癒浦等宮(ゆららのみや)の大掃除

2017-12-30 23:44:18 | 日記・エッセイ・コラム
3年目の我が癒浦等宮の大掃除。声が元に戻ってすっかりおやかまし猫になったルルに、いつものように6時半に起こされた。明日は大掃除をやろうという僕の気持ちを知ってか知らずか、早朝からギャーギャーとうるさい、本音は「飯を食わせろ、皿が空っぽなんだよ」なんだ。とりあえずルルの飯とぼくの飯を同時進行しながら、大掃除モードに気持ちを切り替えようと「今日はやるぞ」と自分に言い聞かせ続けた。

昨日のプランどおり、まずはルルのフードとトイレの砂を買って帰る。なんとかこの間に気持ちは大掃除モードに入ったようだ。まず去年100均で買ったハタキがちょっと貧素で頼りなかったので端切れの布を足してボリュームアップ、実際に天井の隅とか蛍光灯の上を叩いてみたが、これがイメージどおりの効果で大満足。これですっかりやる気になった。
普段手の届かないところをハタキで拂って、押入れ、クローゼットの拭き掃除、窓ガラス、網戸の雑巾がけと、おもしろいもんで、一旦軌道に乗せてしまえば事はスイスイと運ぶものなんだ。
癒浦等宮の大掃除の最後はクローゼットの上段にこしらえた狭い仏間だった。父にはお酒を母にはお餅を、3歳で逝った弟の好きだったものはわからないから、母と同じお餅をお供えして、癒
浦等宮の大掃除は4時前に終了。

陽気も暖かかったから居酒屋セブンイレブンで一人乾杯。ちょうど太陽が二上山に落ちようとしている。大掃除のご褒美だ。二上山とそこを越えるような雲といつものように会話しながら飲んでいると、ほんとうにここに居られる自分の福運を感じる。そしてこの福運は信心深かった母のおかげだと感じている。つい最近仕事で現役復帰したが、まだ2ヶ月も経っていないのに会社から年末ボーナスをいただいた。こんな信じられないような現実も母の信仰を真似事のように実践しているからなのかと思った。ここに引っ越す時に持ってきた母が使っていたお経本と父と弟の位牌がぼくの信仰だ。それに向かうことによって母の信じていたものに繋がるような気がしている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ホープフルSおまけの予想 | トップ | 2017年大晦日のお祈り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事