を何か感じていたのかも。」

スティングが自分の状況をわかっているのかも知れない という事は、この先にも時々ありました。 その話は追々に・・・。